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焦がれる海
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- エルス・ティーネの関係者
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●飛沫となって、波に揺られて
レアータは、消えていなくなることはもっとさみしいことだと思っていた。
魔種となっての最期は、永遠に目覚めないもの。
昏い海の底へ沈んでいって、もう二度と浮かび上がれないような悲劇だと思っていた。
けれど、今。
レアータの身体を、イレギュラーズたちの歌声が震わせている。
さざ波に 揺られて 目を覚ました朝に
世界が終わって 始まるの
ああ!
心を震わせる、Erstine様のうた。
氷が舞う。
Erstineの氷旋が、レアータの喉すれすれをかすめる。
(これが、Erstine様のホンキ……)
舞うように美しく、攻撃に容赦はない。
心が、震える。
憧れの存在の前で無様な戦いはできない。レアータは必死にステップを踏んだ。
レアータの脚は、凍り付いたように重くなる。
息が苦しい。
けれど、ここはステージの上。
表情だけは余裕を保つように、不適に。
(だって、Erstine様は、ぜんぜん苦しそうにしてないもの)
どんなに苛烈な攻撃をしても、Erstineが表情を崩すことはない。
死ぬか殺すかのこの極限の戦場において、その声、動きに。否応なく見惚《みと》れている自分がいる。
Erstineは仲間に援護を託し、華麗に戦場を舞っていた。
ハーモニーが響き渡っている。
双方が氷の嵐に飲まれた。
(声がする。……歌が聞こえる……)
ぱちんと泡が弾けるように、レアータの心に、誰かの思い出が浮かぶ。
(誰の? ううん、これは、私の……)
魔種になって、長らく忘れていた、人だったころの大切な思い出。
「上手だよ」
そうやって、いつも褒めてくれた兄の姿。
●うたかたの夢
「レアータの歌はきっと皆の心の支えになるな」
波の音の合間にレアータが思い出すのは、白いベッドに腰かけた兄の姿。……レアータは、兄がベッドから起きた姿を見たもうずいぶん覚えはない。
レアータの兄は深海の種の血が色濃く、地上の強い光に弱かった。
それでいて光の差さない深海では、息ができない。……そんな病。
海種の中でも稀な病。いつも、病室には厚いカーテンが閉まっていた。
両親は早くに亡くなったから、たった二人の兄妹だった。
レアータが歌い終えると、兄は小さく拍手をした。
「上手だよ、レアータ、レアータならいつかプロになれるかも」
「さすがにそれは言い過ぎ! 歌うのは好きだけど……」
といいつつも、レアータはまんざらではなかったりもした。
「~♪ ~♪」
「こっち向いてよ、レアータ。写真撮るから」
「え、なんで?」
「ほら、家族が勝手にオーディションに応募しちゃったみたいなのってあるだろ? レアータだって、いつかこう、ステージに立ってさ……ああ、それで雑誌の表紙なんて飾っちゃったりしたらどうしよう!?」
「も、もう! どこまで飛躍するの!?」
「サインとか貰っちゃったりできるのかな」
「無理だって!」
そんな、他愛もない日々。
レアータが歌うたび、兄は元気が出るようだといった。
レアータの声を、兄は好きだといった。
だから私は、歌が……。
●歌なんか好きじゃない
(違う。私は歌なんか歌いたくない)
歌なんかじゃ、何にも解決しない。
(分かっていたはずだよね?)
こんな力じゃ、何も変わらない。誰も救われない。
レアータは兄を見舞うたびに心を込めて歌った。少しでも病気が軽くなるようにと祈りながら歌った。けれど、それでは意味はなかったのだ。
結局、兄は死んでしまったのだから。
ある日のこと、レアータが鼻歌を歌いながら花瓶の花を取り換えていた、暖かい日のこと。
兄がよろめき、胸を押さえた。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃん!」
ガラスのコップが床にぶつかって割れる。
「れあ……」
ひどく苦しそうだった。
「待ってて、今、お医者さんを呼ぶから!」
レアータは必死に兄を介抱したが、医者にすら、どうすることもできなかった。
(どうして……)
兄の病状が日に日に悪化していたのは知っていた。長く生きられないとも言われていた。
けれど、あれだけ元気そうだったのに。
レアータの歌を聞くと、元気が出ると言ってくれたのに。
「どんなに歌っても……やっぱり歌は歌なのかな……お兄ちゃん」
レアータは、いつしか歌を歌わなくなった。
好きだったアーティストのアルバムも。全部捨ててしまった。
もう、レアータにはなりたいものもない。
(だって、しょせん、歌は歌なんだから……)
そうよね。馬鹿みたい……。
(歌なんて、嫌い。歌うことに意味なんてない。歌なんかじゃ、誰も救われないの……)
(そうよ)
海の底から、きゃあきゃあと、姦しい笑い声がする。
馬鹿ね、とあざ笑っている気がする。
アルバニアの声。
(妬ましいわよね? 許せないでしょう?)
