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新たな始まりに花束を
登場人物一覧
世界の危機は、去った。零・K・メルヴィルは屋台の横に折りたたみ椅子を二つ置き、片方に腰掛けてぼんやりと穏やかな午後を過ごしている。
混沌は幻想王都の空は丁度いい晴れ具合。零は長い冬が過ぎ春が徐々に訪れているのを、肌で感じるのであった。
世界の危機は、去った。滅ぶはずであった世界は、今日もあたりまえのように続いている――。
『羽印のフランスパン』と書かれた屋台では、沢山のフランスパンが並んでいる。長い物、短い物。太い物、細い物――味はどんな高級パティスリーにも負けず劣らないと零は自認している。なぜならば、それこそが彼のギフトだから。
誰が食べても美味しいフランスパン。
冠位魔種すら味わった、無限に出てくるフランスパン。
パリパリの皮に、もっちりとした生地。小麦粉の甘味に、ほんのりとした酸味。バターの香りも食欲をそそり、幻想の貴族達や、はては国王の食卓にまでのぼるとかのぼらないとか。それらを自由自在に生み出すのが、零のギフトだ。
とはいえ、彼のパンは高級品ではない。
混沌に転移したばかりの頃、飢え死ぬ直前だった瞬間――ギフトが発現する直前まで味わっていた苦しみと恐怖を他者に味わわせたくないために、零は安い値段で――時に、無料で美味しいパンを人々に渡す。
古着姿をした貧民層の少年が、一抱えもあるフランスパンを幸せそうに持って帰るのを見た。
全てに飽きた顔の貴族が、フランスパンを一口食べて生きる希望を取り戻したのを見た。
零はそのたびに、幸せを感じた。
飢えとは、物理的な物ではない。精神的な物でもあるのだ。いくら食べる物があろうとも、満たされない物は、満たされない。逆に、手にしたパンの香りで、重さで、存在で、――それだけで、満たされることもまたあるのだ。
それこそが零のギフトのありよう。満たす、ということ。
そして、ギフトによって皆が満たされているのを見るたびに、零もまた満たされるのであった。
と、ふと。
ふわり、と林檎の香りがする。甘酸っぱくもふくよかな、赤く瑞々しい冬の実り。
「来たんだな、師匠」
零は顔を上げる。いつしか目の前の折りたたみ椅子には紫衣の麗人が腰掛けていた。絹めいた銀の髪が、風に揺れる。極めて長いその髪は決してもつれることがないように見えた。ソレは整った唇を細い月のようにして笑み、
「商売繁盛で何より」
などと、零に声をかける。ヒヒ、と笑う様は怪しげだが、零にとってその麗人――武器商人は、信頼出来る師であった。
「今、ちょっと店を休みにしてくる」
そう言って、零は立ち上がり、屋台へ向かう。
「師匠、紅茶とコーヒー、どっちを飲みたいか教えてくれ」
「それじゃあ、紅茶にしようかねェ」
この天気ならミルクも添えて――。師のリクエストを確認し、零は屋台に備え付けた簡単なキッチンに向かうのであった。勿論、休憩中と書かれた札も忘れずに表にした。
「ああ、いい香りだねェ」
二人は向かい合ってミルクティーを飲む。まるで喫茶店で出されるかのようなティーカップからは、甘味を帯びた香りと、温かな湯気が立っている。本当は紙コップしかなかったのだが、魔法のように武器商人が磁器のティーカップを二組取り出した結果、蔓薔薇が描かれたティーカップを片手に、優雅なティータイムとあいなったのであった。
「いい葉に紙コップでは味気がない。そう思うわないかい、零」
「全く、反論も出来ないな……」
夏には混沌のどこかで、薔薇の花も咲くのだろうと零はふと思う。破滅の宿命に従ったままでは決して咲くことのなかった花が。それを見て、様々なひとが笑い、幸せを味わうのだろう。もしくは、今ある幸せの不思議を――日常があたりまえのように続いていることを、既に忘れているのかもしれない。それはそれで、贅沢な幸せだと零派思う。最終決戦が終わっても、人生は続くのだ。パンを食べたり、紅茶を飲んだり、誰かと語らったりして。死ぬまでずっと。
「師匠は、今までずっと何をしていたんだ?」
「興味があるのかい? 何時も通りだよ、サヨナキドリの『来客』も多いこと多いこと……」
