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妖綺譚『狐雨の狐宿』

登場人物一覧

鬼桜 雪之丞(p3p002312)
白秘夜叉
十夜 蜻蛉(p3p002599)
暁月夜

●湯上がり
「晴れだと思っていたのに、すっかり雨に濡れてしまいましたね。突然でびっくりしました」
「ほんに。こういうのを狐雨って言うんやね。宿屋があって良かったわぁ。ほな、ここへ座って。おぐしはよう乾かさんと、風邪を引きますえ?」

 鬼の娘が畳の長椅子に腰を下ろすと、化け猫の女も背後で綿紗を拡げる。
『閻桜』鬼桜 雪之丞(p3p002312)の肩上で切り揃えられた黒髪は湯を吸って玉の如く艶めき、『暁月夜』蜻蛉(p3p002599)に優しく名残を拭われる。

「蜻蛉さんにこうして貰っていると、とても心地よいです」
「人にして貰うんは、気持ちええね。うちも、眠たなって……まあ、ふふ。ほな、部屋まで運んで貰いましょか」

 細い手足を伸ばして寛げば、やがてこくりこくりと舟を漕ぎ、いつしか現の岸辺を離れゆく。
 蜻蛉が濡れた後れ毛を上げながら丸窓を覗くと、格子越しに雨は滾々と降り続いていた。


●宿上がり
「寄っていけと言われたから入ったのに……後で宿代を払えなどと。こんなの詐欺ではございませんか」
「客引きの常套手段やね。まあ、お湯を使わせてもろうた上に一晩お世話になった訳やし、無賃ただとはいきまへんやろ」

 金で払えぬなら身体で払え。
 まんまと乗せられたと愚痴る雪之丞は袖が邪魔にならぬよう襷掛け。一夜明けると客から下働きになっていた。気ままな鬼の性根、義理立てする気はないが、姉貴分たる蜻蛉に宥められると考え直して風呂場のお焚き番を引き受けた。
 そして蜻蛉はと言うと浴衣を腰紐で結んだだけの湯女ゆな。成り行きを楽しむように一つ目入道の親分の刺青の入った大きな背を流していた。尤も湯女は宿屋において遊女の役目も兼ねているのだが。

(こういう場所では箍が外れるお客はんも多いし、雪ちゃんにはさせられまへんなぁ)
 元は太夫であった蜻蛉ならば客の機嫌を取り、誘いを上手く躱す術を知っている。だが根が真面目で己の好楽に忠実な雪之丞では、客の機嫌を損ねて面倒事に巻き込まれかねない。何よりも蜻蛉自身、雪之丞が傷付くことを良しとしない。
 宿屋の主を説き伏せお焚き番に回したはいいが、雪之丞とて怜悧な白磁の如き肌を持つ美少女。それに気づいて目を付ける悪い輩もいる。

「おまん、よう見るとえらい別嬪じゃの」
「左様でございますか」
「おう、待てや。客が話しかけてるのに素っ気なく袖にする者があるか。ちょっと背ぇ流し、酌をするくらいせぇや」

 頬や顎に黒々と髭を生やした赤鬼は、姐さん被りに隠された角に気づかない。だがその好色な眼差しは雪之丞の細身に、綻びかけた蕾から漂う得も言われぬ色香と青臭さとの妙を嗅ぎ取っていた。酔っていればなおのこと、大人しく聞き分けてくれそうにない。

(この飲んだくれ助平鬼、黄泉へ落としてやりましょうか)
 しつこく言い寄る酒臭い赤鬼に雪之丞の堪忍袋の緒が切れかけたとき、玉を転がすような笑い声が割って入る。

「いややわぁ、そんな端女に手を出さんと、うちがおりますえ?」
「儂は手垢の付いた女は好かん」
「まぁ、いけず。ひどいこと言わはらんと、うちに手垢が付いているかどうか確かめて見ぃへん?」

 赤鬼に撓垂れかかりながら蜻蛉が雪之丞に目配せする。今のうちに逃げろ、と。
 男を転がす蜻蛉の手管ならば思うのと、大切な姉貴分を差し出していいのかと逡巡するうち、赤鬼が蜻蛉を乱暴に引き剥がす。
 突き飛ばされた蜻蛉の嫋やかな身を受け止めたのは、鋼の鎧の如き肉体を豪奢な着物の下に備えた美貌の鬼。

