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翼の物語

登場人物一覧

ティア・マヤ・ラグレン(p3p000593)
穢翼の死神
ティア・マヤ・ラグレンの関係者
→ イラスト

●穢れた翼の物語
 色鮮やかな花々が咲く古代庭園の中に、つるのからまったカフェテーブルがひとつ。
 すぐそばには白い石でできた家々が並び、それが居住区であったことがわかる。
 あった、というのは正しい表現ではないかもしれない。
「お? どうしたの、こんにちは」
 いまこの場所には、黒い翼の天使が住んでいた。
 大いなる時の流れを経てもさしたる劣化をみせない家屋のひとつを整えて、庭を綺麗に整えて、青い空と澄んだ空気と、そしておだやかな陽光のなかで――ティア・マヤ・ラグレンは暮らしていた。
 ティアは訪れた友人に手を振って、ティーポットを指さした。
「どうかな、一緒に休んでいかない?」

 ティア・マヤ・ラグレン。
 赤と青の左右異なるの瞳をもち、夏に吸い込む空気のような髪に、冬に見た暖かさのような肌をした天使。
 彼女を天使と称するときに、必ず触れるのが翼の色と数ではあるが、彼女はその話をするときに少しだけ胸を痛める表情をした。
「昔はね、この翼も白かったんだよ。この世界のルールが適用された時に、固定化されちゃったのかな」
 自分の翼をそっと撫でて、ティアは昔のことを話し出した。
 むかしむかし、ここではない世界の、どこかの話。
 二人の天使と空飛ぶ大陸のお話である。

●清き翼の物語
 むかしむかし、ここではない世界の、どこかの話。
 人々は天空に暮らしていた。
 神のごとき力で雲より高く浮き上がった大陸で人々は眠り、笑い、手を繋ぎ、作物を育て、家畜を養い、市場を開き、夜にウクレレをひいて遊んだ。それが暮らしというものだと、誰かが言った。
 島の中央に位置する高い塔には、大きな翼のエンブレムが掲げられている。
 これこそが浮遊大陸を守る力であり、大陸の神が遣わした守護であると、エンブレムには刻まれている。
「気球が出ます。ティアさま」
 フライトジャケットを纏った人間の男が傅くように膝をつき、灰色の翼をした天使に頭を垂れた。
 続いて後ろに控えた多くの人間たちが同様に膝を突き、祈るように頭を垂れる。
「うん……」
 灰色の翼をした天使が、塔の扉を開いて空港へと歩み出る。
 天使は……ティアは頷き、赤い両目をぱちりと開いた。
「ティア、待って」
 後ろから声と、急ぐ足音。
 振り返るティアの鼻先に、竹編みのバスケットが突き出された。
 甘い花の香り。
 バターを塗ったパンの香り。
 真っ白な四枚の翼を備えた、それはティアと同等の天使であった。
「エステル……」
「お弁当。ギリギリになっちゃった」
 どこか幼さを感じさせる笑顔で、天使エステルはにっこりと笑った。
 深い海や遠い空のような、優しく青い瞳に、ティアの驚く顔が映る。
「ありがとう、エステル」
 ティアはバスケットを受け取ると、頭を垂れた人間たちの作る道の真ん中を歩いて気球船へと乗り込んだ。

 気球は雲を抜け、荒廃した大地を目指してゆっくりと降下していった。
 賑やかな浮遊大陸の様子とはうってかわって、大地の様子はひどく荒れ果てている。
 船を操作する人間たちはそれを見るたび、つらく険しい表情をした。
 その中央。特別に作られた椅子に腰掛け、ティアは大地の様子を観察する。
「今回の目標地点は旧キャルニア国首都、アルバトス跡地です。多数の『穢れ』が発生しています」
「うん……見ればわかるよ」
 かつては栄華を誇ったであろう町が、黒い煙のようなものに覆われていた。
 城が、家々が、みな黒くよどんだ何かに見える。
 気球船の存在に気づいたのだろうか。家々から羽の生えた巨大なミミズのような生物が顔を出し、3メートル台の身体を露出させて威嚇の声をあげていた。
「ティアさま、ご準備は――」
「いつでもいいよ」
 ティアは階段をのぼってデッキへ出ると、助走をつけて大空へと駆け抜けた。

