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中秋の月に見守られ
登場人物一覧
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秋晴れの人工太陽が浮かんでいる。中天に届くにはまだまだ早く、けれど澄んだ青があたりに満ちていきつつあった。
澄んだ空気はどこか肌寒さを増して、恋人たちの距離が少しずつ近づいている。
それはトール=アシェンプテル(p3p010816)とココロ=Bliss=Solitude(p3p000323)にしたって何も変わらない。
指を絡めあう恋人繋ぎで結んだ掌、心なしかお互いに近い距離。
朝早くに家を出たのは今日という日に詰め込まれたスケジュールが少し多いというのもあった。
到着したのは練達の一角に再現された農園、季節それぞれに果物狩りを楽しむことができる施設だった。
「今日はよろしくお願いします」
トールがぺこりと頭を下げると、それに続けてココロも頭を下げる。
「ぶどう狩り、楽しみですね」
職員に案内されながら、トールはそっとココロへと耳打ちする。
「トール君、駄目ですよ。お話はちゃんと聞きませんと」
「そう、ですね……」
「……わたしも楽しみですから」
ぽそぽそとこっそりイチャイチャしながら気づけばぶどう狩りの現場に辿り着いていた。
「……では、改めて説明いたしますと――」
こほんと咳払いした職員からの改めてのルールとどんなものを取るのがいいのか説明を受け、二人はいよいよ葡萄の下へと潜り込んでいく。
「トール君、これ見てください! 大きいですよ!」
鋏を入れた葡萄を手に、ココロはそれをトールに向けて差し出した。
果粉の付着した黒真珠を思わせる大きくハリのある果実が幾つも連なっている。
「本当ですね……職員さんも採った物はそのまま食べても構わないとおっしゃってましたし、いただきますか?」
「そうしましょう! ……そういえば、ブドウは房の上の方が甘いって言いますよね」
職員に言われたことを思い起こして、トールが言えば、ココロがこくりと頷いて言う。
「それなら上の方と下の方で食べ比べてみませんか?」
微笑するまま、トールはココロのブドウから一房を引き抜いてココロの口元に向ける。
「……と、トール君?」
「ココロちゃんはブドウを持ってますから、僕が食べさせてあげますよ」
「なッ――」
息を呑んだココロは思わず周囲を見やる。幸い、近くには誰もいない。
「あ、あーん……んっ、聞いた通り甘さが強い気がします……」
意を決してトールからブドウを貰う。
ハリの強い皮が裂け、中からまろびでた身の詰まった肉厚な果実と果汁が口の中に広がっていく。
強い甘みと共に確かに存在する爽やかな酸味がすっきりとした味を齎している。
「今のが上の方にあったものですね」
皮をゴミ用の袋に入れるココロにトールが言う。その手には新しい一房が摘ままれていた。
「……あーん」
口に広がるブドウの味は確かに違っている。
甘さが控えめになって少し酸味が強さを増しているように感じた。
「トール君。はい、これを持っててください」
ココロは舌の上にある皮をゴミ用の袋に入れると、持っていたブドウをトールへと突き付けるように差し出した。
「は、はい」
キョトンとした顔をするトールがブドウを受け取ったのを確かめて、ココロはブドウの上の方にある粒を一つ摘まみとった。
「今度はトール君の番ですよ!」
「分かりました……あーん」
目を伏せて少しだけしゃがんだトールの口の中にブドウを一粒。
トールは目を閉じたままそれを堪能するように咀嚼して、皮をゴミ袋に廃棄する。
「美味しい……これが甘いっていうほうだよね」
「はい、それでは次は下の房で……」
同じように房の下の方から一粒を引き抜くと同じように口に入れる。
結局そのブドウ一房分をお互いに食べさせ合った二人はお土産用にもう二房だけ収穫してブドウ狩りを終了した。
「あんまり食べ過ぎてココロちゃんの手作りのお弁当が食べられなくなると大変ですから」
「も、もう。何言ってるんですか!」
