PandoraPartyProject

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廃滅の海のシンデレラ

登場人物一覧

リゲル=アークライト(p3p000442)
白獅子剛剣
リゲル=アークライトの関係者
→ イラスト


 絶望の青。その果てなき大海原に、一隻の船が浮かんでいる。
 よく見れば、それは恐ろしくボロボロな船。かつては豪奢な客船として乗船者たちをもてなしていたであろう跡が見て取れるが、しかし今はあちこちに破損や、乱雑な補修の後が見られ、浮いていることが奇跡のように思えた。
 その船の甲板の上で。
 か細い月の明かりを体いっぱいに受けながら、その美しい髪を風にたなびかせる、一人の少女の姿があった。
 少女の名はレベッカ。人類の敵たる魔種に堕ちた、一人の少女。
 彼女はうっとりと微笑むと、その右手の小指を、月明かりに照らして見せた。
 その指に重なる、幻覚。大きなもう一つの指。
 レベッカは――思い返していた。自身の運命。今へとつながる、過去の自分を。


「よいしょ、っと」
 かご一杯のシーツや枕をリネン室に放り込んで、あたしは額の汗をぬぐった。豪華客船、『さざ波の揺り籠』号、その最下層、下の下――そこが今のあたしの職場だ。
 好きで選んだ職場じゃない。あたしは貧民の生まれだったから、他に行き場がなかっただけ。何よりもまず、お金を稼がなきゃ、明日の朝日を見ることもできない。あたしは身寄りもなかったから、その辺の状況はほかの人よりも深刻だった。毎日の稼ぎを求めて、売られた子供みたいに、あたしはこの船に乗船していた。
 労働環境は、お世辞にもいいとは言えなかった。外の世界にランク付けがあるみたいに、あたし達みたいな従業員にも、ランク付けがある。あたしは最下層、下の下。文字通りの船の底から出るにも出られない、一番下の従業員だ。
 例えば、客をもてなす従業員と、あたしは違う。あたしは毎日船の底を走り回って、汚れものとかを暗い船室の中で片づける。だってそうでしょ? あたしみたいな汚い貧民、綺麗なお客さんの前には絶対出せないし、最悪、お客さんの荷物を盗むかもしれない、って思われてる。だからあたし達はずうっと、船倉から出ることは無い。
 昔読んだ本で、海の底には深海魚みたいな独特の生態を持った魚や蟹なんかがいて、そいつらはスカベンジャーって呼ばれてるんだ、って見たことがある。上の層にいる魚が出したゴミなんかを食べて、海底を掃除しながら生きているらしいんだけど、あたし達はこの船のスカベンジャーだった。
 だから当然、あたしは、この船にどんなお客が乗っているのかのほとんどを知らない。分厚くて、重い扉が、あたしたちの生きる船倉と、華やかな客たちが活きる船上を分けていて、あたし達はそこから出ることは無い。たまにお客さんを見ることもなくはないけど、それでもすれ違う一瞬くらい。キラキラと光る宝石も、輝かしい人生も、あたし達には無縁の世界、っていう事。
「……ああ、きみ、すまない。ちょっといいかな?」
 ――だからその時、不意に声をかけれられて、あたしはびっくりしてしまった。ふりかえってみれば、そこにはこの薄暗い船室には似つかわしくない、とてもきれいな……かっこいい男の子がいたのだから。
 男の子はひどく困ったような、申し訳なさそうな顔をしていた。それだけでも、あたしにはびっくりだった。男の子が、一目見てこの船の『お客様』だって事には気づいたけれど、とにかくその『お客様』が、あたし達に向ける視線って言うのは、軽蔑とか、汚らしいとか、そう言うモノばかりで、申し訳なさそうに、なんて、対等な視線を向けてくれることなんて、無かったから。
「道に……その、恥ずかしいんだけれど、迷ってしまって。客室に戻りたいんだ。どうすれば……いいかな?」
 とても申し訳なさそうな顔でそう言うモノだから、あたしはとても、おかしい気持ちになってしまった。気づいたらくすりと噴き出して、笑ってしまった。
「ご、ごめんなさい……わかりました、ご案内いたします」
 そう言って、あたしは男の子の前に出た。「ついてきてくださいね」そう言って歩き出すと、男の子が付いてくる気配が分かる。
「ありがとう。君もその、ここで迷ったのかい?」