 暴風。圧迫される大気。靡く髪と翼。
 胸に備えた十字のシンボルが周辺大気を振動させて低い音声を発した。
『巨大なミミズとは、いかにもな穢れだな』
「けど、お城や家ごと壊すのはもったいないかも」
『残しておいてもミミズの巣になるだけだ。ひと思いに消してやれ』
「うん……」
 ティアは翼を『想い』で覆った。
 天空を思う心が空を飛ぶ力をもたらし、世界を思う心が膨大な光の束をもたらした。
 ティアへ食らいつこうと一斉に空へと飛び上がる巨大ミミズの『穢れ』たち。
 その勢いは凄まじく、ティアの足や腕に食らいつき、血を流させた。
 対して、ティアは振り上げた片手を、まるでオーケストラ指揮者のごとく振り下ろしす。
 光の束が一斉に走り、爆発を起こし、そしてついには城を、家々を、舗装された道路を、そのもろともを、地下数十メートルに至るまで丸ごと破壊し尽くしてしまった。
 町ごと破壊された『穢れ』は大地へ還り新たな肉体を得ようとする……が、ティアはそれを自らの翼に吸収してしまう。
 そのせいだろうか。
 ティアの灰色だった翼はみるみる黒く染まっていき、ついには墨のごとき黒に満たされてしまった。
 その様子を見て、船の操縦室に座った男は目を細めた。
「仮に我々が『穢れ』を倒すことができても、奴らはすぐに新しい肉体を得て再生してしまう。そして人間の生命を求めて浮遊大陸へと侵攻をはかる……。
 奴らを完全に倒すには神の遣い――天使の力が無くてはならない、か」
 男は顔をしかめ、空飛ぶティアを見下ろす。
「『穢翼天使』ごときが」

 世界は『穢れ』に犯されていた。
 王国歴にして997年。大地における最大の国家が一夜にして滅びた。
 大地から飛び出した『穢れ』が国を破壊し尽くしたのだ。生き残った人間はひとりとしておらず、その全てが『穢れ』に喰われたと言われていた。
 その翌月には世界の半分が。翌々月になる頃には世界の全てが『穢れ』に覆われていた。
 せかされた人類は神に頼り、神との契約によって顕現した『天使』がその『穢れ』に対抗する唯一の手段となった。
 穢れと戦うことで、穢れそのものを吸収することができたからだ。
 同時に神の奇跡によって大陸をひとつだけ空に浮かべ、大地を捨てることで生き延びたのだった。
 それが、ずっとずっと昔の話である。

●二人の翼の物語
「おかえりなさい、ティア!」
 飛ぶように抱きついてきた白い翼の天使エステルを、ティアはうっすらとした笑顔で受け止めた。
 空のバスケットを翳して、首を傾げるティア。
「お弁当、ありがとう。おいしかった」
「こんなことくらいしか……」
 照れ笑いをしてバスケットを受け取ると、エステルはちらちらとティアの翼と顔を見比べた。
「ねえ、『穢れ』を吸いすぎてるんじゃない? やっぱり次は休んだほうがいいよ。私が代わりに……」
「だめ」
 ティアはエステルの額を人差し指でついた。
「『穢れ』退治は危険だし、吸収する作業はすごく疲れるんだから」
「だから」
「翼を回復したいから、今は寝かせて」
 口に指をあてて優しく黙らせると、ティアはエステルの横を抜けて寝室へと行ってしまった。
 振り返り、胸に強く手を当てるエステル。
 彼女は知っていた。
 ティアが特別扱いされる一方で、汚れた翼の天使……『穢翼天使』と呼んで嫌悪の対象にされていることを。
 人類にとって『穢れ』は憎むべき対象であり、恐怖の象徴だ。
 それを翼にため込んだティアを、彼らはよく思っていないのだろう。内心恐怖を、そして畏れを抱いているのだろう。
 だからこそエステルに浄化の作業をやらせないようにしていることを、エステル自身も分かっていた。
 分かっていて、止めることができなかった。

