PandoraPartyProject

SS詳細

チョコレート円舞曲。或いは、グラオ・クローネの一幕…。

登場人物一覧

イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
イズマ・トーティスの関係者
→ イラスト

●グラオ・クローネ
 街が浮足立っていた。
 冷たい空気に甘い香りが混じっている。
 カカオ、砂糖、オレンジピール、それからほんのりとした酒精の香りも。
 チョコレートという甘味のことは、ヴァインカルも知っている。楽団に所属し、各地で演奏会など開いていれば、観客からのプレゼントとしてチョコレートを貰うこともある。
 悲しいかな、手作りのものは防犯上の理由で口にはしていないが、メーカーの品であれば何度も口にしたことがある。
 少しビターなものも、とびっきり甘いものも、ドライフルーツが混ぜ込まれたものも、およそ“チョコレート”と名がつくほとんどのものをヴァインカル・シフォ―は好んでいる。
「そう言えば、そんな時期だったわね」
 浮足立った街の様子を眺めながら、ヴァインカルはそう呟いた。
 ピアノにはいくらでも金をかけるが、思えばチョコレートを自分で買ったことは少ない。わざわざ買わなくとも、演奏会の客から貰えるからである。
 加えて言えば、グラオ・クローネだからと他人にチョコを贈ったことも無い。
 ヴァインカルの所属している楽団の仲間は、揃いも揃って“音楽に魂を売った”者ばかりであるからだ。チョコレートを贈るぐらいなら、新品のピックやドラムスティックでも寄越せと宣う者なら何度か見かけた。
 かく言うヴァインカル自身も「チョコレートは音が鳴らない」と言ってしまったことがある。音が鳴らないからと言って、チョコレートのことを無価値であるとまでは思っていないが、音楽誌や楽譜に比べれば何段か低くみているのは確かだ。
 音楽とチョコレートを含む“それ以外”を、同じ軸で測るのはヴァインカルの悪癖であった。
 そんなだから“孤独な蛮族”などとあだ名されるのである。

 音楽の街“ウィルイン”。
 海洋に存在する港街であり、古くより音楽家の集う街として知られていた。
「…………惜しいことをしたわね」
 音楽に傾倒するウィルインの街にも、グラオ・クローネの波が来ていた。街の各所でチョコレートを販売するワゴン車を見かける。
 街の通りで演奏している音楽家たちも、この時期ばかりは「流行りのラブソング」や「ひと昔前の恋の歌」、「グラオ・クローネを祝う曲」など、演奏曲の系統はひどく偏ったものとなる。
 それでも、売られているチョコレートが音符の形をしていたり、ヴァイオリンを模した形状をしていたりする辺り、音楽の街の面目躍如といったところか。
「あぁ、本当に惜しいことをした」
 街中で奏でられる曲に耳を傾け、ヴァインカルは同じ言葉を繰り返した。
 彼女が惜しいと言っているのは、暫く前に失ったある1曲の楽譜のことだ。
 “ベロニカ・ブルー”という、不可思議な楽曲。
 楽譜は未完成であったが、あれこそまさに“魔曲”と呼ぶにふさわしいものであった。
 命と引き換えに、楽譜はもう失ってしまったわけだが……やはり、ウィルインを歩いていると、どうしてもあの曲のことを思い出す。
 ましてや本日の予定には、あの日、ベロニカ・ブルーを弾いた丘の上の白い屋敷が含まれているのだ。
「因果は巡るというか、なんと言うか……ボレロみたい」
 自嘲気味に肩を竦めた。
 それから、ふと足を止めて通りの先へ視線を向ける。
 イズマ・トーティス(p3p009471)。
 青い髪の音楽家。
 今日というオフの日に、ヴァインカルを呼んだ相手だ。

●ウィルインを歩こう
「風邪が流行っているわ」
 軽く挨拶を終えた後、ヴァインカルはそう言った。
「最近はコーラスにも参加しているのか?」
「まさか。コーラス隊なら、この時期は部屋に引き籠って大通りになんて出て来ない。うちのは特にね」
 ヴァインカルは肩を竦めた。
 その表情には、ほんの僅かな呆れの色が滲んでいた。なお、彼女の所属する楽団の連中と来たら、先にも言ったようい揃いも揃って音楽に魂を売っているので、グラオ・クローネに限らずあまり街に出かけない。
 出かけるのは、大量の楽譜やレコードを買い込む時ぐらいだ。
 なお、楽団ではその様子を指して“凱旋”と呼ぶ。買いに出かけた団員は“補給班”である。
「ただ、風邪をひきたくないだけよ。風邪をひいてしまうと、耳鳴りがするの。指は震えて、鍵盤を上手く叩けなくなるわ」
「あぁ、それは最悪だ。泣きっ面に蜂というやつだな」
「分かってくれて嬉しいわ」
 それじゃあ行きましょう。
 短いやり取りを終えた2人は、同時に通りへ踏み出した。
 
