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きっとこの気持ちは、君と同じもので
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「ありゃ……思ったより汚れてないなぁ」
一人で過ごすには不自由無いくらいの広さがある部屋には、暫く人の出入りも無かった筈なのに埃もそこそこしか溜まっておらず、壁棚に置かれている小物達も綺麗なまま空間に彩りを与え続けている。
中へと足を踏み入れればシンプルな一脚のテーブルにセットの椅子が出迎えてくれた。
「(家から出る時からこんな慌てちゃって)」
椅子に掛かっていたのであろうストールらしきものが床に落ちたままで、拾って軽く叩けば微かに埃が零れていく。テーブルに置かれたままのティーカップには紅茶が残っていたのだろうか、水分が飛んで陶器の底に茶渋がこびりついていた。
収集の連絡は突然であったみたいなのか、必要最低限の準備だけしてローレットへ向かったのだろう。よく見れば片方の椅子もテーブルから少し離れ気味だ、帰ってきてから片づければ良いやと考えているというのが手に取るように解れば知らずと笑みも出てくるもの。
「どうだ。片付きそうか夏子」
聞き慣れた声に振り返ると、部屋の鍵を渡してくれた我らが黒狼隊の隊長が入口に立っていた。
「ははは、片づけるも何もタイムちゃんったら着の身着のまま出てったみたいでさ、猫の手も借りたいぐらいだわ~。どう、隊長も手伝ってかない? 一緒に家探ししよう、家探し」
へにゃっと崩した声で誘ってみるも我等の隊長サマは、それはお前がやらなきゃいけない事だろうと、そして望んでも無い事を言うものじゃないぞと苦笑混じりに零して去っていく。
「様子を見に来ただけだってことかな? そんなサボったりしないのにな~。真面目ですよ僕ぁ」
そう、今日はこの館の一室。かつてタイムという少女が使っていた部屋。主を失った持ち物を片づけにコラバポス夏子は赴いたのだ。
彼女に近しい者として、彼女が存在していた名残が消えてしまうその前に。
●ねぇ夏子さん、浴衣を買いに行かない?
止まっていると寂寥感に耽ってしまいそうになって、とりあえず動こうとクローゼットの取手を持って開く。誰に怒られる訳でも無いと理解しているのに秘密を覗き見しているようで落ち着かない。
「……ヤだなぁ。女性の部屋でこういうトコ開けるのがイヤってんじゃなくて……」
それを聞く誰かも、許す人も居ないのに俺ってヤツは。普段なら喜ぶシチュエーションでも今はそんな気にもなれない。冗談混じりに誤魔化してみても恥ずかしいだけだった。
クローゼットの中は彼女がこれまで着ていたのであろう洋服や催しの衣装が綺麗に掛けられている。
「こりゃまた懐かしい」
生成色の生地で仕立てられた浴衣。きちんと手入れされていたのだろう、数年経った現在でも色褪せずに綺麗な状態で保存されていた。
呉服屋で唸りながら互いに選んだ日、つい先日の事かと錯覚してしまう程に話してた事も覚えている。
帰り道、どこから聞いたのか夏祭りがあるならこれを着て出かけようと、駆け引きも無い素直なお願いに心中で笑みを浮かべる。何時もの調子ではぐらかしながら応え、何か言ってくるかなと此方を見上げているであろう彼女の顔を見てみれば既に前に向きなおっており、その時の満面の笑顔をよく覚えている。
まだまだ綺麗な浴衣を手に取って畳んでいく。どうするかはさておき、今はこの部屋の整頓が目的なのだから一旦仕分けして片づけなければならない。他の服も同じように畳んで箱に詰めていく。どれもデートの時に着てきたものだったり、催事で仕立てて着てみた衣装だったりと懐かしい気持ちになってくる。
