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エメラルドに笑って
登場人物一覧
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「海の
人魚の生態に基づく街づくりがなされている他、巨大な海月の群れに守られ、外からは一年に一度しかその場所を見つけることができないという謎めいて神秘的な場所。
それ故に街の人魚たちは客人を歓待し、そして訪れた者にひとつの願いを託すのだという。
「どうか私たちのことを覚えていて」と。
こぽり。水面に泡の浮かぶ音がした。
サァーー……と。エメラルドに輝く水面に光が反射して波音を立てる。まるで導くように、誘うように。
一年に一度の今日という日に、海月の護りは解かれた。
さぁ、客人を招こう。忘れえぬ懐かしき記憶を辿り、今訪れてくれた彼女らを。
ようこそ、「海の
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「もういちど、訪れることが、できましたの。わたしの見つけた、宝物のような街」
ほう、と感極まったように息をついてノリア・ソーリアは呟く。
いつか再び訪れたいと思っていた。そして願わくばこの素敵な街を誰かに知ってもらいたいとも。
(けれど、この町のかたがたの生活を乱してしまうのは、嫌ですから。今日は、アルちゃんさんと、フェリシアさんとだけ……素敵な町を、おふたりに知っていただけたら、うれしいですの)
遥か太古の形を留める海底遺跡の建物群。淡く輝くエメラルドの灯り。遠くに透明に見える海月の群れを眺めながら、真新しいスケッチブックに絵を描くような、まっさらな地図を自分の手で埋めていくような……不思議な高揚感が三人を包んでいた。
”みんなでお出掛け”とは、なんてわくわくする響きなんだろう! ドキドキと心臓が跳ねまわるほどに嬉しくて、アルゲオ・ニクス・コロナは思わず水中をくるりと一回転して歓声を上げた。
「わー! 人が沢山いますね」
現在地は街の中央に位置する”海底市場”。露店を始め多くの店が立ち並ぶ、街でも随一の賑やかなスポットだ。パフォーマンスをしている人魚たちもいて、あちこちから陽気な歌声が聞こえてくるものだからアルゲオもたまらず調子を合わせて歌いだす。
「こんな、素敵な場所があったのです、ね……! 街が輝いてきれい、です」
フェリシア=ベルトゥーロも初めて訪れる街の様子に興味は尽きることがなく。
ノリアとアルゲオと共にあっちへこっちへ、忙しく視線を巡らせて。エメラルドに発光するヒカリゴケをつついてみたり、店に並ぶ不思議な形の珊瑚や花を模した氷細工に目を奪われてしまう。
「見て下さい、ですの。石柱に刻まれた彫刻が、素敵ですの……!」
そんなソワソワするふたりに、この街の美しさをたくさんたくさん知ってもらいたくて。ノリアも俄然張り切って目に留まったものの数々を紹介していくのだ。
ヒカリゴケに隠れた海底遺跡のこまやかな装飾を見つけては宝探しの様だとはしゃぎ、貝たちが住処にしている隠れ家のような階段を元気に挨拶しながら通り過ぎて、高い塔の屋根の上に腰かけては脚や尾ひれをぶらぶら。色とりどりの魚たちと戯れて笑い合った。
「さぁ、次は、あちらに……あら?」
ふとノリアが後ろを振り返ると、なんということだろう。アルゲオとフェリシアが後ろの方にいるではないか。
気持ちがはやるあまりに二人を置いて行ってしまいそうになったのだと気づいて、申し訳なくなってしまう……けれど。
「ノリアさん見て下さい! このほら貝すっごく大きい音が鳴るんですよ」
「あの、お店……面白いものを、売ってます、ね。あ、あっちのは……!」
マイペースに、そして彼女たちらしく街を楽しむ様子に思わずノリアの頬が緩む。
この街の楽しいもの、美しいものをたくさん教えてあげたいと思っていたけれど、ノリア自身も二人にたくさんの”楽しい”を教えてもらっている。
ノリアひとりじゃきっと見つけられなかった”楽しい”をもっともっと一緒に、アルゲオとフェリシアと共有したいなと……そんなことを想って、慌てて二人のもとに泳ぎ戻るのだった。
「あ、このブローチの飾り、羽ペン……でしょうか? かわいい、です」
ちゃり、とフェリシアが手に取った通りすがりの露店のネックレス。なるほどそれは確かに小さな羽ペンがチャームになっているもので。手に取ったのは白い羽だが、他にもさまざまな色の羽ペンが飾りになっている。
「確かに、アルちゃんたちが地上でよく使う羽ペンですね!」
「水の中では、インクを、使いませんので、装飾品に、なっているのでしょうか?」
海底図書館では石板に文字を刻むことで記録していたはずだ。水中ではインクは流れてしまうのだろう。
陽光を浴びた海のような瞳を輝かせてほわほわとブローチを眺めるフェリシア。
(フェリシアさん、すっごく楽しそうです、嬉しそうです。ーーそうだっ!)
