SS詳細
闇に差す一筋の光
登場人物一覧
●銀の月
その夜は、星の瞬きはおろか月明かりすらない曇天。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……。
激しい息遣い。それは、魔物達のものだ。
集団となって走る魔物達の姿は様々。
小鬼、トカゲ男、四つ足の魔獣に太った巨体。
それぞれの種族が数体ずつ、闇夜の森の中を移動している。
だが、その数は1体、また1体と減ってきていた。
「マ、マッテグレ……!」
大声で叫び、たぷんたぷんと肉を揺らしてどたばたと森の中を走るオーク。
歩みが遅れたそのオークは徐々に、集団から取り残される形となってしまう。
必死に仲間を追いかけようとするのだが、鈍重なそいつは率先して迫りくる狩人……いや、殺人鬼に狙われて。
森の中、一筋の光が煌めく。
「グオオオッ……!」
瞬く間にそいつの首が宙を飛び、地面を転がってしまう。
そいつはだらしなく舌を垂らし、目を見開いたまま。
頭をなくした巨体が前のめりに倒れる。
「ヒイッ……!」
ドサリという重たい音に、小鬼が怯える。
――暗闇、夜。それは、魔の領域のはずだ。
この世の何物も魔にかなうはずもなく、動物も、植物も、精霊も、人間も。須らく、魔が狩る対象だったはずだ。
しかし、今、狩る側が狩らわれる側となっている。
たった1人の少年の手によって。
ハアッ、ハアッ、ハアッ……。
逃げる魔物達。その数は先ほどからさらに減っていた。
「グ、グワアアアアアアッ!!」
「ヒイイイイイイッ!!」
最後のオークが倒れる。それに小鬼が怯え、大声で悲鳴を上げた。
「な、何だよあいつは……!」
「聞いてねえ、聞いてねえぞ、あんな奴がいるなんて……!」
最初に、あの村は楽に襲えそうだと言ったヤツは誰だっただろうか。
魔物達が襲撃しようとしていたのは鉄帝の辺境、鉄騎種の集落だった。
屈強な者の多い鉄騎種だが、力自慢の男共は出稼ぎに出かけたり、大闘技場ラド・バウへと己の腕を試しに出たりと、ほとんどが出払っている。
この為、村に残っていたのは、老人に女子供ばかり。
だからこそ、襲ってから色々とやりたい放題だと魔物達は愉悦の笑みすら浮かべていた。殺しも食料も思いのまま、全ての欲を満たすことができる……と。
しかし、その集落への行く手を小柄な体躯の少年が遮る。たった一人だけで。
「「ガハハハハハハハハ!!」」
最初、魔物達はその猫耳の少年に、大声で嘲り笑いすらした。
皆、へそで茶を沸かすと言わんばかりに腹を抱え、笑い転げる。
だが、その笑いはすぐに、叫びや悲鳴へと変わった。
次に狙われるのは、歩幅の短い小鬼達だ。
残り少なくなった魔物の集団。
「あああっ!!」
地面に足を取られた小鬼は思いっきり転んでしまい、その集団から脱落してしまう。
ゆっくりと草を踏みしめて近づいてくる足音。
「いやだ、待って、待ってくれええええええ!!」
すでに、そいつの顔は涙に塗れてしまっている。
あまりの恐ろしさにパニックを起こしたそいつは、失禁すらしてしまって。
「頼む、俺が悪かった。助けてくれ、な、な?」
尻もちをついてそのまま後ろへと逃げようとする小鬼だが、少年は何も言わずにゆっくりと詰め寄って。
「やめろ、やめてくれ、ああっ、ああああああああっ!!」
次の瞬間、小鬼の体は血に染まり、無残に切り刻まれた体から周囲へと鮮血が飛び散ったのだった。
森で時折、煌めく剣閃。
弧を描く刃がまたも、一つの魔物の命を奪い取る。
小鬼達もまた全てが森の中へと散っていき、残るはトカゲ男2体と狼のような魔獣3体だけとなっていた。
もう集団で逃げ続ける理由はないと魔物達は感じて。
「散れ、全力で逃げるんだ!」
トカゲ男達は魔獣達と分かれ、とある廃村へとたどり着く。
すでに、人がいなくなって久しい。この村もまた魔物達が襲った場所なのだろうか。
そんな場所へと魔物どもが逃げ込んでいくのだから、なんとも滑稽なことである。
トカゲ男どもは逃げ込めそうな場所を求め、あちらこちら探し回る。