 なぜ、グラオ・クローネに纏わる曲は多いのか。
 通りを進む2人の話題は、自然とそのようなものとなっていた。
「やはり、グラオ・クローネやシャイネンナハトの時期はコンサートも多いからではないかしら?」
「なるほど。それも一理ある。だが、あまりにも資本主義的な理由に過ぎないか?」
 腕を組んだまま、イズマは視線を宙へと向けた。
 グラオ・クローネやシャイネンナハトに限らず、そう言った世界規模での年中行事に重要な要素の1つが音楽であることに疑いは無い。
 音頭を取る人物が、誰に変わっても問題ない。
 行事が行われる場所が、どこであっても問題は無い。
 だが、奏でられる曲だけは何だっていいわけじゃない。古くから今の時代まで、時を超え、土地を超え、多くの音楽家たちの手を渡り、多少のアレンジこそ加えられはしたものの基本形は昔も今も変わらない。
「資本以外の理由? 例えば?」
「そうだな。ありきたりな言葉になるが……やはり浪漫じゃないか?」
 グラオ・クローネがあるから、そこに愛があるから、人は歌い音を奏でた。原始的で普遍的な感情の発露が音楽だった。
 グラオ・クローネの時期に纏わる音楽が多いのも、グラオ・クローネの時期にコンサートが多いのも、人々がそれを求めたからだ。
 人々が感情的になれば、音楽が増える。
 自然な流れだ。
「なるほど。それも一理あるわね。で、あれば世界中の音楽家たちは心して演奏に向き合う必要があるわ」
「大切な時間を彩る大役を任されたのだから当然だな。グラオ・クローネの主役はチョコレートではなく、音楽であると思うべきだろう」
 イズマとヴァインカルの会話を聞いていたのか、すれ違ったヴァイオリン弾きが深く頷き、弦を構えた。
 2人の背後でヴァイオリンの音が高らかに響く。
 勇ましく、優しく、そして愉快な曲だった。

「っ!!  “シュタインウェイ&サンライズ”!」
 お邪魔します、の次の言葉がそれだった。
 “シュタインウェイ&サンライズ”。
 広間に設置されている古いグランドピアノのメーカーである。
「貴方が買ったのかしら? それとも預かりもの? まぁ、どちらでもいいのだけれど……なるほど、玄関のドアに3つも鍵を取りつけていたのはこれがあるからね」
「まぁ、そういうことになるな。やはり、善人ばかりではないからね」
 シュタインウェイ&サンライズのグランドピアノは非常に高価だ。
 特に古いものであれば、屋敷付きの土地さえ買えると言われるほどの高級品。現存している数も少なく、手に入れることはもちろん、お目にかかることさえ希少だ。
「ヴァインカルさんも、ピアノのメーカーにこだわりが?」
「好みはあるけれど、こだわりと言うほどではないわね。いい音、いい曲……安すぎるのはちょっと……だけれど、最終的には演奏者の腕よ」
 高い楽器を買ったからと、演奏が上手くなるわけでは無い。
 安い楽器では、上手に演奏できないということも無い。
 結局のところ、いかに心血を注いで“練習”に取り組んだか……それに尽きる。
 ピアノの演奏だけではなく、そうではない何事においても同じことだ。
「好きこそものの上手なれ……とは言うけれどね。私はプロだもの。好きを超えて、苦痛に感じるほどに向き合って、さらに1歩を超えた先にある小さな光を汗と血と泥に塗れた傷だらけの手で掴み取らなきゃ」
 その境地には、まだ足りない。
 グランドピアノの傍へ近づき、ヴァインカルはそう言った。