「な、何かう、うちの女中が朱天様のご一行に粗相を致しましたか?」
「否。此奴は生娘の生き血を啜るのが好きでな。酔って悪さが過ぎただけのこと。そうであろう?」

 美丈夫は騒動を聞きつけて吹っ飛んできた遣り手の狐女将に此方の非を詫びる。そして己の倍ほども背丈があろうかという赤鬼の言い訳を黄金の眼差し一つで押しとどめた。

(朱天、と言えば大盗賊やないの。ああ、おそろし)
 大江山の鬼共を統べる首魁、酒呑童子。朱天と名乗るは忍び名であろう。無類の大酒飲みだというこの鬼の配下の一人に黒髭の赤鬼がいたはずだ。

「気を取り直して湯へ浸かるぞ。女、背を流せ。後で酌もしろ」
「あい、お大尽様。喜んで」

 雪之丞は湯殿に消える二人を見送るも、赤鬼は恨みがましく睨み返す。

「小娘、よくも朱天様の前で恥を掻かせてくれたな。後で必ずお前を犯して喰ろうてやる」
「性懲りも無くしつこくするからいけないのではございませんか?」

 捨て台詞を吐く赤鬼に怯むこと無く言い返す雪之丞。そのやり取りを番頭の伝八狐が見ていた。

●鬼殺し
「拙は見つけただけ、殺してなどおりません」

 赤鬼が湯殿で死体となって発見されたのは翌朝のこと。
 朝風呂を湧かすため、夜も明けぬうちに風呂場へやって来た雪之丞は、心の臓を握り潰された件の赤鬼を見つけた。そこへ伝八狐がやって来て騒ぎ立てた上、昨日の悶着を告げ口したものだから大変だ。

「朱天様のお側衆を殺めるなど。恐ろしいおなごじゃ……」
「鍵をかけている訳でもなし、風呂場など誰でも入れます。それに拙が犯人なら自分が疑われる場に骸を捨て置いたりなど致しません」
「鬼の心臓を一握りするなぞ、同じ鬼でもなければ出来ぬ所行……。朱天様、この者は差し出しますので、どうぞご随意に」

 狐の女将は雪之丞の被り物を掴み取る。額から突き出る角が露わとなると、野次馬の口からおおっと声が上がった。配下を殺された鬼の頭目がどう出るか、衆目の視線が集まると、朱天は顔色一つ変えずにこう告げた。

「罪状を吐くまでその小娘を責めよ」
「待ちぃな。よう調べもせんと、決めつけはどうかと思いますえ?」
「庇い立てするなら容赦はせん。むしろ女、そなたが殺めたか」
「そんな訳あらしまへん。昨夜のうちのことは朱天様が一番ご存知やないの」
「だが床入りしてはおらぬ。明け方何処へ行ったのか、俺は知らぬことよ」

 一晩酌をしたものの、口説かれるのをやんわり躱すと無体な真似はしてこなかった。大酒を飲んだはずなのに酔った様子もなく、こちらが酔い潰されそうになる前に部屋を辞した。機嫌を損ねることも深入りするのも危険な相手……そう女の勘が告げたからだ。
 事実、男の黄金の瞳には仄暗い光が宿っている。底知れぬ、澱んだ沼底のような深淵が。

「その湯女を捕らえよ。直々に詮議いたす。女将、座敷牢を借りるぞ」

 朱天の命に狐達が群がり蜻蛉を捕らえた。
 使用人達は皆、部屋で共寝。明け方いないのは朝一番に起きた雪之丞と、その後で戻ってきた蜻蛉だけ。客は誰も部屋を抜け出してはおらぬとくる。嵌められた──そんな予感に雪之丞が口唇を噛む。

「蜻蛉さんではございません。もちろん拙でも……真犯人がいるはずです」
「ならば娘、真の下手人を連れて来い。出来る物ならな」
「雪ちゃん、うちのことなら心配せんでえぇよ」

 だから逃げて──。
 影朧のそんな言葉が聞こえた気がして、雪之丞は奪い取られた手拭いを拾うと必ず見つけだすと誓いを立てた。

●女殺し
「なんやこの茶番。もっと粋なお人かと思うておりましたが……女を口説くのに随分なことをしなはるんね」

 座敷牢では窓もないのに雨音だけが絶え間なく続いている。
 蜻蛉は天井から吊されて白い二の腕と腋とを露わにしながら、遠くなりそうな意識を繋ぎ止めて男に抗議する。
 蜻蛉は気づいていた。狐の女将が一枚噛んでいることを。金を積まされたか脅されたかは知らぬが。でなければ不自然なほど他の者に現場不在証明が成り立ちはせず、この座敷牢を用意されることもなかっただろう。