しかしながら、どの家屋も無残に破壊されており、とてもではないが隠れられそうにない。
この時ばかりは、同胞の所業をトカゲ男達はひどく恨むと同時に、後悔の念が押し寄せる。
――早くしないと、ヤツが来る。
彼らの鱗の上を、だらりと汗が流れ落ちていく。
やがて、トカゲ男どもはとある礼拝堂の跡へとたどり着いた。
粗末ながらも、まだ家屋の形を保つその場所には、今なお神へと祈りを捧げるシンボルが飾られたままとなっていた。
もちろん、魔物達がそれに祈りを捧げることなどない。
「やべえよ、どうすんだ、どうすんだよ……!」
「でけぇ声出すんじゃねえ、見つかっちまうだろうが……!」
礼拝堂の机の影で息を潜めるトカゲ男達。
程なくして、村へと乾いた足音が響き始める。
「ヤ、ヤツだ……!」
あの少年のものだと魔物どもは疑わず、自分達に気づかず通り過ぎるのを願う。
もっとも、魔物が神になど願うはずもないが……。
そんな祈りは聞き届けられるはずもなく、足音は無情にもこちらへと近づいてくる。
クゥゥン……。
それは、先ほどまでいた魔獣の鳴き声。
そう思ったトカゲ男が身を乗り出そうとしたところに、何かが落ちてくる。
ぼとり、ぼとりぼとり……。
赤い液体に塗れたそれらは……先ほどまで一緒にいたはずの魔獣達の首。
皆、恐怖に怯えた表情で目を見開き、絶命していた。
そして、机の上に立っていたのは……。
「月明かりを恐れよ」
惨劇の夜には、あまりにも似つかわしくない猫耳の少年の姿が。
「「ヒイイイイイイッ!!」」
大声で恐れ慄き、トカゲ男達は背を向けて逃げ出そうとする。
「無明の夜に煌めく白銀の月、照らされぬ闇など無いと知れ」
トカゲ男達が最後に見たのは、青い電光、そして剣閃。
弧を描く刃が無慈悲にも、2つのトカゲ男達の首を跳ね飛ばす。
その剣閃はさながら銀の月のごとく、闇夜に輝いたのだった。
●夜明け
それから数日後の夜明け。
海種の少女がローレットの一隊と共に、雑草が生い茂る場所を分け入るように歩いていく。
「ええと……」
ウェーブのかかった水色の髪に、貝と真珠の髪飾り。
そして、やや大きな胸を大胆にさらす海洋風の衣装を纏った少女。
ローレットにて情報屋として活動している『穏やかな心』アクアベル・カルローネ(p3n000045)だ。
その後ろには、彼女の依頼を受けたイレギュラーズ達の姿がある。
「……ここですね」
彼女達が訪れていたのは、鉄帝内、既に使われなくなって久しい緑に囲まれた一軒屋の教会だ。
石造りの建物ではあるが、すでに朽ちており、屋根のあちこちが崩れてしまっている。
壁は下地が見えなくなるほどに蔦が覆っており、この建物が放棄されてからかなりの時間の経過を感じさせた。
ここに、夜な夜な魔物となり果てた獣達の出現が噂されている。
それもあって、アクアベルはローレット所属のイレギュラーズと共に調査の為、現地へと足を運んでいた。
魔物討伐はイレギュラーズに任せてもよかったはずだが、彼女は思うことがあって直接足を運ぶことにしたようだ。
「……はい、中は大丈夫のはずです」
念の為、付近の調査をと願いますと、アクアベルはイレギュラーズ達へと魔物の探索を依頼し、彼女自身は直接教会の周囲を一通り調査していく。
あちらこちらに転がる魔物達の遺体。
そのほとんどが首を切られ、絶命してしまっている。
中にはまだ、流れ出す赤い血が乾ききっていないモノも……。
「…………」
昨日の地点で、魔物はまだ確認されていたはずだ。
それなのに、1日と立たずにその全てが倒されてしまっている。
なお、アクアベルは依頼に出る直前になって、この状況を僅かに予感していた。
僅かながらに見える未来。予知に近いもの。
彼女はこの状況を作り出した人物を、何となく察していた。
日が少しずつ昇り始めたところで、アクアベルは教会の扉に手をかける。
ギイイイイッ……。
すでに、扉の蝶番も錆びているのだろう。
重々しい扉をアクアベルは細腕でなんとか開き、中へと入る。
「うっ……」
さすがのアクアベルでも、予知でその臭いまでは知覚してはおらず、鉄臭い血の臭いに鼻を抑えてしまう。
