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恋の始まりは、変わりやすい4月の天気の様だ。
登場人物一覧
あなたが、傍に居てくれればそれだけでも良かったのよなんて、物分かりの良いおんなの顔をして微笑めば、彼は安心するのだろう。
わたしだって、あなた以外を好きになるのよなんて揶揄い半分で告げてみれば、あなたは困った顔で「そうなんだ」と言うのだ。
あなたは、わたしの事を蝶々のように思って居るのでしょう。ひりらと飛んでいって花から花へと飛び回り、時折貴方の傍で翅を休めるのだと。
――未だに良く分からないの。あなたに恋をして良かった。それとも、あなたじゃなければ良かったのか。
正しい事なんて何処にもなくて。だから、恋というのは変わりやすい4月の天気の様で、しとどに雨降らす気紛れな秋の空のようで。
「タイムちゃん」
そうやって、立ち止まっていたって、振り返って何てやらないのだから。
彼女の姿が消えたという話しを耳にしたのは何時のことであったか。寒々しい空気に見舞われながら、世間はファントムナイトの準備に心を躍らせている。
折角ならばセクシーな仮装が良いだなんて揶揄うように告げれば「考えるだけよ」なんて彼女は答えたのだ。考えたら、きっと期待に応えてくれる――だなんて浮かれた心は秋空も笑って見ていただろうか。
そんな時だった。黒き狼の群から幾人かが逸れたという。訪れた部屋に漂う空気は湿っぽく、雨天時にじっとりと感じられる昏い気配を醸し出していた。
バランスを取ってなんとか作ったトランプタワーを悪戯に壊したようなばつの悪さを感じ取りながら夏子はその部屋を後にする。恋も愛もなにも何もかも知らぬような顔をした男は辛抱たまらんと言いたげに屋敷を後にした。
夏子は女性が好きだ。生れ落ちて、その命潰え灰となるまで。女性は女性として認識している。美しき花々の間を軽やかに飛び回る蜜蜂のように情を汲み交す日々だった。
如何せん、夏子は恋について何ら理解をして居なかったから、恋愛雑誌のハウ・ツーを上からなぞって上辺だけのように情欲を満たすように過ごし続けて頂け、だったというのに。
彼女が消えたと聞いたのだ。イエローオーカーのように、ミルクティーのように柔らかな金色の髪をふんわりと揺らす彼女は春霞のように風に誘われたと耳にした。
その日から夜毎に飛び回る蜜蜂は、行く宛を定めぬ旅人のように彼女の姿を探し求める事となる。その姿は青年としては有り得ざる光景で、彼女から見れば恋情を固めて作ったキャンドルの炎を更に燃え上がらせた事だろう。
思い出の場所を一つずつ巡った。ラサの砂漠での夏の思い出を辿ってや居ないだろうか。莓を美味しいと言っていたっけ、夏祭りの行灯を見に行きたいと思い立ったとか。ああ、いいや、夏ではないから――なら、ドゥネーブの海風を受けに行ったとか?
