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- ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
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積もっていた雪が、溶け始めていた。空には重たい雲が残ってこそいるけれど、穏やかな太陽は白く塗られた地面を照らしている。陽のよくあたる場所では雪はすっかり溶けていて、死をちらつかせる季節を乗り越えた逞しい植物が、そっと顔を覗かせていた。泥で足を滑らせないように慎重に歩きながら、ジョシュアはそっと辺りを見回す。密やかに息をし続ける生き物たちを眺めて、ほっと息を吐いた。
この森は、どんな時でも綺麗だと思う。景色が美しいから、というのは勿論あるのだけれど、それよりもここは住む者を誰でも受け入れてしまうような、そういった穏やかな空気が漂っているような気がするのだった。
泥で足を滑らせないように、慎重に歩くことしばらく。道が開けて、いつもの見慣れた家が見えた。また玄関が開かなくなっていたらどうしようと心配してはいたけれど、庭の雪は溶けだしていて、春の訪れを喜ぶように、小さくて白い花が咲き始めていた。
「ジョシュ君」
リコリスの家の窓が開く。カーテンが捲れる音と共にリコリスが顔を出して、ふわりと微笑んでくれる。走って近づきたい気持ちが湧き上がってきて、でもそうしたら泣いてしまう気がして、庭に立ち尽くしてしまう。するとカネルが窓から飛び出してきて、ジョシュアの胸に飛び込んできた。その温もりに息を吐くと、リコリスと目が合った。
おかえりなさい。そう告げる声が優しくて、ほっとする。強張っていた足が元に戻っていって、気が付けばリコリスの側に立っていた。
「ただいま」
じわりと涙が滲んで、今までずっと泣かないように堪えていたのだと気が付いた。張り詰めていた糸が切れていって、押し込めていた心が浮き上がってくる。リコリスを心配させてしまわないように笑顔を繕いたかったけれど、うまくいかない。何て言おうか迷っていると、彼女は静かに微笑んで、そっと頭を撫でてくれた。
「さ、お茶にしましょうか」
こくりと頷く。家に入る前にふと森を振り返ると、緑が普段よりも鮮やかに見えた。
家の中に入ると、甘い香りが鼻をくすぐった。お菓子を作ってからさほど経っていないと分かるこの匂いが、ジョシュアは好きだった。そっと香りを吸い込んでいると、目の前に何かが差し出された。
「二つ作ったから、一つあげるわ」
それは押し花にされたであろうクラルテが、薄い硝子に閉じ込められたものだった。淡い緑色の硝子はクラルテのある場所だけ色が変わっていて、透明な花の存在を確かにしていた。
「ありがとうございます、大切にします」
硝子を大切に抱えるジョシュアにリコリスは微笑んで、「お菓子もとっておきよ」と机の上に置かれていたカバーを取った。
ホワイトチョコレートでコーティングされたケーキだった。白いクリームの上にホワイトチョコレートがかけられていて、雪の上に純白のヴェールをかけたようだった。
「綺麗」
ほうと息を零すと、リコリスが照れ臭そうに笑った。切られた苺がそこに飾られて、雪の上に赤色の花が咲く。季節の移り変わりのようなそれを見つめていると、彼女はそっと頬を赤く染めた。
「良いことがあったみたいだったから」
紅茶を淹れて、席につく。二人で微笑み合って、いただきます。今日はジョシュアが話したいことがあると言って訪ねた日なのだから、早く話し始めたほうがいいのだろうとは思う。だけど彼女がこうしてケーキを用意してくれたのだ。明るくない話をする前に、まずはケーキを味わいたかった。
ケーキを口に運ぶと、コーティングがぱりぱりと崩れていって、スポンジの柔らかさと合わさって不思議な食感になっていた。チョコレートの甘さと苺の爽やかさはただ美味しいだけじゃなくて、だんだんと気持ちを落ち着かせていくような優しさがあった。
「それで、今日話したかったことなのですが」
紅茶は爽やかなベリーの香りだった。口に含むと、すとんと気持ちが固まった。
「前に手紙で怖いことがあったと書きましたけれど、そのことなのです」
「ジョシュ君の過去に関係があると、言っていたわね」
リコリスが紅茶のカップを持つ。爪が陶器にぶつかって、かつりと音が鳴る。ずっと気にかけてくれていたことが嬉しくて、でも同時に申し訳なくなる。
「そのこわいことは、生まれた森の人に、再会したことでした」
集落の人には仲間ではないと言われたから、故郷だとは言えなかった。故郷とはその人その土地に愛されるからこそ故郷となる。そこでずっと迫害を受けていたジョシュアにとって、あの森は故郷とは表現できない場所だった。
「僕が毒の精霊だと皆に明かして、孤立する原因のひとつを作った人でした」
毒というものは恐れられるものだ。触れただけで命を落とすものもあれば、じわりじわりと身体を蝕んでいくものもある。例え全てが解毒できるものだとしても、誰しも苦しい思いはしたくないに決まっている。だからある程度は仕方なかったのだとは思う。だけど何年経っても石を投げられることを恐れていたのも、素性をなかなか明かせなかったのも、迫害がそれ以上に厳しかったからだ。
「集落の長の、キーラという人です」
キーラはそうすれば集落の皆がジョシュアに冷たく接すると知って、毒の要素を持つことを早々に明かした。じわりじわりと悪意の種を撒き、育ったそれがジョシュアを蝕むことを望んでいた。キーラだけが救いだと言わんばかりに優しく振る舞って、気まぐれに言葉で傷つけては、ジョシュアが壊れていく姿を楽しんでいた。