 そんなことを訪ねてくるものだから、あたしは思わず目を丸くしてしまった。
「まさか! あたしはここの従業員ですよ」
「君みたいな若い子が?」
 心底驚いた様子だったので、あたしは少し、ムッとした。やっぱりお客様は、此方の事情なんてものは理解できないんだ、って、そう思ったから。
「あたしみたいな貧民はね、必死に働かないと生きていけないんですよ……こんな船に乗れる、お客様とは違って」
「あ……いや、気を悪くしたなら、すまない。俺も、この船には仕事の報酬でチケットをもらっただけで……って、そうじゃないな。ごめん、本当に」
 しゅん、となる気配が、背中越しでも感じ取れた。…………言い過ぎたかもしれない。あたしは聞こえないようにため息をついて、
「いえ、いえ。此方も言い過ぎました。お客様……身なりからすると、騎士様ですか?」
「ああ、一応ね。天義で……でも、騎士様、って言うのはやめて欲しいな。私はリゲル。 リゲル=アークライト」
「では、アークライト様」
「リゲル、って呼んでくれた方が、気が楽だよ。様、も、敬語もなしでね」
 随分と、気さくな人だなぁ、って思った。
「じゃあ、リゲル……んん? これってあれ? ナンパ?」
 と、あたしは冗談めかして言うと、リゲルは慌てた様子で両手を振ってみせた。
「ち、違う! そう言うわけじゃ絶対にない……あ、いや、君に魅力がないとかそう言う意味ではないからね? って、そうじゃなくて、ああ、もう!」
 あんまり慌てるものだから、あたしも思わず笑ってしまった。ちょっと意地悪し過ぎたみたい。
「ふふ、冗談だよ? あたしは、レベッカ。さっきも言った通り、この船の下働きよ」
 困ったように黙り込んでしまったリゲルに微笑んでから。あたしは下層と上層を隔てる扉を目指す。リゲルはどうも、あたしに意地悪されたのがちょっとこたえたみたいで、何か話題を出そうとするのだけれど、うまくそれを言葉にできないみたいだった。ちょっと申し訳なかったので、あたしから話題をきりだすことにする。
「リゲルは……休暇? それとも、旅の途中?」
 あたしの話題に、リゲルはゆっくりと頷いて見せた。
「ああ。旅の途中で、人を……探していてね」
「ふぅん、人探しの旅かぁ……」
 あたしは思い描いてみた。誰かを探し、当てのない旅を続ける。ある時は村々に。ある時は野営したりして、次なる地へと旅を続ける。
 それは、辛いこともあるかもしれないけれど、今のあたしよりもずっと自由で、素敵なことに思えた。
「いいねぇ、リゲルは。自由で……」
 だからあたしは、思わずそう、口に出してしまった。
「自由? 俺が?」
 リゲルはきょとんと、そう声をあげた。
「そ、自由。旅に出て、好きなように行き先を決める……目的はあるかもしれないけど、それってすごく、自由じゃない? あたしなんて、ずっとこの暗い船倉に閉じ込められたまま。上層には綺麗な宝石も美味しい食べ物もあるけど、あたしには無縁の物。だからリゲル、そういう所へも気軽に行ける身分の貴方が、羨ましいなって」
 あたしの言葉に、リゲルは考え込む様子を見せてしまった。今にして思えば、リゲルはこの時、自分の境遇を思い起こしていたんだと思う。例えば故郷では、自由を感じずに暮らしていたのかもしれない。リゲルはきっと、あたしより頭がいいから、自由の意味とか、在り方とか、そう言うモノを考えていたんだ。
 ただ、その時のあたしは――ただ、自分の意志で、自分の進むべき道を決められることだけを、自由でよい事だと考えていた。旅に出て、明日の行き先を自分で決めるリゲルが、とても素晴らしい人生を送っているのだと思ったし、同時に、そんな自由な人が、こんな下層に顔を出しちゃいけないと思っていた。
 考え込んでいるうちに、上層と下層を隔てる扉の前に立っていた。あたしは扉を開くと、
「さ、帰った、帰った」
 そう言って、リゲルを押し出した。リゲルは困ったような顔をしながら、あたしにされるがままに、扉の向こうへと押しやられていく。
「いい、リゲル? あなたはもう、こっちに来ちゃダメだからね? ばいばい、騎士様」
 あたしはぴしゃりといい放つと、扉を閉じた。
 もう会う事もないんだろう騎士様に、せめて探し人が見つかって、幸せになってくれればいいと、そう思った。


