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さざなみの音
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行きたい場所ができた。その言葉だけでも嬉しかったはずなのに、やってきたのは何度目かの海洋だった。嗅ぎ慣れた潮風の香りと、さんさんと降り注ぐ太陽。真夏日である。
何んか見に行きたい映画があったのかとか、行ってみたい施設があったのか、とか。楽しみにしていただけに、さんざん見た、というかもう見慣れてしまった光景に、エレンシアはややあきれた気持ちを隠せずにいた。
水着を持ってきて。それから日焼け止めとか。サンダルが良いよ。と手紙をもらったおt気はもしや、と思ったのだが、海洋であるはずがないだろうと考えたつい先日の自分を殴ってやりたい。残念ながら海洋です。
「なんだよ、行きたい場所って。からかってんのか?」
「いいや、だいぶ真剣なんだけどな」
「だからってまた海洋かよ……」
「君の生まれ育った土地をもっと知りたくてね」
「そーかよ」
別に嫌な気がするわけではない。むしろ嬉しい。そのはずなのに、素直に飲み込むことができない。エレンシアの黒髪が靡くのをルシは満足げに眺めていた。
今日のデートプランは用意してあるんだなんて得意げに見せたメモの切れ端をちらつかせて。
とはいえそのメモにもいくつか書き込みが見られた。そういった面を見せるのは好まないだろうから、きっと清書したものなのだろう。それでもまめな書き込みや赤字、波線が見られるのはルシの性格ゆえであることをエレンシアは気付かずには入れらなかった。
「ま、せっかくだしそういうのも悪くないかもな。お手並み拝見させてもらうぜ?」
「勿論。さ、お手をどうぞ」
「……おう」
こういうのは未だに満更でもない。お姫様というか、大切な人であるというか。そういった扱いを受けることには、未だ。その手のひらの大きさだとか、ぬくもりだとか、そういったことを意識してしまいそうになるから、青い青い海洋の果に目を凝らして。今はそっと気付かないふりをした。
どうせ天使なのだ、なんかそういったことには慣れていそうだ。なんてt継投で投げやりな偏見も添えておけばほら、心臓だってうるさくない。もうさんざん困らされているのだ、自分自身を窘める方法もいくつかは覚えている。それでもルシのほうが何倍も上手で、負けてしまう時だってあるのだけれど。でもそもそも勝ち負けの話ではないということを、エレンシアは自覚していないのである。
「で、最初はどこに行くんだ?」
「もう見えてるよ?」
「見えてる……って。まさか」
「そう、海だね」
「いや待て、アンタの水着は?」
「買ってないよ。でもレンタルできるらしいよ」
「用意周到だな」
「ま、デートだからね」
「ふーん……」
返す言葉もない。何か言おうにも口がもたついて仕方ない。ので諦める。というかもう最初からそのつもりだったのだろう。水着を用意させているのだから。でも練達だと思っていたかったのだ。プールとやらには行ってみたいと思っていた。だがしかし今日の相手は見慣れた塩味のあいつである。
照り付ける日差しを受けて、一歩、二歩、砂浜へと足を進めていく。焼けるような熱さの砂がサンダルへと踏み込んでいくのを恐れ、裸足になったのがいけなかったか。むしろ靴を履いておけばよかったのだろうか、どうするべきだっただろうか。なんて逡巡も束の間、吹き抜けるような海の香りと共に足元へと冷感が通った。何度も体験したことがあるはずなのに、触れた手の先にルシが居ると思うだけで、いつもとは違うような心地になる。これまで感じていた夏の煩わしさも、鬱陶しさも、汗ばむ熱気と噎せ返りじんわりと滲み出る汗も、何もかもが別物のようで。
不意にルシの方を見やれば、ぱちりと視線があうものだから、思わず顔を背けてしまった。耳が熱いのは果たして日焼けなのか、それとも。
そんな乙女チックな脳みそになっている自分が気持ち悪くて困ってしまう。ので大きく首を横に振って精神統一。大丈夫。まだ負けてない。というかこっちのほうが強いんだから、負けてやるつもりもない。
「何かあった?」
「いや、別に」
