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サンドイッチ、バスケットの一杯に
登場人物一覧
●朝食は、小さな幸せの欠片
気持ちよく晴れた日だった。
規則正しく並んだパンに、リゲルは銀色のバターナイフを滑らせる。
今日は家族でピクニックの約束だ。
さきほどからノーラはお気に入りのリュックサックを床に置き、荷物を詰めたり出したりしている。
ノーラは、この家族の団欒を心から楽しみにしていたようだ。
昨日など、明日晴れるかどうかをずっと気にして、なかなか寝付けず、窓からしきりに空を見上げてばかりいた。いくらポテトが精霊たちが晴れるようだと言ったと伝えても、かなり長いことベッドの中でそわそわしていたものだ。
リゲルはくすりと微笑みをこぼした。
ノーラの様子を見守っていたポテトが、台所まで顔を出した。
「ああ、もうすぐできるよ」
今日の朝食は、一口サイズに切り分けたサンドイッチ。
具材はレタス、トマト、チーズ。ハム。
そして、ローストビーフやシーチキン。茹でた卵と目玉焼き。
手際よくパンの上に配置し、香ばしいパンを重ねる。それを繰り返し積み上げて、こぼれそうな勢いの具材をピックでひといきに止めれば、見事なサンドイッチの完成だ。
「おまたせ」
食卓に運んでいくと、ノーラから歓声が上がる。
ノーラはピックを持ち上げ、色とりどりのサンドイッチにみとれている。
「まだまだ、こんなものじゃないぞ……。バスケットの中身は、ついてからのお楽しみだ」
バスケットには、まだまだ溢れんばかりのサンドイッチが入っている。
(そういえば、これすらも作るのに苦労した時期があったな……)
ふと、リゲルは昔のことを懐かしく思い出した。
それはまだ自分が見習いの騎士だったころのことだ。
●旅立ち
生を受けたのは、天義の国。
リゲルは由緒正しい騎士の家系に生まれた。
彼の父シリウスは天義では名の通った騎士だ。一時は理想的な俊英の一人とまで呼ばわれた。
聖騎士団の重鎮となる日も近い……シリウスの息子であれば、何不自由ない将来を約束されていることだろう。周囲の誰もがそう思っていた。
「本当に良いのか?」
「はい。自分の力を試してみたいと思います」
リゲルは父に迷いなく答えた。
「そうか」
周囲の思惑を裏切って、リゲルは騎士見習いとして一から経験を積むことを望んだ。
シリウスの息子という立場では、見えてくるものも見えてはこないと思ったからだ。
自分を鍛える。
青い瞳に、希望を宿しての旅立ちだった。得るものがあるはずだと信じて。
そうして、リゲルは騎士団の門を叩くことになった。
刃を潰した訓練用の剣を磨き終えたリゲルは、息をついて汗をぬぐった。ここではリゲルも、いち見習いである。訓練の傍ら、雑用はいくらでもあった。特に、下っ端であればなおさらである。
さらに悪いことには、リゲルは雑用などしたことがない。それでもなんとか先輩のやり方を見て学び、必死に日課をこなしていた。
「なあ、知っているか? あの見習い、シリウス様の息子だっていう話だぜ」
「あいつが?」
「道理で、掃除や洗濯はひどいもんだよな。この前、加減を間違って、一月ぶんのせっけんを、三日で使い果たしたって話だぜ」
「それにしては、文句の一つも言わずにやってるよな……」
「まだまだ……!」
リゲルは井戸から水を汲んで運んでいた。
ひたすらに訓練に励み、己を高めるために日々努力を重ねていた、そんなある日のこと。
不意に、団長から声をかけられた。
「それで、用とは何でしょうか」
「リゲル、次の討伐だが……実戦に出てみるか?」
「は、はい! ぜひとも、お供させてください」
リゲルは一も二もなく頷いた。
己の努力を見てくれていたのかと胸が熱くなった。
胸躍る冒険の予感に、頬が紅潮したのを覚えている。
自分でつかみ取ったチャンス。
コツコツとした努力が、実を結んだような気がした。
だが、物事は、そううまくはいかないものだ。
●獲物