教会内部はボロボロになった椅子が並んでおり、そこにも多数の魔物達の死骸が転がり、血だまりができていた。
緑が内部のあちらこちらにまで浸食してきている。穴の開いた天井からは光が差し込み、穏やかさを感じさせた。
さらに進むアクアベル。
教会奥に設置され、今なお残る天使像の下に、返り血によって赤く染まった猫耳の少年……『寂滅の剣』ヨハン=レーム (p3p001117)が子供のように眠っていた。
アクアベルはそっとヨハンに手を伸ばすと……、彼はゆっくりと目蓋を開いた。
眠りから覚めたヨハンが瞳を開くと、そこには見覚えのある少女の顔。
「あぁ、きみか。久しぶりだね」
何事もなかったかのように、ヨハンはアクアベルへと声をかける。
「……はい、お久しぶりです」
彼女は少しだけ笑顔を浮かべたが、赤く染まったヨハンの姿にはさすがに思うことがあったようで、予め用意していたタオルを取り出して彼の体を拭こうとする。
アクアベルと同行していたイレギュラーズ達が周囲の状況調査でドタバタしている中、ヨハンはそのままの態勢で独白を始める。
「ローレットから逃げ出して……、ずっと心の中で何かが燻っていた」
一時は共にあった飛行種の少女も去ってしまった。
また、ヨハンは数々の依頼において周囲との力の差に苦しんでしまい、それらが原因で辛い日々から目を背けていたと言う。
「……俺は、弱い自分が許せなかった」
「…………」
アクアベルは何も言わずに話に耳を傾け、血で塗れた彼の体を優しく拭っていく。
「戦って、戦って死んでしまえと闇を狩り続けてこんな有様さ」
そこで、アクアベルと同伴していたイレギュラーズが、周囲に魔物の姿が一切ないことを告げる。
「わかりました。すみません、もう少しだけ……」
彼女はしばしの待機を同行者達へと願い、さらにヨハンの独白を聞くべく口を噤む。
「あんな思いをするなら一人で良いと思っていたのに、俺は……俺は……」
以前は、子供のような笑いを浮かべていたヨハン。
アクアベルは、彼は母親と楽しく語らっていたのを依頼で目にしている。
今、その感情は失われてしまっていたが、その両目から涙が溢れ出す。自らそれを流していることにすら、彼は気づかずに。
新しく取り出したハンカチで、アクアベルはその涙を拭っていく。
やや自暴自棄になりかけていたヨハンに対して、彼女は徐に口を開いた。
「私も、無力だと感じることはあります」
海洋の奴隷商人に捕まっていた過去を持つアクアベル。
その時、彼女は自らの価値について考えていた。
このまま、自由のない人生を過ごすのならば、いっそ命を絶った方が……。そう考えたこともある。
「でも、皆さんが……ローレットの皆さんがこんな私を助けてくれました」
「…………」
今度は、ヨハンが黙ってアクアベルの独白に耳を傾ける。空中へと虚ろな視線を向けたままで。
ローレットで出された『奴隷商人討伐依頼』を契機に、売られる寸前だった彼女も解放に至り、自らもローレットへの所属を望んだ。
「皆さんが私に、生きる意味を教えてくれたんですよ」
それは、自分を助けてくれたローレットに対する感謝の言葉。そして、彼女なりにヨハンを慰めているのだろう。
「今度は、私がヨハンさんを助ける番です」
「…………」
虚ろな表情の奥底、暗闇の中で必死にもがいていたヨハンへと差し込む一筋の光。
それはアクアベルが奴隷商人から解放されたように、自らの心の闇を振り払う契機となるだろうか。
(俺は……)
ヨハンがその光へと手を伸ばすと、アクアベルがそっとその手を取る。
その時、ヨハンの虚ろな瞳へと、僅かに光が差す。
「アクアベル……もう一度、俺をローレットに迎え入れてくれるかい?」
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします……!」
握り合う2人の手。アクアベルの手を取り、身を起こしたヨハンはゆっくりと立ち上がる。
周囲のイレギュラーズ達が見守る中、ヨハンは自らの足で光に向けて足を踏み出していくのだった。