「さすが俺の見込んだ女よ。靡くように見えても心は容易く折れぬ。ますます気に入った、俺の胎になれ」

 朱天は蜻蛉の煙管を拾い上げ、合わせの緩んだ胸元に火を付けぬままの煙管の先を潜らせる。
 胎、それはすなわち自分の妻となり、自分の子を生めということ。

「大江山の酒呑童子ともあろう御方が、化け猫を孕ませたいとは、えらい物好きやありまへんの」
「素性は厭わぬ。女の過去を問うほど野暮ではないゆえ。だが腕力に物を言わせるのは好かん」
「雪ちゃんを出汁にしたくせに……このいけず。そんなにうちのこと、欲しかったん?」

(うちのことはいいから……。ううん、今そんな事言うたら雪ちゃん怒りはるやろな)
 蜻蛉は巧みな男と女の駆け引きで時を稼ぐ。
 朱天は煙管に火を付け煙を吸い込むと、強引に口付けて蜻蛉の口唇を貪る。絡め取られる舌を伝い流し込まれる唾液には煙の苦み、そして媚薬。男の手が浴衣の裾を割り、内股を這い始めた。

●鬼下ろし
「さあ、こちらへおいでませ。その黒い魂、拙が恨み辛みごと喰ろうて仇を討って差し上げます」

 雪之丞の艶やかな黒髪が瞬く間に白へと変わる。白目は闇の如き黒へ、瞳は血の如き赤へと。
 夜叉──それこそが雪之丞の真の姿。黄泉を流れる川底より生まれし彼女は、生と死の狭間を漂う霊を引き寄せ、喰らってその怨念ごと力とする。
 それこそが雪之丞のギフト『黄泉落とし』──護法神として力、大江山の悪鬼らとは一線を隠すもの。

「貴方は今深い恨みを抱いている。教えてください。貴方を殺めたその恨みの在処を」
『憎イ、憎イ……長ク仕エシ吾ヲ……悲シヤ、恨メシヤ』
「貴方ほどの鬼を殺せるのは──」

 鬼が鬼にしか殺せぬのなら、残る容疑者はただ一人。やがて黒い塊は憎い憎いと言いながら膨れ上がり、雪之丞に纏わり付く。だが飲み込まれたのは黒い魂のほう。
 敬愛する主からいとも簡単に捨て駒にされた悔しさと悲しみが雪之丞の中に渦巻く。と同時に赤鬼の力が細腕に備わるのを感じ取った。

「この恨み、確かにお引き受け致しました」

 雪之丞はそう呟くと、立ちはだかる者共を鬼の力で払い除けながら座敷牢へと向かった。

●子殺し
「来たか、鬼の娘よ。その気高き姿、見紛うたぞ」

 座敷牢へとやってきた雪之丞に言い放ちながら、朱天は蜻蛉の胸元から顔を上げた。内から掛けられた座敷牢の鍵は雪之丞が宿す赤鬼の豪腕によって砕かれている。

「全ては蜻蛉さんを手に入れるための芝居……約束通り蜻蛉さんは返して頂きます」
「ほう、割合に早く気が付いたな」
「何故?」

 答えを知りたかった訳じゃない。だが内に取り込んだものが答えを求めている。
 自分は腹心ではなかったのか。これまでの忠誠は無駄だったのか。悲しみと悔しさを湛えた怨念が煙の如く雪之丞から滲み出て大鬼の影を作り、悲シ恨メシと咽ぶ。

「手下などすぐに手に入る。美しい女もより取り見取り。だが俺が子を生ませても良いと思う女はそうはいない。それにこの女も業を背負うておろう? 如何に一途に想おうと、その身は色を欲さずにはいられまい」

 朱天は自ら付けたばかりの朱痕を見つめて煙管の先で白肌をなぞると、なおも蜻蛉の本性を暴き続ける。
 愛した者の子を孕めなかった、その一抹の後悔が女の性を狂わせ、慈母の顔をして男を貪ろうとするのだと。

「俺ならばその業を祓うことが出来る」
「大層な自信やね。茶番をしかけた上に手込めにしようとしたくせに」
「俺にも業がある。どれだけ種を撒こうが実を結ぶことはない。昔、孕んだ猫を戯れに殺したがゆえにな。子が出来ぬのよ」