「やぁ、レベッカ! やっと見つかった!」
 休憩室で水を飲んでいたあたしは、その声に思わず吹き出しそうになった。その声の主は、昨日別れたばかりのリゲルで、この休憩室は船の下層の中でも相当下に分類される場所だったからだ。
「な、な!? なんで!?」
 休憩しているのがあたしだけでよかった。他の仲間がいたら、何を言われるか、分かったモノじゃない。困惑するあたしをよそに、リゲルはあたしの手を優しくとって、言った。
「レベッカ、実はね。俺の貰った乗船チケットに、今日のダンスパーティの参加権がついているんだ」
「だ、だから、なに?」
「決まってるだろ? 一緒に参加しよう!」
 そう言うと、あたしを立たせて、その手で力強く引っ張っていく。え? え? 参加!?
「ま、待って、リゲル! あたしこれから仕事があるの……いえ、それ以前に」
 あたしの抗議の声を、リゲルは中断させた。
「終わらせた!」
「終わ……え?」
「だから、終わらせた! 俺が、全部!」
 嘘でしょ。洗い物に、シーツの片付けに……山ほどあったはずだ。あたしは、リゲルの手を見てみた。そこには、短時間で多くの仕事をこなしたであろう、手荒れが見て取れた。うそ、本当に、終わらせたの?
 リゲルはあたしをぐいぐい引っ張っていく。あの扉に向けて。超える事の出来なかった。あの扉。その前に。
「まって――まって、リゲル? 何で、何であたしをダンスパーティに……」
「決まってる。レベッカだからだ」
 リゲルはそう言うと、あたしの手を引いて、扉を超えた。
 あっさりと、あたしは超えてはいけないはずのラインを超えた。その瞬間、あたしはなんだか、別の世界に来たみたいな気持ちになった。
 それからはなんだか、よく覚えていないまま、ドレッシングルームに放り込まれた。生まれて初めて、化粧をしてもらって(それも、使用人みたいない人に傅かれながら!)、リゲルにレンタルのドレスやアクセサリも合わせてもらった。選んでもらったドレスは、真っ白な、雪みたいに真っ白なドレスだった。今まであたしが見たこともないような、芯から真っ白の、純白のドレス。
「やっぱり。レベッカ、白色が似あうよ」
 含むところもなく、真っすぐな瞳で、リゲルが言う。あたしはなんだかすごく恥ずかしくなって、きっとわかりやすく真っ赤な顔をしていたんだと思う。
 なんだか夢見心地で、呆然としている間に、準備は整った。あたしはふわふわとした足取りのまま、大広間への道を行く。
「あたし、ダンスとかしたことない」
「大丈夫、俺がリードするよ」
「きっと、リゲルに恥をかかせちゃう」
「その時は、一緒に笑おう」
「あたし、リゲルに相応しくない」
「俺がレベッカと踊りたいと思ったんだ」
 口をついて出る自己否定の言葉を、リゲルは次々と否定してくれた。あたしはドキドキと怖気づいたまま、リゲルに手を引っ張られていく。やがて大広間、その扉の前へと到達した。あたしが深呼吸したのを確認してから、リゲルはゆっくりと、扉を開いた。

