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なぜ酒を飲むのか、と問うたとて
登場人物一覧
- 生方・創の関係者
→ イラスト
●とある世界の酒場にて、獣が二人
「にしてもだ。どうして酒を飲み始めようと思ったんだい? 生方のダンナ」
「うん?」
『ツンドラの大酒飲み』グリゴリー・ジェニーソヴィチ・カシモフは手の中でウイスキーのショットグラスを揺らしながら、テーブルの上に両の前脚を乗せる『黒狐はただ住まう』生方・創(p3p000068)に問いかけた。
問われた創はというと、今日もいつものように巨大な狐の姿をしていて。テーブルの上に置かれたショットグラスに顔を寄せては、ウイスキーをぺろぺろ舐めている。
ここはグリゴリーが訪れたことのある、いくつかの世界のうちの一つ。彼が酒を飲むのによく出張ってくる世界だ。醸造技術が発達しており、いい酒を醸してくれる。酒場も各所に作られて、ほどほどの値段で飲ませてくれる。
そんな世界だから創も嬉々としてついてきて、こうして酒席を共にしているわけである。もうかれこれ、三時間は駄弁りながらウイスキーを飲み交わしていた。
舌を忙しなく出し入れしながら、こてんと首を傾げる創である。
「……なんでだったかなぁ」
「そんなナリだ。酒場に出入りするのにも苦労したんじゃないかい?」
「あっひどーい、四つ足獣種差別はんたーい」
グリゴリーの軽口に、そっと額の流星模様に皺を寄せる創だ。
実際、酒場にのっそのっそと巨大な狐の姿で訪れて、驚かれないわけではない。カウンターに腰を下ろそうにも、椅子をどけてもらわねば座れないのもある。
今は立ち飲み席にいる都合上、その手間が無いのはいいが。店内に入った時には先客たちに目を剥かれたものだ。
ショットグラスに鼻先を寄せながら、創がその水色の瞳を細める。
「いやさ、僕だって最初は獣人姿に変化して飲んでたんだけど……『別に普段の姿で飲んでいたって、誰も文句言わないじゃん』って気づいてからは、気にしなくなったなぁ」
「寛容なことだ。混沌は大らかで羨ましいよ。俺の世界じゃ、ダンナみたいなのはまず店にすら入れてもらえない」
そう言ってくつくつと喉を鳴らし、苦笑を浮かべるグリゴリーだ。
ところ変われば常識も変わる。創みたいにあからさまに人外な姿を、受け入れる世界ばかりではない。
今いる世界はその辺に寛容らしくて、辺りを見渡せばあらゆる姿の酔客がいた。気楽でいいことである。
後方で創よりも巨大な、何本もの尻尾を持つ妖怪じみた猫が酒を呷っているのを眺めながら、創が口を開いた。
「だろうねぇ。で、なんだっけ」
「どうして酒を飲み始めたか、だよ」
ふ、と息を吐きだして、グラスに口を付けるグリゴリー。酔いが回ると往々にして、酒飲みの話は堂々巡りするものだ。話題が次々出てきては、忘れていく。そんなものだ。
「そうそう。なんかねー、僕ってお酒飲むと、アイデアがポンポン湧いてくるというか……創作のネタを見つけやすくなるんだ」
「はーん。たまにいるな、その手の輩」
再びグラスの中のウイスキーを舌で舐め始めた創の言葉に、獅子が目を見開く。
確かに、酒が回ると頭にぽんぽんとアイデアやら言葉やらが浮かんでくる手合いは、一定数いる。それが口をついて出てくれば語り上戸になるし、書き文字に出てくれば文豪になる。
こくりと頷きながら、創はショットグラスの底に舌先を付けた。彼の目の前のグラスは、もうほぼ空になっている。
「うん。作りたい気持ちが湧くわけじゃないし、お酒飲んで作ると危ないから、作らないんだけど……いろんなものが目に留まりやすくなるのに気が付いたから、お酒を飲むようになったなぁ」
鼻息でショットグラスを曇らせながら、創は言った。
彼は彫刻家だ。酔った状態で鑿やら鋸やら扱ったら、それは危険に決まっている。そこの辺りは彼もよくよく分かっているようで、アイデア出しだけに留めているらしい。
話したところで、創が小さく顔を上げた。
「そういうグリゴリーさんも、どうして……って言ったって、理由なんかないだろうけどさ。だってそっちの世界、飲まなきゃやってられないでしょ」
「そうだとも。俺の世界は冬が長いし日々寒い。酒は日用品だ」
ゆるゆると頭を振って、グリゴリーがため息をつく。
彼の世界は基本的に寒い。身体を温めるために熱い紅茶を飲むと共に、度数の強い酒を飲むのが一般的になっている。
だから酒を飲むことに理由などない。それが生活の一つの要素だから。
「とはいえ俺も、初めっから美味い酒を追い求めていたわけじゃない。酒なんて美味いも不味いもない、安けりゃいいって具合だったからね。
だが……あれはどこの酒場だったかな。商売相手と酒場に行った時に、美味いのを飲ませてもらってね」
ふっと天井を見上げながら、グリゴリーは笑った。その時のことを思い出しているのだろう、表情がどこか遠くを見ているようで。
そんな姿を見ながら、創は興味深そうに言った。
「なるほどー。世界が変わった感じ?」
「そうそう。あれは文字通り、俺の中の酒という概念が根底から覆されたね。
世の中にこんなに美味い酒があるのかと。そうしたらどんどん追い求めたくなるというもの……で、自分の世界だけでは飽き足らず、色んな世界に出張っては、まだ飲んだことの無い酒を次々飲むようになったというわけだ」
そう言って苦笑しながら、グリゴリーは手の中のショットグラスを干した。ごくり、と喉を動かして琥珀色の液体を飲めば、目を閉じて余韻を味わう。
この男、酒を飲むことそのものを楽しむ故に、味わいながら酒を飲む。酒を大事にしながら飲む。
創にとっては、随分とそれが好ましく映った。
「気持ちはとても分かるなー。僕だって楽しいもん、美味しいお酒に出逢えたら」
「だろう? だからこうして、酒飲みと連れ立って飲み歩くのさ」
ショットグラスをテーブルの上に置きながら、グリゴリーは笑った。
酒は美味しく飲みたい。楽しくも飲みたい。だからともに飲める仲間は、何より得難い。
酒を飲む理由なんて、それで十分だ。
「で、だ。生方のダンナ」
「んー?」
ぐ、と身を乗り出したグリゴリーに、創が目を見開いた。
親指をカウンターの方に向ける獅子が、その緑色の目をいたずらっぽく細める。
「この酒場、珍しいウイスキーを置いていてね。俺もまだ飲んだことがないやつなんだが……どうだい?」
「飲みたい!!」
珍しいウイスキー、という言葉に、ウイスキー好きの創の尻尾がぶんぶん振られて。
酒飲みの楽しい時間は、まだまだ続きそうである。