トールの言葉にココロはそう言って小さくその背中を叩く。
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場所を変えた二人は再現性東京に移動していた。
海を臨む公園にブルーシートを敷いてピクニック気分にお弁当を広げていく。
近くには同じようにピクニックをしている家族連れや散歩をしている人の姿も見えるか。
「ココロちゃん、ありがとう。どれも美味しそう」
ハンバーグやミートボール、ベーコンにアスパラを巻いたあれ、おにぎりと言ったオーソドックスなスタイルに、サンドウィッチも用意されている。
サンドイッチの中身はサラダのようになっているか。
「……この後のことを考えたら魚料理は作れませんでした。おにぎりには入ってますけど」
「それは仕方ないですよ」
トールのお礼にココロはそう言って苦笑すれば、トールも同じように笑みを零す。
この後はこの公園を併設する水族館でのゆったりデートの予定だった。
今から向かう場所で同じ魚を見たら少しばかり気まずさが勝りそうだった。
「じゃあ、いただきます」
手を合わせて始めた食事、最初こそ二人でお互いに欲しいものを食べていた二人だったが、最初に言ったのはトールだった。
「ココロちゃんの方にあるおかず、くれませんか?」
「これですか?」
串に刺したおかずを手に取るとトールが頷いて――口を開く。
「まったくもう……」
ココロはそれに呆れ半分に笑って、あーんと口の中に持って行った。
「おいしいです。ココロちゃんも良かったら何かありませんか?」
「……でしたら、そこにある――」
そう言ったココロに当然のようにトールがそれを取って、差し出してくる。
ココロはそれに口を開けて近づいていく。
●
「普段海で会う仲間をこうやって見るのは不思議な気がします」
大型の水槽の前に立ち、ココロはぽつりとつぶやいた。
ガラス一枚を隔てた向こう側、乱反射する水面の色を降ろす水槽の中で魚たちは悠々と泳いでいる。
「海中って幻想的で綺麗ですね。海で暮らす? 過ごすってどういう感じなんだろう」
少しずつ上を見上げていくようにガラスを見渡すココロの横に立って、トールは首をかしぐ。
「そうですね……」
ココロはぼんやりと水槽を眺めながら呟いて目を閉じる。揺蕩う海の揺らめきが瞼の裏に思い起こされていく。
自由なようでいてしがらみがあって、平穏なようでいて危険がある。
「……意外と、陸の上で暮らすのとそう変わらないのかも」
ぼんやりとそんなことを思いながら瞼を開いた。水槽の向こう側では魚たちが変わらず悠々と泳いでいる。
「ディープシーって人魚みたいになれたりするんですか?」
ふとトールは気になったことを問いかけてみる。
「人によりますね。ローレットにもいわゆる人魚のような姿の方も居られますし……」
所謂『魚類』に相当される海種であればできる人もいる。一方でココロのような貝の海種には人魚は難しかろう。
「そうなんですね……?」
トールはざっくりと記憶を掘り返す。ざっくりと掘り返した限りではトールは遭遇した覚えはなかった。
「……ほら」
そう言いながらココロが指をさす。そこには水槽の中に入ってきた人魚姿の人物が一人。
どうやら職員による魚への餌やりとデモンストレーションのようだ。
ダイバーが魚と戯れるのを見届けた二人は大水槽の下を離れ、熱帯魚のコーナーに移っていた。
珊瑚礁やイソギンチャクに適して進化した色鮮やかな魚たちが幾つもの水槽の中で展示されている。
鮮やかなオレンジに白いラインが走る小さな魚がオレンジ色のイソギンチャクの中から顔を出す。
「あっ、これカクレクマノミですね」
立ち止まったトールはそう声に出していった。
「やっぱり可愛くて綺麗ですね」
揺らめくイソギンチャクにまぎれるように揺れるその小さな魚に小さく笑みを零す。
次の水槽に行けばそこにもやはり綺麗な魚が泳いでいた。
「熱帯魚ってなんだか綺麗な魚が多いですね」
ぽつりとつぶやいたトールに小さく「むっ」と声が聞こえたかと思えば水槽とトールの間に綺麗な金と青が入ってくる。