にんまりとうかべる笑みは、何らかの含みを持たせている……零は師匠の顔を見た。その瞳は、髪に隠れて見ることが出来ない。捉えどころのない師匠だと、零は思う。
「『来客』って俺が修行の一環として対峙した暗殺者やら間者やら盗賊やら、あの手の類いじゃあ」
「あー、それもあるねェ?」
やっぱりか、とおもう。あの時の戦闘は非常に後の役に立ったが、それはそれとしてまだ自分は人間だ、と思い知らされたのであった。
師匠の助けで、長命を得ても、力を得ても。
それでも――。
「唐突な話だけど、師匠、俺、頑張ったと思う。いやマジで」
ティーカップを優雅に持ち上げていた武器商人は、おや、という風に零を見た。
「あんな奴らと戦って、生き延びて。最終決戦まで到達出来たパン屋なんて、ほかにはいないだろうし――実際、それなりには強くなったんじゃないか、って」
死んだ奴らもいるし、と零は思う。全員が全員帰還出来たわけではない。それでも、零は生きている。
「ほんと、俺としてもマジで頑張った……」
そう語る弟子の姿を、師匠は見ている。
「へえ、それで……修行の具合はどうなんだい? 確かにキミは生き伸びた。だけど、
強欲な性質のソレが、髪の毛越しに零を見つめた気がした。零の背すじが伸びる。
「それなりに強くなったことは認めようか。今ならあの時の二倍の――
六対一、と付け加える武器商人。
「さすがにそれは、無理――」
「最終決戦を生き延びたのに、かい?」
分身込み三名の武器商人と、文字通り生きるか死ぬかの訓練を行ったことを思い出す。死の瀬戸際で足掻き続けた零に反し、武器商人は舞い、遊ぶかのように優雅に攻撃を繰り出していた。
すました調子で紅茶を飲む武器商人の前で、ミルクティーの薄茶色を零はながめる。
「今後も怪物に野盗、悪党の類いは欠かないだろうし」
「その通りだな、師匠」
そう、破滅が去ったとは言え、全員が全員善良になるなんてことはない。犯罪は起きるし、怪物達は今日も元気だ。
貧困がなくなったわけでもないし、悪意も消え去ったわけではない。それは人が人である以上、常に戦っていかねばならぬ問題だ。
「……これからも、よろしくお願いします」
だから、零は頭を下げる。深々と。
「宜しい。それじゃあまずは四体からかねェ……ヒヒヒ!」
昔話の魔女めいた笑い声をあげる武器商人に、今度は何をされるのか、と覚悟をしながら。
紅茶は二杯目、今度も温めたミルクをたっぷりと。
お茶請けもないのも問題か、と零はイヌスラパンを武器商人に渡す。おや、相変わらず可愛いねえ、などと武器商人が言いながらパンを割れば、中からもっちりとろとろとしたカスタードクリームがあふれ出す。武器商人はそれを指で少し拭い、悪戯っぽく口にする。まるで無邪気な少女がするように。
「それで、目標の方はどうなっているのかい?」
「故郷と混沌を“行き来”すること……は、まだ、目標のままだなー。どうにかしたいもんだが」
「帰らないのかい、零」
混沌肯定らしき妨害の一部が消えた後、シュペル・M・ウィリーが召喚された者達を故郷に帰す手段を与えた。だから、実質零は故郷に帰れる。
だが、しかし。
「あくまで、帰る手段だけだろう? また混沌に戻ってこれるとも限らない。そもそも、嫁を置いていくわけにも行かないし」
「おやおや、ごちそうさま」
長命種の妻と結ばれた零は、自身も彼女と同じ時を過ごせるように、武器商人に頼んだ。それを知っている武器商人は、クスクス、とからかうような笑い声を、わざとしてみせる。
「……師匠……」
顔を赤くする零。
「ほらほら、仲良きことは素晴らしきかなと言うだろうに……とにかく、“行き来”の方法を調べたい、ということだね」
「そうなるな。俺以外にも、そう言う奴らはいると思うし」
遙かなる多元世界。零は数多の故郷が違う者達と出会った。実際目の前の武器商人も、他世界から来た存在だ。
「行き来出来る方法が見つかったら、そう言う奴らの役にも、立てると思う」
「キミは相変わらずイイ子だねえ……撫でてあげたいくらいに」
遠慮しておく、と目をそらす零の様子を、師匠はまた、ヒヒ、と笑うのであった。そして、
