SS詳細
愛しき君と、永久に
登場人物一覧
混沌世界を巡る最終死闘。
数多の意志がぶつかり、生と死が吹き荒れ、それでも人は――勝利を得た。
かの戦いは英雄譚として今後も語り継がれる事であろう、が。
今は、その話は脇に捨て置こう。
世界の命運。神話の如き闘争。華々しき英雄譚……
そんなものよりも大事な一時が――『二人』の間にはあるのだから。
「ハリエット、この本はこっちの本棚側で良いかな?」
「うん大丈夫。ありがとう、ギルオスさん」
ある日の昼下がり。
穏やかな日差しが窓より差し込まれる部屋の中にギルオスとハリエットはいた。
此処は彼女の自室だ。先だっての戦いの折、彼女は激闘の最中に身を投じ生還こそしたものの……流石に負傷は免れなかった。放たれた銃撃の悪意。そう――度々ハリエットを狙っていたヴィッターによる一撃によって。
ハリエットの世界の知古であり、同様に旅人であった者。
世界の趨勢などどうでもよくハリエットの命を狙い続けた者。
……彼の言葉は、意志は。まるでどこまでも食らいつく魔弾のように執拗であった。
だが。
――行ってきます。
――あぁ行ってらっしゃい。
ハリエットは生きて戻って来た。
『行ってきます』と告げて、そうしてちゃんと戻ってきたのだ。
過去の縁に囚われず。過去のしがらみを振り払い。過去の『罪』が追ってきても……
それでも『生きたい』と願う――未来を見据えていたから。
戦いの最中、護りの石に灯ったほのかな光を思い起こそうか。
あぁ本当に。無事に戻ってこれてよかったと。
――だけど。
(そういえば)
まだだ。まだ解決していない問題が存在している。
いや問題というと少し意味合いが異なるが。
ハリエットにとっては重大極まるものだ、つまる所。
(あれは、どうなったかな)
告白の返事の事だ。
先日の世界規模の戦いもあって棚上げとなっていたが――知りたい。
強要する気はない。だけれども知りたいのだ。
胸の奥で燻ぶるような想いがある。これをなんと言うべきか……焦燥か、不安か、それとも期待――? 全てが入り乱れ混じる、とても一言では表せぬ感情の渦がある。
肩を負傷した為に私室の片付けの手伝いに来てくれたギルオスの背を見つめよう。
この人は、どう思っているのだろうか。
この人は、どう応えて――くれるのだろうか。
と、その時。
「よし、と。これで一段落したかな――そうだハリエット。少し、外に出かけようか」
「え、あ。うん、そうだね。外の空気を吸いに行こうか」
ギルオスは微笑みながら言を紡ぐものだ。されば、少しばかり思考に耽っていたハリエットは虚を突かれたような声色が一瞬生じよう――『今の、聞かれたかな』なんて想いが胸中に過るものだが、さて。ギルオスの表情からは窺えぬ。
この人はいつもそうだ。
温かな微笑みがあって、でもだからこそ『壁』もどこかに感じていた。
最後の一線だけは近寄らせないような――そんな印象を。
――歩く。幻想の街中を。
されば、ふと。
「あっハリエット、見てごらんよ。ほらここは……初めて出会った所だ」
ギルオスが、指差しながら告げた。
その方向を眺めれば――あぁここは。
「覚えてる? あの日、此処に座り込んでた君がいたんだ」
「勿論。忘れる筈がないよ、あの時のサンドイッチの味も……覚えてる」
「ははは、懐かしいね。あの頃のハリエットは今とは全然違う雰囲気だ」
「ま、まだこの世界に来て日も浅かったしね」
想い出が、溢れて来る。
薄暗い路地裏だ。幻想の中でも、なんて事のない平凡な一角。
だけれども二人とっては思い出深い地……
此処から始まったのだ。此処から全てが変わり始めたのだ。
瞼を閉じれば思い出す。あぁ――
「今まで色んな事があったね」
「――うん」
「君が情報屋を目指す事になって、仕事の手伝いもしてもらうようになって」