討伐隊のターゲットは、サーベルタイガー。虎に似た、獰猛な生き物だ。
街道に出現したサーベルタイガーは、商人たちのキャラバンを襲い、数多くの被害を出していた。
「これは、ひどいな……」
あちこちに荷物が散らばっている。鋭い爪だ。ごくりと息をのむ。
幸いにもまだ死者はいないらしい。しかし、野放しにしておけば、それも時間の問題だろう。
「う……」
「! 生存者です!」
馬車のそばに人が倒れていた。騎士団の一人が助け起こそうとしたとき、それは現れた。サーベルタイガーは、鋭くうなり牙を鳴らす。
騎士団は一斉に戦闘の構えをとる。
「怯むな! まずはけが人の確保だ!」
隊長の指揮に従い、何人かが前に出た。動きを引き付け、その間にけが人を逃がす。
意図を察したリゲルは前に進み出た。
早い。
リゲルの首筋を汗が伝う。
果敢に応戦していたが、間に合わない。
サーベルタイガーは、うなりを上げ、鉤爪を振るいながらリゲルの間合いへと至る。一撃もかわした。だが、勢いよく振り回される爪が、リゲルの腕をかすめた。
構えが乱れる。
(まるで……まるで歯が立たない……!)
攻撃する暇がない!
全力で戦っているというのに、勝機が見えない。
リゲルは愕然とする。
訓練とは、まるで違う。
サーベルタイガーは牙を剥き、リゲルへと迫った。
後ろには仲間たちがいた。
ならば、せめて。
(せめて刺し違えてでも……!)
「っ!」
リゲルは腹を決め、剣を構える。あえて、避けることはしない。
一撃。
決死の思いで構えた剣は、呆気もなく吹き飛ばされた。銀の剣が弧を描いて空を飛ぶ。
(しまった……!)
サーベルタイガーの爪が振るわれた。
身体が吹き飛び、地面にたたきつけられた。
頭をよぎったのは、死の予感。
それはあまりにあっけないものだった。
●失敗と経験
気が付けばベッドの上だった。
身体のあちこちが痛い。
包帯を巻かれ、手当てを施されている。薬草の匂いがつんと鼻を突いた。
(生き延びたのか……)
サーベルタイガーは、手練れの騎士たちが見事に討ち取ったようだ。安堵はしたが、何もできなかったのがリゲルには悔しい。
「まあ、初めてにしては上出来だ」
かけられた言葉も、どこか空々しく響いた。
悔しい。
(悔しい……)
力が不足しているのが。技術が不足しているのが。
リゲルは唇をきつく噛み締めた。
仲間の一人が、見舞いを置きながら、不意にそんなリゲルの様子を見て取った。
「なあ、悪いことは言わない。家に帰るというのはどうだ? 高名な家庭教師はいくらでもいるだろう」
「いえ……それでは、だめなんです。俺は、自分の力で……不自由なく育ってきて、そんなことを言うのもおこがましいのかもしれませんが。俺は自分で決めました。自分の力で、強くなろうと」
「そうか」
それ以上は何も言われなかった。
自分を慰めて、リゲルはベッド脇に立てかけていた剣を手に取った。素振りをしようとして、肩の痛みに顔をしかめる。
退団にならないだけマシだ。
悔しさを紛らわすように、訓練にうちこんだ。
●トライ&エラー
それから、リゲルは幾度となくこの天井を見ることとなる。そのたびに影に日向に、家に帰ってはどうかと言われること幾たびも。
それが嫌がらせではなく、心からリゲルを心配しているのも痛いほどわかった。
だが、ここで引き下がってなるものか。
ケガを原因に前線から外され、代わりに雑用を任されても、泣き言も言わず、夕飯の支度をしていた。
傷が治れば勇ましく前線に立ち、そしてまた負傷した。
マシにはなってきている。
致命傷を避ける技術は、着々と身についてきているように思う。
今は片腕を骨折している。
なんとか調理器具を持ち上げるものの、フライパンが手から滑り落ちた。床にぶつかって悲しい金属音を奏でる。
ふがいない。
リゲルは、久方ぶりに家での生活を思い出した。使用人がすべてを整え、何もかも不自由はない生活。
帰れと言われるのも、もっともなのかもしれない。
ならば……。
諦めるのか?
