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エルマー・ギュラハネイヴルの話
登場人物一覧
Ⅰ.
やあ、おはよう。
目覚めた君は何がなにやら分からない、といった顔をしているね。
無理もない。まずは私が誰なのかという疑問から答えよう。
私はエルマー、月光蝶々の魔女エルマー。疑うのなら『森に棲む魔女連』にでも問い合わせてちょうだい。
もっとも本当に問い合わせてしまった場合、生命の補償はできないけどね。
ビックリしたかい?
僕は魔女のなかでも比較的良心的な方だけど悪戯も大好きでね。1日のうち12時間は温厚でいようと心がけているんだけど、無防備な相手を目にすると、ついつい、からかいたくなってしまうんだ。
それにしても君はとても幸運な妖精だね。
ここは僕の大切なおうちで、そして僕のかわいこさんのふるさとでもある。
そんな場所で目覚める事ができたのだから幸運だよ。
余計に混乱した顔をしているね。
そう焦ることもない。自分が何者かだなんて、後からついてくるものだ。今はゆっくり周囲について知っていけば良い。
ん、魔女とはなにかって?
目覚めたばかりなのに、なかなか鋭い質問だ。直感は魔女に欠かせない要素の一つだから忘れないでいてね。
それじゃあ、僕が知っているなかでも、とびきり素敵で怖くて優しくてフワフワな魔女のお話をしてあげよう。
前は時間を忘れて魔女連の会合が終わらなかったから注意しろって?
分かってるよ。おっと紹介が遅れた。僕の使い魔、月光蝶々たちだ。
最近小言が多くて参ってしまうよ。暇すぎるのも考えものだ。
いけない。お茶を出すの、忘れてた。楽しい話には飲み物とお菓子が必要っ。
ココアにホットミルク、ハーブティーはミシェルの庭からくすねたとっておきがある。これは後日アップルパイと一緒に出すことにしよう。
お砂糖はポットのなか。スプーンとフォークは引き出しに。おっと、ジャムケーキとジンジャークッキーを忘れないで。焼きたては一味違うんだ。
では、そこの砂時計をくるりとひっくり返して。
ちなみに魔女は、このポットからたちのぼる紅茶の湯気によく似てるんだ。
見えるし、干渉もできる。けれど捕まえることは難しい。
魔女は紅茶やカフェオレの湯気のなかに隠れていることもあるし、月光花の影や忘れられた抽斗の裏側なんかに住んだりもするんだ。
世界のすみっこや裏側を見つけて、そこを上手に利用している連中を魔女と呼んでいるだけなのさ。
だから、この世界にはたくさんの魔女がいて、毎日へんてこな魔法薬を作ったりまっしろなお庭でお茶会をしたり忙しくしているんだ。
さて、前置きが長くなってしまったね。いよいよ僕の可愛い綿毛ちゃんの話をするとしよう。
Ⅱ
2月の初霜ちゃんはとっても偏食家だった。
放っておくと新芽や水辺の苔しか食べないから、いろんなものをバランスよく食べさせるには苦労をしたものさ。
新月の夜が千を超えた頃、ようやくポリッジを匙で掬うようになってくれた。
お風呂がキライだと判明したのもその頃だ。
魔女仲間にはあの子鹿が哀れだから気まぐれに生き物を拾うのは止めろと叱られたよ。
責任を取る気もないのに手をだすのはよくないってね。失礼しちゃう。
実際、気まぐれで助けたようなものだったから何も言えなかったけど。
ヒースの茂みと同じ大きさになった僕の猫柳ちゃんはとっても甘えん坊な子に育っていった。
蹄で描いた紅葉の絵。虫食いどんぐりのネックレス。朝食の代わりに真っ黒こげのパン。
全能の魔女だって最初から万能だったわけじゃない。一緒に暮らして知らないことがどんどん増えていった。
僕とあの子の関係は師匠と弟子。
魔女仲間にはあの子のために常識を学べと説かれた。月光蝶々の魔女に対して何て言い草なのかしら。離乳食と育児の本はこっそり借りた。
木苺の茂みと同じ大きさになった曇り空くんは好奇心旺盛に育った。
人間の街に行ってみたい。山向こうの洞窟に行ってみたい。駄々をこねては、僕を困らせた。
頭の角はどんどん大きくなっていくのに心は警戒心を覚えない小鹿の君を見て、僕はようやく「心配」を理解した。
僕とあの子の関係は保護者と庇護者。
前よりも魔女仲間から連絡が来ることが増えた。
僕の可愛い毛玉ちゃんに変な事を教えないように見張っておこう。
Ⅲ
「エルマー、エルマー」
ボクの名前を舌足らずな声で呼ぶ、楽器みたいなキミが好き。
「ワタシね。エルマーによんでもらう絵本がだいすきよ」
小さなかんばせに大きな眼差し。薔薇色の頬でミルクみたいに笑うキミが好き。
