SS詳細
Guns & Roses
登場人物一覧
●誰もいない部屋
「……どうしたんですか、その格好」
月灯りがダブルベッドに腰を下ろした女を白く浮かび上がらせる。
薄い衣の細い肩紐は骨張った背で交差され、黄色い小薔薇の留め具の上に結い上げた髪から一筋が流れ落ちていた。
「コレだけネ、着て見せたコトなかったなっテ。ダカラ教えて。新田サンなら知ってるんデショ?」
迎えに来た男に背を向けたまま、やり残したことがあると女が言う。
装いとは不似合いなガスマスク。それを通して聞こえる声音は、所々ノイズを孕んで無人の部屋にくぐもって響いた。
無人……そう、この部屋の主はもういない。
女は立ち上がると膨らむドレスの裾をたくし上げ、ガーターリングに拳銃を挟み込んだ。
●奇妙な依頼人
「キミ、変な人ダネ。ドウしてアタシなのさ?」
ファンドマネージャーを称する男・新田 寛治(p3p005073)が持って来た依頼は最初から奇妙だった。
さる高貴な人物の護衛、身分を隠しているから自然に見えるよう夫婦を演じて欲しい。
だからといって人選ってものがあるではないか。
「僕は肺を病んでいてね。万が一うつったら可哀想だろう?」
「アア、そう言うコトね。でもこの顔で奥サンって言うのはドウかと思うヨ」
ボサボサの白く長い髪。ガリガリの痩せた身体。加えて顔面にはガスマスク。
それが『ガスマスクガール』ジェック(p3p004755)のアイデンティティだが、およそ世間の男が好む女性像とはかけ離れている。そう言うフェチの男だとしても、妻役を努めるのに不気味なマスクは不適合。
けれど上流階級の者らしい中年の男は気にも留めず、楽しげにこう答えた。
「僕は同性愛者じゃないからさ、どうせ護衛を付けるなら男より女がいいし、ついでなら夫婦の真似事もいいかなって。あ、独身だから安心して」
「安心シロって無理じゃないカナ? ベッド、一つしかナイヨ? 夜伽は勘弁」
「しないしない! 誓って手は出さないから! でも夫らしいことの一つもさせて欲しいな」
「夫らしいコトって何サ?」
「奥さんに愛の言葉を囁いてプレゼントするとか」
「…………愛の言葉はイラナイヨ」
調子が狂うと思ったが相手は依頼人。引き受けた以上任務を完遂するのがイレギュラーズとしての勤め。
マックスウェルと呼んでくれと男は言い、次の日から早速仮妻へのプレゼント攻撃が始まった。
●仮初め
「アタシ、コウいうの、着たコトなかったナ」
「そうか! 気に入ってくれたようで嬉しいよ。いやー、君に似合うと思ったんだよね」
男は毎日仕立て屋を呼び、あるいはブティックに連れ回し、ありとあらゆる衣装をジェックのために誂えた。
それは襟元と裾にファーの付いたチョコレートカラーのボレロ付きワンピースであったり。
黒いエナメル地のビスチェとミニスカートのセパレートであったり。
それから青い絹地に銀糸で竜を刺繍したスリットの入ったタイトなドレスであったり。
「着せ替え人形になった気分ダヨ。でもコレってコスプレって言わナイ? マックスウェルはそう言う性癖のヒト?」
「だから手は出さないって。え、もうウサ耳外すの? 似合ってるのに、黒バニー。まるで月影さやけき夜の森で出会った兎の女王のようだ。しっかり目に焼き付けておきたいな」
「……あんまり見らレルと何だかムズムズするヨ。着替えるからアッチ向いテ。振り返ったら撃つカラネ?」
着替えてはまた着て、次から次へ。男は何を着ても美辞麗句を並べて褒め称えた。
大仰な言葉の連なりはジェックをときめかせるより引かせたけど、服を着るのは楽しかった。違う自分になれた気がして。
だけどガスマスクだけは外そうとはしなかった。正確には外れなかったのだが、男もそれを気にしなかった。
「そう言えば奥さんの誕生日を聞いてなかった」
「7月21日ってコトになってるヨ」
「それなら誕生日には花を贈らないといけないね」
男はベッドに腰を下ろしたジェックの髪をブラシで梳きながら言う。
寝起きにブラッシングするのがここ最近の日課で、夜はただ同じベッドで横になるだけ。
寝込みを襲われるかもしれないからと言われて渋々承知したけれど。抱き寄せられることもなく、ただ時折咳をして、男はジェックが添い寝することを幸せだと言った。
●贈り物
「マックスウェル……!? 嘘デショ、ドウシテ?」
腕を組み、連れ立って歩く。夫婦としてそれがいつしか普通になった数週間後、別れは突然やってきた。
銃声と共に頽れた男の背には穴が開いていて、どこからか狙撃されたことはすぐに判ったけれど。
ドウシテ──頭の中で疑問符ばかりがリフレインする。
嘘デショ──信じたくないと時間を止めて立ち竦んだ。
「ねぇ……奥さん……」
「喋らナイデ……、今すぐ……」
「いいんだよ、もう……。遅いか早いか……病で死ぬか人に殺されるか……それだけさ。それより……顔を……見せておくれ」
「外れナイヨ……」
「したままでいい……外したところを見たら、本当に……、……したくなる……」
跪いて抱き起こすと、マスクに覆われた顔を男がじっと見つめてくる。
──嘘を本当にしたくなる。
──本当に妻にしたくなる。
それは情熱と冷静とで織り上げられた、男の本音、男の分別。
戸惑う心をもアイレンズ越しに見透かして、男は安堵させるよう口唇を釣り上げ微笑んでみせる。
血を吐きながら最期の力振り絞って伝えるのは形見の在処。
「誕生日はまだまだ先ダヨ、マックスウェル……。準備ガ良すぎダヨ……」
一人戻った部屋のベッドの下に箱詰めされた純白のドレスと、誕生花である黄色い薔薇のストラップクリップ。
それまで生きてはいまいと予め用意しておいたものなのか。
それは花嫁衣装のようにも見えて、血の付いた服を脱ぎ捨てると無垢なるそれに袖を通した。
●雨
「……仇は討ったカラネ。夫の仇を討つノガ妻の務めだからサ」
硝煙漏れる銃口を下ろしてジェックが呟く。
亡き人を殺めた凶手も、それを仕向けた貴族も、みな撃ち尽くした。
それは護衛対象を守れなかった償い。あるいはやりきれない怒りと悲しみを弾丸に変えただけ。
「ドウシテかな、雨で前が見えないヤ……」
「……濡れると風邪を引きますよ。行きましょう」
依頼の顛末を見届けてファンドマネージャーがトレンチコートを脱ぐ。そして頭からを被せると、誰かが来る前に離脱を促した。
例え雨垂れは見えずとも、彼女の心の中では降っているのだろう。それはこの持て余す感情を優しく慰めてくれるはずだ。
「じゃあネ、マックスウェル。バイバイ」
バイバイ、マックスウェル。
バイバイ、銃と薔薇の日日。
イエロードットの淡き薔薇、その意味が『君を忘れない』だと彼は知っていたのだろうか。
心を射貫いた弾丸は背中の薔薇と共に忘れ得ぬ痛みとなって今なお残っているけれど、やがて追憶と呼ばれる日がやってくる。
拳銃を太股に収めて白いドレスの裾を翻す。
共に過ごした月灯りの部屋に別れを告げると、ジェックはコートを肩に羽織り直してファンドマネージャーの後を追い始めた。