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花盗人が狐なれば、手折れた花はなし。
登場人物一覧
暗鬱な夜だ。適当な店舗で雨宿りなんかするんじゃなかった。
結局は通り雨だったのだから、走って帰れば良かったのだ。
背中を冷やすコンクリートと強く掴まれた手首を見て、そっと諦めの溜め息を吐いた。
濡れ烏の男、斉賀京司(p3p004491)がそう目を閉じて全て投げ出す瞬間。
男の短い悲鳴と肉を蹴る音がした。
開いた目の前、見知った顔が微笑みかけてきた。深紅色の伊達男、ヴォルペ(p3p007135)であった。
「麗しの君、おいで」
囁きと共に京司の腰をするりと抱き寄せると、そのまま肩に抱き上げて京司の手首を掴んでいた男たちと対峙する。
殴りかかってくる男たちの間を器用にかわして入ると、足の甲を踏んで顎へ一撃。
男たちの視線が自分から外れたところで、脳震盪で揺れる巨体を残り二人へぶつけて転ばす。
その隙に走り出してギラギラとした色街を抜ける。
辿り着いた先は一件の家だった。
「ここは?」
白く清潔なソファに降ろされた京司がそわそわと落ち着かない様子で周囲を見渡す。
そこはモデルルームみたいな一軒家だった。
外壁と壁紙は優しい白で統一され、家具も調度品もシンプルなデザインのものばかりだ。
「現実逃避の場所《セーフハウス》さ。さあ、持って」
ヴォルペは京司の腕にタオルと新品の下着、着替えを載せると肩と膝裏に腕を差し入れて立ち上がる。
俗にお姫様抱っこのスタイルだ。
「ちょっ、自分で歩ける……!」
「ハハ、冗談。アイツらに何かされたから襲われたんだろ?」
ひく、と京司が息を飲んでその顔にはどうして分かったとありありと書いてあった。
ヴォルペは曖昧に笑いかけて京司の首筋の匂いを確認する。
京司をシャワーチェアへ座らせて、後ろからドレスシャツを脱がす。
眼鏡を外させた後だった。顔の側面から耳の上に触れるか触れないかで軽く振り払われる。
「ピアスには触らないで」
ぴんと張った憐れな声だった。ヴォルペは京司のその声を聞いて、指を耳元から離して腰へ這わす。
「大事なものなんだね。これも?」
スラックスのベルトを引き抜いて下着ごと脱がした先、左足首に緩く巻かれた革のアンクレットを撫でる。
ああ、と京司が緩く頷いて面倒臭そうな溜め息を吐く。
「商人に付けられたものでな、外せない」
「なるほど」
ひとつ納得したヴォルペは自らのネクタイを引き抜き、靴下を脱いでからスーツの袖と裾を捲る。
シャワーの温度を調節してゆっくり京司を濡らしていく。
京司が風呂で暖まってる間、ヴォルペは軽食と水、紅茶を用意していた。
そこに台所の小窓を叩く音がして、開くと小袋が置いてあった。それを取って窓を締めてしっかり鍵もかける。
「ヴォルペさん」
リビングから京司の呼ぶ声が聞こえ、上機嫌に応えてトレーに用意したもの全てを載せて向かう。
リビングに戻っていた京司はどうしてもサイズの合わないスラックスをソファの背凭れにかけて座った。
「……慎重な君が、珍しかったね?」
乱暴に乾かしたのだろう、ぼさぼさの髪をとかしてやりながら言外に問う。
京司は臆病者を自称するだけあって慎重な男だ。それなのに不意を突かれて痺れ薬を飲まされる事態とは珍しい。
「……最近しつこいと警戒はしてたんだがな。まったく、火遊びだと云うのに」
その一言でヴォルペは気付いた。彼は自分と同種だ。心臓の形をした虚空がある。それをもて余している。
満たない代わりに夜の街で寂しがる他人を世話し愛でることに一方的な充足感を得ていた。
