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林檎色のletero
登場人物一覧
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「ふぅ」
Erstine・Winstein(p3p007325)は客の居なくなった自営する喫茶店「Mughamara」の丸椅子に腰をかけ、両手を上げて伸びをする。ぎしりと椅子がきしみ、そろそろ買い替えを考えることかしらと思う。
目の端に友人からのお手紙が見えた。ルージュのキスマークのついた友人からのお手紙。扇情的なそれはエルスには少々刺激的だが、刺激的だからこそ、目立つこともあるのかもしれない。
ちょっとだけなら真似をしてもいいのかもと、エルスは少しはおしゃれをしろと、押し付けられた赤い口紅を形のいい唇に塗る。鏡の向こうには赤い唇の女がいる。それが自分だとはあまり思えない。
真新しい便箋に唇をぎゅっと押し付け――るがなんとも歪なそれは友人の素敵なものとは似てもにつかない。力が入りすぎたらしい。
もう一度、もう一度と何度も便箋に唇がおしつけられるがなぜだか満足のいくものはできやしない。
――そりゃあキスマークを送る相手なんていないけれど。なんて言いながら口を尖らせる。
いや、お手紙といえば、最初の一番に思いつく相手はいる。エルスの大好きな、あのひと。
あのひとに送るこのお手紙に、このキスマークをつけておいたらあの人はドキドキしてくれるのだろうか――なんて思った瞬間顔が熱くなる。だめだめ、そんなことなんてできやしない。きっと笑われちゃう。似合わないってわかってはいるけれど、笑われたらそれはそれで傷つく乙女心なのだ。
ふう、とため息をついて柔らかい布でルージュを拭き取る。皮肉なことに一番できのいいキスマークがそれだったのが情けない。
エルスは気分を切り替え、新しい便箋をとりだしお手紙を認めはじめる。
ディルク様へ
こんばんは、月が綺麗ですね。
そこまでかいたエルスは便箋をくしゃくしゃにする。日本という国からきた旅人にきいたことがある。愛の告白の定番らしいその言葉を思い出して真っ赤になる。ちがうの!
そういう意味じゃなくて、ふと見上げた月がほんとに綺麗でそれを彼に伝えたかっただけだし。
仕切り直し!
ディルク様へ
今日はとても満月が明るい夜です。
これなら、うん、大丈夫。告白だなんて思われないはずだ。あの人が旅人の話を知ってるとはかぎらないけれど――。
きっと彼にはたくさんのお手紙が届いてる。私のこれはその沢山のうちの一つでしかないだろうけれど。
でも、彼がこの世に生まれたことは寿ぐべきだから。
めいっぱいの想いをこめてペンを走らせる。
お誕生日おめでとうございます。
貴方にとって年を重ねることが嬉しいのかはわかりませんけど。
それでも……私は貴方が生まれた日を心よりお祝いします。
手紙の内容は悩みになやんだプレゼントのこと。貴方にはお酒がいいかなとは思ったのだけどと前置きして、可愛くラッピングされた林檎色のストールを選んだ理由を説明する。
彼の誕生花は林檎の花。白くて可憐なその花は大好きなあの人っぽくはないけれど林檎色の赤はあの人らしくてよく似合うと思ったから。
そのストールをラッピングするときに花を添えた。
彼の国とよく似た異国の風習で手紙の代わりに花をやりとりする国があるらしい。花言葉の意味を送り合って親愛を深めるというものだ。
雅なその風習はエルスにとってとても素敵に思えたからやってみようと思ったのだ。
とはいえ、男性にお花だけ贈っても理解されないだろう。
だからプレゼントとお手紙も一緒に添えることにした。
お花の名前はサクラソウ。
花言葉は「憧れ」それ以外の意味もあるけれどそれはないしょ。
そう、意味は憧れです。まごうことなき憧れです。それ以外に深い意味なんてまったくもって、これっぽっちも、ぜんぜん、ありませんから!
し、調べちゃ絶対だめですからね!!
なんて書いてしまったのは本当は調べて欲しい裏腹のこころ。
――サクラソウの花言葉は憧れ、そして初恋、と純潔。それはエルスの思いそのものなのだから。
それではまた、とお手紙を締めると、いつも愛用している封蝋用のリングを左手の小指に通す。
結局今回もすきです。の言葉は書けずに、ごまかしてばっかりの自分。
なんだか、情けなくなってくる。
すこし重めのリングには温かい紅茶カップの意匠が掘られている。お気に入りの品だ。
月明かりに透かせばきらきらかがやくリング。
ふと失敗したルージュが目について、情けない自分を思いだして少し落ち込む。
でも――せめて、せめてこれだけは、とエルスはリングに唇を触れさせる。
ほんのささやかなエルスの口づけ。だれにもわからないキスマーク。
唇にあたるリングがとても冷たくかんじるのは少し火照っているからだろうか?
想いをこめて押印した紅茶のカップの印章はほんの少しだけ揺らいでいて。
そのゆらぎはまるで自分の心のようだと、エルスはまた赤面した。