フリアノンの夏祭りも好いていただろうし、待ち合わせに遅れてしまったシャイネンナハトの雪道を眺めて居るのでは無いか。カンテラの明かりを揺らして紙飛行機を用意した事もあったっけ。
それでも、2人で過ごすなら小さなベッドルームで腰掛けて他愛もないことを話した思い出ばかりが溢れ出す。――もう少しデートしてくれたっていいのに、と唇を尖らせた彼女の言葉をそれ以上聞いては居られなくて、閉ざしたのも一瞬。
思い出せば妙な恋しさだけがそこには合った。ラピスラズリの海よりも、もっと輝く恋情の瞳に射貫かれて「夏子さんったら」と叱られて居たいのだ。
彼女は居ない。
彼女が見つからない。
――幾日もが経った頃だろう。
「……てか、何でこんなに必死なんだか」
思わず独り言ちてから夏子の唇が引き攣った。羊皮紙の上に図でも書いて論文として発表して欲しい。脳内に出来上がった議場では、思考達の答弁が思う存分に始まったか。
元はと言えばタイムが己を好きで居てくれたのだ。その恋心が本物であるかは疑う良しもなく――そもそも、夏子は「好きなものは好き」なのだ。それが恋情か愛情か親愛か、友情なのかも区別は付けず――彼女が好きだと言うからには己も好きであっただけの筈だった。
そう言えば拗ねただろうか。膨れ面を思い出す。かと思えば直ぐさまにぱあと明るく微笑むのだ。
瞬き一つで世界の色を変えるように、彼女のかんばせは様々な感情を載せている。それが『女の子』らしくて可愛らしいと感じていた。
可愛い女の子の一人だ。数ある星の中の一つ。ただ、特別だったのは幾度となく生死を分かつ戦場で隣に居た。一夜の契りではあるまい、吊り橋なんかダッシュで渡り終った後に崖から勢い良くバンジージャンプを繰返してきたような中だ。
――夏子さんったら。
そんな風に気に掛けてくれるから、気に掛かった。
――一緒に居てくれる?
呆れるほどの逢瀬を重ねた、呆れるほどに愛を汲んだ。言葉にされれば悪い気はしないのだ。
そうして逢瀬を重ねた。だからといって、連日連夜探し回って身も心も草臥れるような事があろうか。
一人の女性に対してそうして思ったのは――
しかし草臥れた。少し位休憩をして置かねば、彼女が見つかったときに戦う事も出来ないだろうか。やっとの事で自室に辿り着いたときだ。
扉を開けば彼女が其処に座っていた。何時ものように狭苦しいベッドに腰掛けて何処か困ったような、どことなく不安そうな顔をして。
「……何処に、行ってたの?」
かんばせを眺めてから目玉が転がり落ちるような感覚を夏子は覚えた。「タイムちゃん」と呼び掛ければ「はい」と草臥れた声音が返される。
「そりゃあ、僕のセリフでしょ」
「……そうかも」
困った様子で笑ったタイムへと夏子は慌てた様子で駆け寄った。座ったままの彼女の頬に触れる。暖かで、触り心地の良い。何時もの慣れた手触りだ。
ゆっくりとその手を這わせる。首に、それから肩に触れてからゆっくりと抱き締める。
「夏子さん」
「聞かなくても分かる。無茶したでしょ、タイムちゃん」
「……大丈夫、生きてるわ。心配させてごめんね」
彼女はそれ以上は答えないのだ。夏子もよく分かって居る。
タイムという女は甘えん坊のように振る舞うが強かだ。自らの事は自らで背負うことが出来る。人に荷物を共に背負ってくれとは願わず、それ以上に誰かの荷を分けてくれと手を差し伸べるような、そんな女だった。
「何処で何してたか、聞いても良い? あろう事か、僕が四六時中探したんだしさ。まぁ……聞く資格っての得ちゃったワケ」
「……ん、と……薔薇の庭園に、招かれたわ。遂行者達に。そこで、聖女ルルと会った。
ルストを打開する手がかりになるかも知れない。そう言って、皆で……あの場に招かれた皆で尽力したの。私一人じゃないわ、皆居たのよ」
