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ひとひらの独占欲
登場人物一覧
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あんまり、困らせたくはないのだけど。だから先に約束があるなら気にしなくていいのだけど。
それでも。
『初めて』は特別で、だから何でも欲しくなっちゃうの。
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「〜♪」
高山の多い土地柄、他の土地より早く『そろそろ本格的に雪が降り始めてきたかな』という覇竜。ユーフォニーは自宅で鼻歌混じりに部屋の掃除をしていた。リビングはもちろん、台所、洗面台、お手洗い、私室に至るまで綺麗に片付けて汚れひとつない様に。床にコロコロも念入りに。
「あっ、だめ、だめですよハーちゃん! コロコロに触ったら……あぁ〜……」
悪戯っ子のハーミアが床を転がるコロコロを追いかけ、案の定粘着部分を触ってしまってさも「襲われたー!」とでも言いたげにフニャーッと飛び上がる所を目撃したユーフォニーは苦笑を溢した。
カランカランカラン……。
「!」
玄関先から鳴った呼び出し鈴の音にそそくさと玄関へ急ぐ。扉を開ければそこに居たのは予想した通りの相手。5分前行動を心がける真面目さが愛しいものの、こういう時は幾ら家の中を綺麗にしても落ち着かないものだから、ちょっとくらい遅れても……なんてユーフォニーは贅沢な悩みにふふっと笑ってしまった。
「いらっしゃい、ムサシ」
「お、おじゃまします」
ムサシは緊張した面持ちで玄関に入ってくると、まずユーフォニーへ小さな紙袋を差し出してスッと頭を下げた。
「誘ってくれてありがとう。……待たせて、ごめん」
「……この1ヶ月、『もう他のひとと飲んじゃったかな?』って思ったりしてヤキモキしてたんだからね」
ユーフォニーがジトーッと咎める目でムサシを見つめる。『ムサシが初めてお酒を飲む時、一緒に飲みたい』と誕生日に梅酒を渡した
「の、飲んでない! その……、ちょっと……覚悟が決まらなくて」
「もう……ほら、あがって。玄関は寒いもの」
そう言ってユーフォニーはムサシの冷えた手を取って、暖かいリビングへと案内した。その表情に怒りなどは無い。不安や拗ねた感情こそ感じたものの、ムサシがこうして誘いに乗ってくれて一緒の時間を過ごしてくれることそのものが嬉しいのだ。ユーフォニーはふわふわと機嫌よく微笑んだ。
「暖かい……」
暖炉によって暖められたリビングに到着すると、ムサシは知らず知らずのうちに強張っていた身体が緩むのを感じてホッと一息ついた。ユーフォニーに勧められるままに手を洗ってから席につくと、テーブルの上にそっと大事に彼女からもらった梅酒を置いた。幻の『始原梅』で仕込んだという梅酒が、酷く格式の高い物に見える。今からこれを飲むのか……とムサシは食欲ではなく漠然とした不安感からごくりと固唾を吞んだ。
「ムサシ、梅酒の封を開けるよ」
ユーフォニーがキッチンからグラスを持って戻ってきた。アイスペールから丸く透き通った氷を取り出してごろごろとグラスの中に転がす。それから梅酒を手に取ると、グラスの1/3程に梅酒を注いでムサシへと手渡す。
「これが梅酒……いい香りだ。甘くて、爽やかな感じがして、華やかで。梅って、こんな複雑な香りがするんだな」
「でしょう? それで、ちょっと待っててね」
「?」
もう一度ユーフォニーがパタパタとキッチンに戻ったかと思うと、更に水差しのような容器とマドラーを持ってきた。注ぎ口のついた透明な容器には並々とやや茶色のかかった、コーヒー牛乳の様な色合いの液体が入っている。
「それは?」
「山羊のミルク! ね、ムサシ。『お酒は楽しく美味しく!』が1番だと思うの。だから、最初は飲みやすい形で飲んでみようよ」
そう言って、ユーフォニーは自分のグラスに山羊のミルクを注いでみせた。琥珀色の酒に白いミルクが溶けていき、軽く混ぜ合わせると柔らかな雰囲気のカクテルがそこに出来上がった。
