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赤い鎖
登場人物一覧
人々は華やかな装いで今宵もR倶楽部を訪れる。人々は暇をもて余している。面白いものが見たい。そう、それこそ、誰も観たことがない
ステージには小柄な男が一人。彼は木製の十字架を揺らし、銅で出来たナイフを次々と噛み砕いた。だが、人々はつまらなそうに目を細め、席を立っていく。男はナイフを掴み、ひたすら食べ続けている。ふと、何処からか口笛が聞こえる。男は顔を上げ、萎れたラベンダーに似た瞳をぐるりと観客に向け、突然、唾を吐いた。観客は唖然とし
「まぁ、待ちなさい!」
観客はハッとする。男がはっきりとそう言い、知らぬ間にナイフを女の首に向けているではないか。観客は口元をにやつかせている。誰もが
「ああ、肉だ」
漏れる声。観客は淑女を食い物だと思った。
「大胆な遊びを思い付くものだよ」
銀(p3p005055)はその身を揺らし、流れる赤を見た。人々は男を称え、料理の名を口にし、女に群がっていく。
「銀、すぐに貴方だと分かったわ」
屈強な男を引き連れ、フィーネが微笑む。銀は顔が見えないよう、漆黒の帽子を深く被っている。銀は笑う。フィーネはボディーガードを従えている。
「ごきげんよう、素晴らしいショーをありがとう」
「面白かったなら良かった。ね? 貴方も行ってもいいのよ?」
「大変、興味深いのだが、生憎、俺は血に困ってはいないのだよ。むしろ、俺はその先のことを君と話したいのだが……」
銀はじっとフィーネを見た。フィーネはふっと笑う。銀の憂いを帯びた深紅の瞳は青白い肌にとてもよく似合っている。
「へぇ。なら、D室へどうぞ。小林、あたくしは彼と話をする。少ししてから、あたくしにはブランデー、彼にはNo.23と4を持ってきてちょうだい。そして、それに合うつまみを」
フィーネは男を試すように見つめたが、男の表情は彫刻のように動かなかった。くすりと笑うフィーネ。
「はい、ルカーノ様」
ボディーガードは睨み付けるように銀を見つめ、柔らかな絨毯を俊敏に歩き、扉の奥へと消えていった。
「君と二人きりでいいのかね?」
銀はボディーガードが出ていった扉を見つめる。
「ええ、貴方はあたくしに何もしないのでしょう?」
フィーネはうっすらと笑い、D室に銀を案内する。海色のソファに座り、銀はフィーネを見た。壁一面に美しい雲が描かれ、足元はガラス張り。ちらりと見れば、真下の部屋は厨房だろうか。先程の男が食料庫を熱心に覗いている。
「君らしい趣味で頭が下がる思いだよ」
「ありがとう。で、何がしたいわけ?」
突き刺さるような声。銀は笑う。
「嗚呼、すぐに言おう。10代から20代くらいのなるべく若くて健康な女を1人提供して頂けないだろうか」
銀はちろりと薄い唇を舌先で舐め、フィーネの金色の瞳をまっすぐに見つめる。瞳は猛禽類のようにぬらぬらと光っている。フィーネは黙っていた。そこに表情はなかった。冷たい殺気を漂わせ、フィーネは足を組み直した。
「君ならきっと御理解頂けると思うのだが、俺などは『いいひと』ぶるためには自分の中の『ばけもの』を飼い馴らしてやる必要があってね。そいつをあまり飢えさせると何処ぞで暴発してしまいそうになるので、上手いこと発散させてやらねばならんわけだ」
「そう」
「……その為に何度も君の倶楽部のお世話になってきたし、何より君を信頼して頼んでいるのだよ」