「ぽとぽと、お空から落ちてくる雫をおくちに入れるのは難しいわ」
長い睫毛と春の蜃気楼みたいな柔らかな銀髪。むむむと眉を寄せて悩むキミが好き。
「エルマー。さっきのひとが、鹿を狩ってしまうこわい人なのね。もっと近くで見てみたいわ」
きらきらと灰色の目のなかに夏の星を映しだすキミが好き。もっと警戒心を育まないと。キミが突然いなくなったら僕の心は荒れてしまう。
キレイな花畑の下に何が埋まっているか。今は知らないままでいてね。
ちいさなカモミールちゃんはあっという間に僕の背丈を追い越した。角があるから仕方ない。
Ⅳ
街に出てから、僕のフィドルちゃんの活躍といったら目覚ましいものだった。
愛らしくて勇ましくて勇気があって無鉄砲でほわほわキラキラして強いんだ、僕のポップコーンさんは。
ローレットという冒険者の雇用ギルドで魔種だのモンスターだの盗賊だのをつかんでは投げ、轢いて跳ねての大立ち回りをしていたのさ。
いろんな世界、いろんな人と出会って見識を深めていった。
可愛い子には旅をさせろというのは本当のことだった。
十年にも満たない短い年月だったというのに、あの年月の密度ときたら。平和な今の数百年分に匹敵する濃密さだったと今でも思うよ。
ローレットが残っているなら、朝露モクレンさんの記録も残っているはずだ。
そこで紡がれる魔女のお話は愉快で不気味で、君もきっと気に入るに違いないよ。
Ⅴ
「ママ、ただいま」
その言葉も少なくなってしまった。
子供の成長とは早いものだ。
世界をゆるがす戦争は終わってしまったし、世界は平たいテーブルのようにどっしりとすっかり安定してしまった。
頼りがないのは元気な証拠。
ぼくもふらりふらりと世界の様子を見て廻る。
僕たちは精霊種。長い長い時を生きている。とは言え、いつかは終わりが来るし見送る時もある。
自分と違う命の長さ。親しい人との別れ。それは必定。
僕は慣れているけれど、優しいあの子は大丈夫か。それが心配で心配で箱庭庭園の女主人に連絡をとる。
ミシェラリルケ・ノピンペロディは僕を見て大きくため息をついて通信をきった。
こいつは鹿ちゃんの最期について何か知っている、もしくは相談をされたのだろう。
無性に腹がたって、久しぶりに魔女同士の大げんかをした。
いくつかの森と山が更地になったけれど誤魔化しておいたから大丈夫。
僕の誤魔化し方のレパートリーもここ数十年でだいぶ増えたと思う。
そう言ったらミシェルに笑われた。もう一戦やることにした。暇だったし。
Ⅵ
ある夜のこと、ティーカップちゃんは焼きたてのパンをたくさん抱えて帰ってきた。
ふわふわ、きらきら。太陽みたいなパンの香り。
聞けば、星の欠片が星に帰ってしまったのだと言う。
いつだってポシェティケトの隣にいた、おしゃまで強い金色砂の妖精。
鈴のように笑うあの子はもういない。
「はじめはね、ポポちゃんと同じお砂になるのもいいかもと思ったの」
相棒のことを思い出したのだろう。
神様の子供だった魔女は夢見るように微笑んで、自分の終わり方について語る。
その静かな口調は、巷で銀月の賢者と呼ばれるのも納得のいう静かさだったけれど、ボクには聞いて欲しいとねだる姿が重なった。
「でもね。よくよく考えたらポポちゃんだったお砂は世界のあちこちを廻るでしょう? だからワタシもまだまだ、終わらないなと思って。しばらく世界を廻ってみるわ」
星空みたいにくすくす笑う、その笑い方は、あの子とおなじ笑い方。
僕は思う。陽だまりみたいな笑い声はどちらがどちらに似たのだろうと。
レメディアコーストの魔女や銀森のまもり神と呼ばれて、ついには神話語りをされたって、ボクにとってあの子たちはいつまでたっても小さい精霊と妖精のデコボココンビのままなのだ。
「ワタシのいちばん大切なお友達。太陽と月の光を浴びるのが大好きで、元気いっぱい」
「かわいこさんに負けず劣らずの悪戯上手だったねえ。くるくる回転するのは見事だった」
「ワタシの牙でワタシの相棒、いつでも一緒。闘いのときも凄かったのよ」
そうなのか、と静かに思い出を共有しながら夜を過ごす。
「いつでも自由を忘れないクララシュシュルカに」
「ぴかぴかな
「「かんぱい」」
大切な人との思い出を語るとき、美味しいものがあれば更にいい。
ビロードみたいに滑らかな夜だった。
ボクのとっておきの蜂蜜酒を交わすに相応しい夜。ポシェティケトは星をみていた。
Ⅶ
これでポシェティケト・フルートゥフルのお話はおしまい。
続きはどうなるのって?
