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とある傭兵の述懐 ~白の少女~
登場人物一覧
それは他愛ない噂話。
うだつの上がらない風情の傭兵が、酒に酔って呟くように始めた与太話だった。
なあ、悪魔さえも泣き出すような光景を、アンタは見たことがあるか?
俺はある。そいつは、幻想の外れの酒場でのことさ。
俺はその日、馴染みのその酒場に夕飯を食いがてらに飲みに行ったんだ。いつもみたいにな。街には丁度、天義のほうだかから流れてきた司祭様とやらが来たとこで、俺はじめ、無信心者からすりゃあ吐く唾が湧き出てくるような騒ぎになってた。
俺はといえば身寄りも、金も、まともな仕事もねぇ。神が居たとするなら尚更、信心が芽生えるわけもねぇよな。救ってくれねぇンだもんよ。俺に出来ることときたら、顔なじみと一緒にその酒場でクダを巻くくらいだったのさ。
――そうしていつもの通り酒場に行き着いたんだが、どっこい、様子がちっとおかしいわけだ。五十人はキャパのあるでかい大衆酒場さ。なのに、声が一つもしやがらねえ。けど灯は付いてる。訝しみながら店に入ると、席に居並んでたのはいつもの顔ぶれ。けど、皆一つもしゃべらねえんだ。
「おいアホ共、いよいよ言葉も忘れたのか? いつものバカ笑いはどうした?」
言った煽りにも蒼白い顔で無反応。気味がわりぃからよ、カウンターについていつもみたいに一等安くて腹に溜まるモンを頼んだんだよ。
「おやじ、ボアのモツ煮とエールをくれ。しかしなんだ。今日は葬式かなんかか? どいつもこいつもしゃべりやしやがらねえ」
……ところがだ。それどころか店主まで俺に反応しないで、何かを刻んでやがるのさ。執拗に。グチャグチャと。
流石に薄っ気味悪くなってよ、
「おい、おやじ! 聞こえてんのか?! アンタまで悪ふざけしてんならよ、俺ァもう今日は帰るぞ!!」
怒鳴ったわけだ。
そうしたらさ、
「かひっ かひひけひひひひ ううぅ もつう もつにィ いっちょおお」
出し抜けに振り返った店主が、蒼白い顔でよ、引き攣るように笑いながら、俺の手元に叩きつけるみたいに器を置いたんだよ。何が入ってたと思う? ……思い出したくもねえ。
生臭い匂いが鼻を突いた。血と部位も滅茶苦茶の臓物が、器の中でのたくってた。なんせ血塗れだ、下処理なんてしてあるわけもない。洗ってないんだから内容物の匂いと血の臭いが混ざってどえらいことさ。当然、食えるような代物じゃねぇ。
「うぷっ……、ッ、なんッだこりゃあ!!」
反射的に叫んだら、その時初めて店の中が、大爆笑で満たされた。店主と同じような引き攣った笑いさ。ケタケタ笑いながら客共が皆して立ち上がった。
その時、俺は初めて理解したよ。
今ここに来ちゃいけなかったんだってな。
立ち上がった客共の腹はぽっかり空いて、あるべき内臓がすっかり留守にしてやがったんだ。
なのによ、そいつら、笑いながら俺の方ににじり寄ってくるんだ。
「ヒッ……?! な、何だそりゃ、おいッ!? どうなってんだ?! お、おい待て、来るな! 寄るんじゃねェ!!」
反射で立ち上がって、俺ァ店の中で死ぬ気で逃げ場を探した。けど入口側は固められてて、カウンターを越えて勝手口に逃げようとしても、そっちには
ゾンビみたいに両腕を出してにじり寄る客共に圧されるみたいに俺は下がったが、店の奥に逃げても追いつかれるまでの時間が延びただけ。数十人からなる客を押しのけて逃げ切れる気もしねぇ。何より動転してて、そこまで冷静に考えられねぇし、今思い起こしたって寒気がするほど怖かったのさ。
俺ァ叫んだよ。神様は結局俺の事なんざ助けちゃくれねぇから、もうこの際何でもいい、誰でもいいからよ、
「ああああ、た、たす、助ッけてくれぇえ!!!!!」
喉が震えて掠れてまともな声にならなかった。
