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悲嘆なりしアケーディア
登場人物一覧
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怠惰。
それは7つの大罪において、異端なる罪だ。
他の6つは欲望を発端にするものであるのに対し、怠惰はその真逆である放棄を端する言葉だ。
しかして。その真の意味は――。
本来の自分のあるべきを見失うことである。
青年の姿をした「それ」は10年にも満たぬ存在だ。
とある男のクローン体として作られた人造生物。それがランドウェラ=ロード=ロウス(p3p000788)という生き物の定義。
人の形をして、人ではないそれは自分のあるべきを知らない。
「『ランドウェラ』髪を梳いて」
それは、言われるがままに『母』と呼ぶ女の髪を梳く。
「『ランドウェラ』抱きしめて」
それは、言われるがままに『母』と呼ぶ女を抱く。
「『ランドウェラ』、『ランドウェラ』、『ランドウェラ』」
それは言われるがままに『母』の願いを叶える願望機。それが自分であることだけは知っている。
言われればなんでもする。そこに自分の意思など関係ない。それでいい。それはとても■なことだから。
ここは、自分とそして『母』だけの清浄なるましろの世界。
それがわかっていればそれ以外はなにも考える必要などはない。そうすることはとてもとても■だから。
ある日、『母』は言った。私を喜ばせるものをちょうだい、と。
その瞬間、それは動きをとめた。それがなにかわからなかったから。
それは自分で考えることができない。そこに自身が無いからだ。
『母』は残念そうな顔をして、できないのね、あの人ならできたのに。とつぶやいた。
心臓が苦しくなった。息ができなくなった。
機能不全が起こっています。早急にメンテナンスをお願いします。
それには、自らを苛むその痛みが何かはわからない。
痛みとして認識すらしていないだろう。
『母』はこちらをみない。
なぜですか? なぜ、こちらをみないのですか? 命令をください、命令をください。命令をください。
「怠惰、ね。あなたは、考えることすらしない」
その言葉がそれに、消えぬ傷と呪いを刻みつけた。
ランドウェラ=ロード=ロウスと呼ばれたそれの罪の証として。
それには「怠惰」が何を表しているかはわからない。
怠惰――すべきことを怠ける様子。
自分は
それほどまでに「わからない」ことが罪なのだろうか?
『母』に問いかける……気はおきなかった。
なぜなら、問いかけろと命令されなかったからだ。
そして、それはその日世界を渡る。
ましろの、『母』だけの世界から。たくさんの色が交じる混沌の統べる世界へ。
それ――彼にはいまや、命令を下すあるじは存在しない。
一歩歩く。
命令はされていないけれど。
二歩、三歩、何処へ向かうのかはわからない。
「――」
『母』の名を呼ぶ。何度も、何度も、命令をください、と『願う』。
命令は――こない。
腕を上げた。しびれに似た痛みが走る。
右側の腕が指先から肩にかけて真っ黒に染まっていた。なんとか動かすことはできるが、億劫な気分になる。
「メンテナンスが必要です」
声がか細くなる。気づいていた。ここにはもう『母』はいないのだと。
しかし、なぜかを考えることはしなかった。面倒だったから。
右目も霞む。機能不全が起こっている。なぜかは考えない。
考えてしまえば、あのときの『母』の言葉を思い出しまた心臓が機能不全を起こしてしまう。
もういっぽ前に足をすすめる。
わからない。わからない。
命令をください。
私は、何をしていいのかすら、わからないのです。
恐怖しかなかった。
ましろの世界はあれほどまでに■だったのに。
この世界は苦しくてしかたない。
「――」
『母』の名を呼ぶ。
産声をあげる赤子のように。迷子になった子供のように。
誰か、誰か、誰か。
私が、なにものかを、教えて下さい。
不意に漆黒の影が彼の首を締める。そのまま握りつぶされると思った瞬間、目が覚めた。
多分夢をみていたのだろう。内容は覚えてはいないが。
それにしても。随分と乱暴な起こし方だと、彼のギフト<システム・デイ>から生まれた影に愚痴る。
ほんとに死ぬかと思った。
「さてと」
どちらにせよ起きる時間だ。二度寝をしたい。
できるなら怠惰に午後までゆっくりと。夢も見ないほどの深い眠りで。