PandoraPartyProject

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ハッピーエンドの先で愛睦まじく

登場人物一覧

ヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)
人間賛歌
ヤツェク・ブルーフラワーの関係者
→ イラスト


 世界は平和になった。ローレットと特異運命座標は世界を救ったのである。
 聖女のいなくなったこの世界でも、シャイネンナハトは変わらずに過ごされた。
 ヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)が目覚めたのはそんな平和になった世界の一角である。
 窓から差す日差しは花瓶に咲く花を優しく照らしている。
「ん……んん?」
 日差しのまぶしさに小さく唸って瞼を開き、ゆっくりと上半身を起こして隣に手を置いた。
 程よい反発を残すベッドと心地よい手触りのシーツが掌に触れる。
「……もう朝か」
 ゆっくりと体を起こしてヤツェクは一つ息を吐いた。
 まだ判然としない意識で辺りを見渡してゆっくりと起き上がる。
(今日は一段と冷えるな……)
 朝の支度を一通り終わらせてリビングに顔を出す。まだほんのりと温かい空気が残るリビングは誰かが先程までいたことを示していた。
「ヘレナ?」
 ヤツェクの問いかけに答えは返ってこなかった。
 静まり返った家の中でほんのりと遺された暖かな空気だけが彼女の存在がここにあったことを示している。
 彼女の自室、書斎、洗面所に風呂場、居そうな場所を探してもやはりどこにもその姿はなかった。
(……外に出たのか?)
 靴を履いて外に出た。冷たい外気がヤツェクの身体を呑み込むようにあっという間に全身を包み込む。
「雪が積もってる……どおりで冷えるわけだ」
 はぁと吐いた息が白い靄になって空気に溶けていく。
 雪に覆われた足元には足跡がひとつ、家の外に向かって続いている。