ぴーんっと来たアルゲオが、へへーっと笑って二人の真ん中でぎゅっと片腕ずつ引き寄せる。
「師匠とおねーさんとアルちゃんで、お揃いにしましょうっ!」
それは嬉しそうに、師匠は白でーおねーさんは水色でー! ときらきら輝く羽ペンブローチを手に取っていく。
「アルちゃんはオレンジです! どうですか?」
ふふんっと得意そうに笑うアルゲオに、フェリシアもこくこくと嬉しそうに何度も何度も頷いた。
「では、そうしましょう。アルちゃんとフェリシアさんとご一緒、嬉しいですの!」
「お揃い、とても嬉しい、です……!」
師匠と、そしておねーさんと慕う二人の笑顔に、アルゲオも嬉しくなってしまう。
いつもお世話になっている彼女らの喜ぶ様子がうれしくて、くすぐったくて。
彼女らの笑顔に応えるように、アルゲオもとびきりの笑顔を浮かべた。
そこに、人魚の行き交う通りの向こうから声がかけられる。
「お嬢さんたち、旅行客かい? そんなら、旅の思い出に写真を撮るのは如何だろう!」
見れば、小ぶりな硝子の箱を抱えた男がそこにはいた。その尾には小さな女の子の人魚が引っ付いている。不思議そうにノリアが問いかけた。
「写真家さん、でしょうか?」
「あぁ、そうさ。この街の思い出に写真を撮るのを商売にしていてね。よろしければ一枚どうだい?」
「わー! 撮ってもらいましょうよ」
明るいアルゲオの声に、フェリシアもこくりと頷く。
「わたしも、お写真に残せたら嬉しい、です」
「では、お願いしますの! あら、でも、カメラのようなものは……?」
見当たらないように思えるけれどと首を傾げると、男は得意げに硝子の箱を抱えて見せた。
それには、硝子越しに見たものを紙に映しとる簡単な魔法がかかっているのだという。
「俺の自慢の商売道具さ! それじゃあ撮るぜ、そこに並んだ並んだ!」
三人を貝と珊瑚でできた椅子に座るよう促すと、硝子の箱を構える。「3、2、1、はい笑って! カニーッ!」とおどけた掛け声とともに一瞬のフラッシュ。手際よく写真を三枚の紙に写し取っていく。
「ありがとうございます、よく、撮れています、ね……!」
「アルちゃんさんは、可愛らしいさんですし、フェリシアさんは、美人さんですの!」
「ノリアさんもかわいいです」
わいわいと写真を覗き込む三人のもとに、男に引っ付いていた小さな女の子が近づいていく。
はい、と差し出したその手に握られていたのは、可愛らしい小さな貝殻で。
「そいつは俺の娘でね。撮ってくれたお客さんにはお礼を渡してるんだ。よければ受け取ってやってくれねぇかな」
「あの、あのね……、お写真、とってくれて、ありがとう……! 旅を、この街を、どうか楽しんでくれると、うれしいな!」
ぶんぶんと振られる小さな手に、優しく人好きのするこの街の人魚達を見た気がして。微笑ましく手を振り返すのだった。
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ふと。朗らかに響くほら貝の音と、高らかながらも陽気な口上が三人の耳に届いた。
「さぁさ、寄ってらっしゃいみてらっしゃい! 此度に紡ぐは深海の泡のような切ない恋の物語。歌に踊りも組み合わせた自慢の水中歌劇、とくとご覧あれ!」
ざわり、ざわざわり。にわかに騒がしく活気に満ちてゆく往来に、何事かと首を傾げる少女三人。そういえば、なにか、街の人たちがうわさしていたような……?