「もしかしてずっと見てたから?」
「見てたのかよ」
「ふふ、新鮮そうな顔をしていたものだからね。つい」
「なにがついだよ……ったく……」
繋いだ手を振り払う。海から砂浜へと進んでいくのはまるで人魚姫のように。
遠ざかる背を走っておいかけようとはしないルシを、けれどエレンシアは振り返って告げるのだ。
「まだ……その。始まったばっかりだろ」
「何が?」
「デート?」
「ふふ、そうだね」
「……だから、その。まだ遊ぶだろ」
「ああ、そのつもりだよ」
「なら色々見に行けばいいだろ。こうやって足を濡らしてるだけじゃ、あたしは退屈だ」
「それもそうか。配慮が足りなかったね」
「謝らなくていいよ。それより、もっと遊んでくれ」
「仰せのままに、プリンセス」
「だーかーら、そういうのやめろって行ってんだろ!!」
進むは水着レンタルのスペース。遊びに来たのならばとことん楽しまねばならないのだ、と。
しかしながらレンタルであるならばたくさんの種類があるわけで。それだけではない、水着に限らずとも浮き輪にゴーグルにサンダルに。二人が思っていた以上にレンタルグッズというのは充実しているらしかった。
最近の海というものは凄いものである。と、他人事のように思うだけだった。実際色々用意していたエレンシアにはレンタルは不要だったのだけれど。
「こういうのはあんまりわかんないんだよな……」
「なら私が選んでも構わないかい?」
「……なんでだよ」
「だってわからないと言っていただろう? それに、やりがいことがあれば尊重してくれるのではないかと思って」
「ずるい言い方だな」
「わざとだからね」
否定の言葉は出なかった。つまり肯定ということである。エレンシアがなにも言い返さないのを肯定であると知っているルシは、エレンシアに着せるべき水着をいくつか提示しつつ室内を歩いた。
「これはどう?」
「ちょっと可愛すぎる。却下」
「じゃあこれ」
「なんかやだ。却下」
「わがままだね。これは?」
「……いや、ちょっと待て、話を聞け!」
悪くはない。きっと似合うだろう。何より、他でもないルシが見立てたものであるのならば。ためらう必要はないだろう気がしている。だけれどもだ。
「姉貴が用意した奴があるんだよ」
「そうなんだ、残念」
わざとらしく肩をすくめたルシが憎らしい。ずかずかと更衣室に行こうとしたエレンシアを引き止めたルシは一枚布を追加で放り投げた。
「わぷ?!!」
「それ。絶対着てきてね」
「何すんだよ」
「言わせたいのかい? ふふ。他の男の目に触れてほしくないんだよ。これでも、私も男だからね」
「そーかよ」
いちいち余計な言葉ばかりを付け足すやつだ、と思う。でもそれが嫌じゃない自分もどこかにいることを知っている。随分と毒されてしまったものだ。ほだされてしまったものだ。最初にはときめきすらしなかったはずなのに、今ではもうそんな言葉ですら嬉しくて喜んでしまっている自分が居るような気がして。
きっとまだ違う。今ならまだ。どこかで引き返すことが出来るはずだと思っている。だからこうやって、これは他でもない自分の意志で動いたのだと自分自身に言い聞かせているのだ。そうでなければきっともう、後戻りなんてできなくて。自分自身を窘めることすらも難しいのだから。
「……」
憂鬱だ。言いなりになっているような気がする。と、投げられ与えられたラッシュガードを見て思う。鮮やかなエメラルドグリーンは他でもない彼の色だ。きっと揶揄うことしか頭にないくせに。こんなにもかき乱して。その気がないなら、こんなことをしないでくれないか。
いつのまにか着替えてはいたのだが。というか考えないように着替えていたら、いつのまにか水着になっていたという方が適切なのだが。
(いや、この歳でこれはきっついだろ)
何を思ったのか水着はビキニ。ところどころリボンやフリルで可愛らしさもありながら女性らしい丸みを隠すのは必要最低限。下品にならない程度にはセクシーに。
「パーカー、着てないんだ」
ご不満そうな声が上から降ってくる。
白い肌にはほどよく筋肉がついており云々。解説するのも居たたまれないというか、頭がバグってしまいそうで。そっと閉口したエレンシアにできることは目を逸らすことくらいだったのだ。