 ――そこには、きらびやかな世界が広がっていた。
 天を飾るシャンデリアは、星々に負けぬような輝きを放っていた。
 その天からの星々を身に纏ったような人々がホールで踊っている。慌ててあたしは、自分の身体を見てみた。指や腕、胸元を飾る星々はあたしの身体にもまとわりついて、鮮やかに輝いている。
 思い出したように、あたしは身構えた。好奇の視線が、あるいは侮蔑の視線が、あたしに降り注ぐと思ったからだ。でも、どれだけ待っても、そんなことはおこらなかった。
 ――あたしは。
「あたしは、ここに居ても、イイのかな?」
 思わず口をついて出た言葉に、リゲルは頷いた。
「もちろんだ、レベッカ。さぁ、行こう」
 リゲルは恭しく首を垂れると、あたしの手の甲にキスをしてくれた。ぼっ、とほほが赤くなる。リゲルは微笑んで、あたしの手を取って、ダンスの輪の中へといざなう。
 はっきりと言えば、あたしはダンスはできない。でも、リゲルはそんなあたしを、エスコートしてくれる。あたしが転びそうになっても、優しく抱きかかえて、再びダンスの輪の中へ。
 目まぐるしく変わる、きらきらとした世界。心躍らせる楽器の音色。目の前でほほ笑む、リゲル。あたしには、リゲルがその時……ちょっと恥ずかしいけど、王子様みたいに見えたんだ。
「リゲル……すごい。まるで、夢、みたい」
「夢じゃないさ」
 リゲルが微笑む。そう。夢じゃなかった。この瞬間、確かにこれは現実だったのだ。
 一夜限りのユメだったとしても。
 たとえ誰にも、幻想だと笑われようとも。
 この瞬間は、嘘じゃない。
「リゲル。あたし……今すごく幸せ」
 リゲルは優しく、微笑んでくれる。
 この瞬間が、もうすぐ終わる事は、理解している。
 もう一度ここへ来ることが、どれだけ難しく、苦しいかも知っている。
 でも。あたしはきっと、諦めることは無いだろう。
 今度は、あたしが、あの暗い船底から脱して。
 自分の力で、あの扉を開けてみせる。
 そしてもう一度、リゲルと、会うんだ。
 この優しい王子様に。
 あたしはきっと、恋をしていた。
「リゲル、その時まで、あたしと友達ていてくれる? あたしともう一度――踊ってくれる?」
「もちろんだとも、レベッカ」
 あたしは、リゲルと小指をからませた。
 誓いの儀式。それは、子供同士の行う、つたない約束のごっこ遊びだったけど。
 これは永遠の、二人だけの約束。
 あたし達は、踊った。
 シンデレラの夢が終わる、その時まで。


 月下の船上で、シンデレラは踊る。
 その周囲に人の気配はなく。
 奏でる音楽は、歪んだものである。
 観客たるアンデッドたちは、主たる魔種が、月下の光を浴びて踊るのを――ただ、ただ見つめる。
「リゲル」
 レベッカはくずれた『さざ波の揺り籠』号の甲板の上で、右手の小指にキスをした。約束の小指。
 レベッカは――。
 もう、あの時の、無力な小娘ではなかった。
 奪った財宝で身を飾り、奪った家族で身を守り。
 海原に絶望の声を振りまく。
 レベッカは踊る。独り。独り。
 レベッカは、確かに自由を手に入れた。
 生命と引き換えに得た、魔種という名の生によって。
「こんどは、あたしがエスコートしてあげる」
 レベッカは笑う。ひとり。ひとり。
「待っててね、リゲル――」
 レベッカは踊る。
 シンデレラの悪夢ユメが終わる、その時まで――。

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