多分、その声を聞いた誰かがいたわけじゃない。
俺ァ純粋に運が良かったんだと思う。……ああ、その後のことだけは、多分死んでも忘れらんねェ。
「――惨いわね。
人垣の向こう、酒場の入口からゆっくり進み入ったのは、まだ年端も行かねぇ子供だった。不気味なくらい、眩くて寒気のするくらい、雪みたいに真っ白いガキさ。レースとフリルをあしらった雪花めいたワンピースも、肘まで届く長さの編み込み交えた長髪も、膚さえも、全部が白。恐ろしいくらいに整った容貌に薄い血色も相俟って、まるで人形みたいに見えた。
そのなかで、瞳だけが、ただ、銀色に――
店のランプを映し込んで、燃えるように輝いている。
超然とした雰囲気だった。その少女は、右手を無造作に突き出した。次の瞬間、空間に滲み出るように白い――飾り気のない長槍が発生する。
彼女はそれを握って言った。
「そこのあなた。目を閉じていなさいな。――すぐに終わらせるわ」
――忠告されたのにな、俺は目を閉じていられなかった。だから、俺はこれからアンタに、その子供が、何をしたのか、できる限り克明に伝えたいと思う。
敵数数十。数えるのも面倒だ。
悪魔召喚士が幻想の外れに流れ着いたという報告が上がったのが数刻前だ。恐らくこれは、その悪魔召喚士によって傀儡とされた亡者の群。この酒場を制圧し、被害が村全体に及ぶ前に首魁を倒さねばならない。
少女―― 『実験台ならまかせて』かんな(p3p007880) は端的な状況確認を終えると、間髪入れずに地面を蹴る。速い。床板が爆ぜて跳ね上がるのを置き去りに、凄まじい速度でランス・チャージを叩き込んだ。三体が一挙に串刺しとなる。身体を捻り、全身の筋肉をフルに使い――否、体内の筋肉を獣のそれへと変異させ、見た目にそぐわぬ怪力を発揮し――串刺しにした三体を投げ払った。
吹っ飛んだ骸三体がけたたましい音を立てテーブルを薙ぎ倒し、亡者達の意識がかんなに向く。首を一八〇度回して振り向く亡者達は、最早人間としての構造を放棄している。
――なるほど。死体が、
かんなの推測は正しい。なるほど、代償無しに悪魔を顕現させるよりも、受肉すべき肉体と、供物としての血とはらわたがあった方が召喚に使うコストを抑えられるだろう。合理的だ。吐き気のするほどに。
亡者達はべきべきめきめきと音を立てて変形した。生き残りの男が息を呑む。髪が抜け落ち、骨格が捻れ、爪がじゃらりと鋭く伸び、亡者達は瞬く間に悪魔の形に変じていく。刺し貫いただけでは死ななかったか、投げ飛ばされた数体までもが変形し、ずしゃりと立ち上がった。
かんなはゆるりと目を細め、戦況認識を改める。
酒場内の限定空間。
「来なさい。踊ってあげるわ」
挑発めいた一声で悪魔共に呼びかける。
次の瞬間、少女目掛け、悪魔共が殺到した。
圧倒的な数の違い。少女が超常の槍を持っていたとて、この数の差を覆せると誰が思うだろう。悪魔はその一体一体が成人男性を上回る上背と、鳥を摸したような頭に、筋肉の塊のような腕をしている。それが数十体、壁めいて押し寄せれば為す術も無いと思われた。
しかし、――彼女は理の外の兵器。
神殺しの業を負わされた、永遠の少女。
飄風が吹いた。彼女は無造作に槍を一度回旋、重みと遠心力による慣性を乗せて先頭に来た三体の首を斬り飛ばした。紫の血が迸り、ぐらり傾く三体の悪魔の後ろから飛び出した敵を、振り抜いた槍を更に一転し石突きによる薙ぎ払いを叩き込み吹っ飛ばす。
それでも尚襲い来る。数体倒したところで焼け石に水。承知の上である。かんなは即座に槍の中央近くを両手で握った。――きん、
金属音と同時に槍が二つに分かれる。次の瞬間、白き魔槍は流麗なデザインの、二本のショートソードへと姿を変える。純白の刀身を翻し、襲い来た悪魔の腕を紙一重で潜り、胸を打ち抜き首を裂き眼から頭を貫いて、次々と不浄の血を散らす!
