SS詳細
響け英雄の響け英雄の調べ、星の彼方まで調べ、星の彼方まで
登場人物一覧
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初演三日前の夜、リッツパークを嵐が襲った。
しつこく居座る夏を吹き払うような激しさで、嵐は街港に避難している数々の船を揺らして悲鳴をあげさせ、石畳に雨音のスタッカートを姦しく響かせている。音楽ホールの窓ガラスも風圧にびりびりと震えていた。
ホールの中央、指揮台に立つイズマ・トーティスは、銀色のタクトを構えたまま目を閉じていた。呼吸が整い、意識が徐々に集中するにつれて、耳が余人には聞こえないであろう様々な音を拾いだす。
耳がいいのも困り物だなと、この時はまだ、嵐――風が奏でる低音、雷鳴が打ち鳴らすティンパニ、雨がガラスを叩くスネアドラム――を楽しむ余裕がイズマにはあった。それらの音すべてが、今夜リハーサルする交響曲第7番『英雄の誓い』の前奏曲のようにすら感じる。調べに乗って内に向かう旅に身を任せ、かつてない精神の安定を覚えたほどだ。
「では、冒頭部分から」
イズマは目を開けると、タクトを振り上げた。
オーケストラの団員たちが一斉に楽器を構える。その多くは漁師町の音楽学校の生徒たちだ。初めて首都で、しかも有名な音楽ホールで演奏するとあって、誰もが緊張で顔を強張らせている。楽譜をめくる手が微かに震えている者も少なからずいた。
ホルンパートの最前列に座る少年、リックもその一人だった。折りたたまれた翼の峰が、緊張のあまり小刻みに震えているのが指揮台からもわかる。十六歳になったばかりの少年は、金色のホルンを抱きしめるようにして、じっとイズマが手にする銀のタクトを見つめていた。
初めてリックと出会ったあの事件から、実に三年の月日が流れていた。
連続殺人犯に殺されかけていたリックとピアを、他のイレギュラーズとともに救い出して以来、イズマは漁師町のはずれにある音楽学校を度々訪れ、リックたちに音楽理論を教えてきた。楽譜の裏に隠された作曲者の意図、和声の進行が生み出す感情の起伏、旋律が描く物語――音楽という海図を嬉々として進むリックを、イズマは時に厳しく、時に優しく導いた。
今夜演奏する曲は、イズマの遠い血縁者である『指揮者』イズマティヌスの未完の名曲。戦いの最中に聞いたイズマティヌスたちの演奏を、のちにイズマが思い出しながら譜面に書き起こしたものだ。理想郷での戦いでは、不完全な演奏だった。彼もさぞかし無念だったことだろう。今度こそ完全な形で世に送り出す。
リックと学生たちの緊張とその瞬間に立ち会える誇りを音に感じつつ、イズマはタクトを振り下ろす。
第一ヴァイオリンが木の葉を攫う風のように、第二ヴァイオリンが地を這う旋風のように音を紡ぎ始めた。徐々に激しさを増していく弦の音色に、やがてヴィオラとチェロが加わる。オーボエ、クラリネット、バスクラリネットのトリルが、鋭く響くヴァイオリンの上で小気味よく踊る。
――と、突然の轟音。
弦の上で弓が滑ってしまったかのようにハーモニーが崩れ、演奏の喜びが四散した。
楽団員たちが一斉に演奏を止め、顔を上げる。イズマも天井を仰ぎ見た。舞台の端、木管楽器が並ぶ辺りに、黒い染みが広がり始めている。
「リハーサルを続けよう」
イズマは冷静を装ってタクトを振り上げた。ここは王立の音楽ホール、この程度の嵐では……。うん、大丈夫だと、まずは自分を、次いでみんなを励ます。
だが、楽団員たちが楽器を構え直したとたん、雨漏りが始まった。ぽたり、ぽたり、という音が次第に大きくなっていく。
「危ない!」
誰かが叫んだ瞬間、濁流のような水がオーボエ奏者の席を直撃した。貴重な古楽器のオーボエが水浸しになり、奏者は慌てて楽器を抱え立ち上がる。
「すぐにタオルを彼女に! それと楽器を拭く柔らかい布も」
