SS詳細
紅き狐が見つめる白百合の華
登場人物一覧
今から数年前の王都メフ・メフィート。
シャイネン・ナハト当日を迎えた街並みは、互いが互いの往来を妨げるほどの人で溢れていた。
そんな人波に流されたヴェッラ・シルネスタ・ルネライトは今、偶然前の客と入れ替わる形で入ることができた酒場のオープンテラスにてお湯割りの焼酎に舌鼓を打っていた。
「美味いの。やはりこれは冷える夜の帳が良いアテとなっておるからか、それとも……」
ヴェッラは焼酎が注がれていた器を見やる。
「そちのおかげかの?」
それは先ほどプリマヴェーラ通りを散策中、ガラクタの山の中から見つけ衝動買いした江戸切子のグラスの一つ。
酒場の店員が酒を注ぐ器が足りないというので、一番お気に入りの紅玉模様は保管用として大切にしまったまま、翡翠の玉模様が浮かぶ切子を実用として使うことにしたのだ。
持ち上げ月夜へ向ければ、穏やかながら美しい光が反射した。
「うむ。良い返事じゃ」
数十本の徳利を空け酒を求める腹の虫を宥めたヴェッラは、改めてテラス沿いの通りを行き交う人々を見やる。
「それにしても、じゃ。わらわもこの穏やかながらどこか浮足立つ気に当てられやってきた身故、あまり言えんがの……」
他者を観察し揶揄うことが好きなヴェッラであっても、見ていて面白味を感じられない部類の者はいる。
「俺が先にこのマブいねーちゃんに声かけたんだぞ? てめぇは引っ込んでろ!」
「関係ありませんね。貴方のような粗暴極まりない輩よりも、彼女は貴族たる私と共にある方が幸せというもの」
通りの喧騒を遮ってまで響く声は否応なしに耳へと届く。
どうやら二人の男が独りの女を巡って争っているようだ。
「まったく。折角の酒が不味くなっては困るではないか」
ただの男同士の争いであれば無視するところだが、板挟みとなっているであろう誰かを思ったヴェッラは店員に席のキープを頼むとテラスを飛び出し人混みをかき分けていく。
「え、えっと、その。私に声をかけて下さったことはとても嬉しく思うのですが、急に言われましてもその、心の準備が……」
件の女は必死に誘いを拒もうとする。
「くぅ~! そのおしとやかな態度。あれだ、立って座って綺麗な白百合? って奴だなぁ! ならなおの事俺と来てくれ! あんたが心からはっちゃけられるような遊びの数々を教えてやるぜ!」
「はぁ。いいですか? 白いブラウスに合わせるは黒を基調としながら銀のストライプが程よくひかれたロングスカート。今年の流行りを完璧に押さえた美の研鑽こそ彼女の美点です。さぁ華やかなお嬢さん、どうか僕のこの手を取って我が屋敷にて優雅に美を語り明かす一時を」
「え、えっと……!」
けれど、ぐいぐいと迫る二人を前にどうにも断り切れないらしい。
これまでの会話と少女の姿を目に留めたヴェッラは悪戯っぽさを宿した笑みが浮かびそうなのをこらえ、渾身の演技で立ち回る。
「おお、おったおった! 探したのじゃ。この人混みとはいえ、独りぼっちにしてしまって悪かったの」
「え?」
「なんじゃ、また殿方に絡まれておったようだの。ほれほれ、貴殿らが望む姫様は予定があるのじゃ。もし本当にこの姫を気に入ったと申すなら淑女の用事の一つや二つが済むまで待つのが、甲斐性というやつではないかの?」
ヴェッラの言葉に、筋肉質で大柄な男も貴族風の男も押し黙る。
それを同意とみなしたヴェッラは、暫くここで待つように伝えると女の手を引き一度酒場へと戻るのであった。
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「ここまでくれば一旦大丈夫そうだの」
「あの……」
「ああ、わらわとしたことが説明が遅れてしまったか。少々難儀な様子に見えたので、勝手ながら一度落ち着いて座れる場所に連れてこようと思っての。と言ってもわらわと相席となってしまうのだが……良ければここで人心地つついていかれぬか?」
「そうだったんですね。ではその……ありがとうございます。実際困っていましたので助かります。ご厚意に甘えさせて頂きますね」
女は丁寧で深いお辞儀をすると、ヴェッラが座るのを待ってから凛と背筋を伸ばした状態で向かいの席へ着いた。
「重ねまして、先ほどは助けて下さりありがとうございます。私は津久見・弥恵(つくみ・やえ)と申します」
弥恵と名乗った女は一言を言い終える度に小さく息を吐き、ヴェッラの自己紹介も何度もコクコク頷きながら聞いていた。
恐らく立て続いた突然の連続に緊張しながらも、何とかお嬢様らしい振る舞いを保とうとしているのであろう。
そう考えたヴェッラは店員を呼びつけ耳打ちすると、荷物の紙袋から蒼い水玉模様の切子を手渡した。
「わらわのと同じものをこちらの弥恵殿へ」
「ええ!? そんな、初めましての、しかも助けて頂いた方にいきなり奢っていただくなんて……!」
「気にする必要はないぞ弥恵殿。あの場に割って入るまでは貴殿だと分からなかったが、実はわらわは一方的に貴殿を存じておってな」
ヴェッラは以前のローレット主催の訓練会に参加した際、他の特異点と団体訓練をしていた弥恵を見かけており、彼女の美しい舞踏のような動きから放たれる魔術の数々に感心した覚えがあった。
「そ、そうだったんですね! なのに私ったら、ヴェッラ様のことまるで知らぬお方のように扱ってしまって……!」