 翌朝。
 いつものような朝がやってくる。
 パンと果物と野菜と肉。
 平民のそれより何倍も豪華な食卓に、ティアとエステルは横並びでついていた。
「ねえティア、提案があるの」
「なあに。リンゴが欲しいならあげるよ」
「そうじゃなくて……」
 エステルは自らの片目に手を当て、そしてティアの片目にも手を当てた。
「『目』を交換しよう? そうすれば回復効率も上がるでしょ」
「そんなこと……」
 手をのけようとして、ティアは動きを止めた。
 自らの片目をおさえるエステルの表情に、触れれば壊れてしまいそうな悲しみが見えたからだ。
 そして自らの片目にあてた彼女の手に、深い優しさを感じたからだ。
「目を交換するだけなら、汚れが移ることもないでしょ。戦いに出るわけでもないし……ね?」
「え、と…………」
 言いよどむティアの代わりに、胸元のロザリオが……もとい『神様』が語り出した。
『エステルの目には強い力が備わっている。浄化の作業もずっとやりやすくなるぞ』
「神様まで……」
『妹の好意を無下ににするものでもあるまい』
「……うん……」
 ティアは歯切れ悪く、しかし拒否もできないという様子でエステルの提案を受け入れた。
「契約成立、だね」
 エステルが離したティアの目は深い青色になり、逆にエステルの片目は血のような赤色に変わっていた。
 手をあわせ、指を絡め、深く手を繋ぐエステルとティア。
「ずっと、私がついてるからね。ティア」
 差し込む日差しがクリスタルを通って、虹色の乱反射をつくっていた。

●汚した翼の物語
 ある日、浮遊大陸が混乱に呑まれた。
 民家を破壊し、二足歩行の雄牛めいた『穢れ』が暴れ出した。
 また別の場所では巨大な芋虫めいた『穢れ』が、また別の場所ではムカデのような『穢れ』が。
 浮遊大陸のあちこちに発生し、近隣の人々を襲い始めたのだ。
 小銃を撃ち抵抗する兵たちも、恐ろしい『穢れ』の力に押され恐怖の叫びをあげて死んでいく。
「どういうことだ。『穢れ』は大地にしか生まれないんじゃないのか……!」
 机を乱暴に叩く男。『穢れ』討伐の際に人間たちの指揮をとっていた男である。胸には『将軍』の地位を示すバッジがついていた。
「将軍、兵が足りません。天使の出動を急いでください!」
「分かっている!」
 将軍は塔へと馬を走らせ――ようとして、はっと顔をあげた。
 浮遊大陸中央の塔からまっすぐ、少女が飛行してくる。
 黒いドレス。四枚の翼。
 そしてよくみれば、瞳の色が左右で異なっていた。
「あれは……『穢翼天使』か?」

 浮遊大陸の混乱は、塔の上からよく見えた。
 緊急事態であることを察したエステルが飛び出そうとするのを無理にとめ、ティアは単身町へと出撃することにした。
『よかったのか? これだけの規模、エステルの助けも必要だったのではないか』
「大丈夫。今はすごく調子がいいの。エステルの『目』のおかげかな」
 青い片目を手で押さえ、小さく小さく笑うティア。
 手を振り上げる。
 光の束が生まれ、兵隊や民衆が恐怖の表情を作った。
 無理からぬ。ティアの力は膨大すぎて、町をひとつまるごと破壊してしまうのだ。
 が、しかし。
 光の束は小さく小さく拡散し、絶望に目を瞑った人々の間をまるで蛍のようにすり抜けて『穢れ』だけに集まり、そして破壊していった。
 繊細で美しく、そして優しいその力は、紛れもなくエステルの力である。
 エステルの優しさとティアの強さ。その二つを掛け合わせたことで、ティアはより上質な力を手にしていたのだった。
 それは図らずも、エステルの言うとおり『効率が上がった』がゆえのことだったが、エステルはそれを深く考えることはしなかった。
 それよりも浮遊大陸の混乱を収めるほうが先だと、彼女は考えたのである。