「それにおや、今日はフリフリな水着なんだね? ふふ、似合ってるよ、可愛い。でもすぐ日焼けてしまいそうだ、君は肌が白いし手に持ってるその上着は着ていた方がいいかもね?」
「う、うっせーな! 別にいいだろ! つーかアタシが選んだんじゃねーし。別に肌が焼けるぐらい構やしねーっての。戦場で返り血浴びて気にするようなもんだぞそれ」
「ここは戦場じゃなくていたって平和なビーチだけどね」
「うるせー、言いたいことがそういうことじゃねえってわかってるだろ!」
怒りの声にけらけらと笑いながら、どうどうとわざとらしくポーズを取って見せるルシが悔しい。こんなにも本気なのに、きっと遊びのような気持ちしか抱いていないのだ。
(ったく……しかしほんとマジでなんでこんなの選びやがったんだ姉貴も……似合わなさ過ぎて恥ずかしいだろ……)
(これでなんで自分を可愛いと思ってないのかが謎だ、まぁ……いざとなれば私の翼で隠せばいいだろうけれど)
逡巡。後の実行。逃げようとしたエレンシアを、しかし一歩先読みしたルシがその行く手を阻む。
「なっ……」
「私の方が一枚上手だった、ということで」
波打ち際の駆け引きはルシの勝利にて完結。この後ルシはちょっとだけ日焼けした。
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「買い物だっつーけどよ、別に買いたいものなんてないぜ?」
「ウィンドウショッピングだったっけ。それでも有意義にはなると思うんだけど、どうかな」
「どうってあたしに聞かれても困るけど、まぁアンタのやりたいことなら付き合うぜ」
なんせ今日はルシのしたいことに付き合うためのデートなのだから。海洋ということで海の見える位置に敷地を構えるアウトレットモールへとやってきた二人。ちょっぴりお得な品をいくつも用意しているようだったが、特に興味のあるものはなくてとりあえず歩き回るだけになる。
「しっかし昼だな、ちょっとだけ腹ごしらえしたほうがよさそうか」
「そうだね。こういったところだと何が良いんだろう」
「ま、チープなのもあればちょっとお高い店もあるけど。何か食いたいものはあるか?」
「いや、ぱっとは浮かばないかな。何も考えていなかったというか、そうだね、こういったところに来るのは初めてだから」
「そうだったのか。じゃあまぁ、メニューが多そうなところがいいかもしれないな」
「そうだね。あなたにお任せしようかな」
「わかった。昼時だしちょっと混んでるけど、ま、仕方ないだろ」
エレンシアに続くように列に並んだルシ。エレンシアが選んだのは中華料理屋だった。特に何がいいというわけではなかったが、物珍しさもあるだろう。チェーン店というわけでもなさそうだし、いくつかのサイドメニューも充実しているようだった。
「メニューを先に頼んでから届くのを待つスタイルだな。何か食べたいものを考えておかないと」
「そうだね。先ほどは海で疲れ切ってしまったから、今ここでしっかり食べて回復しておかないと」
「うーん、そうだな。ラーメンとかでもいいんだが」
「あ、でも。そうだ」
「ん?」
「今晩はディナーを予約しておいてあるから、ちょっとくらいは余力を残しておいてくれると嬉しいな」
「そういわれるとがっつり食べようとは思えないな……」
「ふふ、そうなってくれるように言っているから仕方ないね」
「ったく、とんだ野郎だよ」
「褒め言葉として受け取らせてもらうね?」
「褒めてないからな」
「ふふ、そうか」
何を言っても余裕しゃくしゃくなペースのルシにはいつもやきもきしてしまう。い甘さらそんなことを言ったって仕方ないのだけれど、女の子というのはわがままなのだ。
一緒にメニューをのぞき込んでいる間にエレンシア達の番が来て、軽く食事をこなして。それからモールへと繰り出そうとしているその時、事件は起こった。
「そういえば、食事以外の予定を考えていなかったんだよね」
「じゃあまあ眺めてみたらいいんじゃないか。さっき自分でウィンドウショッピングって言ってただろ」
「ま、言葉を借りたというやつだね」
「誇るなよ」