 胎の子ごと裂かれた母猫は、死に際子殺しの呪いをかけた。それを解くには猫に鬼の子を孕ませればいい。猫ならば孕んだ我が子を殺すことが出来まいと朱天は言う。

「蜻蛉さんはその化け猫じゃありません」

 桜の霊木で柄を作り、刀身を魔狼の牙で鍛えた刀『桜狼』を手に雪之丞が迫る。怨念籠もる剣撃は重く、刃が躱されるとそのまま蜻蛉を戒めた鎖を叩き切った。
 だが朱天もまた腰の大太刀を抜いて雪之丞斬りかかる。目にも止まらぬその太刀筋は雪之丞の腕を掠め、白い肌には赤い一線。赤鬼が剛ならばこちらは硬軟自在の技に優れた生粋の剣士。しかも相手の得物の方が間合いがあるとくる。近づけば忽ち斬られ、次は首が落ちるだろう。

「うちもこの煙管に口付けた恨み、晴らさせて貰いますえ? 雪ちゃん、構わず戦うて」

 それは大切な亡き人の形見。彼の口唇が触れていたもの。それを奪われ他の男に吸われるなど、想い出を汚されるようなものだ。
 蜻蛉の口唇が護法神たる夜叉を湛える祝詞のりとを紡ぐ。それは雪之丞を回復し、使い手の能力を引き上げる術。次第に雪之丞が数多の妖怪をも怖れさせる朱天を圧し始め、鉄槌を下さんと桜狼を振り被る。

「その業ごと、叩き斬って差し上げます!」
「待って、雪ちゃん」

 トドメの一撃を止めたのは蜻蛉。

「悲しかったんやね、子どもが欲しゅうても出来へんで。愛してはったん? その猫はんのこと。他の男の子を宿すんを許せないほどに」

 手首に戒めの痕を残した蜻蛉が優しく労るように朱天の頬に触れた。悲しみを持つ者だけが悲しみを知ることが出来る。
 陽の色をした鬼の目から、雨垂れのように生暖かな涙が答え代わりに一筋流れた。

●雨上がり
「雪ちゃん、雪ちゃん。此処で寝たら風邪引きますえ?」

 揺すられた雪之丞がハッとして振り返ると、そこには微笑む蜻蛉がいた。

「ついつい気持ちよくなって……おかしな夢を見ていました。宿賃代わりに働かされたり、鬼殺しの下手人に仕立てられたり……そんな夢でございます」

 雪之丞は露を孕んで湿る髪を拭われながら、夢のことを思い出す。
 蜻蛉はいつだって姉のように振る舞い、自分のことを庇ってくれる。だがその好意にいつまでも甘えていてはいけない。蜻蛉のことを大切に思うがゆえに、自分もまた蜻蛉を守りたい。身も心も強くなって、彼女が如何なる業を背負おうとも側で支えてやりたい。

「いつも拭って貰っていますけど。今度は、拙が蜻蛉さんの髪を拭かせていただきますね」
「はいな、その時を楽しみにしときます」
「何かあっても『逃げろ』はなしですからね? 蜻蛉さんを守れるくらい、強くなってみせますから」

 蜻蛉は拭い終えると綿紗を畳椅子の座に置き、真っ直な黒髪を櫛で梳き始める。
 今は肩上のこの黒髪もやがて伸びるのかもしれない。守ってやらなければと思っていた少女も、イレギュラーズとして仕事をこなすことでいつしか強くしなやかに変わりつつある。だけど蜻蛉を慕う気持ちはずっと変わらない、そんな気がする。

「雪ちゃんのこと、頼みにしてますえ?」

 蜻蛉は微笑みながら丸窓へと視線をやる。と、温泉宿を出て行く鬼の二人連れが見えた。
 赤肌の巨漢を連れた大太刀を下げた洒脱な鬼が、視線に気か付いたかこちらを向いて歩を止める。そしてしばし眼差しを眇めて意味ありげな笑みを浮かべると、和傘を畳んで遠ざかる。
 男の薄い口唇は『また遭おうぞ』と、確かにそう告げていた。

「雨が上がりましたね」
「ええ、ほんまに。いい天気やわ」

 狐雨が止むと宿も消え、狐達が逃げ去ると二人は泣き止んだお天道様を眩しく見上げた。

  • 妖綺譚『狐雨の狐宿』完了
  • GM名八島礼
  • 種別SS
  • 納品日2020年03月28日
  • ・鬼桜 雪之丞(p3p002312
    ・十夜 蜻蛉(p3p002599

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