「うん」
「あちこち出向いたり……あぁ私用でもよく会うようになっていったよね」
「……うん」
「この前のファントムナイトでは一緒に衣装を着込んで、あっ。
あの時はお菓子がなくて悪戯されたかな」
「う、うん。でもギルオスさんだって悪戯し返したよね」
「そうそう、本当に楽しかったね――
そうしていたらシャイネンナハトの時期にもなってさ。
パーティから抜け出したり、夜景の見える所に行ったり……
君との触れあいは、いつだって瞼の裏に残る想い出ばかりだ」
「うん。私もだよ」
「ハリエット」
「うん?」
流れるように紡がれ続ける言――
かつての想い出を語り往く、その狭間に、て。
「僕は君が好きだ」
刹那に放たれた言葉は、はたして。
どれ程の虚を突いたものであったろうか
先の比ではない。何を言われたのか一瞬分からなかった程の衝撃――
「ぇ、あ――」
それは。仕事上のパートナーとして、という意味ではなく。
純粋に一人の女性として。
「君の事が好きだ。僕と、これからも一緒にいてくれないか」
「――――」
「僕はずっと怖かった。誰かと距離を狭める事が」
ハリエットは知っているだろう、ギルオスの過去の話を。
誰も彼もが手の平から零れていく。誰も彼もが失われていく。
かつての世界の友や好いた者は皆いなくなってしまったのだから。
それぐらいならばもう誰とも一線を画しておく方がいい――
「イラス、っていただろう。僕の昔の知り合いだ」
「いたね、ヴィッターさんと一緒にいた……」
「うん。あぁ念のために言っておくと、それなりに親しい仲だったけど恋人ではなかったよ――でも。彼女が失われたと思った時、本当に心に穴が開くような気持ちが生まれた」
もしもまた親しい仲の者が失われたら耐えられないだろう。
だからハリエットだって同じだった。距離を取っておこうと、そう思っていた。
「だけど君は約束を守ってくれた」
「……帰って来るって、ね」
「うん。でも最後の戦いに赴く時。
正直言うと不安が……やっぱり拭えないものがあったんだ」
もしかすれば『また』失われてしまうのではないか。
結局帰ってこないのではないか――僕が願った者は皆死ぬ。
最早『ソレ』はトラウマなのだ。隣人の喪失はもう嫌なのだ。
閉ざした願望。二度と開くまいと誓った心の壁――だけど。
「君が、ちゃんと戻ってきたくれたから」
もう一度だけ、欲が出た。
「もう一度だけ、人と触れ合いたいと――思ったんだ」
君が僕の心の壁を溶かしてくれたから。『暖かな子』だと思った君が。
「だから気持ちを伝えようと思ったんだ。此処で。
初めて会った場所で。僕達の物語が――始まった場所で」
「――ギルオス、さん」
ハリエットの、心臓の鼓動が跳ね上がり続けている。
止まらない。世界の全ての音が聞こえない。意識の隅にも入らない。
ただ己の心の臓と、ギルオスの表情だけが――瞳に映る。
――私は絶対に、死なない。どんな場所に行っても絶対帰ってくる。
強い決意が。強い意志があった。絶対に果たそうという願いが。
「あの、ね。ギルオス、さん」
口の中が渇くかのようだ。だけれども彼女は絞り出そう。
「私ね……帰って来る、っていうのはちょっと変わったかな」
「うん?」
「あのね――いつの間にか、ギルオスさんが私の帰る場所になってくれていた」
この世界に来た頃、自らは孤独の中にあった。
知り合いがいない、知っている世界ではない……そういった新世界に対する心の動揺だけではない。何より誰にも心を許していなかった頃だ。どれだけ雑多な人々の中に存在していたとしても、己は只一人であった。
だけど、そう。いつの間にか……
貴方の居る場所が、私の居場所になった。
だから。受けて入れてくれるというのなら。
もしも。もしももう少し願っていいのなら。