あ、と声を漏らす。心得た、とばかりにノリアが手を打ち鳴らした。街で噂の水中歌劇団『ティアーズ』の公演時間が迫っているのだ。
「そういえば、街の方々が、うわさをしていましたの。有名な歌劇団が、公演を行う、そうですの!」
「あっ、劇のことを忘れて、ました……! おやつを、探しましょう……か」
楽しい歌劇にはおやつのお供がなくては始まらない。各々がお店を覗き、皆で食べられそうなものを買って持ち寄ることにして。
「は! 急がないと劇が始まっちゃいます」
慌てたように泡を散らして泳ぐアルゲオ。
目について買ってきたのは甘い蜜でコーティングされた真珠のような飴玉だ。
「これ、とてもきれい、です。貝殻の色を移しているそうなんです、よ」
フェリシアが買ってきたのは、カラフルな丸いゼリー。ころころと可愛らしいそれは、まるで天然の貝殻の様に鮮やかな色で。
「皆様そろいましたので、わたしたちも、行きましょうですの!」
串に刺さったぷりぷりの岩牡蠣を両手に抱えて、ノリアが笑顔で二人を促す。
「アルちゃんは演劇を見るのは初めてなので、ドキドキ、ワクワクですよ」
「素敵なおやつも、たくさん……! 水中歌劇、楽しみです、ね……!」
手に抱えるお菓子はきらきら輝いて、宝物みたいに。それは歌劇への期待に胸を膨らませる三人の心みたいに輝いていた。
「劇、すごかったです、ね……!」
会場から泳ぎ出てくる三人は先ほどまでの劇の余韻にすっかり浸っている。
今も耳の奥で響いているのは、開幕を告げる高らかなほら貝の音。舞台を彩る巻き貝のトランペットを始め、珊瑚のフルート、貝のティンパニ。深海のオーケストラの旋律だ。
耳に届いて踊る音楽と、迫力のある演技の数々が頭から離れない。興奮冷めやらぬようにノリアも右に左に尾ひれが忙しなく動く。
「海の楽器で奏でる音楽、とてもきれいな、音色でしたの……! 迫力がありましたの!」
「これが演劇、すごくキラキラしてるんですね。歌もすごかったのですよ」
さすがは水中歌劇。歌声も圧巻の美しさで、アルゲオは思わず主人公がヒロインに手を伸ばしながら歌うシーンを大きな身振り手振りで再現してみせる。
「ここの二人で問いかけ合うように歌うシーンがすごかったです、ワクワクでした」
「すごいですの……アルちゃんさん、似てますの!」
「あそこのシーン、とても素敵でした、ね……!」
舞台上で繰り広げられる華々しい演技は自信と魅力に満ちていた。
会場いっぱいの客たちも、おお、と息を呑んだり感嘆のため息を漏らしたりしていたほどで。
かくいうフェリシアも終始舞台に魅入られ、すっかり見とれていた者の一人だった。
「演劇とはこんなにすばらしいものだったのです、ね」
ハラハラ、ドキドキ。舞台の盛り上がりに合わせて感情が忙しく、キラキラに輝いていたことを精一杯にノリアとアルゲオに伝えようとする。
「最後のシーンで、キャストの皆さんが歌いながら、観客席に泳ぎだしてきたときは、びっくり……でした……! わたし、ヒロインの方に手を握って頂けたんです、よ」
割れんばかりの拍手に包まれた会場と、にこっと笑ったヒロインの彼女の笑顔が忘れられない。思い出してはまた嬉しい気持ちになってしまう。
「ノリアさんから頂いた岩牡蠣も、とてもぷりぷりしてて美味しかった、です」
「すごくおいしい岩牡蠣でしたよね! アルちゃんはフェリシアさんのカラフルなゼリーが好きでした」
甘くって、ほんのりいい香りがしたんですよ! とまた大きな身振り手振りで感動を伝える。
その様子を見て、ふふ、とノリアが微笑んだ。
「わたしは、アルちゃんさんの、真珠のキャンディが、お気に入りですの。お土産に、買っていきたいですの」
「お店の場所教えます! 劇も、またいつか見に行きましょう」
「ええ、また。地上の劇でも、水中の劇でも……一緒に見に行きましょう、ね」
輝くような楽しい思い出に、また次の約束を繋いで。
また一緒に素敵な時間を過ごせたら。そう、フェリシアは穏やかな笑みを浮かべるのだった。
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「お次は、どちらに、向かいましょうか?」
「そうですね、ノリアさんが前に訪れた場所にも行ってみたいですしー……あれ?」
ふと、三人の頭上に影が差した。なんだなんだと街の人魚達も
そこには
「わぁ、とても大きいお魚が……!」
ゆっくりと
そして、大きな魚が過ぎ去った尾ひれの影の先から覗いたそれは。
ーーわぁ……!
水面から差し込む夕焼けの茜色と、街のエメラルド色が溶け合うそら。
大きく目を見開いて、見つめる。逸らせないほど。
「きれい、です……!」
それは誰の口から零れた言葉だっただろうか。否、気持ちはきっとみんな同じはずで。
海の底、エメラルドの街。
この街にはまだまだきっと沢山のきれいなものが、輝くものがあるはずだから。
「まだ夕方ですよ! まだまだ楽しみましょう」
「ええ、楽しい時間はあっという間、と言いますが……まだ終わっていません、よね」
アルゲオとフェリシアの言葉に、惚けたようにそらを見詰めていたノリアも笑顔をこぼす。
「ええ。わたし、アルちゃんさん、フェリシアさんと、すてきなものを、もっと見つけたいですの!」
だから、奇跡のようなこのひと時を、もうしばらくは。