「気にする必要はない。わらわが勝手に観察しておっただけだからの」
「で、ですが……!」
「弥恵殿。わらわは貴殿の事を知った風に語れるほどの立場にない。じゃがあの訓練で月の舞姫を名乗り演舞する様は実に見事で、そして自然体であった。そちらの方が貴殿の在り方として性に合っているのではないかの?」
図星を突かれた弥恵は、ほんの少し背筋を緩めると俯き気味に語り始める。
「私、ローレットに所属するようになったからにはこの理不尽な世界を変えていくために真面目に頑張りたいと思っていて、人々からも特異点らしくそう見られるように自分を律しているつもりなんです。でも、昔から自分を見ている誰かに自分の姿やあり方を喜んでもらえることが嬉しくて、ああいった形で求められてしまうと、つい何かしてあげられないかと考えてしまうんです。でもそれは、世界を救う特異点のイメージにそぐわないように思えてしまって……」
いわゆる生粋のエンターティナー気質なのであろう。
もしこの世界に脅威がなければ、弥恵は自由に舞踏を研鑽していたに違いない。
悩む彼女の姿にそんな悲しみを見たヴェッラは、思い切って彼女の背を押してみることに決めた。
「酒を飲むというのは、器や中身、その場の空気すらも合わさって一つの嗜みとなる。味を想像し口にすれば実際は全く違った刺激を受けることもあるが、それもまた酒飲みにとってはたまらぬ魅力なのじゃ」
ヴェッラが丁度語り終えた頃、二人の前に液体が並々注がれた切子が置かれる。
「量も質も多様故、一気に飲み干せる代物である必要はない。じゃが……」
ヴェッラは敢えて責めるような視線を向けた。
「美味いと想像させられたというのにお預けを喰わされる方が……よほど悲しいかの」
「っ……!」
弥恵は己の内を見透かされた心地に恥ずかしさを覚えつつも、みっともない己の内面を認めてもらえた事実に胸が高鳴っていた。
例え己にはみっともなく思えても、その姿が誰かの喜びとなってくれるなら。
弥恵は迷いそうになる自身を鼓舞するかのように、目の前の液体を煽るのであった。
おまけSS『盃に友情と感謝を交えて』
「乾杯」
王都のとある酒場にて、二人の特異点が盃を交わす。
それぞれが中身を喉へと通すべく器を傾ければ、緑と蒼に彩られた美しい切子模様が店内の光に反射して魅力的に輝いた。
「何回目でしたっけ、この場所でこうして一緒に器を傾けるのは」
「どうだったかの? 回数を覚えておこうと思わぬ程度には日常的になっているように思うのじゃが」
「ふふっ。そうですね」
「ああ、じゃが最初にここであったことはよく覚えておるの。なんといっても、貴殿の魅力を間近に味わった初めての経験じゃったからの」
「も、もう! やめて下さいヴェッラ様!」
頬を紅潮させる弥恵を見つめながら、ヴェッラは揶揄うような笑いをしつつも「あの時はすまなかった」と謝った。
「今でも恥ずかしいんですからね!」
「何故じゃ? あの後人混みの中へ戻って舞を披露した弥恵殿は実に可憐かつ妖艶であったとわらわは記憶しておるが?」
「そう思えるような舞を披露できたなら嬉しく思います! ですが私が言っているのは、ヴェッラ様に揶揄われたのが恥ずかしいという話をしているのです! まさかあの時の中身がお酒じゃなくてただの水だったなんて……!」
弥恵は自身のドジっぷりに顔を覆う。
当時は己の素の性格と見せたい振る舞いの間に存在したギャップと、動きづらい服装だったために自身が納得できるような舞を披露できないという認識から、失望させないため何とかその場を離れようとしていた。
だが結局、ヴェッラに煽られる形で勇気を出すと律儀に待っていた男たちの元へと帰還。
渾身の踊りを披露して、なんと町の渋滞を加速させてしまったのであった。
今となっては昔の笑い話の一つではあるが、あの時の弥恵はこの時感じていた歓喜と悲観がないまぜの気持ちを、『お酒を飲んでしまったから仕方がない』と割り切って暫く過ごしていたのだ。
「そうは言われてもの。あれは大体6年前じゃったか? ローレットの資料で当時未成年だったというのだけは知っておったから、当然の配慮をしたまでじゃ」
と言いつつも、確信犯めいた笑みを浮かべるヴェッラに弥恵はぐぬぬと言わんばかりの表情を返すしかできない。
「……まぁいいです。あれから少し自分のことに前向きになれたのも事実ですし。こうして素直な自分を見せられる相手が増えて、気が楽にもなりましたから」
「うんうん。濁り無き研鑽と奉仕の精神こそ、弥恵殿の魅力という名の旨味だからの」
「……もう、いけずですね」
こうして盃を交わす度、ヴェッラは悪戯をしかけることが増え弥恵はそれに文句を言いつつもどんどんと砕けた口調へ変わっていく。
それは何気ない日常の変化ながら、この滅びの運命を背負った世界において育まれて形となった確かな友情。
命がけの戦いを繰り広げる二人を支えた、心のつながりの一つに違いないのだ。
「すまぬすまぬ。ほれ、なればわらわが酌を注ぐ故、今日の所はその矛を収めてくれぬかの?」
「いいですけど。今度はちゃんとお酒でお願いしますね」
「……分かった」
「なんです今の間は!?」
あの輝かんばかりの夜に得られたかけがえのない友情に。
「なんでもない。それ、乾杯じゃ!」