 家の施錠を済ませたヤツェクは足跡を頼りに雪景色を進んでいた。
 時折に話しかけてくる人々の中にはアーカーシュの開拓民だけでなくヘレナを慕って移住してきた者達もいた。
「ヘレナ」
 見覚えのある後ろ姿。老若男女を問わず数人に囲まれるその人の名を呼ぶ。
「ヤツェク様、おはようございます」
 いつもの嫋やか微笑みを浮かべて彼女がヤツェクの名を呼ぶ。
 囲んでいた人々がささっと離れていく。
 唯一その場を離れなかったのはヘレナの膝の上に座っている子供だった。
 否や、子供――と言うにも幼すぎるか。
 華奢な女性がそっと抱く赤子はヘレナをまるで母と勘違いしたかのように安らかにすやすやと眠っている。
「その子は?」
「あっ、あの、その子は私の娘なんです。奥様が買い物の間は預かってくださって」
 そっとヘレナに上着をかけてやってから、そう問いかければ、割って入ってきたのはまだ年若い女性だった。
 すやすやと眠るその子と同じ赤毛の娘だ。
「買い物は終わりましたか?」
 優しくヘレナが言った。若いその娘は恐縮しきりな声で「はい、おかげさまで……」と小さく呟きながらに言う。
 ヘレナはヤツェクの領地に移り住んできてからよくこういうことをしていた。
 それは事によれば元敵国の貴族の出である彼女なりの処世術の様なものなのか。
「ふふ、それならば良いのです」
 そう微笑むヘレナの膝の上で眠る我が子を母親が抱き上げてぺこぺこと頭を下げる。
 ヘレナの周囲にいた人々は人々でそのままばらばらと解散していく。
「彼女の夫は鉄帝軍に属しているそうですよ。それで今は長期の出張に出ているそうです」
 すっかりと誰も居なくなった後、ヘレナがこちらを見上げて言う。
 世界は平和になった。それは混沌が滅びなかったという極限的なスケールの話であり、こまごまとした賊だの魔物だのは健在だ。
 ローレットでも変わらずそういった問題への対処は行われているし、各国だって各々に各々の思惑で動いていることだろう。
 それも含めて『平和になった』というのだろう。
「そうか……なぁ、ヘレナ」
 子供は欲しいのか――ヤツェクはそんな台詞を口に出しそうになった自分を何とか抑え込んだ。
 かなり改善されたとはいえ、病弱で華奢な彼女には子供を作ることは難しい――だが、養子なら迎えてもいいのではないか。
 ヤツェクと結婚したことでヘレナは幻想貴族としての立場を完全に捨てた。
 改易されたオークランド家が復興されることは二度とない。
「ヤツェク様」
 微笑みながらにヤツェクの名を呼んだ彼女は街並みに視線を移す。
 ヤツェクの領地はそれほど大きなわけではない。やろうと思えば領民全員の顔を記憶できるのだろう、きっと。
 開かれている市場、行きかう人々の姿は見慣れた景色に違いない。
「子供はいいですね」
「あぁ……」
「ですがもう養子は不要のように思うのです……わたくしの養女は、あの子だけでいいという我が儘かもしれません。
 けれど、きっと。もっとたくさん我が子のように思える子供達がきっとできるのだと思います」
 緩やかに微笑むまま、ヘレナはそう言った。
「本当にそう思うか?」
「えぇ――きっと。ヤツェク様が開く私塾の生徒達は、わたくし達にとって子供のようなものですよ」
 震わせた声にヘレナが微笑みながら立ち上がる。
 そっと彼女の手を取って帰路に着く。
「開校まであと数日ですね。開校したら忙しくなるのでしょうか」
 そっとヤツェクに寄り添うように半歩近づいたヘレナが言う。
「どうだろうな、正直開いてみないと分からない」
「ふふふ、ローレットのイレギュラーズが開く私塾ですから、もしかするとたくさん来るかもしれませんね」
 どこか悪戯っぽくヘレナが笑う。
 イレギュラーズとしての一線を退いて、私塾を開くのがヤツェクの願いだった。
 ヤツェクとしては共に戦って散っていた仲間達の墓とアーカーシュの発展を見守りたいと考えていた。
 決戦が終わって、彼女の下に赴いたヤツェクの決断を、ヘレナはいつもの微笑みで肯定してくれたのだ。
 あの日のことを、ヤツェクはふと思い出す。


「私塾を開くのですね」
「あぁ、これから神々のような英雄ではなく、地に足の付いた人間の時代だと思う」
「まぁ――そうなのですね」
 ヘレナはそんなヤツェクの言葉に目を瞠って驚いて、そうして拗ねたようにそう言った。
「わたくしはてっきり、第一線から退いて共にいる時間をたくさん作ってくださるためにかと思いましたのに」
 そっと目を伏せて視線を背けたヘレナに、思わず言い澱んでしまったヤツェクを彼女は「冗談ですよ」と揶揄うように笑ったのだ。
 世界の滅びこそ無くなれど、ローレットとして第一線で戦うのなら死ぬ可能性はゼロではない。
 そうならないようにではないのだと、そんな風に拗ねたように笑って。けれどそんなものは冗談にすぎない。
「わたくし、少し心配です」
「心配というと?」
「ヤツェク様がちゃんと子供達の先生を出来るのか、少しだけ心配です。
 ヤツェク様は人に勉学を教えたことは? 勉強をさぼろうとする子供の面倒を見たことは?」
 頬に手を当て、切なく溜息を吐いた彼女にヤツェクが口を出そうとすると、「ですので――」と彼女が微笑み続けるのである。
「わたくしも、本格的に鉄帝に移り住んで、ヤツェク様の妻として共に私塾を営もうと思います。
 こう見えても、実家やオークランドにいた頃は私塾のようなものを開いていたことはございます。
 出歩くことの難しいこの身ですから、自宅で出来るものを、と」
「着いてきてくれるのか?」
「えぇ、もちろん。愛する方がそう望むのですから」
 そう微笑む彼女を抱いて、自然と幾度目になるか定かならざるキスを交わしたのだった。

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