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拝啓、英司様
登場人物一覧
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――散った。
散った、散った、散った。
ひらりふわりと花弁が溢れるように、命と熱を宿していた肉は白き蝶へと変じ、
――結婚してくれ、澄恋。
男の声が耳に残っている。『はい』と応じたはずだった。
紡ぐ唇を持たぬのに、どうやって返せていただろうか。
――閉ざした襖を背に、熱い口付けを交わしたことを覚えている。
いつだって駆けつけてくれて、
「………………英司様?」
気付けば耀 澄恋(p3p009412)は、暗いところにひとりでポツンと立っていた。
周囲には誰も居ない。彼も居ない。灯りも
(嗚呼……)
闇冥にひとりきり。それはつまり、彼との心中は失敗したということだ。
イレギュラーズの身は
澄恋が共に逝こうと求めて、彼も手を伸ばしてくれて――それなのに。
「……痛い、です」
じくりと胸奥と左手の薬指が痛んだ。あなたが居ないのに、あなたに噛まれた指だけがあなたの存在を示している。痛くて、寂しくて、悲しくて……苦しい。
左手を持ち上げ、指を見た。薬指の付け根の
(なんで、あなたがいないのだろう。なんでわたしは――)
暗がりで暗い気持ちを抱えてほとほと歩く。
ほとほと、ほと。どれだけ歩いたことだろう。
探しても探しても彼には会えなくて。自分だけが死んでしまった事実を受け入れるしかないかと思い始めた頃、やにわに前方が明るく、騒がしくなった。
餓鬼だろうか、獄卒だろうか。何にせよこの暗いところでよくもまあ。『鬼』たちが騒がしくドンチャンと酒盛りをしているのを眺めた澄恋ははあ、と吐息を零した。生前なれば下戸であろうと楽しいことへと飛び込んでいったのに、今はそんな気にはなれない。
悟られないように静かに通り過ぎようと思った。
「はははははははは!」
聞き覚えのある声が耳へと届いた。
驚いた。
いやでも、と
「――焔心!?」
慌てて振り返る――と、真横を酒盛りをしていた輩のひとりが吹っ飛んでいった。
「お? ……どっかで見た顔だなァ」
思いっきり殴り飛ばした腕の形を解いた鬼人種の男は、そのまま肩へと手を置いて。
「誰だァ……此処ら辺まで出てきてるんだけどよォ」
ニヤニヤと笑うその顔を見て、澄恋は少しムッとした。でもこの男――焔心(p3n000304)が態とそういった態度をとることを澄恋はよく知っている。此処で腹を立てては相手の思う壺だと、先刻まで抱いていた寂しさごとぐっと飲み込んだ。
「変わりませんねえ、あなたは」
「あン? 変わる程経ってねェだろォ?」
焔心が没したのは3月で、澄恋が没したのが12月。
「嬢ちゃんは……」
「何ですか。乙女を見て言葉を濁すだなんて」
「……なンと言うか」
「ハッキリと言って下さい!」
「陰気になっちまって、まァ」
可哀想になァと焔心がニヤリと嘲笑う。焔心の言葉に、澄恋は己の装いを見下ろした。彼と会った時は白無垢であったが、今の装いは黒いウエディングドレス。豊穣では黒は喪服だから、陰気な色だと言われればそう取られてもおかしくはない。
だから澄恋は盛大に勘違いをしてしまったのだ。眼前の男は衣服に拘るような伊達男ではないというのに。
「んもう、失礼な! 世に二つとない婚礼どれすですよ!」
眼前の男は「へェ?」と嘲笑った。
ちょっぴりムッときたから、澄恋は存分に自慢してやることにした。
「わたし、ぷろぽぉずを受けたのですよ!」
見て下さいと言わんばかりに胸へと指先を添え、えへんと胸を逸らす。焔心は理解してなさそうだから、どれだけこの身が望んでいた幸せに染まっているのか教えてあげるのだ!