イズマは指揮台から飛び降りると、オーボエ演奏者の元に駆け寄った。楽器を拭いたが、もう遅かった。繊細な木管楽器は水を吸い込み、キーの動きが鈍くなっている。試しに音を出してみるが、かすれた音しか出ない。
「修理は……」
「無理だ。どんなに急いでもらっても、本番には間にあわないだろうな」
イズマの声に苦渋が滲む。
赤い瞳で濡れた楽器を見つめた。オーボエなしでは、この曲の魂が欠けてしまう。木管楽器特有の柔らかく、それでいて芯のある音色は、交響曲第7番において重要な役割を担っているのだ。それよりなにより、友である楽器が損なわれてしまったことが、イズマにはひどく悲しかった。
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深夜、音楽ホールの片隅にある小さな部屋で、イズマは五線譜と格闘していた。
編曲を考えなければならない。オーボエパートを他の楽器に振り分けるか、あるいは削除するか。初演まであと三日。女王陛下もご臨席される演奏会、延期は許されない。
羽ペンを持つ手が微かに震える。
イズマの脳裏に、理想郷での戦いが蘇った。『指揮者』イズマティヌスが、不完全なオーケストラで必死に演奏していた姿。ヴィオラもコントラバスもいない、楽器が足りない中で、それでもタクトを振るった彼の姿。
あの時、イズマは誓った。いつの日か必ず、完全な形でこの曲を演奏すると。それなのに……。またしても交響曲第7番『英雄の誓い』は、不完全な形で演奏されることになるのだろうか。
「イズマさん」
扉をノックする音がして、リックが顔を覗かせた。髪が乱れ、羽も疲れているように見える。眠っていないのだろう。
「どうしたんですか、リックさん。こんな時間に」
「ボクに任せてください」
リックは部屋に入ると、イズマの前に立った。その目には、強い決意が宿っている。
「ボクがオーボエパートをホルンで補います」
「リックさん、それは……」
イズマは言葉を詰まらせた。
ホルンとオーボエは、音色も曲における役割も異なる。ホルンは金管楽器特有の力強く豊かな音色を持ち、オーボエは木管楽器の繊細で哀愁を帯びた響きを持つ。単純に置き換えることはできない。
「わかっています。でも、イズマさんから学んだ音楽理論を使えば、きっとできます」
リックは持参した楽譜をテーブルの上に広げた。びっしりと書き込みがされている。和音の構成、旋律の動き、他のパートとの関係性――イズマが教えたすべてが、そこに活かされていた。
「あれからずっと考えていました。オーボエの繊細さを、ホルンの豊かな響きで別の角度から表現するんです。ミュート奏法を使えば、音色を柔らかくできます。そして、ここの部分は音量を抑えて、弦楽器との調和を――」
リックの説明を聞きながら、イズマは驚愕していた。それは原曲の魂を損なわず、むしろホルンの特性を活かした、見事なアレンジだった。オーボエにはない力強さが、曲に新たな生命を吹き込んでいるではないか。
「すごいよ。すごくいい!」
イズマは思わず声を漏らした。リックは照れくさそうに笑う。
「これはイズマさんから学んだことの、ほんの一部です。でも……」
リックの表情が曇る。まだ曲は完璧とは言えなかった。第二楽章の展開部、そして第三楽章の導入部分――オーボエとクラリネットが対話するように旋律を交わす部分は、どうしても一つの楽器では表現しきれない。
イズマは立ち上がり、リックの楽譜を見つめた。赤い瞳が、まるで海の底を覗き込むように、音符の一つ一つを追っていく。
「ここは……第二ホルンと役割を分けよう。君が主旋律を奏で、第二ホルンが対旋律を受け持つ。そして、ここのハーモニーは」
イズマは羽ペンを手にすると、楽譜に書き込み始めた。横から覗き込むリックが、時折意見を述べる。