粗方済んだ後、近くにあったベッドに腰かけて一息つけば、思わず大の字で背中から心地好いマットレスへダイブする。
●デートなら、わたしとしてよ夏子さん。
「タイムちゃ~ん、もしかしたら居るんじゃないの~?」
まぁ、だろうけど。当たり前だけど返ってくる声は無い。わかっていても意識なく出てしまった弱音と懇願に少し気恥ずかしさが生まれる。幾度逢瀬を重ねたベッドは何時ものみたいにやさしくふんわりと身体を受け入れてくれるだけなのだ。こんなことでは終わらないと起き上がってベッド周りをみていくと、また懐かしい出来事が記憶から蘇ってきた。
デート権利を賭けたあの模擬戦が終わり、負傷した為に黒狼館にある部屋で療養していた時。タイムちゃんが妙に沈んだ顔というか、気まずそうにお見舞いに来たことがあった。自分としてはなにも気にしてなかったし、逆に何かあったのか心配になっちゃったんだけど男一人の部屋に来たって事は……って下心が先行してたこともあって気づけなかった。
持ってきてくれたドゥネーブの苺は美味しかったし、食べさせてあげた彼女の顔は何時もの様に可愛くて抱きしめたくなった。
だが、今気になっているのはそこではなくて。
「デートを潰しちゃって、かぁ~」
何のことかわからなかった自分の顔を見ていじけるタイムちゃんに、怪我する元になった戦闘の時に言っていた『わたしとしてよ夏子さん』という言葉。
足りなかったピースが嵌まる音が脳に響く。
あぁ、そうか、そうだよね。
自分を見てほしいなんて当たり前の事だったんだ。僕を邪魔した罪悪感と、それでもデート権なんてものは阻止したい気持ち。そりゃ会いにくいよなぁ。
でも安心してほしい、あの時も今も邪魔なんて思った事はなかった。心の底から来てくれたのが嬉しかったぐらいにしか思ってなかったよ。下心はありきですけども。
全部じゃないけど、今なら君の気持ちもわかるなぁ。
●今度、一緒に
「あらら……椅子に掛けてあったのかな? 慌ててたっぽい。こゆトコはしっかりさんだと思ってたケド」
独り言ちながらテーブルに置いてあったカップを片付けて椅子の近くに落ちていたストール。いや、マフラーを拾う。見覚えがあると思ったら自分が貸した憶えが薄っすらと残っている。一緒に落ちていたもう一つの布地、此方は編みかけで貸した方のマフラーに似た柄になっていた。
「(オソロにしようとしてたのかな)」
折角だから完成した姿でお披露目して欲しかったと思いつつ、彼女のこういう所も好ましく思えるのだ。
何時からだっただろうか、タイムちゃんが依頼後で帰ってきた時につけてくる傷、怪我が多くなってきたなと感じていた。見て分かる怪我は勿論、抱きしめた時に見える傷や触れた時に僅かに身体が強張ることもあった。痛みは癒せても、身体が憶えていて反射的に本能が庇ってしまったのだろう。
タイムちゃん自身は変わってない、可愛くて、優しくて、何時でも誰かを想ってあげている。
「変わったのは、僕のほうかナ……」
そう、この時から俺の意識は自身に訴えかけてきてたのかもしれない。それに気づけなかっただけで。
茶化してそれを叱られたり、出会ったばかりと変わらないやり取りの中に相手への慈しみは深くなっている。彼女が綺麗な桜があるとこれまでと同じように自分を誘ってくれる。自分も同じように彼女のやりたいことに付き合うつもりでいた。
だけど、なんだろうか。今までと同じではなんか違うなと思って。
なんて言ったか覚えていないけれど、微睡みから覚めた後のキミがとても好い笑顔だったからなにかなんて聞けなかったんだ。自分で壊したくなくて、ずっとそういう顔が見ていたくて。
だから、危ないことなんてして欲しくないなんて思って。でも自覚が無かった自分ではそれを止められなかった。
●大事な事を君は教えてくれた
「ふふ……らしいじゃんね。まだ行ってないトコ沢山あるよ~っと、これは」
