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雪花の下で咲く笑顔
登場人物一覧
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ちらちらと雪が降る中で、吐き出された白い吐息が空へと吸い込まれていく。
日本家屋の街並みと、人が行き交う大通り。見上げた空は透き通るような青空だ。晴れの日の雨が『狐の嫁入り』というのは知っていたが、晴れの日の雪を『風花』と呼ぶと知ったのはついさっき。通行人の雑談がたまたま耳に入ったからだ。
傘を濡らすこの雪は何処からやって来たのかと、かんなは辺りを見回す。
(混沌は春も終わりかけて暖かいのに、異世界にはこんなに寒い場所もあるのね)
「寒ぃぞ」と忠告する境界案内人の言葉を聞いた時は半信半疑だったが、これは確かに感覚の鈍いかんなでも、春物の服では厳しかったかもしれない。
「君、ロベリアの依頼を受けてた特異運命座標だよな?」
事の発端は数日前に遡る。境界図書館で見知らぬ男に声をかけられ、かんなは不思議そうに振り向いた。
「不思議な誘い文句ね」
「っと、すまん。そういや初対面だったか。境界案内人の神郷 赤斗だ」
「かんなよ。それで、私に何かご用かしら?」
「馴染みの特異運命座標が別の仕事で出払っちまって、働き手を探してたんだ」
「分かったわ」
「危険度はさほど無いから、一人でも行けーーえっ?」
口説き落とすのにもう少し時間がかかると思っていたのだろう。赤斗が気の抜けた声を上げるものだから、かんなは口角を僅かに上げて微笑んだ。
「あら? まるで断られる前提だったみたい。……行くわ。
ーー私の代わりに、色んな世界を見て欲しいの。
あの子は自分の孤独と天秤にかけて、私の自由を取ってくれた。
ひとつでも多くの世界へ渡れるというのならーー手を伸ばさないと。チャンスが巡って来る限り。
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「それにしても、賑やかね」
事前に聞いた話によると、今日はこの街で"光桜祭"という祭事があるらしい。
何でも神社のご神木が珍しい桜の木で、夜になると神秘的な光を湛えて咲くんだとか。落ちた花を行燈に入れて持ち帰ると"ご利益を得られる"とも言われており、かんなに任された依頼は、その"桜入りの行燈"を指定された家に届ける仕事……つまるところお使いだ。
「どの店も行燈だらけだわ」
どれを買おうかしらと呟きかけて、息が止まる。
混雑の中でチラリと見えた小柄な背中。
「リナリア……?」
後を追おうと人混みをかき分けて伸ばした手は空を掴むばかりで、踏み出そうとした一歩は人の波に揉まれてしまう。かんなの華奢な身体では、目的の場所に辿り着く事さえ時間がかかりーーようやく辿り着く頃には少女の面影さえも無く。
(見間違いかしら? でも……)
胸がざわつく。鼓動が早鐘をうっている。
低体温気味の身体がこんなにも熱を帯びてーー神殺しの兵器ではない、女の子としての自分を自覚する。
きゅ、と胸元で手を握り、祈るような思いで周囲を探すかんな。
「まだ何か探してるのかい?」
そんな彼女に声をかけたのは、露天商の親切そうなおばさんだった。
「……?」
「あぁ、ごめんよ! さっきお店で行燈を買ってくれたお客さんに雰囲気が似てたもんだからさ」
「そのお客さんって、どんな子だったの?」
「そうだねぇ、お嬢ちゃんくらいの背丈で、白い髪で……真っ赤な瞳をしていたよ」
確か、ああいうのをアルビノって言うんだってねぇ。
露天商の呑気な話を最後まで聞き終わる前に、かんなは走り出す。
白いブーツを泥だらけにして、弾かれたビー玉のようにーー止められない想いのままに。
脳裏をよぎるのは白い部屋から出た後の、残された本の言葉。
"いま、会いに行きます"
