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不可視の絶景
登場人物一覧
嗚呼、空が流れていく。
景色は糸の様に伸長され、雲は割けて道を開き、常時伸し掛かる重力という名の呪縛だけが、世界の上下を知らせてくれる。
地球単位にして秒速二千メートル。一般的な五感では制御しきれない、生物の粋を大きく超えた空の世界。
そこがェクセレリァスは好きだった。
何よりも雄大だが、鯨のように悠然とはしていない。
ェクセレリァスに追いつくことはおろか、特殊な感覚器官や補助器具でもなければ正確に視認することすら不可能だろう。
それは自由だ。同じ世界にいながら、チャンネルが違う。同じ座標でありながら、位相が違う。それはェクセレリァスだけの世界だ。
その、筈なのに。
「本部、本部。こちらホテルワン。聞こえるか。信じられない。なあオイ、何だアレ。ドラゴンだ! ドラゴンがいる!!」
「こちら本部。状況は理解している。あの巨体でこの速度。非常に危険だ。必ず撃ち落せ」
「ラジャ。ラージャーだぜ。ハハ、見てろよ。俺がドラゴンスレイヤーだ!!」
困ったことになっていた。飛行時でなければ、頭を抱えていたい程だ。
傍受した通信の内容によれば、自分はどうやら敵対生物と見做されているらしい。
どうしてだと訴えようとは思わない。気持ちは理解できる。彼らはこの世界の人間で、自分はまあ、控えめに言っても未知のドラゴンだろう。
意思の疎通可否くらいは確認してもらいたいところだが、確かに自分もティラノサウルスを見つけて「チャオ!!」などと声をかける気にはなれない。あまりに自分と違いすぎて、可能性を真っ先に除去しているのだ。
自分からコミュニケーションを図りたいところではあるが、それも叶わない。
魔術的な感覚器官を持ってこそ彼らの会話を傍受できているが、本来それは超圧縮された脳波の特殊暗号化電波である。会話という行動はとても遅く、原始的だ。彼らは相互理解の手段としてデータ化された意思を交換しあっている。『わかっている』という状況までの過程をコンピュータで補っているのだ。つまり、自分は彼らと同じ言語で話す手段を持っていない。
それにしても、と。若干の忌々しさと大半の呆れを持って後方を見やる。見やると言っても視線をではない。光学的な情報を後方でフォーカスさせただけだ。
そこには、自分についてくる三機の戦闘機があった。
ついて、来ている。うん、間違いなく。
(マッハ5オーバーでドッグ・ファイトすることを想定して設計されているのか……)
人間の知覚能力では不可能なはずだが、それを支えているのが先程の圧縮通信なのだろう。コンピュータ補助で知覚情報を理解する過程をすっ飛ばして脳に焼き付けているのだ。
(どうやって……あ、脊髄リンクか。電子データを有機化して直接? そこまで人命意識が薄いならもう脳だけを機体に埋め込んだほうが……いやいやいや、その前になんで有人機?)
理解が追いつかず、混乱する。ェクセレリァスの意識を現実に引き戻したのは、感覚器が射線を感じたからだった。
鋭角三十度というアダムスキーもかくやというべき急旋回をもってミサイルを回避する。
(ってうわ、ついてきた……)
ミサイルも、戦闘機も、ありえない筈の鋭角機動に対して問題なく追いかけることができていた。
何度も直角的に進路を変更してみせるが、その度に同一の軌道を描いて追尾してくる。
(おかしい。脳がシェイクされてとっくにブラックアウトを……まさか戦闘機に合わせてサイボーグ化を? ええええ?)
『人間が乗りこなしている』という必要性が全く見られない。科学者というのは往々にして夢見がちなところがあるものだと思ってはいたが、運用する側までこうだとこの世界の住人は脳でアルコールを生成しているのではないかと疑いたくもなってくる。
ますます理解が追いつかないが、まずもっての問題はこのミサイルである。自分の驚異となる可能性は少ないが、ここまでの科学力から想定以上の威力を持っていてもおかしくはない。
(ここまで変態的だと、何を積んでいるのかわかったものじゃないな……)
既に解析は済ませてある。小型補佐機を展開し、推進機を切り取るように処理を行った。羽がもげれば地に落ちる。空を飛ぶものの絶対的な道理である。
これで諦めてくれるとありがたいのだがと、また後方をフォーカスする。今自分は、この超音速化でも精密な攻撃が可能であり、かつ操縦機に向けなかったことで敵対意志が無いことを示したつもりだったのだが。
なの、だが。
「本部! 本部!! 見たかよアレ!? ビット機だ!! それにビームサーベルも! ウチも作ろうぜあれ!」
「こちら本部。意識データ通信のテンプレートを守ってくれホテルワン。だがこちらも興奮している。ドラゴンにできるのなら、我々にも可能だということだ」
「おうよ!! 人間の底力を見せてやろうぜ!!」
(なんかわくわくしてる……)
どうやら伝わらなかったらしい。傍受した圧縮データに入っていたのは、ロマン兵器の開発に胸を躍らせる感情がありありと浮かんだものだった。もしや原始的な生物だとでも思われているのだろうか。
(いざとなればやむを得ないが……)
まだ振り切れない速度ではない。有人機としては明らかに異常なパフォーマンスを見せているが、それでもェクセレリァス・アルケラシス・ヴィルフェリゥムという一個存在に及ぶものではない。
でもなんというか。
(……少し悔しいな)
彼らはまだまだ進化するだろう。それは何年、何十年先の話かはわからないが、今の自分よりもきっと速くなるだろう。
複雑に入り組んだ岩壁の隙間を抜ける。センチ単位でのブレも許されない自然の迷路。ニューロンの伝達速度では不可能な操縦技術が必要となるはずが、彼らは易易とついてきている。
「ハハ、見たかよ本部!! これが出来る奴が何人居る!?」
「こちら本部。『見える』わけがないだろうホテルワン。だが知覚はしている。良い操縦だ」
羨ましくもあったが、同時に自分の可能性を感じてもいた。
自分もきっと、まだまだ。
まだだ、まだ、まだ『この程度』ではない。
誰も追いつけない世界へと手を伸ばそう。それを目指すというだけでなるほど、確かにわくわくしてくるものだ。
素晴らしい。きっと自分は何よりも、何ものよりも――
「――おのれ不在証明」
ェクセレリァスはヒトに擬態した姿で、食べきったパフェのスプーンを咥えてぶらぶらさせながら、何度目になるかわからない恨み言を胸中で呟いた。
「ニャア、漏れてる。声に出てるさね」
先程まで自分の話を聞いていたプランクマンが隣で苦笑している。表情にはなかなか出ない性分だと自覚しているが、彼女にはどう写ったのだろう。
「私はもっともっと速く高く飛びたいのよ」
だがそれは、無辜なる混沌に居る限り叶わない。
『レベル1』に関しては問題がない。だが『不在証明』は別だ。あれがある限り、ェクセレリァスはかつての自分と同等の速度すら取り戻すことができないのだから。
「――おのれ不在証明」
くつくつと、隣で笑いを隠そうともしない情報屋に自分なりの不貞腐れた目線を見せて。
とりあえずは何か、口当たりの良いものを頼むことにした。