机の上を整理してたら見つけたグルメ情報誌。付箋だらけで雑誌の厚みは増え、飛び出した付箋には訪問済みの印であろう花丸が付いてたり無かったり。ペラペラと懐かしむ様に捲ってると視界の端に置かれているシンプルながらも上品に拵えられた模様の小箱に気づく。
「(僕が贈ったイヤカフに押しピン……他のも)」
こんな綺麗な小箱に入れちゃって、と気恥ずかしくも嬉しい気持ちになる。
嬉しいと等しく、こうも考えてしまうのだ。
「(どんな風に見て、想って……コレを置いたんだろう)」
自分ではわからない、いや、違う。今なら解る。知っている。
僕があの子の笑顔を見ていたかった、女の子の笑顔はどれも素敵なものだけど。そうじゃない。
僕が君を笑わせてあげたくて、それを見られると嬉しい気持ちになれて。
どんな物とか何をしたとか関係無く、君が僕の為にしてくれたことなら些細なものでも愛しく思えるんだ。
他の誰かじゃあ代わりになれない、タイムちゃんじゃないといけない。
君がずっと教えてくれてたんだなぁ。
「君は僕を好きでいてくれた。その理由はわからないけれど」
そして。
「僕は確かに君が好きだったんだ。好きでいてくれたからじゃなく」
今まで自分は恋をしているのか、愛しているのかなんて解らなかった、知らなかったんだ。
「君が教えてくれたんだ」
あぁ、今まで解けずにそのままにしていた感情が露わになってしまう。
見て見ぬフリをしていた気持ちが今更僕に襲い掛かってくる。
握った手の感触が消えたあの時に聞かせられなかった言葉。
「タイムちゃん」
涙がでそうだ。良い歳した男がまいったね。でも泣き顔なんて見たくないだろう?
だからぐっと我慢するんだ。
自身の手を眺め、握り拳にして蘇るのはあの時霧散してしまった君の手。
「僕さ、君に恋したと思うんだ」
口にしてしまった。二度と戻らないあの日々を想い、もう触れられない君の顔を思い出す。
彼女となんでもないような日常が自分にとっての幸せだったんだなと伸ばした手は空を切る。
細工扉から漏れる太陽の光。遠くの方から聞こえてくる子供達のはしゃぐ声。
「僕は、君の帰るトコだったのかい」
館内の生活音と子供達の声だけが、いつまでも止むことなかった。
●
カップを洗い乾かしている間に持っていける者を仕分ける。流石に全ては難しいので、負担にならなさそうなものを選んでいく。
「うん、整頓って大事な」
写真や情報誌、小物入れとその中身。後は編みかけのマフラーを丁寧に梱包していく。
「(マフラーは僕が続きやって、そのうち持ってくからつけてね)」
纏め終わり、あれだけ残っていた生活感もリセットされてしまった。
「う~ん、僕の帰るトコ失っちゃったなぁ~」
軽く伸びをすれば背骨がコキコキとなって少し気持ち良い。
「はは……まだ暫くさ、僕ぁ君を探しちゃうんだろうなぁ」
何を悔やんでももう遅い。
でも、なんとなく君は僕に後ろばかり向いて欲しくないんだろうなって思うんだ。
「だから……だからそんなトコ見られたくないしさ。せめて君の守ろうとした世界くらいは手の届く範囲で守ってみるよ」
格好つけて大変な事言ってるかなと思う。でも女の子の為に格好つけたいなんて当たりまだよなと考え直す。それが恋しい子の前なら尚更だろう。
「……あぁ~、極力ね?」
締まらないのもまた、夏子という男らしいのかもしれない。
「はぁ~」
寂しいなんてもんじゃない。なんていうか酒でも飲みたい気分としか言いようもない。
用事も終わったのだ、隊の男衆探して昼酒と行こうじゃないか。扉を開け一歩踏み出す、その前に振り返って。
「行ってくるね、タイムちゃん」
閉めるドアの隙間からそよ風が頬を撫でる。それはまるで彼女が送り出してくれたもののようで。
『いってらっしゃい!』
そう言ってくれた気がしたんだ。