行燈を買ったというのなら、向かうべき場所は知っている。
雪の中に映える
遠い山に陽は落ち、夕景も紫に染まりかけた暮れの時間——満開の桜の下に、あの日の面影を見た。
「——リナリア!!」
かんなの声に気づいて、行燈を持った少女が振り向く。
その赤い瞳はまんまるく見開かれ、兎のように愛らしく。
「かんな……!!」
抱きしめ合えば、コートを着ている分、ふわっとした柔らかさがお互いに返ってくる。
「かんな、かんな……っ! 信じてた。私……!」
「私もよ。出られたのね……あの部屋から」
「踏み出すのは怖かった。けれど、かんなに会えるならって。……嘘じゃないよね。本物のかんなだよね?」
冷えた指先が、やわいかんなの頬に触れた。感触を確かめるように撫でられれば、固い表情筋も自然と緩む。
「ふふっ。まだ信じられない?」
「だって嬉しくて、ど……どうしよう」
白い頬を桜色にほんのりと染め、リナリアは気恥ずかしそうに眉を下げた。
「会ったら話したい事、いっぱいあった筈なのに。頭の中が真っ白になっちゃって」
「ゆっくり思い出せばいいわ。きっとまだ……時間は、たっぷりあるもの」
今度こそ自信をもって言い切れる。時間を縛る白い部屋はここに無く、代わりにあるのは星空と、降り注ぐ桜の花びらと雪。風花の中で2人は手を繋ぎ、ゆっくりと歩きだした。
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ふにゃりと夢見るようにリナリアの頬が緩む。
「このふわふわ、あったかくて甘い!」
「ホット綿あめなんてあるのね。異世界のグルメは不思議だわ……」
私にも頂戴? とかんなも好奇心に負けて、湯気の立つ綿あめをひと齧り。温もりと共に甘味が口の中に広がり、淡雪のように溶けていった。
『光桜祭』で賑わう街は、色んな露店が軒を連ねている。
射的屋にお面屋、祭りの鉄板と言えるようなものから、寒冷地特融の食べ物は勿論、かんなが見た事のないお店まで。
「雪うさぎ屋さんって何かしら」
人混みの間から店を覗き込むと、竹籠に入った雪兎が生き物のようにぴょんぴょこ跳ねまわっていた。
「目が赤い。私とお揃いだね」
「お揃いといえば……リナリア。ちょっとその場でターンしてみてくれる?」
かんなに言われるがままに、その場でくるりと回るリナリア。首に巻いたマフラーが雪の中を踊る。
「白いマフラーに白いコート。見れば見るほど私の服とお揃いね」
示し合わせた訳でもなく、冬服を見せた事もないのだがーーリナリアの服装は、不思議とかんなによく似ていた。
「……って」
綿あめに隠れるように俯きながら、リナリアがぽそりと喋る。
「なぁに?」
「だって、かんなだったら寒い所で、どんな服を着るのかなって思いながら揃えた……から……」
「ふふっ」
口元に手を当て、リナリアをつま先からてっぺんまでもう一度眺めるかんな。
「そう。それ……私なの」
「~ッ!!」
ぽんっ! とリナリアの頭から湯気が出ても、かんなは「ありがとう」と穏やかに頭を撫でてやるのだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、街の灯りも少しずつ消えていく。
「そろそろお使いを終わらせないと」
思い出したように呟くかんなの前に、差し出される桜の行燈。
「それはリナリアのでしょう。いいの?」
「いつでも用意できるから。……私、決めたの。ここで暮らす。
家を持つの。寒空の下で、かんなが震えないように」
混沌とライブノベル。世界が2人を隔てても、絡み合う運命の糸は千切れない。
ーーまた会いましょう、愛しい人。
「今度は"ただいま"を言いに来るわ」
かんなとの新しい約束を噛み締め、涙をぐっと堪えるリナリア。
代わりに向けた笑顔はきっと、成長の証だ。恋する程に乙女の心は強くなる。
「行ってらっしゃい」
2つの世界、2人の白い少女。彼女達の幸せは、まだ始まったばかりーー。