迷惑じゃなければ――
「私も……これからも、ずっと、ずっと……一緒にいたい」
「――違うよハリエット。これからもずっと、ずっと。『傍に、一緒にいてくれ』」
『いたい』という提案ではなく。
『いてくれ』という強き願いであろう、と。
言葉と共にギルオスは彼女を両の腕で――包み込む。
それは抱擁。強くはなく、優しく……暖かに包み込むような一時。
ハリエットもまた抱き返そうか。さればそれは互いの承諾の意志。
一拍、二拍。
互いの心臓の音色が交じり合う距離の中で。
心通じ合う証左の一時は――刹那のような。永遠のような感覚であった。
そして、見つめ合う。
互いに。言の葉は交えずに、しかし意志は通じ合い。
――ゆっくりと。重ね合うは口元の影。
目の奥に宿る熱を感じれば、一筋の雫が出でるものだが。
それは悲哀ではなく至福であればこそ。
やがて。どちらからともなく離れあえ、ば。
「――ハリエット、今すぐでなくていいんだけど……今度から一緒に住まないか?」
「――いいの?」
「勿論だ。大歓迎だよ……あ、でもそうなるとどっちかの家を引き払う事になるのかな」
「私はどっちでもいいよ、私がギルオスさんの家に行っても。
……あれ、でもそうなると今日の片付けの手伝いが無駄になっちゃうかな?
また整理し直さないと。引っ越し用にね」
「――しまったな。その辺りの事を全く考えてなかった。君に想いを伝えようとは思ってたんだけど、実はね、今日そればかりに意識が行っててね……細かい所まで考えていなかった」
「珍しいね、ギルオスさんにしては」
「はは、正直ねずっと緊張してたんだよ。
僕だってそう、なんというか……こう見えて一世一代の決心だったんだよ。
正直今日、ちゃんと言葉に出来るかも割と不安だった」
ハリエットからすればギルオスは頼れる大人に近しい人だった。
だけどそんな彼もまた、一人の人間。
……いや。やっと一人の人間らしい所を見せてくれたというべきだろうか。
まぁ、なんでもよいか。互いの不安は消え去り、そしてだからこそ。
「これからゆっくりと、時間はあるよね」
「うん――これからずっとずっと時間はあるから」
「じゃあ一度、戻ろうか。僕達の家に。
――この前貰った君からのこの手帳に、これからの道筋を刻んでいこう」
ギルオスが取り出すは一つの手帳。
ハリエットから貰った――終焉を越えた先にある、新しい日常を刻む為のものだ。
心が、温かい。安堵する充足感に包まれている。先の、胸の奥で燻ぶるような感情はどこぞへと消え失せてしまった――頬を伝る一筋の雫を指先で払い路地裏から出でんとしようか。
と、その時。
「――ぁ」
ふと。何かの気配を感じて、ハリエットが路地裏を振り返ってみれば。
一瞬。まるで陽炎の如く――『かつての己』の姿が見えた。
路地裏に座り込む、誰をも信じてはおらぬ精神を宿す己の幻影が見えたのだ。
それに特異たる意味はない。言うなれば錯覚の類だ。
もしもあの時、彼と出会わなかったら――今もあのように生きていたのだろうか?
生じえなかった道筋の事は分からない。だけど。
「――ばいばい」
ハリエットは、静かに告げようか。
さすれば陽炎は彼女の世界から消える。正に一瞬、夢幻の如く。
過去を忘れる訳ではない。過去を捨てる訳ではない。
それでも未来を見据えて生きていくと――決めたから。
「どうしたの、ハリエット?」
「ううん、なんでもない――ね、ギルオスさん」
私、幸せだよ。
差し出される手。その指先へ、己が意志を重ねよう。
これから先、如何なる未来が紡がれるかは分からない。
だけどきっと、自らは、もう。
あの瞳と同じ色を宿す事はないだろう。
信じられる人を見つけたのだから。信じられる人と共に歩んでいくのだから。
――愛してる人と、共に往くのだから。