 浮遊大陸の混乱は数時間もせぬうちに収まった。
 各地を超高速で飛び回ったティアが、あまりにも手際よく全ての『穢れ』を祓い清めていったからだ。
 人々はその行ないに感謝――しなかった。
「なんで俺たちの町に『穢れ』が出たんだ。天使が守ってるんじゃなかったのか!?」
「この大陸に誰かが汚れを持ち込んだんじゃないのか!」
「そんなことができるのは一人しか居ない。『穢翼天使』の翼を見ろ、あれが『穢れ』でなくてなんだ」
「自ら『穢れ』を大陸中にばらまいて、自分の力を誇示したに違いない」
 大陸を追われ狭く小さい住処に押し込められることを強制された人々は、そのストレスのはけ口を探していた。
 であると同時に、優遇され高い塔で平民の何倍もよい暮らしをしているティアたちを嫉むものや嫉むものが後を絶たなかった。
 その世論を……『将軍』は利用することにした。
「皆さん。我々は天使に媚びへつらい生きてきました。しかし本当にそれでいいのでしょうか。大陸は元々人類のすみか。それをただ浮かせたからといって、天使にくれてやる理由があるでしょうか。大陸は我々のものです。天使が自らの役目を忘れ力を誇示するなら、我々の手で管理し、世界を正常なものへと変えるのです」
 政治家の詭弁は人々を動かした。
 人民は総じて剣をとり、天使の塔へと集結した。

●逃れた翼の物語
『クーデターか……人類は変わらんな』
「…………」
 塔の上から声をあげる人々を見下ろすティア。
 その後ろには、鳥籠のような立体魔方陣が組み上げられていた。
 中央に座っているのは、エステルだ。
『これからエステルを別の世界に転移させる。準備はいいな』
「いいよ。こんな世界に、逃げ場なんてない」
「ティア!? 何考えてるの!? やめて! いくらティアでも、ひとりだけじゃ何をされるか……!」
「わかってるよ。でも、エステルも同じ目にあわせたくないな」
 格子状のエネルギー体を掴み、食い破ろうとするエステル。
 だが、ティアの力の方が……もといティアと契約した神の力が勝っていた。
 伸ばした手が、エステルの頭を撫でる。
「我儘な姉ねごめんね」
「そんなのやだ! 行くならティアも一緒に……!」
 立体魔方陣は光に包まれ、そして忽然とその場から……否、その世界から消えた。
「どんなところについたかな」
『少なくともここよりはいい場所だ』

●かつての翼の物語
「この世界に召喚されたのは……きっと偶然じゃないかな。
 ハンマーのひとに聞いたけど、『無辜なる混沌(フーリッシュ・ケイオス)』には召喚されることはあっても、自ら転移することはできないらしいから」
『あの時異なる力の流れを感じていたが、悪しきものではなかった。だが、まさかお前まで同じ世界に召喚されることになるとはな』
 花の咲く庭園。カフェテーブルの前で、ティアは目を瞑った。
 妹エステルはずっと先にこの世界に召喚され、幻想(レガド・イルシオン)で良い地位についているとも聞く。
 ティアが彼女と一緒に暮らしていない理由は定かでは無いが、いつかきっと語られることがあるだろう。
 だがこれはあくまで『翼』の物語。
 この世界のお話は、また別の機会に。

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