嫉妬の呪いが、レアータを蝕む。
「あああああっ!」
黒い感情。そして、力が湧いてくる。
(これに身を任せれば、もっと上手に歌えるの?)
●憧れ
温かく 優しい 光に包まれて
思いが充ちてる 海に帰るの
自分を失いかけていたレアータだったが、Erstineの歌声に、レアータの意識は再び引き戻された。
(ああ、どうして今……昔のことを思い出したんだろう……)
なつかしい。
その歌詞は、レアータの中に失くしたはずの感情を呼び覚ましていた。
海が、なつかしい。
ゆりかごのような、あたたかい光。
レアータも、かつて、そんな光に満ちた日常を送ったことがあったのだ。
レアータは呼吸を整える。少しでも気を抜けば、そこでおしまい。
Erstineが踏み込み、一撃。違う。こっちは囮で……。
魔力を織り交ぜた、技巧的な剣技。
きいん、きいんと刃がぶつかる。
氷の欠片がきらきらと舞い、幻想的で倒錯している光景を作り出す。
魔種になって、それでもレアータが覚えていたのは、たったひとつ。Erstineの姿。
自分を、レアータでいさせてくれるのは。いつもErstineの存在だった。
……ようやく兄の葬式が終わり、気持ちの整理が済んだころ。
レアータは、かつて、兄の好きだった海辺に足を運んだ。
そこで見つけたのは、海岸に流れ着いたラサビジョン。
それがErstineとの出会い。
自然と手に取ったのは、やはり、運命だったのだろうか。
(覚えてるよ)
今のように。
真っ白な世界に、再び、色彩がよみがえったようだった。
レアータは夢中になってラサビジョンを読んだ。
どのモデルも、どの写真も素敵だったけれど、一番、素敵だと思ったのはErstineだった。
まとったチャイナドレスは、深い海のように青くって。
後ろ髪をかきあげるなにげないしぐさは、色っぽくて。
挑発的な視線。
大胆に伸びた脚。
自信に満ち溢れた、美しいErstineの姿。
あるいは、どこか憂いを秘めた、どこか、陰のある女性。
大人びた女性の姿。まぶしい憧れ。
(こんな風になりたい)
レアータは知る由もない。彼女の過去を。
ラサビジョンの仕事を受けるかどうか、彼女が迷っていたことなど。
Erstineがこの仕事を引き受けたのは、純粋にラサの為だった。
Erstineがかつての世界で、どんな悲劇を迎えて、それでなお、今気高く立っていられるのかも、レアータは知らない。
レアータが見たのは、フォトグラフィーに切り取られたErstineの姿に過ぎなかったのかもしれない。
けれど、レアータにとって、その時のErstineは、深海にさす一条の光のようだった。
(その時は、別に追いつこうと思ったわけじゃない。真似をしようと思っただけだった。一緒の舞台に立ちたいなんて、ホンキで思ってたわけじゃなかった……)
海の底に置いてきた思い出が、ふわふわと浮かび上がっては消える。
「あ、可愛いね! それ、Erstine様のしてた髪飾り?」
「そう! そうなの! 知ってるの!?」
「最近有名だよね! 知ってる? Erstine様って、ローレットに登録しててね……」
「えっ、知らない! それ、詳しく聞かせて!」
まるで遠い昔のような、幸せだった日々の思い出。
「元気になった? レアータが笑ってるの久しぶりに見たかも」
そんなこと、友達が言ってたっけ。
(私、元気もらっちゃったなあ)
兄のことを思い出すとき。
失敗しちゃったとき。
ちょっと励ましてほしい時に、レアータはあのラサビジョンをめくった。何度も何度も。ページをめくる。
ほうと、感嘆のため息が漏れる。
(こんな風に、強くなれたらなあ)
海賊に捕まりそうになって、友達に「逃げて」と言った。
そして、レアータは海賊に捕まった。
Erstine様ならそうするかと思ったから、きっとそんなことができたんだと思う。
(まあ、Erstine様なら、きっと、捕まったりしないと思うんだけど……)
そういえば。
友達は助かったんだろうか。ううん、きっと。絶対に助かっているはずだ。彼女が助けを呼んだからこそ、イレギュラーズが。Erstine様たちが、来てくれたんだから。
(奇跡みたいな確率だよね)
●終わりなき歌
Erstineのようになりたかった。
服を選んで、化粧を似せて。
髪も伸ばして、あんなふうに漆黒に染めようかな、なんて思って。
活躍を追いかけて、記事が出たらスクラップなんかしちゃったりして。
鏡の前で、同じようなポーズをしてみたり。
(どんなErstine様も大好きだけど、やっぱり一番はラサの衣装かな! 薄い布が透けるみたいで、すっごくいいよね。……って思って、買っちゃったけど! この服、どうしよう……私が着ても、なんていうかその……)