かと思えばトールの両頬がペチンとはたかれた。ペチペチとまるで痛くもないビンタのままトールの頬が引っ張られる。
「こほろちゃん?」
思わずココロの名を呼んで瞬きを繰り返せば、引っ張られていた頬が手放され、再び両手を添えられた。
「褒めすぎじゃないですか?」
ココロは固定したトールの顔に視線を交えてじっと見つめて言う。
「ごめんなさい。ココロちゃんが一番です」
キョトンとしたトールは少ししてそう言った。
「こっちにも綺麗な子がいるんですよ?」
無性に愛おしくなって抱きしめたくなったトールを、ココロはそっと抑えて手をつなぐ。
「……ほかにもお客さんがいるんですから」
そう言うココロの言う通り、近くには他にもお客さんの姿が見える。
とはいえ、そのお客さんの中にも結構な数のカップルの姿が見えるのは置いておこう。
「……そうですね」
トールは笑みを零すと、繋がれた手をキュッとたしかに結ぶ。
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人工太陽はとうに沈み、中秋の名月が顔を出す。
ライトアップされた紅葉に彩られた公園の中を二人は歩いていた。
「日が暮れてくると寒いですね」
トールは空を見上げて言った。望月が大きく輝いている。
すっかりと冷えた空気、マフラーをカップル巻きにした二人の距離はより近づいていた。
「そうですねえ……」
同じようにココロも空を見上げた。
美しく輝く月は穏やかにこちらを見下ろしていて、時折吹き付ける冷たい風が紅葉を揺らしてライトに陰を作る。
「……月が綺麗ですね」
トールはふとそう呟いた。つないだ手に力が籠る。
「月も綺麗ですね……でも海もきっと綺麗ですよ」
恐る恐るにトールが横を見ればココロはいつの間にか拾っていたらしい紅葉を口元に添えている。
その表情は拒絶というにはあまりにも優しいものに見えた。
「……僕の前にはいつも素敵な景色が広がっていますね」
トールは小さく笑って、そのまま真っすぐにココロを抱き寄せた。
ただでさえ近い距離、マフラー越しの口づけは満天の星と月に見守られていた。
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二人は紅葉の絨毯に腰を下ろしてぼんやりと空を見つめたままだった。
「トール君……」
ぽつりとココロはトールの名を呼んだ。
重ねられた掌が、今度はココロの方から力が入った。
ココロの方を見れば、マフラーの中へとココロの顔が埋まっていく。
「すぐに、は無理ですけど。その、いろいろがですね、片付いたら。新しい家族が欲しいな、っていうか……」
意を決したように、ココロはそう呟いて、ふるふると顔をマフラーの外に出す。
「まだ家族じゃないんですけどね」
真っすぐにトールの方を向いて、視線を交えてそう告げる。
「新しい、家族…………あっ、いえ、はいっ。意味は、きちんと理解しています。ただ、ちょっと驚いて――」
「気が……早すぎましたよね。でも、同じ気持ちでいてくださったら嬉しいです」
思わず驚いて目を瞠ったトールの視線を逃さず、ココロはそう続けるのだ。
ぎゅっと結ばれた手が離れて、向かいあってまた結ばれる。
「……ありがとう、とても嬉しい。僕も同じ気持ちだよ」
トールはじっと見据えられた瞳に合わせて、そう言うのだ。
「でも、そうですね……もう少しだけ時間が欲しい」
ぎゅっと結んだ手に、トールの方からも力が入る。
「僕は『お父さん』がいない環境で生まれ育ったから、『お父さん』という存在がよくわからないんです」
そんなトールの言葉を、ココロは黙って聞いていた。
実際のところ、ココロだってそれはわかりにくい。
実の父から向けられている目は不器用ながらに父性と呼ぶだろうということは分かるけれど。
「だから、これから少しずつ学んでいきたい。将来生まれてくる新しい家族のために、ココロちゃんと一緒に。
それにまずは……愛する貴女と家族になりたいから」
「……分かりました。わたしも、やりたいことはまだまだ沢山ありますから」
真剣な瞳のままにそう言って、二人はもう一度口づけを交わす。