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ほろく、揺蕩う一時の中で
登場人物一覧
――人には誰しも『生まれた日』があるものだ。
例えその瞬間を知らずとも。
世に生まれ出でた特別な日があるのは――確かなのだ。
「ギルオスさん。私、今度二十歳になるんです」
ある昼下がり。ギルオスとハリエットは歓談の一時を過ごしていた。
なんの他愛もない日。だけれども、ふと……ハリエットは思った事がありて。
「あぁ――先に言われちゃったなぁ」
「え?」
「ニ十歳になるんだよね、おめでとう――なんて。月並みな言葉だけどいつどこで切り出そうかなとは思っていたんだ。もしくは当日に、なんてね。ちょっと早いけれど、おめでとうハリエット。君も大人の仲間入りだね」
九月二十六日だよね、なんて。微笑みながらギルオスは紡ぐものだ。
二十の年月。それは人にとって、最も多感な時期を超えたと言えるだろうか。
二十の時を過ごせば自動的に『大人』になる訳ではないが。
それでも短くはなく。一つの区切りを迎えたと言えるだろう。
「あ、ありがとうございます――あ、それで。ええとなんというか……
折角だし、お酒、飲んでみたいんですけれど、種類が沢山あるみたいで」
「お酒か……無理して飲む必要はないけれど、ハリエットが飲みたいんだよね?」
――はい。
ハリエットはギルオスの瞳を真正面から見据えながら、応えるものだ。
お酒。そう、それもまた区切りを超えた証の一つだろうか。
様々な理由から成人していない者では飲めなかったが――二十を迎えるのであれば話は別。
だから、よかったら。
「一緒に選んでもらえませんか?」
「勿論。君が飲んでみたいのなら、是非飲んでみよう。君がやりたい事はなんでもやってみようじゃないか――そうなると、しかし。最初から冒険するのは危ないね……口当たりが柔らかなものがいいかな。それとも飲んでみたい希望はあるかい?」
「希望……ううん、ギルオスさんが選んでくれるのなら」
それがいい。
未知なる味以上に。貴方とお酒の一時を共に過ごすのが何より楽しみだから。
――ほんの少しでも、また近寄れただろうか。貴方の傍に。
斯様な思考を巡らせながらハリエットはギルオスと共に……歩むものだ。
お酒の味を求めて。彼女にとって未知なるモノを――求めて。
かくして。
時過ぎ往き、来たる日。両名は、満天の星空が見える高台に訪れていた。
当然ながらギルオスやハリエットの自宅でもなければ、いずこかの施設と言う訳でもない。どこかお高いお店――例えば前に訪れた事のある『トゥデイ・トゥモロー』になんとか話を通して……なんて、とも最初は思ったけれど。
「――あんまり『らしい』場所で飲むと味が分からないよ、きっと。緊張してしまう」
飲食には周りの雰囲気だって重要だ。だから、いつかは素敵な専門のお店で一緒にとは願う。だけど今日という日は二人だけで楽しむとしよう。この素晴らしき星空を独り占め……いや、二人占めしながら。
「この時間なら暑さも落ち着いてきたから丁度いいね」
「本当、涼しくていい感じ……人の気配もなくて、二人っきりだし」
そして街の方で購入したお酒を取り出すとしよう。
あまり酔いの回りが強くないもの。かといって弱すぎないものを選んだつもりだ。
――それは『リ・シュグテン』という名の、スパークリングワインの一種。
甘口で、ラ・フランスの華やかな香りが特徴的な代物である。バルツァーレク領で少数ながら生産されている貴重品だとか。どこからこんなモノを、となれば答えは一つ。
「僕達は、情報屋だからね」
情報となればお任せあれ。なんでも素早く仕入れるものだ。ハリエットもギルオスと共に各地を歩き回るようになってから情報に対する『耳』が敏くなったものだ。彼の言の意を心で解し得る。
――さて。言はともあれ、実際に呑んでみるとしようか。
「わ、綺麗な色……」
グラスに注げば透明にほど近いながら、微かに黄緑色の色が混じるソレが見える。
――綺麗だ。それはハリエットにとって思わず口から零れた素直な感想。
見るだけで届かなかったモノが、しかし今は自分の手の内にあれば感慨深くもあろうか。
二つ分。グラスに形成されれば……
「じゃ、乾杯」
「はい、乾杯――」
甲高い音。グラスを合わせる音が鳴れば恐る恐る。されど確かに口に運ぶ――
「――甘い。とっても甘いね、ギルオスさん」
されば甘く、蕩けるような味わいが口内に広がろう。ジュースと言う程ではないが、アルコールよりも甘味の方を強く感じるのは確かだ。そして同時、含まれているとされるラ・フランスの香りも鼻腔に届こう。前評判通り存分な華やかさが此処に在る――
美味しい。
これが『大人の味わい』の一片――
「口に合ったかな? アルコールが強いとむせちゃうかなと思ってたけど、大丈夫そうだね。良かった。最初の一口目はいい思い出になってもらいたいからね」
「ギルオスさんには、そういう経験が?」
「ははは、まぁ昔ちょっとね。
背伸びして呑んだお酒が強くて――必死に呑み込んだ記憶があるよ」
「ふふ、ちょっと見てみたかった、かも」
同時。ギルオスはハリエットの様子を見ていたのだろうか、彼女が二口目に至った時点で安堵な表情の色をみせるものだ。お酒は飲んでみるまで分からない。アルコールが駄目でも、苦手意識が記憶に根差してしまわぬように――そう願ってもいた。
杞憂に終わって何よりだ。ほのかにハリエットの胸の内には高揚感が灯っていく。
これがお酒の力なのだろうか。初めての感覚には微かな浮遊感も混じりて。
ぽやぽやと。頬には熱も宿り始めようか。
満天の星空の下で、二人きりの時間が過ぎてゆく。
が、その時。ギルオスと語り合っていた彼女だが――
「おっと……ハリエット大丈夫かい?」
「ん……大丈夫……です……」
ほんのり、瞼が閉じられつつある。
慣れぬ酔いの感覚に眠気も襲ってきてしまったのだろうか。酔った後どうなるかは人それぞれ。泣き上戸になったり、只管喋り続けるようになったり……ハリエットはまだ大人しい酔い方のようだ。今後、お酒に慣れたらまた変わるかもしれないが。
ともあれ、そうならば無理をする事は無い。
「帰ろうか。今日は慣れる為のものだからね、今度は別のお酒を試してみよう――」
「でも……折角なのに……」
「これから幾らでも。何度でも飲めるさ」
楽しい一時は一夜限りのものではない。
お酒の楽しみも逃げたりはしない。大丈夫な時に、次は別のお酒を飲んでみよう、と。
告げるものだ。
……そう。大きな節目を迎えたのだから、これから何度でも機会はあるのだ。
一緒にいる限り。一緒に過ごす限り。
「あ、そうだ」
瞬間。ハリエットを支えんとするギルオスは『大事な事』を伝えていなかった事を思い出そうか。先日に『言ってしまって』いたからうっかりしていたが――それでも口にすることが、きっと大事だから。
ねぇハリエット。
「――誕生日おめでとう。大人の仲間入りだね」
「――あ、ありがとうございま、す」
祝福の言を紡ごうか。
――人には誰しも『生まれた日』があるものだ。
二十の歳月を生きてくれてありがとう。これからも――よろしくね。