言葉を選んだのは彼の知らない場所での話しだったからだ。夏子はと言えば、言葉を耳にしているだけだというのに苦虫を噛みつぶしたような顔をして居る。
後ろめたさは夕暮時に手を振る影のように伸びていく。タイムはと言えば「無茶をした結果も厳密にはわからなくて」と付け加えた。
此れはただの猶予なのだという。魔法仕掛けの時計の針は短針を追いかけるように長針が走り出したが、何れはぴたりと重なり合って沈黙するらしい。
「いや……ホント。あ~まぁ……慣れたモンではあるケド、次は一人で行っちゃダメ。僕も行くから」
「ふふ、平気よ、平気」
傍らに座った彼の肩口へと頭を擦り付けた。少し疲れた彼は「汗臭くない?」と笑うけれどタイムは間延びした相槌だけを返すのみ。
漠然とした不安に名前はない。ただ、風船のように膨れ上がって心を圧迫し続ける。その不安の圧を抜くように彼のぬくもりに寄り添った。
ベッドに置いた掌に彼の掌が重なった。分厚い、武器を握る人の掌だ。このぬくもりがタイムは好ましかった。
「……わたしね、守りたいものが増えたの。大切なら守りたい。わかるでしょう?」
「まあね。そりゃ、長い付き合いだもの。ようく分かるよ なんちゃって」
「ふふふ。よーく分かってくれるなら、どうか責めないでね?」
「責めないよ。ちょっと拗ねたダケ」
「じゃあ、その時間を埋めるように、ね? ……夏子さんが傍にいてくれたら、うん、嬉しい」
「オーケーオーケー。僕とタイムちゃんのコンビ仲をもっと深める為に綿密な打ち合わせしよ」
へらりと笑った夏子にタイムは「そうね」と笑うのだ。けれど、何時も通りの話しばかりだ。
天義を守り切ったら、シャイネンナハトがやってくる。今度は遅刻なんてせず、最初からお姫様のように丁重にもてなしてみてと揶揄えば彼は困った顔をするのだ。
一等素晴らしいプリンセスのように扱ってくれるだろうけれど、それもその時だけの時限式。目が醒めたら突然爆発したように、王子様が消え失せてしまうのだ。
そんな儚い夢の様な現実なんて必要は無いから。冬の白雪みたいに解けてしまわないような素敵な日にして欲しい。
「シャイネンだけ?」
「その後も。初日の出は?」
「いいねぇ~。山昇っちゃうんだ?」
「……大変そう」
新年の抱負なんて、在り来たりなことを語り逢うのだって楽しいだろう。要所要所のイベントは恋人のような四六時中愛情を伝え合うような物にはならないかもしれないけれど。
タイムだって良く分かっている。彼って人はいつだってこうなのだ。蜜蜂のように花から花へと渡り歩いて、偶然蝶々が止まった花の傍に佇み暫くの時間を過ごすだけ。あくせくと働くようにして何処かへまた行ってしまう。
シャツの裾を摘まむような、そんな妙な心地になって「それから?」と問えば、彼は何時も通りの顔をして「夜?」と問うた。
「……もう」
本当にしょうがないひと。それでも、そんなところも好きなのだ。
「ほんとさ、四六時中探し回ってよ~~~~~やく逢えたんだからさ」
「そんなに探してくれたんだ? ……わたしのこともしかして、ちゃんと好き?」
彼女の瞳が丸い色を帯びた。びいどろみたいに光を帯びる。ゆっくりと軋んだベッドを聞きながら夏子はさも当然のように「好きだよ」と応えた。
「そりゃも 四六時中探し回っちゃうくらい」
その言葉には嘘も偽りも無くて、大切に大切に過ごしてきた時間が、心の底から大事になって居た。時間だけじゃない、場所も、思い出も。問われれば思い出せるほどに。
けれど、屹度彼女の問う言葉とは大きく違うのだろう。恋情も愛情も、友情も、親愛だって混ぜ込んで、其れ等全てを偏に好きという言葉で丸め込めてしまうから。
ぐしゃぐしゃにしたアルミホイルに包み込まれた石ころみたいな。投げても所詮は、ただの石ころでしかない癖に妙な意味を内包したように格好を付けたのだ。