悩んだときに、Erstine様だったらどうするかな、と想像をしてみて、頑張った。
こうありたかった。
強くありたかった。
(ああ、私は、今、本当に、夢みたいな舞台に立ってる)
鏡のように、一枚の氷がレアータとErstineを隔てる。
一瞬だけは、まるで鏡合わせの同じ存在。
(一瞬だけ。でも、Erstine様が動くから、私はやっぱりErstineじゃないってわかる)
(でももう、同じじゃなくても寂しくない)
さぁ 奏でよう 終わりなき歌
それは、レアータが心から望んだ夢。
輝き照らす 海は優しく
夢の続きを 一番好きな
あなたと共に 見つめていたい
そしていつも 見届けたい
優しい歌詞。
Erstineはレアータを知らない。
レアータもまた、Erstineの壮絶な過去を知らない。
かつての世界で、Erstineは最期の吸血鬼の始祖種であった。
謀られ、どうしようもないほど傷つき、同胞を手にかけた。
そして、この世界に落ち、血液を疎んでいる……。
レアータがErstineの過去を知らなくても、彼女の気高さはわかる。
凛として背筋を伸ばして、自分の道を歩むErstineは、人を惹きつけてやまない。
歌詞に載せた響きが、救いのように思われるのはどうしてだろう。
今、この瞬間だけは、自分のための歌だと思うのはどうしてだろう。
氷のつぶてが吹き荒れた。
レアータの攻撃を、Erstineはあえて受けた。よろめいたかに思えたステップ。だが、それすらも利用して。くるりと身をひるがえして、まるで最初から織り込み済みだったかのようなアドリヴを見せて、Erstineは立っている。
この苛烈な氷の嵐の中で、それでも、彼女は立つ。
(今の、全力だったんだけどな?)
レアータは、戦ってみて、少しだけ分かった気がした。
Erstine様は信じられないくらい強いってこと。美しくて気高いってこと。
(私、あなたのファンで良かった)
Erstineはレアータへ、終わりなき歌を贈る。
消えてゆくレアータもまた、しがみつくようにずっと歌い続けた。
永遠に。
永遠に。
永遠に。
すべてを凍り付かせて、このままにしたかったけれど、もう、うまく体が動かなかった。
氷旋《zawbieat aljalid》。
Erstineの刃が、ついにレアータを貫いた。
(こんな終わりだなんて)
楽しいステージは、いつか終焉を迎える。分かっていたはずなのに。
それでも、しがみつきたかった。
最期の時、レアータはひとりぼっちではなかった。相対したイレギュラーズたちに見守られ、そして、Erstineの手によって葬られる。
全てを氷漬けにし、この瞬間を永遠のものにしたいというレアータの目的は達成されることはなかった。だが、レアータは不思議と、やり遂げたという気持ちだった。
憧れのErstineに負けた姿を見られるのは、ちょっぴり悔しかったけれど。
(そういえば、結局、ファンレター、出せなかったなあ)
このまま目を閉じたら、夢の続きが見れるような気がした。
よく眠れるような気がした。
(お兄ちゃん……私、頑張ったよ。精一杯頑張ったんだよ)
(Erstine様と、舞台に立ったんだよ)
(それからね……)
海の底で会えたら、たくさん話したい物語がある。
魔種レアータの物語は、ここで幕を閉じる。
その姿は、どこか安らかだった。
水底へと、暖かい海へと、レアータは還るのかもしれない。
●いくつかの記録
”アクエリアにて、魔種レアータの討伐を果たす”
レアータとイレギュラーズたちとの戦いは、報告書に簡潔にまとめられていた。被害の大きさや、イレギュラーズたちの功績が短く書かれていた。彼女のステージは、ただ、戦ったイレギュラーズたちの記憶に残る。
Erstineはレアータからの手紙を閉じる。
筆跡は千々に乱れていて、ところどころインクがにじんでいる。読むのは容易ではなかった。けれども不意に正気を取り戻したような瞬間があって、そこにあるのは間違いなく、おそらくは”レアータ”で。
「あなたの分まで……私は……っ」
Erstineは声を震わせる。
弱さは見せない。
ここで、立ち止まることはない。
乗り越え、前へ。前へ。進んでいかなくてはならない。
Erstineには、それができるだろう。
Erstineは歌う。小さく、しかしはっきりとした歌声。
前へ進むと、決めた意志がこもっている歌。波間が、ぱしゃりと返事をするかのように揺れた。
- 焦がれる海完了
- GM名布川
- 種別SS
- 納品日2020年03月28日
- ・エルス・ティーネ(p3p007325)
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