PandoraPartyProject

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柔らかな手

登場人物一覧

チェレンチィ(p3p008318)
暗殺流儀
チェレンチィの関係者
→ イラスト

 少しだけ冷たい風が頬を撫でる。冬の凍えるような冷たさではない、爽やかな風だ。
 首元に撒いたスカーフから入り込んだ風にチェレンチィは身を震わせる。
「ひぇ」
「寒かった?」
 隣を歩く灰斗が心配そうに首を傾げた。
「いえ……大丈夫ですよ」
「チェレンチィは寒がりだからな。僕の上着貸そうか? サイズ同じぐらいでしょ?」
 まだ子供である灰斗に気を使わせてしまっただろうかとチェレンチィは眉を下げる。
 雪の庭で遊んだ時の記憶を思い出しているのだろう。あの時もチェレンチィはダウンコートの中でガタガタと震えていた。寒いのは苦手なのだが、今日は目的があるのだ。
「ありがとうございます。灰斗は優しいですね。でも日差しもあたたかいですし大丈夫」
 チェレンチィは灰斗の頭を撫でて微笑む。こうして灰斗の頭を撫でていると、彼を思い出すのだ。
 灰斗のように世間知らずで純粋な少年。大切な時間を過ごした日々が脳裏に過る。
 決して彼と灰斗を重ねているわけではない。ただ、その純粋さに懐かしさを覚えたのだ。
 もう会えなくなった少年の代わりに、灰斗には素敵な時間を過ごしてほしいという思いもあった。

 目の前をひらりと薄紅色の花弁が横切る。
 風に乗って桜の花弁がチェレンチィの前をゆっくりと舞った。
 くるりと回転しながら落ちてくる薄紅色を掌で受け止める。
 あと何度、こうして灰斗と一緒に桜の花を見る頃が出来るだろうとチェレンチィは思い馳せた。
 灰斗は繰切の子。神々の系譜である。人ならざる者としてその命は永遠ともいえるものだろう。
 きっと灰斗からすればチェレンチィはすぐ居なくなってしまう存在であるのだ。
 だからこそ大切なものを見つけてほしいと願わずにはいられない。
 彼の誕生に立ち会った縁ではあるが、チェレンチィにとって灰斗は既に大切な人であるのだ。
 灰斗にとってもチェレンチィは特別な存在であろう。
 チェレンチィの掌のうえに乗せられる、もう一片の桜の花弁。
 物思いに耽っていたチェレンチィの顔を覗き込むように灰斗が笑みを零す。
「考え事してる? 人間は春になると考え事するの? それとも花粉症ってやつ? 黒曜が言ってたんだ。この時期は花粉症で大変だって。チェレンチィも花粉症とかなのかな?」
 どんなのか分からないけれど苦しいのかと灰斗はチェレンチィに問いかけた。