銀は言った。輸血パックでは味気ない。そう、女だ。柔かな肉をこの牙で破り、真っ赤なスープを存分に味わうのだ。フィーネは銀を眺めた。この男は与えた女をすぐに殺すだろう。ならば、何処から調達すべきだろうか。フィーネは笑った。むしろ、この男が本当に大切にしている少女を与えてしまいたかった。
「……高い買い物になりそうね」
その声を聞き、銀は口を開いた。良い提案があるのだ。
「どうだろう? その対価として、俺を見世物にして構わない。正直、本物のヴァンパイアの食事シーンというのはなかなか良いショーになると思うのだよ。それに……見られていると燃えるから、なあ……?」
ひゅうと口笛を鳴らすフィーネ。そうだ、彼らは絶対に見たいはずだ。紛い物ではない、本物を。その一度きりに彼らは大金を払う。フィーネは銀を見つめた。途端に楽しくて仕方がなかった。
「いいわ。ならば、女を買いましょう。R倶楽部を愛している貴方の頼みですもの」
フィーネは微笑み、扉を開け、男を招いた。銀はその瞳に罪人の悪意を滲ませ、グラスに落ちていく赤を眺めた。
銀は真新しい木製の棺に横たわり、奇妙な興奮を知る。
「今日を心から楽しもうじゃないか」
くぐもった歓声を聞きながら銀は棺の蓋を蹴り飛ばし、青白いライトの下に立ち、笑った。その瞬間、全ての音が死んだ。観客は何も知らない。新しい見せ物にただ、夢中になった。銀は可憐な少女に歩み寄った。白色のワンピース、宝飾、黒薔薇の杖、少女は化粧を施され、その身は清潔な香りがした。少女は銀に見惚れ、パープルの瞳を彼に捧げてしまう。物静かで紳士的な男は、はっと笑った。名も知らぬ少女は銀の為だけに存在する。少女は目を丸くし、銀を見つめている。
「嗚呼、俺はこれを自由に出来る……」
漏れた幸福の音は、少女の清らかな身に地獄を刻み付ける。
「俺の為に死ぬがいい」
銀の言葉に今度は少女が笑った。頬に濁った風が触れ、瞬く間に血が噴き出した。銀は避けなかった。いや、避けない方がいいと思った。
観客は目を見開き、息を呑んだ。黒薔薇の杖がヴァンパイアの鼻を打ったのだ。青白いライトが鮮血を凛と照らす。
「穢らわしい生き物だな、あんたは!」
少女は杖を獣の鼻先に向け、笑った。その瞬間、身を燃やすような歓声が響いた。銀は鼻血を腕で乱暴に擦り、無意識に笑う。最高のショーに近づいている、そう思った。銀は少女の目を今度はしっかりと見た。抵抗するのなら、より、多くの恐怖を与えてやりたかった。
「あっ……」
少女は目を見開き、後ずさった。握っていたはずの杖がステージを跳ね、客席に転がっていく。少女は喉を鳴らす。しんと静まりかえる。観客は何かが起きたのだと思った。
「嗚呼、何処に行こうと?」
声が響いた。少女は悲鳴を上げ、逃げようともがいた。獣は少女の肩を掴み、傲慢に服を引きちぎった。少女は震え、獣は女の顔を片手で押さえ、言葉では言い表せぬ行為を繰り返した。演者は何も身に付けてはいなかった。
「もっとだ、もっと……俺を楽しませてくれ……」
獣は身をぶるりと震わせ、呻き声が手の隙間から溢れる。獣が少女の全身に噛み付き、血をすすっている。観客は手を強く叩き、汚れた金をステージにばらまいた。
獣は少女のなかで、絶え間なくうごきまわる。観客は獣と少女を熱心に見つめている。少女は青白いライトを見つめたまま、獣の動きに合わせ、大きく揺れている。そこに彼女の意志はなかった。ただ、ぞっとするような臭いがする。観客は欲望の全てを獣と屍に向けている。フィーネは立ち上がり、スーツの男に合図を送り、出口へと向かう。残念だが、そろそろ、幕を下ろさねばならない。