そしてそのヴォルペの在り方は人を貪欲にさせた。心も熱もないのに表層の愛を囁くからだ。
だからヴォルペの怪我の一割は痴情のものだ。刺されても生の実感を感じて笑うから余計だった。
「……なら、おにーさんにしなよ。守ってあげる 」
「しかし……」
京司も気付いていた。この男は同類だ。心臓の中央に虚空がある。それをもて余している。
満たない代わりに夜の街で欲しがる他人を誘惑し振り回すことで誤魔化していた。
そしてその京司の在り方は人を熱狂させた。本気なんてどこにもないのに気紛れに優しく応えるからだ。
だから今回のような男たちに狙われる。それでも仕方ないと諦めて笑うから余計だった。
「夜に咲う白く芳しい月下香の君、どうか俺に愛でられて?」
まだ戸惑う色を見せている夜闇の華を、
ゆっくりと目を閉じた京司は、やがて切なくヴォルペの手のひらに口付けを落とした。
返事を受け取ったヴォルペが京司のこめかみ、鎖骨と順に口付ける。
ふと思い出したかのようにローテーブルのトレーに手を伸ばす。
「京司くん、口開けて」
ヴォルペが袋から痺れ薬の解毒剤を取り出して京司に見せる。
確認した京司がそれを舌に乗せられて水を飲もうとするが、先回りしたヴォルペが口内に水を含んで京司の顎を取る。
京司が仕方なさそうに笑い、舌を差し出した。
ヴォルペから京司へ水が移動し、ついでのように京司のシャツがソファに落とされた。
朝の日差しが京司の瞼を刺激し、爽やかな空気を感じた。京司にとっては数週間ぶりの心地良い目覚めだった。
寝室にヴォルペはおらず、服もないので京司はタンスで見つけたシャツを着てリビングへ降りた。
「やあ、おはよう。顔を洗っておいで」
ヴォルペはキッチンにおり、朝食を作っていた。
京司はにこやかな挨拶に面食らいながらも返し、洗面所へ向かう。
ヴォルペはそれを見送り、オランデーズソースの仕上げに取りかかった。
ダイニングテーブルにクロスを敷いてボーンチャイナの食器を並べる。
その上にエッグベネディクト、グリーンサラダ、コーンスープ、ヨーグルトサンデーを配膳する。
「美味しそう。いただきます」
洗面所から戻ってきた京司がすんすんと、香りを嗅ぎながら席に着く。ヴォルペも対面へ座り手を合わせた。
食後、ヴォルペは京司が昨夜着ていた服を返し、それとは別に用意したシャツを着せる。
「正直言って、そのドレスシャツは似合わないから棄てるべきだよ。こういうシャツが似合う」
「ふうん……?」
戸締まりと忘れ物がないかを確認し、早朝の道を二人で歩く。色街は人がまばらで、酔客が道路脇で眠っていた。
商人ギルドに続く道が見えた頃だろうか、ヴォルペが足を止める。
それに気付いた京司がつられたように足を止めて、ヴォルペを見上げる。
「どうした?」
答えずにヴォルペは京司を上から下までじっと見たかと思えば、斜め前の店舗と見比べて考え込む。
仕方なく京司が立ち尽くしていると、ひとつ頷いたヴォルペが京司の肩を抱いて見ていた店舗を指差す。
「京司くんさ、ああいう服はどう? シックな雰囲気が似合うと思うんだよねー」
服飾の知識があまりなく、興味も薄い京司ははあ、と気のない返事しか出来ない。
それを見たヴォルペはへらっと笑って京司の額に口付けて囁く。
「じゃ、次はレストランに行こうか。京司くんの服を選ばせてね」
その言葉に京司がえっ、と驚いてヴォルペを見つめる。ヴォルペは京司に向き直って頬を撫でる。
「君が必要なら呼んで。いくらでもあげるから、いくらでも甘えて?」
京司のピアニストのように細くも節くれだった手をヴォルペが恭しく取って誓いじみた口付けを落とす。
京司が迷子の痛切な眼差しをして、やがて頷いた。
それが二人の、始まりだった。