師弟の対話は、夜明けまで続いた。
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初演当日は青空が広がっていた。
天井は急ピッチで修復され、雨漏りなどなかったかのようだ。
女王陛下を迎えた音楽ホールは、期待に満ちた聴衆で埋め尽くされていた。ざわめきが、波のように広がっては消えていく。貴族たちの華やかな衣装、市井の人々の清潔な正装――身分を超えて、人々は音楽を待ち望んでいた。
舞台袖で深呼吸を繰り返すリックに、イズマは声をかけた。
「リックさん、自分を信じて。君ならやれる」
「はい」
「みんなも、リラックスして。演奏を楽しもう」
リックを先頭に、楽団員が次々と舞台に出ていく。オーボエから急遽、クラリネットに楽器を変えた女学生も、緊張の面持ちで舞台袖を後にする。
最後にイズマが出ると、大きな拍手が湧き起こった。女王陛下、並びに観客に向かって優雅に一礼し、指揮台に立つ。銀色のタクトを高く掲げ、静寂を待った。
脳裏に『指揮者』イズマティヌスの姿が浮かぶ。
君が遺した曲を、今、完全な形で演奏する。音が紡ぐ英雄たちの詩で、必ずや聴衆を魅了してみせよう。
心の中で誓い、イズマはタクトを振り下ろした。
木枯らしのように始まる第一ヴァイオリンの旋律。第二ヴァイオリンが地を這う旋風となって追いかける。静かに、しかし確実に、嵐の予感が醸成されていく。ヴィオラとチェロが加わり、音楽は次第に激しさを増した。クラリネットとバスクラリネットのトリルが、まるで風に舞う木の葉のように踊る。
そして、第二楽章。
リックのホルンが、静かに歌い始める。
ミュート奏法による柔らかな音色は、オーボエの繊細さとは異なる、しかし深い情感を湛えたそれは、まるで遠くから聞こえてくる英雄の呼び声のようだった。第二ホルンが対旋律、司祭の声を奏で始めると、二つの音色が対話するように絡み合う。
――汝、天命に従うか。はたまた己の道を拓くか。
――我、天命を背負いて、なお己の剣で道を斬り拓かん。
聴衆は息を呑んだ。幾重にも重なる旋律が情緒豊かに織り上げるタペストリー、鼓膜の震えを通して知る英雄の生きざまに。
イズマは全身を使って指揮を取りながら、リックに目をやる。
リックはただホルンを抱き、音符を追い、旋律に身を委ねていた。イズマから学んだすべて、音楽への愛、恩師への感謝――それらすべてを、音に変えて溢れ出させているようだ。あの女学生も、楽器と担当パートが変更になったにもかかわらず、素晴らしい演奏をしている。いや、みんな素晴らしい。最高の演奏だ。
第三楽章、金管楽器が咆哮する。
トランペットとホルンが力強く、危機的状況にあった戦場に英雄たちの登場を告げ、トロンボーンが勝利を宣言する。打楽器が戦いの激しさを表現し、弦楽器が人々の希望を歌う。
そしてクライマックス。
全ての楽器が一体となり、壮大なフィナーレへと突き進む。リックのホルンは、もはやオーボエの代替ではなかった。それは、この曲に不可欠な、新たな声となっていた。
イズマのタクトが、最後の一振りを描く。
最後に弾けた音の余韻がホール全体を満たした。
時が止まったような、永遠にも似た沈黙。
そして――
嵐のような拍手が湧き起こった。
人々が立ち上がり、惜しみない賞賛をイズマと楽団員たちに送る。女王陛下も立ち上がられ、優雅に手を叩いておられた。歓声が、ホールを揺らすほどに響く。
イズマは楽団員たちに向き直り、一人一人に感謝の眼差しを送った。そして最後に、リックを見た。少年の目には、涙が光っていた。
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楽屋に戻ったイズマは、リックの肩を抱いた。
「君がいなければ、この成功はなかった」
「いえ、ボクは……」