いや。
リゲルは、掌を睨む。
(今の俺の実力は、まだこのあたりだということだ)
ならば、この実力で、できることを淡々とこなそうではないか。
近道はない。千里の道も一歩より。
まずは、腹を満たそう。
そう決めると、リゲルは不意に腹がすいていることを思い出した。
今の自分の状態では、普通の調理もかなり難しい。
(ここでできないことをしようとすることばかりが、戦い方ではない)
何かないかと食料置き場を一瞥すると、パンとハムがみつかった。そして、僅かばかりのチーズの欠片。
(サンドイッチにしよう)
不意の思い付きは、上等なものに思われた。
パンを広げてバターを塗って、具材を刻んで乗せるだけ。
なんとか動く手を動かし、こしらえてゆく。
ケガをしていたせいで、ずいぶんと時間がかかったものだが、それでも失敗はしない。
しばし格闘すると、サンドイッチが出来上がっていた。
(うまい)
凝ったものではなかったが、今の自分にとっては染み渡る美味しさだった。
何よりも自分の手でこしらえたというのが良いじゃないか。
(特別に難しい料理に手を出す前に、サンドイッチだけは美味く作れるようになろう)
美味いものを食べると元気が出てくる。
(よし)
さあ、まずは、ここからだ。
そして、いつしか、サンドイッチを作ることは、訓練以外のリゲルの趣味の一つとなっていた。
●一人前の騎士
それから、時は流れて。
「行くぞ!」
リゲルの一撃が、確実に獲物をしとめる。
「怯むな、道を拓く!」
リゲルの号令に、仲間たちが続く。
今やリゲルは、立派な騎士となっていた。
もはや、敵を前にして身動きをとれなかったリゲルの姿はそこにはなかった。
崩れた仲間を後ろにかばい、勇ましく戦線を押し上げる。
いつしか、シリウスの息子と呼ばれることは少なくなっていった。『死力の聖剣』リゲル自身の名が、大陸にとどろき始めていた。
特異運命座標に選ばれ、ローレットに転身しても、変わらぬものはここにある。
あの鍛錬の日々は今もリゲルの中にある。
父が失踪したという知らせを受けた。
失意に至っても、それでもリゲルは前を向いた。
仲間たちと、そして、家族のために。
「お前が為したいのは何だ」
父の声が、今でも思い出せる。
正義とは。いったい、何を信じればよいのか。
迷いながらも、リゲルは、その目で見定めてきた。
●陽光の下で
……リゲル?
名前を呼ばれ、リゲルは意識を引き戻された。
ポテトの瞳が揺れているように見えたのは、かつての錯覚だろうか。手を握られているうちに、不安はすぐに霧散していく。
「ありがとう」
今日は家族そろってのピクニックだ。
シートを広げ、バスケットを置いた。ノーラが待ってましたとばかりに、両手で蓋を持ち上げる。
パンの匂いがふわりと香り、それから色とりどりのサンドイッチが現れた。
家族の元気な笑顔を見ていると、心がぽかぽかとあたたかくなる。
「いつか、ノーラもすぐに作れるようになるよ。最初は、こんなに上手じゃなかったんだ」
そう言っても、ノーラはきょとんとしている。
「ほんとうだ、これより簡単なのを作るのだって、とっても苦労したんだよ」
リゲルにとって、サンドイッチは小さな勲章である。
「ごちそうさま」
バスケットはあっという間に空になる。
はしゃぎつかれて寝落ちしかけているノーラの隣。なだらかな丘に寝転がると、ポテトが優しく頬を撫でる。
「また明日から頑張れそうだ」
守りたいものは、ここにある。