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生あるものの終わり。或いは、約束の日…。

登場人物一覧

トキノエ(p3p009181)
恨み辛みも肴にかえて
トキノエの関係者
→ イラスト
トキノエの関係者
→ イラスト

●陽炎の夢
 白い女が嗤っている。
 まるで、嘲笑するかのように。
 苦悩するトキノエ (p3p009181)の姿を嘲笑うかのように。
 けれど、どこか慈しみを感じる。
 胸の奥底がじくじくと不快な痛みを発した。脳髄の奥を、細い指で掻き回されるような気持ちの悪さを感じた。
 或いは、その不快感は“この場所”の景色と、淀んだ空気によるものかもしれない。
 荒廃した村である。
 音も無く、息吹も無く、生気の失せた廃村である。
 人の姿は見えない。空には月の明かりさえない。
 村のあちこちには、かつてそこで暮らしていた“人”と入れ替わるように、墓石ばかりがずらりと並んでいる。
 墓石、といってもそこらで拾って来た適当な大きさの石を、遺体を埋めた場所に並べて置いただけのの粗末なものだ。地面に石が置かれているだけなのに、何故だかトキノエにはそれが正しく“墓石”であることが理解できた。
 くすくすと、白い女が嗤っている。
 しとしとと雨が降っていた。季節は分からない。空気は暑くも、寒くもない。ただ、溶けた飴のようにねっとりと身体全体に絡みつくようで、手足も思考も重かった。
「……母さん」
 張り付いた喉を無理に動かし、言葉を発する。
 “母さん”と呼ばれた白い女が、トキノエの方に顔を向けた。影になって、その容貌は窺えない。そもそも、何故その女を母と呼んだのかさえ分からない。
 彼女が自分の“母”であるという確信は持てない。その女の笑い声にも、立ち姿にも、まったく覚えがないからだ。
 女の方へ手を伸ばそうとして、けれど身体は動かなかった。
 ここがトキノエの夢の中であることは理解している。
 夢と言うのは、時としてこのように“全く現実味がなく、全く埒外の情景”を見せることがあるのだ。だから、あの白い女はきっと夢にしか現れぬ現実には存在しない誰かであるのかもしれない。
 本当に?
 そんな疑問を囁いたのは、誰であろうトキノエ自身であった。じくじくと痛む胸の奥から、泡沫のように疑問が沸き上がったのだ。
 自問する。だが、答えは無い。
 代わりに、誰かの声がした。

『ありがとう』

 男のものかも、女のものかも分からぬ声だ。
 その声を聞いた瞬間に、トキノエの視界は暗い闇に閉ざされた。
『ありがとう』
 その声だけが、ずっと耳にこびり付いて離れない。

 目を覚ます。
 汗に塗れた額を拭って、トキノエは大きく息を吐いた。
 また、同じ夢を見た。このところ、毎晩のように同じ内容の夢ばかりを見ている。
 なんとなく、それは過去の夢であることは理解していた。目を覚ました瞬間に感じる、脳髄を押し潰すような“罪悪感”が、正しいものであることを理解していた。
 きっと、過去の自分は何かしらの“罪”を侵したのだろう。
 もっとも肝心な“罪”の詳細に関しては、まったく思い出せなかったが。
「すっきりしねぇな……どうも」
 零した声は、トキノエ自身も驚くほどに掠れていた。

●灰熱の夢
 “灰熱病”。
 豊穣の一部地域で、ある秋の日より急速に流行り始めた病の名前だ。
 灰熱病の名の通り、その流行り病の基本的な症状は“体の内で燻るような高熱”である。じわじわと胸の辺りが熱くなって来たかと思えば、半日も経たないうちに立っていられぬほどの高熱に身を焼かれて病床に伏せる。
 灰熱病により引き起こされた熱は、身体の内に籠るのである。
 体内に籠り、燻る熱は急速に患者の体力を奪い、内臓の機能を低下させ、蓄えられた脂肪を燃やす。数日も病床に臥せっていれば、患者の姿はまるであの世の餓鬼か何かのように変わり果てる。

 彼女……病葉 樒が廃熱病に罹患してから、既に2日が経過していた。
「参ったな。“御神楽”で流行ってる病が、何だってこっちにまで飛んで来てんだ?」
 樒の看病を続けながら老医師、十薬は悪態を零した。十薬とて医師の端くれだ。灰熱病という、御神楽なる閉鎖的な街でしか流行していない病についても聞き及んでいる。
 その感染力の高さや、症状の重さ、流行した場合の危険性についても理解していた。だから、灰熱病について気にかかる点はあれど、決して“御神楽”に近づくことなど無かった。
 だというのに、どういった経路で樒は灰熱病に罹患したのだろうか。
 樒の傍には、十薬以外は誰も近づいていない。
「誰か罹患してる奴がいるのか? いや……もしもそうなら、俺の耳に入ってねぇはずぁねぇんだが」
 病床に伏せる樒の額に、濡れたタオルを置きながら十薬は低く唸る。
 灰熱病の熱は体内に籠るのだ。濡れたタオルなど、意味を成さない。事実、樒の呼吸は浅いままである。その表情からは、ほんの僅かも苦悩が薄れた様子は無かった。
 顔色は悪い。唇など、すっかり紫色である。
 試しに手首に触れてみれば、脈は辛うじて測れる程度に弱々しかった。
(考えたくはねぇが……誰かが意図的に感染させたとしか思えねぇ)
 苦悩する。
 そして、十薬は把握した。
 医師としての知識と勘が告げているのだ。
 樒の余命が、そう長くないことを。
 