さあ、神話や童話を読めば分かるんじゃないかな。
彼女の行く先は誰もしらないし、今のワンダリング・ウィッチにとって世界一周は散歩も同然。
無数の可能性と選択肢が彼女の前に広がっている以上、神出鬼没な彼女を見つけるのは至難の技さ。
あの子に追跡を振り切る術を教えたのは何を隠そう、この僕なのさ。
簡単に見つかるとは思わない方がいい。
実は、案外近くにいるのかもしれないけどね。
これは鹿を育てた花の話。
魔女たちのお話。
おまけSS『アップルパイとワタシ』
「アナタはだあれ?」
実家に戻ったポシェティケトを迎えたのは見知らぬ妖精でした。
「ワタシは苔踏まぬ蹄のポシェティケト。四つ脚と二つ足をもつ、月光蝶々の魔女が娘」
ですから鹿は遠回しに名乗ります。魔女にとって名前や肩書きはとっても重要なものだからです。
最近の鹿は呼ばれる名前が多すぎて、今日はどの名前にしようかしらとファッション感覚で悩むことも多くなりました。
でもせっかくの実家なのだから、とポシェティケトはポシェティケトでいることを選びます。
トレードマークの大きな蕾がついた杖とフワフワの白いローブがまるで夕暮れをとじこめたオパールのように輝きました。
見知らぬ妖精はポシェティケトの名前を聞いて、びっくりした様子でちいさな目をまるくしました。
「アナタがかわいこさん?」
ポシェティケトはちょっとだけ考えました。ポシェティケトのことをそう呼ぶのは一人しかいません。
「そうよ」
「たんぽぽの綿毛ちゃん?」
「そうね」
「ママの宝物?」
楽しげにポシェティケトの頬がゆるみます。
「ワタシのことを、よくご存知なのねえ」
よくみればポシェティケトの頬と唇が桜色に染まっていました。白い真珠のような肌と相まって、まるで女神様みたいですねえと妖精は感想をいだきます。
魔女エルマーがうちのこはきれいだ、かわいい、と何度も繰り返して言っていた理由が妖精にも分かったような気がしました。
でも妖精にとってポシェティケトは可愛いというよりも神々しくて、何だか良い匂いがするお姉さんのように思えるのです。
「ところで可愛いアナタのお名前は?」
「さあ?」
心当たりがないので妖精はううんと唸りました。それはポシェティケトも同じでした。
「それはちょっぴり寂しいわねえ」
「そうですか?」
不便と思ったことはないので妖精は首を傾げます。
「アナタはなんの妖精さんなのかしら」
「魔女様がいうには紅茶の時間を測ってる砂時計からでてきたそうです」
「あらあら、まあ。そうだったのねえ」
ポシェティケトは口をおさえました。
「あの砂時計。ワタシが小さい頃からあったものねえ。そういうご縁って、あるのねえ」
ポシェティケトは驚きつつも、しみじみと頷きました。
目の前の妖精は太陽や月の光みたいにキラキラしていません。
ふわふわの焼きたてのパンの香りでもありません。
けれどひとにぎりだけ残した相棒が『後輩をよろしく』とポシェティケトに頼んでいるような気がしました。
ポシェティケトの相棒だった妖精は面倒見のよい妖精でしたから、その選択は当然のようにポシェティケトのなかにありました。
「ねえ、砂時計の妖精さん。よければアナタの名前。ワタシにつけさせてくれないかしら? とびっきり素敵な名前を考えるから」
「それは素敵なご提案ですね」
妖精が両手をあげて喜んでいると、キッチンからアップルパイの良い香りが蝶々たちと一緒にただよってきました。
「アップルパイが焼けたよ」
声をかけるエルマーはもうすっかりと母親の顔でした。
顔ほどもある大きなミトンをはめ、焼きたてのアップルパイをオーブンから取り出しています。
月光蝶を使役すれば、アップルパイの切り分けから紅茶の準備まで。すべてをあっという間に終えることができるでしょう。
けれども、ポシェティケトはエルマーがそうしないことを知っていました。
「ママ、今日はワタシが紅茶を淹れてもいい?」
穏やかな声に、エルマーは娘の成長を感じてにっこりと笑いました。
「それじゃあお願いしようかな。頼むよ、可愛いポシェティケト」
ポシェティケトの顔に少しだけ子鹿の名残が現れます。そうして小さなポシェティケトだった頃を思い出し、メロディを口遊みながらキッチンへと向かいました。