PandoraPartyProject

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ジャーナリストの危険な日常、或いは極平凡な転げ落ちた先のそれ

登場人物一覧

ハインツ=S=ヴォルコット(p3p002577)
あなたは差し出した
ハインツ=S=ヴォルコットの関係者
→ イラスト


 季節が夏への準備を始めると、これまで肌寒かったはずの気温もぐっとあがり、上着の要不要ではなく、長袖か半袖かという選択肢を迫られ始めてくる。
 そんな昼下がり、大通りから少しそれた横道、平日ともなれば静けさすら感じられる程度、そのような並ぶレンガ壁の一角が――――轟音と共に爆ぜた。


「おい、早くしろ! 追いつかれたら死ぬぞ!!」
「くっそ、こんなんばっかじゃねえか!」
 飛び出してきたのは男が二人。片方は中折れ帽をかぶり、首にスカーフを巻いてと如何にも荒野の用心棒か冒険者然とした格好をしている。もう片方はハイセンスであるがどこか安っぽいスーツに剥げた革靴と、なんともペアとしては数えづらい二人だった。
 一目散に駆け出していく二人の後を、続いて飛び出してきた怪物が追いかけていく。怪物は顔がなく、ぬらぬらとした体表面と、桃色の職種を持っており、時々どこか虚空から槍のようなものを生成しては、二人に投げつけていた。
「うぉおカスった! いまカスッた!!」
「あンの見た目は月の方だな。てことは――」
「呑気に分析してる場合かよ! いいから二人共生き残る方法をさあ!」
「ン? なんだ、囮になってくれるのか?」
「三人でしたねすンませえええええええええん!!!」
 追いかけてくる怪物は増えていく。穴の空いた壁から、次へと、次へと、次へと次へと次へと次へとわらわらわらわらわらわらわらわら。
「増えてる! 増えてる!!」
「よし、二手に別れようか」
「どっちかだけでも生き残れるようにか!?」
「いや、あいつらは鼻がいいからな。必ずお前さんの方に行く」
「はい却下!! ……なんだよ、俺の香水そんなに趣味悪い?」
「いや、前から言おう言おうとは思ってたんだがな。お前さん、そいつぁ付け過ぎだ。初めてのデートでいい顔されたことないだろ?」
「ンなことないって。皆だいたい真っ先に褒めてくれるぜ。いい匂いですね、って」
「京言葉だよそりゃ……うおっと」
 冒険者然としたとこが首を引っ込めると頭上を槍が通り過ぎていく。人通りが少ないというのは幸いだ。流れ弾で無関係の他人が死ぬことを心配しなくていい。
「いやぁ危なかった。助かったぜ」
 そう言って、虚空とハイタッチを決める男。
「ああ、そういう変換するんだ……」
「何か言ったか?」
「ナンデモアリマセン。俺も命を救ってくれる彼女欲しいナー」
「なに、お前まさかメアリアンのことを狙って」
「狙えるか!! ああもう、いいからアレなんとかしてくれよ!!」


「――――で、読み終わったけど?」
 朝イチの客人が鳴らす呼び鈴を面倒に思いながら、ハインツが入口の扉を開けると、そこにいた男は開口一番にそう言った。
 男の名前はN。別に本名を知らないわけではないのだが、なんとなく、その名前で定着してしまっている。問題はない。この界隈、保護していない本名など弱点をさらけ出すようなものだ。
「ああ、ご苦労さン。調子はどうだ、なんともないか?」
「いや、大丈夫だけど。この本なんだったんだ? 変な小説」
 Nがハインツに読んでみろとその本を渡されたのは昨日のことだ。何か『そういう業界』の秘匿でも書かれているのかロ期待していたが、中身は読みづらさのひとつもない小説でしかなかった。一通り目を通したが、面白くもつまらなくもなかったという感想しか出てこない。
「何もないならいいんだ。座れよ。メアリアンが珈琲を淹れてくれる。その間に説明しよう」
「……いや、いいよ。珈琲もらってから聞く」
「そうか? まあ彼女の珈琲はうまいからな」
「アンタの珈琲はゲロマズだけどな……」
「はっはっは、締切が近いとどうにもカフェインが過剰でな。まあ座ってろよ」
 そう言って、ハインツはキッチンへと歩いていく。
 これから味わわされるドス茶色い液体の味にうんざりしつつ、どかりとソファに腰を下ろして周囲を見回した。
 囲まれた本棚に乱雑に詰め込まれた書物の数々。机どころか床にも山積みの資料。どこの民族のものかもわからない工芸品の山、山、山。
 オカルト雑誌の編集室。その一言に、これほど相応しい空間もそうはないだろう。あまりにイメージ通りの様をしているが、だからこそ安っぽく、チープであるようにも感じられる。
 だがそれが、一種の擬態であることをNはもう理解していた。
「待たせたな。で、その本なんだが――」
 カップをNの前に起き、体面に座ったハインツが話し始める。ようは、仕事についてだ。
 オカルトの取材ではなく、むしろ本業ともいえるもの。今回のそれは、さる魔術書の解読であった。
「まさか、これが? ただの小説だろ?」
「手順通りに読まないと、中身が見えないようになってるもんなんだよ。そのまま読んだらただの本だ。場合によっちゃ、罠が作動して死ぬこともあるけどな」
「オイ」
「安心しろって。そういうので死んだやつは片手で数えるほどしかないもんだ、今週はな」
「オイ」
 つまりは、そのまま呼んだ際にヒントのようなものが書かれていないか、それを見つけてほしかったのである。可能性は低かったが、暗号の製作者には解読に頭を悩ます様を思い楽しむ輩もいる。
 隠すための偽装であるのに、それを解こうと努められることを望んでいる。矛盾するかも知れないが、精神とはそれをいくつも複合してできているものだ。心とはそういうものであるのだと、ハインツは理解している。
「じゃあ、ヒントがなかったらどうすンだ?」
「それならそれでやりようはあるさ。だがその前に」
「その前に?」
「珈琲、飲まないのか? メアリアンが淹れてくれたんだ、底の一滴まで残すなよ」
「…………イタダキマス」


「で、解いたらアレが出てきたと」
「え、なんだって? ったくよー、車があるなら先にいってくれよー」
 あれから、事務所より走り逃げること数分。路地端に停めてあった車に乗り込むと、エンジンをかけて走り逃げた。
 流石の怪物も、自動車の速度には勝てないらしい。近くまで迫っていた怪物の群れは、後方ですっかり小さくなっていた。
「すまんな、動かせる車種がなかなか見当たらなかったんだ」
「…………これ、アンタのだよね?」
「運転手を所持者とするなら、今はそうだな」
「もうやだ……」
 やだと言いながら、事務所に入り浸っているのはどこの誰なのか。それをハインツが指摘することはない。理解しているのだ。この世界に一度触れれば、表との乖離に魅了されてしまうことを。
 異質とはそういうものだ。何も知らないままでいるほうが、遥かに安全であるというのに、首を突っ込まずにはいられない。毒のほうが人の目を惹き、手に取らせるよう輝いている。知った頃には侵されている。オカルトで、眉唾で追われなかった者の末路とは、だいたい似通っているのだ。
「ちょっとハインツさん、前! 前!」
 思考に意識を持って行き過ぎたらしい。慌てて前方を確認すると、こちらを向いている老人と目があった。慌ててブレーキを踏むが、この距離ではもう、間に合わ――――車体が急停止した。
「…………は?」
 感じるのは慣性からの衝撃ではなく、無重力。それが投げ飛ばされたのだと気づいた時には、今度こそ大きな衝撃が全身を打っていた。

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