「暗いところが怖いのは、キーラ様の館に閉じ込められたことがあったのが関係していて」
簡潔に話せるように、どうやって伝えようかたくさん考えてきたのに、話している間は何度もつかえた。時折胸がひどく音を立てて、息が苦しくなる。今まで思い出したくなくて言えなかったことなのだ。こうして言葉にできていることは、きっと「成長」と呼ぶものなのだろうが、彼女がこの話を聞いて、悲しんでしまうのではないかと不安だった。
リコリスの手が紅茶のカップを持つ。気持ちを落ち着かせるように紅茶に口をつけているのを見ていると、やはり平気ではいられないのだと気が付いた。ジョシュアだってリコリスの過去の出来事を聞いていると、胸が苦しくなる。そう思うと、この話を続けて良いのかが分からなくなった。
「良いのよ、続けて」
ジョシュアの迷いに気が付いたのか、リコリスは優しく笑った。
「苦しいことって、ひとりで抱えられないものなのよ」
ジョシュ君が話して楽になるのなら、私は聴くわ。彼女の唇がゆるく弧を描いていて、ジョシュアは少しの間それを見つめた。
ジョシュアが彼女の過去を聞くと苦しくなるのは、その痛みからすくってあげたいからだ。寄り添ってあげたいからだ。痛みをもらうけることで彼女の苦しみが少しでも取り払われれば良いと思うから、リコリスの話に耳を傾けるのだ。そしてこれはきっと、彼女も同じ。ジョシュアの胸に棲みついていた苦しみを、少しでもすくいたいと思ってくれているのだろう。そう分かってしまえば、喉元でつかえていた言葉がするりと零れた。
「ずっと、つらかったです」
言葉にしてしまえば、ふっと身体が楽になっていくような気がした。思い出したくもないからと、傷が今よりも生々しかった頃はずっと自分の中に封じ込めたままで、エリュサにも言えなかった。そうして人になかなか伝えられないまま、恐怖と傷が刻まれた心を抱えて過ごしてきたのだ。でも本当は、こうやって言葉にして、楽になりたかったのかもしれなかった。傷を共に背負っても良いと言ってくれる人に、リコリスに、抱えたものをほんの少し預けたかったのかもしれなかった。
「再会したときは、当時の苦しいことがたくさん蘇りました。でも、彼女が集落の心無い人に大切な人を殺されていたと知ったり、僕の心を照らしてくれた人たちがいたりして」
瞼の裏に浮かぶのは、あの日、あの闘いの時、自分を支えてくれた友人たちの姿。与えられた優しい声。それから懐中時計の温もり。
「実を言うと、まだ全ての怖いことが消えたわけではなくて、また傷付くかもしれませんが」
過去の出来事がなくならないのと同じように、大切な人たちから与えられた優しさの光は決して失われることはないのだ。だから自分は、立ち上がることができる。
「僕は、いつか彼女の心も照らしたいのです」
大切なひとを喪った悲しみは自分も知っているし、それに、苦しいときに人に救われてきたからこそ、今の自分があるのだ。悲しみと憎しみが彼女を歪めてしまったのであれば、そこに光を差してあげたい。
「何があっても、必ずリコリス様の元に帰ってきますから。約束します」
はっきりと告げると、リコリスはそっと頷いてくれた。胸元でネックレスがわずかに揺れているのを見て、ジョシュアは自分の胸元に手を伸ばしていた。懐中時計に触れるとそこに籠められた優しさが確かに伝わってくる。
この懐中時計を通して、彼女と繋がっているのだ。そう思うと力が湧いてきて、キーラと向き合った時に涙を拭わせたのだと思い出す。
「話してくれてありがとう」
リコリスがカップの持ち手をそっと撫でている。手悪戯であろうそれに含まれた慈しみに、触れてみたいと思う。
「とても勇気が必要だったでしょう」
彼女はそう言って微笑んだ。
「苦しいことも、悲しいことも、誰かと分かち合えば軽くなるものなのよ。私にも背負わせてくれて、ありがとう」
リコリスの手がこちらに伸びて、ジョシュアの手をそっと包んだ。その優しさと温もりはじわりじわりと身体を温めていって、目頭が熱くなる。
「乗り越えてすごいわ。偉かったわね」
頷いて、そっと俯く。そうしないと、本当に泣いてしまいそうだ。
「聞いてくれて、ありがとうございます」
涙の滲んだ声に、リコリスはそっと微笑んでくれた。
- 共に背負う完了
- NM名花籠しずく
- 種別SS
- 納品日2024年03月26日
- ・ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
・ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
※ おまけSS『約束』付き
おまけSS『約束』
「これは約束の証に」
差し出した包みを、リコリスがそっと開ける。彼女の細い指が、そこに入れられていたリボンを取り出すのを、ジョシュアは少しだけどきどきしながら見つめていた。
「綺麗。これは桜色、よね」
「ええ。他の世界を訪れたときに作ってもらったのです」
リボンに散りばめられた小さな白い星。照明に当てる角度を変えては、その輝きの違いを楽しんでいるリコリスの瞳は、星空のようにきらめいている。その様子をずっと見ていたいような、でも照れ臭いような気持ちになって、ジョシュアはそっとケーキを口に含んだ。先ほどよりも味を確かに感じられて、美味しい。
「桜を見に行くときにつけてほしくて」
呟くと、彼女の星空がこちらに向けられる。リボン結びにされた桜色がその髪に添えられて、「こうかしら」と彼女の首が傾げられた。
「すごく、お似合いです」
こくこくと頷くジョシュアに、リコリスがやさしく笑いかけてくれる。
桜を見に行く時が待ち遠しいわ。零された言葉に、「僕もです」と微笑み返した。