「まずはこれを」
 イズマが棚から取り出したのは、片手で持てる程度の小箱だ。
 光沢のある白い包み紙と、目の覚めるような鮮やかな青のリボンで装飾されている。ヴァインカルをイメージしたものだろうか。
「凝り性?」
「……かも知れない」
 揶揄うような目をして、ヴァインカルはイズマの手から箱を受け取る。
 両手で箱を包み込むようにして顔の高さへと持ち上げた。からん、と箱の中で音が鳴る。
「小さなチョコが、10前後……かしら? サイズに多少の差があるわね。それから素材も」
「流石に耳がいいな。えっと……中身だけど」
「いえ。見た方が早いわ」
 テーブルと椅子はある。
 後は紅茶でも用意してもらえれば、午後のティータイムにはちょうどいいだろう。
「私がもらったものなのだから、今から食べても何ら問題はないでしょう?」
「手作りなんだ。多少不揃いでも、多めに見てもらえれば嬉しい」
「それでもプロなの?」
「音楽のね。製菓の方は違う」
 
 紅茶を用意している間、イズマの耳にはピアノの音色が響いていた。
 広間では、ヴァインカルがグランドピアノを弾いている。
 曲目は適当に、気の向くままに幾つかの楽曲の1フレーズを繋げて演奏している。
 複数の曲を繋げているだけの名も無い曲……しかし、昔からある名曲のようにさえ聴こえる。
 名曲。
 タイトルは誰も知らなくていい。
 最後まで聴いたことがなくてもいい。
 決して難しいフレーズや、特殊な演奏技法を使っていなくてもいい。
 ただ、耳にすれば「あぁ、あの曲だ」と理解できて、1フレーズでも口ずさめればそれでいい。
 名曲の条件とはただ1つだけ。
 時代を超えて、演奏され続けることだけがそれである。
 例えば、白昼夢の中、今はもういない彼女の名を呼ぶ曲がある。
 名曲とは、そのようなものなのである。

●チョコレート円舞曲
 甘酸っぱいオランジェットに、雪のようなホワイトチョコ。 
 ビターなチョコレートもある。
 種類は様々。箱の中に、綺麗に揃って並んでいた。チョコレートの表面に、カラメルソースで五線譜を描いている辺りに“イズマらしさ”を見て取った。
「笑ってやろうと思っていたわ」
「そんなに不器用そうに見えるか?」
 鋼の右腕を一瞥し、イズマは訝し気に問うた。
 確かに生身の腕と比べれば、ほんの多少は精密さに欠けるかもしれない。だが、長く付き合って来た使い慣れた腕である。
 今更、菓子を作る程度で大きな障害に感じることは無いのである。
「意外なことに、味も悪く無いわ」
「それはどうも。ありがとう」
「いえ……」
 いいえ、と。
 チョコレートを1粒、咀嚼しながらヴァインカルはイズマの言葉を遮った。
 それから、イズマの淹れた紅茶で舌を湿らせ、くすりと笑う。
「ありがとうを言うべきは私よ。そうじゃない?」
 チョコレートをいただいたのは私なのだから。
 
 その場でヴァインカルが食べたのは、ほんの3粒のチョコレートだけ。
「夕食前ですものね。あまい、甘いものでお腹を満たしてしまうのも少し」
 と、そう言う理由もある。
 チョコレートとは、あぁ見えてなかなかカロリーが高いのである。
 暫く、紅茶を啜る音だけが聞こえていた。
「さっきの曲についてだが……」
 ふと思い出したようにイズマは言った。
「ん?」
「いや、さっき君が弾いていた曲のことだ」
「あぁ、あれは……」
 題名のない曲である。
 グラオ・クローネに纏わる幾つもの曲の、特に有名なフレーズだけを適当にピックアップし、繋げて演奏していただけ。
 不自然さが無くなるよう、多少はヴァインカルのアレンジも入っているけれど、変更点と言えばそれだけだ。
 作曲者に敬意を示し、大幅なアレンジは加えていない。
「グラオ・クローネ練習曲と言ったところかしら」
「そうかもしれないが……いや、確かに練習にはちょうどいいと思う。思うが、こう……あまりにも味気ない曲名というか」
 納得がいかない。
 そんな顔をして、イズマは胸の前で腕を組む。
 ヴァインカルは、そんなイズマの様子をしばらく観察していた。まるで面白い生き物を見つけたかのような目であった。
 やがて、いいことを考え付いた、という風な顔をしてヴァインカルは口を開く。
「では、こう言う名前にしましょう。チョコレート円舞曲、でどうかしら」
 なんて。
 鞄に仕舞ったチョコレートの箱を叩いて、ヴァインカルは笑うのだった。

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