「この色は『あなた以外には染まらない』という忠誠の意を示しているのです」
「黒が、か?」
「そうです!」
焔心の目には、黒は
「あなたと違って、もう苗字もばっちりあります。よって新たなわたしは姓と耳飾りを揃え、最愛のだーりんの隣を歩くに相応しい装いでして……あれ、」
誇らしげに笑顔で語り聞かせていたはずの澄恋の瞳から、ぼろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「あれ……? なんで、わたし……」
「ど、して……わたし」
「わたし、彼を置いてきてしまいました……」
ぼろぼろ、ぼろ。涙が溢れていく。
「好きな人が生きているのは喜ぶべきことなのに」
ああ、どうして。
「でもわたしは魔種になるくらい悪い鬼だから、一緒に堕ちたかったって思ってしまうんです」
なんで、こんな。
「わたしがもっと強ければ一人になんてさせなかったのに」
わたしは、彼とずっといっしょに。
「どうすれば良かったのでしょうか」
涙は止まってくれず、ただぼろぼろと溢れて零れていく。
焔心は澄恋がすぐに泣き止まないのを見ると、酒を飲み始めた。ずびずびと鼻をすすって、えぐえぐと泣きながら「ぢょっどは慰めてぐだざいよぉ」と告げれば「美人になったな」と笑われた。乙女の泣き顔を肴に一杯引っ掛けるとは、相変わらずムカつく男だ。
春にひらりと舞う桜を愛でて、夏に生命の煌めきを瞳に映しながら爽やかな風を頬に感じ、秋に実りの秋だと心を弾ませて、冬に音もなく雪の白さに目を奪われる――時に気安いやり取り何かをしてそういった穏やかなひとときを、ともに、ふたりで過ごしたかった。そんな普通の幸せが叶わないなら――ともに地獄へ。けれどひとりの女として、愛した男の幸せを願いたかった。長生きをしてねと願いたかった。それも、本心。
寂しくて。寂しくて、寂しくて、寂しくて、悲しくて。心が千に刻まれそうだと澄恋は泣いた。
「お前ェ……莫迦か?」
「………………はい?」
「殺せばいいだけじゃあねェか」
あまりにも澄恋が泣きながら吐露するから、面倒くさそうに焔心が頭をかいた。
「欲しいモンは奪う。それで済む話じゃねェか」
澄恋は
もう変じてしまったのだ。元には戻れない。
なれば、奪って奪って奪い尽くせばいいと男は嘲笑う。
「確かに……そうですね」
「だろォ?」
「ですが、英司様をきちんと殺せるようにならねばなりません」
一撃で、苦しめずに。
「そのためにも……焔心、わたしの練習相手になってはくれませんか?」
此処は常世。肉の器が熔けたふたりは何度だって殺し合える。
「あなたもどうせ暇をしているのでしょう?」
涙を拭って美しく微笑んでやれば、眼前の鬼は愉しげに笑った。
――綺麗に咲いたモンだなァ。
――――
――
ある日、もしかしたら、寡夫の元へ手紙が届くかも知れない。
●拝啓 英司様
ひと雨ごとに寒さもゆるみ、春の訪れも近しい今日このごろ。いかがお過ごしでしょうか?
そちらではもう桜が綻び始めた頃でしょうか?
わたしとしたことがうっかりあなたを殺し損ねてしまいましたが、あなたのことですから『君らしい』と笑ってくださっていることかと思います。違っていたとしても、そうあってください。絶対ですよ!
地獄へ堕ちてからと言うもの、あなたをひとりにしてしまったことが気がかりで気がかりで……わたし、か弱くなくなってしまいました。次はあなたを一撃で仕留められるように、たくさんたくさん練習をしたのです。誰と……ってお思いでしょう? あの男です、あの男。ほら、今のこの時期に空で散った。生前はお互い色々とありましたが、今ではわたしの
わたし、良妻ですから。あなたと
わたし、欲張りですから。あなたの
六道の底でもずっとあなたを想っています。
何時までも待っています……けど、ね?
先にも記しましたが、あなたを一撃で仕留められるようにこれからも練習を重ねます。
あまりにも遅かったら、はーと♡きゃっち! しにいっちゃいますからね!
だからいつか、その時まで。
どうぞ、お元気で。
あなたが居なくて寂しいです、英司様。
おまけSS『はっぴーへるらいふ』
「ねえ、焔心」
「なァ、俺様には様をつけねェのか?」
「あなたなんて焔心で十分です。……そうではなくて。どうすれば迎えにいけると思います?」
「俺様が知るかよ。獄卒にでも聞けよなァ」
「解らないのにわたしに莫迦かって言ったのですか?」
「あ゛? もう口利いてやらねェぞ」
「……蜘蛛の糸とか、本当にあるのでしょうか?」
「見たことがあれば引きずり下ろしてるだろうなァ」
「確かに! あなたはそうしそうですねえ」
それならばどうやって現世へ迎えに行こうか。
何かを思いついては
いつか再びあなたに会える日を楽しみにしています。
親愛なる英司様。いつか