 樒が危篤に陥った。
 そんな報を受けたトキノエは、取るものも取らず十薬の元へ駆けつけた。
 奇しくも、夢で見たのと似たような、しとしととした静かな雨の降る夜のことだ。
「……来たか。いや、いっそ間に合わねぇ方が良かったかもしれねぇな」
 蝋燭の明かりだけが頼りの薄暗い病室。
 十薬の表情は、影になっていてよく見えない。自覚的に押し殺した、感情の乗らぬ声音であった。トキノエは、十薬の言葉と態度から正しく状況を理解した。
 死ぬのだろう。
 樒は、死ぬのだ。
 十薬がそう診断したのなら、きっと死ぬ。その未来は変えられない。
 そもそもの話、人とはいつか死ぬものなのだ。
 それが早いか、遅いかの違いしかない。
 この世に生を受けたその日から、命の残量は減っていく。今日を1日、生き延びたということは、1日分だけ死に近づいたということだ。
 樒の場合は、それが“今日”であったというだけのこと。
 “今日は死ぬのにいい日だ”なんて言葉もあるが、死ぬ日を自分で選んで決められること事態が至極稀である。
 死にたくないと願いながら、それでも叶わず死んでいくのが人生である。
 何度も、死んでいく者を見送った。
 或いはこの手で、幾つかの命を奪ったことだってある。
 樒を助け出した時から、この日が来るのは知っていたのだ。この日が来るのを知っていながら、それでもトキノエは自身のエゴで樒を助け出したのだ。
 助ける……その言葉さえ、正しいものとは思えない。
 連れ出した、と呼ぶのがきっと正しいのだろう。
 だから、その日が来ただけだ。その日が来たから、樒は死ぬのだ。
「看取るだけになるぞ。手は尽くしたが……あぁ」
「分かってるよ。俺が連れて来たんだ。俺が見送ってやらにゃなるめぇよ」
 責任というものがある。
 トキノエは、樒の頭の傍へ近づき腰を下ろした。
「病ってのは嫌んなるよな。俺なんざ、1人救うだけでも精一杯なのによ」
 ちょっと流行っただけで、何人、何十人もの人を殺めてしまうのだから。
 なんて。
 呻くような十薬の声を聞きながら、トキノエは樒の名を呼んだ。

 うっすらと樒の目が開く。
 焦点の合わない視線である。きっとその目には、トキノエの顔も映っていない。
 少しだけ、樒の唇が震えた。
 言葉を発しようとしたのだろう。だが、言葉にはならなかった。肺から空気が零れるような音だけがした。
 けれど、トキノエは樒の意思を理解する。
 彼女が何を言おうとしているのかを理解する。
『約束』
 樒はきっと、そう言おうとしたのだろう。
『私が命を落とす時、もう1度だけ撫でてほしい。』
 彼女と初めて出会った日に交わした会話。彼女はそれを望んでいる。約束を果たす時が来たのだ。
 握りしめた拳から血が滴る。
「嬢ちゃんが望むことをしてやれ」
 悔しそうな声だった。
 死の縁にいる病人を前に、医者である己が何も出来ない悔しさが、憤りが滲む声である。
「おぉ……約束だもんな」
 約束は果たさなきゃなぁ。
 なんて。
 そう呟いてトキノエは、樒の額に手を置いた。

 死体のように体温が低い。
 肌などすっかり乾いていて、その身体には一切の血液など巡っていないかのようだった。
 だが、樒は生きている。
 例え、死の縁に立っていようと“今はまだ”生きている。
 けれど、すぐに死ぬだろう。
 生気が無いのだ。
 もう、心臓を動かし、血を巡らせるだけの生命力が残っていないのだ。
「……」
 何かを言おうとして、言えなかった。
 トキノエが言葉を探しているうちに、樒は笑った。
 最後に残った、ほんの塵程度の命を燃やして、彼女は笑った。
「ありがとう」
 掠れた声で。
 それだけを言い残して、樒は息を引き取った。

●「ありがとう」
 最後の瞬間、樒の零した感謝の言葉が、何度も脳内で繰り返された。
「ありがとう」
 樒の声に、夢の中で聞いた誰かの声が重なった。
 誰の声かは分からない。
 けれど、懐かしい声だった。
「……っ!?」
 懐かしい、と。
 感じた瞬間、トキノエは猛烈な頭痛に襲われた。割れるように痛む頭を抱えるようにして、トキノエはその場に蹲る。
 頭が痛い。
「お……れは、また」
 また、この手で■■した。
(あぁ……そういうことか)
 そしてトキノエは、忘れていた全てのことを思い出したのだった。

「トキノエ? おい! トキノエ、おめぇどうした!」
 トキノエの身に起きた異変に気が付いて、十薬が駆け寄った。
 否、駆け寄ろうとした。
 けれど、その手がトキノエの肩に届くことは無かった。
「っ……誰、だ」
 トキノエの隣に、見知らぬ白い女が立っていたからだ。
『やっと、思い出したのね』
 その女を見ても、トキノエは驚かなかった。
 むしろ、得心が言ったという様子でさえあった。
 それは、きっと……。
 トキノエは、白い女のことを知っているからだろう。

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