悪魔共が動くその速度の何倍も早い。振り下ろされる爪が次々と空を切る。空打った悪魔の豪腕にぴぴぴ、と紫の線が走り、血を飛沫かせて幾つかの肉塊にバラける。悪魔の発声器官から絶叫が迸るのを、身を翻したかんなが止めた。
銃声が迸る。
二本のショートソードは彼女が一度身を回す間にソードオフ・ショットガンに形を変じていた。音だけで既に暴力だ。射出された魔力の散弾が、悪魔の悲鳴を、その頭ごと掻き消した。頭を失って倒れる悪魔を蹴り登り、芸術的な
悲鳴と紫の血肉がゴアめいて飛び散った。誰も少女に近づけない。
それでも果敢に、着地の一瞬を衝き、肉切り包丁を持った悪魔が横合いからかんなに襲いかかった。かんなはまるで納刀するような所作で右手のショットガンを左手のショットガンに添える。
ほんの一瞬で二丁の散弾銃が絡み捻れ伸び、
――漆黒に染まる。
「遅いわ」
それは悪魔をあやす鬼の歌。
かんなは左足を引き溜めた姿勢より、変形したナンバーレス――漆黒の刀を、渾身の力を込めて抜刀した。
鬼歌、一閃。
圧倒的な速度の抜刀術である。まるで闇が形になったような黒閃が、襲い来た悪魔共の後の先を取る。
かんなの前方の空間に描かれた斬弧が、一息に五つの首を飛ばした。斬られたことさえ気付かぬように棒立ちになる五体の悪魔。紫の血がスプリンクラーめいて飛沫を上げた。ど、どど、どどっ、首が地に落ちる音を合図に、五つの棒立ち死体がぼふんと音立て塵に変わった。舞い散る虚塵の中、納刀の鍔鳴りが凜と響く。
悪魔達が、恐れたように一歩下がる。
――そう、後退ったのだ。無垢な少女の形をした、純白の終末兵器を前に。
「来ないのなら、こちらから征くわ。……生憎、ゆっくりとしていられないのよ」
悪魔でさえも恐怖を抱く、
戦闘とも言えぬ戮殺が始まった。
恐怖を叫ばせる為に生まれたはずの悪魔達が、畏怖に噎んで散り果てる――
――そう。その後は大体想像の通りさ。酒場の悪魔達を無傷で、あっという間に片付けた後、「拾った命、大事になさいね」とだけ残して、彼女は消えた。
後で聞いてみれば流れてきた司祭様は邪教を崇めるまがいモンで――酒場の騒ぎもそいつがやらかしたモンだったらしい――その子供に討たれたって話だ。
ウソだって思うだろ?
けど、本当の話さ。
憧れってのも変な話だが……俺は未だに、あの真っ白な子供が忘れらんねえんだ。だからこうして、流れの傭兵なんか始めたんだけどな。戦いに出れば、もしかしたら、いつかまたあの姿が見られるんじゃねえかと思って。
どうせあのとき一度失くしたはずの命だ。今さら何も怖かねえ。棲んでた街に悔いも心残りもねえ。
……なあ、相席のよしみだ。
もしアンタが、寒気のするほど白くて、化物みたいに強い子供を見たなら、伝えてくれよ。
『おまえさんが救った男が、言えなかった礼を言いたがってる』ってさ。
――ボアのモツ煮をエールで流し込みながら、駆け出しの傭兵はそうして話を結ぶのだった。