 他愛の無い会話。それが心地良いと思えるのは灰斗とチェレンチィがお互いにとって大切な存在だから。
 姉と弟のような近しい間柄。そんな感覚を覚えるのだ。
 それは灰斗が産まれてから数年も経っていない『幼子』であることにも起因するだろう。
 全ての情報を吸収するように灰斗は何にでも興味を示す。
 チェレンチィとの散歩だって最初の頃は怖がっていたけれど、今では楽しげにしている。
「そういえば、身体の方はもういいんですか?」
「……うん、もう大丈夫だよ。父上と母上が神逐されたからかな。僕の力も弱くなちゃった。あ、でも全然不便とかは無いんだよ。むしろ人間に近くなって安定した感じする。ここで生きて行くならこっちの方が過ごしやすいんだ」
 神の子である灰斗はその身に余る力を制御しきれていなかった。
 それが、繰切が神逐されたことにより神霊としての力が弱まり、扱いやすくなったのだという。
「学校とか通うのかも」
「おや、それは喜ばしいことですね」
 チェレンチィの返答に灰斗は少しだけ不安げな表情を見せる。
 イレギュラーズたちも出入りする希望ヶ浜学園ならば、灰斗が通っても問題は起らないと暁月は判断したのだろう。
「どうしたんです? 怖いんですか?」
「怖いっていうか……僕と人間はやっぱり違うから、もしかしたら傷つけてしまうかもしれない。僕が感じられない気持ちを人間は感じて不快に思うかもしれない。そうしたら、人間は怖がるよね。父上も怖がられてたんだから僕が怖がられないとは限らない。だったら近寄らない方がいいのかなって思ってしまうんだ。それじゃあ暁月が困ってしまうって分かってるけど。人の気持ちが僕は分からないから」
 チェレンチィは灰斗の言葉に「ふむ」と首を傾げる。
 それだけ『他人』を思いやれるのに灰斗は怖がっているのだ。
 人との関わりを避けていたチェレンチィだからこそ、灰斗の気持ちに寄り添える気がした。
 自分とは違い彼はまだ『知らない』だけなのだ。
 他人との関わり方、接し方、愛し方。それは灰斗が歩いていく上で大事なステップなのだろう。
「灰斗がそれだけ他人のことを考えられるのならば、大丈夫ですよ。あなたはとても優しい。だって、傷つけてしまうからと怖がっているじゃないですか。灰斗の中にはきちんと他の人を思い遣る心がある。その気持ちはとても大切なものです。忘れないようにしましょう。それに怖がってばかりでは『楽しい』ことは始まりませんよ? お友達をいっぱい作って遊んだりお話したり楽しいことしたいでしょう?」
 チェレンチィの言葉に灰斗は次第に目を輝かせる。
 怖がってばかりでは何も始まらないのだ。
 その先に楽しいことが待っているかもしれない。そんな希望に心を躍らせたい。
「うん! いっぱい遊びたい! 空も心結も一緒に学校行くんだ。燈堂の門下生も希望ヶ浜学園通ってるから困ったら助けてくれるって暁月言ってたし。大丈夫だよね! あ……! チェレンチィも学校いくの?」
 一緒に学校に通えるのだろうかと期待の眼差しを向ける灰斗にチェレンチィはくすりと笑う。
「こう見えても、成人しているので学校はもう行かない年齢なんですよ」
「……え!? チェレンチィは子供じゃ無いの!?」
 見た事も無いようなびっくりした表情で立ち止まった灰斗は動揺を隠せない。
「一緒に雪遊びしたし、他にもいっぱい遊んだのに!? 大人なのに遊んでくれたの? 気を使ってくれたのかな? ごめ……」
「ストップ。謝らなくても大丈夫ですよ。それに、楽しかったですから。大人も子供も関係無い。遊んで楽しかった。それだけで良いと思いませんか?」
 チェレンチィの優しい微笑みに、灰斗は頬を染めてこくこくと頷いた。

「じゃあ、今日のお散歩も楽しい思い出?」
「そうですよ。楽しい思い出です。見て貰いたいものがあって……」
 チェレンチィは薄紅色が舞う空を指差す。
 それは桜並木と、花弁が敷き詰められた小さな川だった。
 以前、龍成と一緒にこの場所へ来たことがあるのだ。
「わあ! すごい! 全部桜色だ!」
 橋の欄干に飛びついた灰斗は身を乗り出して川に浮かぶ花弁を眺める。
 落ちないように服の裾を掴んだチェレンチィは目を輝かせる灰斗を横目で見遣った。
 この嬉しそうな顔が見たかったのだ。

 チェレンチィはあの時握ったナイフの柄の感触を思い出す。
 不必要なほど力がこもっていた。今でも心が塗りつぶされそうなほど掻きむしられることがある。
 けれど、チェレンチィはそれを忘れたくないと思っていた。
 同時に、灰斗の柔らかな手のぬくもりも、離したくないのだと気付く。
 思い出の中の少年は時を止めたままだけれど、灰斗は違う。前へ進んで行けるのだ。
 だから、これから成長していく灰斗を傍らで見守っていたいと、チェレンチィは柔らかく微笑んだ。

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