「それなら、儀式魔術や多元世界の知識を学ぶのも、必要になってくるねェ」
指折り数え、何かを考える武器商人に、零は、
「確かに、“行き来”を考えるなら原理だけでも知っといた方がいいかぁ」
成る程、と考え込む。やり方を知ると知らないとでは、物事を理解する速度も天と地ほど違うだろう。フランスパンと同じである。ギフトで出るとは言え、美味しいパンの焼き方を、成り立ちを、その味を知るのが大事なのだ。
「そう言うコト」
武器商人は空になった紅茶の底を見る。
「茶葉にもその方が良い、と出ているし……元々キミの目標については、
次の言葉に、零は目を丸くする。
「研究室でも、持ったら?」
さらっと、新しい服でも買ったら、とでもいうように師匠はのたまうのだった。
「だって土地が」
「あるだろうに、領地」
「いやそうだけど、それはそうだけど、それでも!」
「慌てると何時もキミは可愛くなるねェ?」
ミルクティーを一気に飲み干し、零は動揺をごまかす。囁く武器商人の声は、あまりにも甘く、意識が揺れる。林檎の香りが強くなる。零はこめかみを押さえ、呼吸を整えた。
「真面目な話、領地に研究所を構えると、皆にパンを売りに行けなくなるだろ。販売ルートは作っているけど、直に売ってもいきたいんだ。そうじゃないと届かない奴もいるだろうし」
例えば飢えている人等――、自分の目で見ないと分からないこともある、と零は告げる。
一理ある、と武器商人も考え込む。
「それじゃあ、王都に……とかでも違う?」
「魅力的だけど、それでも違うんだ」
「パン屋兼研究所とか」
「それも、それも魅力的だけど……せめて研究所も移動出来たら、考えなくもないけどさ」
武器商人がちらり、と零の屋台を見た。練達製の高性能な屋台である。どれだけ移動しても壊れなさそうな、丈夫な屋台。
「ふぅむ。シンプルに壺中天でもつけるかい? 個人用の小次元界を……いや、混沌肯定が変わったとはいえどう機能するかは分からないねぇそれは……」
楽しげにしている武器商人に零は声をかける。何か壮大なことを考えているぞ、と内心焦りながら。
「いや、そんな凄い物は求めてないから!? 払える物もないし!?」
「対価に何が相応しいかは、
武器『商人』の名に恥じない強かさの片鱗を見せながら、師匠は話を続ける。
「ふぅむ、じゃあ、こうしよう。キャンピングカー等はどうかい? と言ってもただのキャンピングカーじゃあない。屋台の代わりにもなるし、居住も可能。勿論研究室も付いている……可愛い『奥さん』を連れて各地を回るのにも、ぴったりだと思わないかい?」
妻との旅行。そのイメージに零の心は躍る。平和になった世界を、二人でゆっくり回るのはさぞ楽しいことだろう。だが。
「そんな多機能な車となると――巨大な物になりそうだな……」
頭の中で二トントラックが通過する。それですめば良さそうな気さえしてくる零であった。
「おやおや、お忘れかい、可愛い弟子や。ここは剣と魔法の世界『でもある』混沌だよ? 神秘の技術にも事欠かない。練達の超技術もある。空間を歪ませて、車内を見た目よりもほんの少しばかり広くする、ということだって、不可能じゃないはず――だろう?」
魔法の車、と聞いて再び零の心が躍る。それに乗って、妻と世界を巡り、人々の腹を満たすというのは、悪くない考えに思えてきた。
「それで、お値段はおいくらほど……」
世界を救ったとはいえ、零は億万長者ではない。とはいえ、この商人の要求する『対価』は、金貨などではないことの方が多いのだが……。むしろその方が厄介であった。
「それは、追々と話そうとしようか。安心おし、『払える』物にするから」
にんまり、武器商人は笑んだ。
零は空を見る。そして、時計を見た。そろそろ人が増えてくるおやつ時だ。
「そうだ、師匠」
「何だい、零」
零は、笑みをうかべる。上手く出来るだろうか、という緊張を込めながら。
「師匠に渡したい、というか見せたい物があるんだ。ほら、色々と世話になっていたからな……」
イメージは出来ている。練習でも成功した。だから、絶対に上手く行く。自分に信じ込ませる。
(絶対に上手く行く。いや、上手くいかせる!)