「……ユーフォニーには敵わないな」
ムサシは自分の分のグラスをすっと差し出しながら苦笑する。きっと彼女には、己の不安感などとっくにお見通しだったのだ。
「ふふ。さ、飲もうか」
ムサシの分のグラスにも山羊のミルクを注ぎ終わって、ユーフォニーは自分のグラスを持った。ムサシもグラスを持って掲げる。
「ユーフォニー」
「うん?」
「大人の階段を登った今日と言う日に、ユーフォニーといられることに。乾杯」
せめて此処だけは格好がつくようにと、少しだけ気取った言い方。ユーフォニーは一瞬きょとんとしたがすぐに笑顔を浮かべた。
「乾杯!」
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「……美味しい!」
梅酒を口に含んだムサシは暫く余韻に浸った後、開口一番そう言った。
「よかったぁ」
「覚悟していたより甘みがあって、凄く飲みやすい。あと、何か香ばしい風味がするような……?」
「あ、それはね。実はさっきの山羊のミルクに黒糖を溶かしてあるの。ちょっと茶色かったでしょ? 黒糖と梅酒って相性がいいの」
「なるほど……甘さが優しいから何杯でも飲めそうだ」
「そう言って調子に乗ってると、すぐ潰れるから注意してね?」
「う……気をつけます……」
「おつまみ持ってくるね。おつまみと一緒に飲んだ方が酔いにくいから」
そう言ってユーフォニーが持ってきた『おつまみ』は3つ。山羊乳のクリームチーズに覇竜で取れるナッツを砕いて乗せたもの、覇竜キャベツをアンチョビを漬け込んだオリーブスライムのオイルで浅漬けにしたもの、そしてブタウシ鳥のローストビーフだ。
「うわ凄い。これ全部ユーフォニーが?」
「結構頑張ったから、褒めて」
「流石だ。天才。料理上手。いいお嫁さんになれる」
「ふふん。……おおおおおお嫁さん!?」
ムサシの人生初飲酒のために頑張って用意したということもあり、ご機嫌に褒められていたユーフォニーだが、最後に放たれた台詞に一瞬で顔を真っ赤にしてそんな気が早すぎる! とぷるぷる首を横に振りながら場をごまかす様に梅酒を一気に呷った。
「ほらムサシ、食べて食べて! 速やかに!!」
「は、はい」
思わず敬語になって手を伸ばすムサシだったが、実際のところどの料理も美味しい。クリームチーズとナッツはどちらも味が濃厚、ナッツのカリッとした食感が楽しいし、香り高いオリーブオイルが染み込んだキャベツの浅漬けはシャキシャキでアンチョビの塩気が塩梅良い。ブタウシ鳥のローストビーフは柔らかく力強い味わいで食べ応えがあった。
「最高に美味しい。とんでもない幸せを感じるよ」
「……口にあって良かった。ね、ムサシ。今度は梅酒をソーダ割りで飲んでみない? 料理と一緒なら、梅酒単体の甘味がよく合うと思うから」
「ああ、ぜひ!」
新しいグラスに梅酒のソーダ割りを作ったところで、ユーフォニーは悪戯っぽい笑みを浮かべてムサシの口元に料理を差し出す。
「……はい、あーん♪」
「!? あ、あーん……」
「ふふ、顔が真っ赤♪」
そうして2人は仲睦まじく、楽しく会話と杯を重ねていくのだった。
おまけSS『楽しい時間の後で』
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「ユーフォニー? ……寝ちゃった?」
「……」
机に突っ伏して動かなくなったユーフォニーにムサシが小声で問いかけるも、返答は穏やかな寝息だった。酔いが回って眠ってしまったらしい。
「……女性の部屋に断り無しに踏み入るわけにもいかないよな」
このままでは風邪をひいてしまうし彼女の部屋へ運ぼうとも思ったが、それが酷く気恥ずかしい感じがして1人で顔を赤くしながら言い訳してとりあえず彼女をソファーへと運ぶ。そして眠る彼女へ自分の上着をかけてやった。
「ん……」
「……今日はありがとう、ユーフォニー」
そっと彼女の髪を梳くムサシの顔はとても穏やかで。眠る恋人の顔を、彼はいつまでも飽きることなく眺めていた。