リックは涙ぐみながら答える。
「イズマさんが僕に教えてくれたのは、音楽だけじゃない。困難を乗り越える勇気です」
赤い瞳に深い満足感を宿し、イズマは微笑んだ。
「音楽とはそういうものさ。人と人を繋ぎ、試練を越えさせる力がある」
「イズマさん」
リックが口を開く。
「ボクも、いつかイズマさんのように、誰かに勇気を与えられる音楽を作りたいです」
「君ならできる。いや、もうできているよ」
イズマはリックを見つめたまま答えた。
「音楽は、決して一人では完成しない。作曲者がいて、演奏者がいて、聴衆がいて、初めて完成する。そして時に、予期せぬ困難が、音楽に新たな命を吹き込むこともある」
心の中で、今日の演奏を思い出す。オーボエが壊れるという災難が、結果として曲に新たな解釈をもたらした。それは、『指揮者』イズマティヌスも予想しなかった展開だっただろう。
でも、きっと彼も喜んでくれている。
そうイズマは信じる。
二人は、しばらく黙って新たな楽譜を眺めていた。
言葉はいらなかった。音楽が、すべてを語っていたから。

おまけSS『後日譚 祝宴の調べ』
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初演から一週間後の夕暮れ、リッツパークの老舗レストラン『銀の竪琴亭』は、漁師町のはずれにある音楽学校の生徒たちの笑い声に満ちていた。
「イズマさん、こっちです!」
リックが手を振る。レストランの奥、大きな円卓を三つ繋げた特等席に、楽団員たちが集まっていた。女王陛下からの報奨金の一部を使った、ささやかな打ち上げ会だ。
「遅くなって申し訳ない」
イズマ・トーティス(p3p009471)は席に着きながら、脇に抱えていた楽器ケースをテーブルに置いた。
「それは?」
隣に座っていたオーボエ奏者のマリアが、目を見開く。彼女は初演の夜、楽器を失い、急遽クラリネットを演奏した女学生だ。
「修理が完了したよ。職人が徹夜で仕上げてくれたよ」
イズマはケースを開けた。磨き上げられた黒檀のボディ、銀のキーが柔らかな光を放つオーボエが、ビロードのクッションに収まっている。
マリアは震える手で楽器を持ち上げた。
「まさか、本当に直るなんて……」
「音を聴かせてくれないか」
イズマの言葉に、マリアは頷いた。リードを湿らせ、唇に当てる。
一音、透明な音色がレストランに響いた。
その瞬間、騒がしかった店内が静まり返った。他の客たちも、給仕たちも、その音に聴き入っている。マリアは目を閉じ、ゆっくりと音階を奏で始めた。修理前よりも、むしろ豊かな響きだ。
「素晴らしい音色だ」
第二ホルン奏者のアレクが呟く。
「でも」とマリアは楽器を下ろし、リックとアレクを見た。
「あの夜のホルンも素晴らしかった。オーボエじゃ出せない、英雄の声だったわ」
リックは照れくさそうに頭を掻く。
「偶然です。たまたま上手くいっただけで」
「偶然じゃない」
イズマは赤ワインのグラスを手に取った。
「音楽に偶然はない。すべては必然だ」
給仕長が料理を運んできた。漁師町の新鮮な魚介を使った前菜、香草で焼き上げた仔羊、季節の野菜のグリル。豪華とは言えないが、心のこもった料理が次々とテーブルに並ぶ。
そういえば、とコンサートマスターのユリウスが口を開いた。
「陛下からお褒めの言葉をいただいたそうですね」
イズマが頷く。
「『まるで天上の音楽が地上に降りてきたようだった。特に第二楽章の対話は、神々の語らいを聴いているようで鳥肌が立った』と仰っていただきました」
「神々の語らい……」
ティンパニ奏者の老教授ハロルドが、白い髭を撫でながら笑った。一年前に、鉄帝から音楽学校に来てくれたオールドワンだ。
「六十年も音楽をやってきて、あんな編曲は初めてだった。じゃが、いざ演奏してみると……」
「まるで最初からそう書かれていたみたいでしたよね」