「何だい? 花束でも用意したのかい?」
武器商人のからかうような声が、背中を押す。
「師匠は俺に戦う力と、大事な人と一緒にいるための時間をくれた」
「そう言う約束だったからね? 続けて」
「魔術も、武術も、まだまだ伸ばさなきゃいけないところは多いだろうし、そう言ったらパンだってそうだ。もっと上手く焼けるようになりたいし、出せるようにもなりたい。だけど――」
零は念じる。何時ものように。人に与えるための、パンを。
しっかり堅くて、でも皮はパリパリ。中はもちもちで、小麦とバターの美味しい香り。味はどれだけ食べても飽きない美味しさで――。
「おや、これは」
武器商人は零の手元で出来上がるそれを見ている。ギフトで生み出されたフランスパン、それは確かだ。しかしそのフランスパンは一本の茎から分かれるようにして、様々な枝を伸ばし、花を付けていく。バゲットから、フリュート。それからさらに細いフィセルへ至る。そして、最後に一つ、枝先に大きな実が、現れる。林檎をイメージした、丸い小形のパン。
――林檎の枝、と武器商人は呟いた。
「師匠は林檎が似合うから、作ってみようとあれこれ頑張ってみて。俺からの感謝の気持ちってことで」
武器商人の口元が、可憐に微笑む。何時もの妖しい人を食った笑みではなく、純粋な喜びを表す笑みになる。
「おや、これは素敵な『花束』だ」
「変わった物でも、日持ちのする物でもなくて悪いけど、味は何時も通り自信作だ」
「ありがとう、零。キミは本当に、イイ子だねえ。本当に、素敵な魔法だ」
武器商人は、フランスパン製の枝を受け取る。
「改めて、これからも、よろしくお願いします、師匠。これからどれだけの付き合いになるかは分からないけど」
「聞いていなかったのかい。後数十年はいるつもりだよ――」
まだまだ師弟関係は続きそうだ、と二人は笑う。
一人は屈託なく、一人は不思議をたたえて。

おまけSS『今度の師匠は四体で来る』
ガントレットを構え、零・K・メルヴィルは間合いを取る。目の前にいる武器商人――彼の師匠は四人。どれかが本体で、それ以外は外れの分身だ。前回は三体、今回は四体。これでも前と比べて実力は増したはず、という期待は最初の一瞬で砕かれた。そう、自分が強くなっていたなら師匠も強くなっていないはずがない。むしろ、前回だっててある種の手加減が存在した可能性すらある。
艶然と笑む紫衣の麗人は、四体とも細い指に扇を持っている。今日はこれを使おうか、と、無造作に取り出された扇は香木の甘い香りを漂わせているが――。
(本当に木か?)
と思いたくなるほどの硬度を持っていた。なにせ、斬り落とそうと投射した零のフランスパン製刀が跳ね返されたのだ。それどころかフランスパンの刀は、やすやすと切り裂かれ、地面に落ちた。扇の一振りで、あっけなく。
舞うような動きは把握しにくく、扇は攻防一体の武器であると言うことをいやがおうにも把握させられる。
「ヒヒ、どうしたんだい? 足が止まっているよ」
二体に踏み込まれ、飛び退く。防戦一方だが、攻めるチャンスが見つからない――。
青年の修行は、まだまだ続きそうであった。