よもすがらに、想いを交せども可惜夜に髪を一筋摘まんで見たって、その意味が擦れ違うことはない。
けれど、好きである事には違いが無くて。上辺だけの好きを並べ立てて、それが真実になったかのように夏子は振る舞うのだ。
そっと彼女の肩に手を掛ける。頬に掌をぺたりと当てれば擦り寄る熱が心地良い。
「でね――タイムちゃん。今日はちょっと僕が我慢できないから覚悟してね」
熱情を帯びた瞳だけをタイムは見詰めていた。
私のこと、本当に好きになった? なんて。問うて見れども何時だって空虚で、伽藍堂で、意味なんて無いこと場だと思い込んでいたのに。
彼が真実の愛なんていう御伽噺に目覚めたとしたならばどれ程に良かっただろうか。蜜蜂は花々の間を飛び回って蜜を集める。シーツの上を指先が泳ぐように掻いてから重なった唇にそれっきりの意味を込めてみた。
今日は想いが通じ合った気がした。夢でも構わないから、そう思いたかった。
自由自在な彼を繋ぎ止めていられるだけの意味がそこに生まれたような気がしてならなかった。
「好き?」
「好きだよ」
何度となく繰返す。その問答に意味など無いと知っている。
彼がおんなを愛するならば同じ言葉を口で言うのだろう。まるで壊れたレコードのように愛情と呼ばれたラベルを擦り切れるまで擦り続ける。
それでも、彼が愛してくれるならそれで良いと思えてしまうのだ。
「私、もうすぐ死んでしまったらどうする?」
「そんなこと言うんだ。でも、今は僕だけのタイムちゃんでしょ?」
「……ふふ、ばかなひと」
そっと彼の髪に指先を通せばその瞳が笑うのだ。
女の人に離れられたって仕方が無いんだとさも当然のように告げる彼が、今は自分だけを見ていることに幸福を感じてしまった自分が居ることにタイムは気付いてしまっていたから。
ばかみたい。わたしだけの好きではないのに、そうだって思ってしまうと溺れてしまう。
ばかみたい。あなたに愛されている事を実感する度に、それが薄っぺらい愛であっても、その中でなら悠々自適に泳げてしまう。
――悍ましい呪いのように、その心にひっかき傷を付けていられるような恋ならばどれ程に良かっただろう。
屹度傍に居られるだけの時間だった。
魔法仕掛けの時計の長針は短針を追いかけて、進み征く。刻の流れは緩慢で、されとて、妖精の悪戯のように唐突に駆け足を始める。
走り出してしまえば止まることは無く、刻の流れは淀みなく流れる水の如く、何時しか重なり合って混じり合う。コーヒーに沈むミルクのように白と黒が合わさった後に、気付くのだ。
一度ひっくり返った砂時計の砂は落ち続け、留まるところを知らないままに
「タイムちゃん」
今だけ、あなたのものになったなら。
あなたも今だけは、わたしのものであってくれればそれだけでよかったのかもしれない。
恋の始まりは、変わりやすい4月の天気の様で、しとどに雨降らす気紛れな秋の空のようで。
それでいて、夏の盛る篝火のように手で触れることさえも困ってしまうのだ。四六時中、夢見るようにあなたのおもかげばかりを探していたのだから。
影を踏むように夕暮時に佇んで、手を伸ばせば影だけが掌を重ね合わせた。かんばせさえ読み取れぬ長くのっぺりとした影の中で彼の唇が揺れ動く様だけをタイムは見詰めていた。
「どうする?」
「どうするって、そりゃあ――」
今だって。恋の始まりでもないけれど、この心は変わりやすい4月の天気の様で、あなたのことをつい試す。
降る雨のにおいも、こびり付いてしまった口づけの後も、心に出来たひっかき傷の瘡蓋も。何時の日か剥がれ落ちて仕舞うだろうけれど、今だけはじくじくと痛みとなった。
「ねえ、夏子さん。わたしのこと、好き?」
――幾度となく問うた彼女のその言葉に漸く応えることが出来たのは眩い奇跡の光を、雨のように受け止めたあの時だったのだろうか。
もう、彼女に答えなんて聞こえちゃいなかったけれど。