若いフルート奏者が続ける。
「イズマさん」
マリアが真剣な表情で俺を見た。
「あの夜のこと、実は感謝してるんです」
「感謝?」
「オーボエが壊れなかったら、私はただ楽譜通りに演奏していただけ。でも、クラリネットで別のパートを吹くことで、曲全体がどう構成されているか、初めて理解できました」
マリアが微笑む。
「音楽って、一つの楽器だけじゃ成立しないんですね。みんなが支え合って、初めて完成する」
「その通りだ」
イズマはグラスを掲げた。
「では、乾杯しよう。嵐を乗り越えた勇気ある楽団員たちに」
「イズマさん」
リックが立ち上がった。
「その前に、みんなから」
合図とともに、楽団員たちがそれぞれの楽器を取り出した。いつの間に用意していたのか、譜面台まで運び込まれている。
「何を……」
「サプライズです」
アレクがにやりと笑う。
「この一週間、みんなで練習してきたんですよ」
始まったのは、交響曲第7番『英雄の誓い』の第二楽章。リックがホルンで奏でた部分だ。
だが、今度は違う。
オーボエが主旋律を奏で、ホルンがそれを支える。本来の形でありながら、そこにはあの夜の記憶が刻まれている。オーボエは時にホルンのような力強さを見せ、ホルンは時にオーボエのような繊細さで応える。
二つの音色が対話する。
――失われたものを嘆くか、新たに得たものを喜ぶか。
――両方を抱きしめて、前へ進もう。
イズマは目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、理想郷で指揮を執るイズマティヌスの姿。不完全な楽団で、それでも必死にタクトを振った彼も、こんな風に仲間たちと笑い合ったことがあったのだろうか。敵としてではなく、別の形で出会えていたなら……。
音楽が終わると、レストラン中から拍手が湧き起こった。他の客たちも、給仕たちも、みんなが手を叩いている。
「ありがとう」
イズマは深く頭を下げた。顔を上げ、全員を見渡す。
「実は、みんなに提案がある」
リックが首を傾げた。
「提案?」
「来年も、この楽団で演奏しないか。今度は最初からオーボエもホルンも、全員が揃った完全な形で」
歓声が上がった。
でも、とイズマは続ける。
「あの夜のアレンジも残したい。第二楽章は二つのバージョンを用意しよう。従来のものと、リックのホルンが主役のものと」
「それって」
マリアが目を輝かせていう。
「両方演奏するんですか?」
「なぜ選ばなければならない? 音楽に正解はない。あるのは、その時、その場所で、その人々が生み出す一期一会の響きだけだ」
老教授ハロルドが笑い声を上げた。
「六十年やってきて、まだ学ぶことがあるとはな! 来年が楽しみだ」
カカカ、と笑うや、老教授は乾杯の前にグラスのワインを一気に飲み干す。
「その前に」
給仕長が空になったグラスに新しいワインを注ぎながら言った。
「今夜を楽しみましょう。料理が冷めてしまいます」
店中に笑い声が広がった。
グラスを掲げる。料理を取り分け合う。音楽の話、失敗談、将来の夢。話題は尽きない。
マリアが立ち上がり、オーボエを構えた。
「最後にもう一曲、みんなで」
楽団員たちが楽器を手に取る。
始まったのは、古い民謡のメロディ。漁師町に伝わる、海の歌だ。楽譜はない。それぞれが思い思いにハーモニーを重ねていく。
レストランの客たちも、手拍子で加わった。給仕たちが口ずさむ。
音楽が、人々を繋いでいく。
イズマは銀のタクトをそっと取り出し、宙に小さく円を描いた。指揮ではない。ただ、この瞬間を記憶に刻むための、小さな儀式。
『指揮者』イズマティヌスよ、見ているか。君の音楽は、形を変えながら生き続けている。不完全から完全へ、そしてまた新たな形へと。
英雄の調べは、今夜も響いている。
星の彼方まで、永遠に。