近くで売っていたジェラートを二人分購入して。それからのんびりと歩き出していたのだけれど、ルシは特に気にする様子もなくてすたすたと歩いて行ってしまう。ルシの身長が高くなければ見失うのもきっと容易かったはずだろう。それくらいすたすたと歩いて行ってしまうのだ。これではウィンドウを眺める余裕もないのだ。
ということでこの事件は密かに起こり、そうしてモールを三周だか四周だかしたところでエレンシアがしびれを切らした。
「散歩かよ」
「そんなはずじゃなかったんだけど、いざ自分が欲しいものとなると何も浮かばなくってね」
「別に自分用に何か買わなくたっていいだろ、自分のためじゃなくたって例えば……ルシがいつも話してくれた恩人のひととか。そういった誰かのために物を買うのだっていいんじゃないか」
「へぇ、なるほど……」
ただただ見て回っていたのだろうルシが、それを聞いただけで納得したようにうなずいて。それからもう一度、店内を見に一歩踏み出した。
「何か浮かんだのか」
「ちょっとね」
「ならよかった」
きっと恩人に向けるものなのだから何かいいもんが浮かんでいたに違いないとふんで、エレンシアもそれはご機嫌になったのだけれど。
しかしルシが突っ込んでいくのは大体若い女性向けのアクセサリーショップで。話に聞いている恩人に渡すにしては少し情愛がこもりすぎているような気がして。
「……これ、ほんとに恩人さんに贈るのか?」
「いや、あなたにだけど」
「は???」
思わず声が漏れる。何も知らなかったエレンシアからすればご機嫌について言っていたことすらもばからしく思えてくるような事態で、とにかく思考がまとまらないというわけである。それならば先ほどまでの自分の姿は店員たちにどう映っていたのか。ルシの相談中も関係なくアクセサリーを見たりしてにこにこしていた自分の姿はさぞかし滑稽だったろうに。
「あのなあ、それくらい先に言えっての」
「でも贈り物はサプライズのほうが良いだろう」
「心臓に悪いんだが」
「嫌だったかい?」
「嫌っつーか……それくらい、自分で用意できるし買えるよ、あたしだって」
「いや、これは日ごろからの感謝だし。贈り物ってそういうことじゃないんだろう」
「そうかよ……」
「ああ、そうさ」
あたかも当然のように振舞うものだからどうしたものかと困ってしまう。ルシのやさしさに触れる度に、どうしたらこのまま何も感じずに、考えずに、今のままでいられるのかと。きっと今のまま現状維持なんてできっこなくて、きっと何かが変わっていくことなんてとうの昔に理解していたに違いないのに。
「あたし、外で待ってる」
「わかった」
どうしたものか。何かを贈るなんてつもりはなかったし、まさか自分が相手だとも思っていなかった。なのに今日のデートはまだ続くから、きっと逃げられるはずもなくて。
ずっと戦って、逃げることなんてなくて、ひたすらに血を浴びて。それだけだったエレンシアが逃げようと、白旗を上げようとしている現実が何より受け入れがたかった。たったひとりの男にここまで狂わされてたまるものか、と。ずっと思考が一人の男で埋め尽くされていて、もうその時点で手遅れだったなんて、今のエレンシアは知る由もないのだけれど。
「お待たせ。良いものが買えたから、あとで渡すよ」
「そーかよ……」
「ふふ。今のあなたは逃げ出してしまいそうなところがあるしね。それにもうこの場に用はないから、次のところに移動したほうがよさそうだ」
すっかり空は夕方を示していて、そういえばなにもしていなかったなと思いいたる。
「ま、最後はディナーだから。もう少しだけ私に付き合ってくれるかい」
「今からキャンセルしてもキャンセル料だって出るだろうしな」
「それくらい私にも出せるよ」
「うるせーよ。ま、行くっつってんだからとっとと連れてってくれ」
「ふふ、仰せのままに。それじゃあちょっとだけ、失礼するよ」
「な、アンタ、なにすんだよ?!」
「何って、空の旅へと招待してるだけだけど」
「そんなこと簡単に言うもんじゃねえって。てかアタシ自分で飛べるから!」
「はいはい、そう暴れると落ちるよ」
「窘めるなよ!」
「こうでもしないと聞いてくれないかと思って」
「ご明察だよ」
「ふふ、そっか」
「喜ぶな!」
さらりとエレンシアを姫抱きにしたルシが空を飛んでいた。エレンシアが驚き慌てふためくのをはいはいと横目に見ながら空をゆっくりと飛んでいく。
空なんて自分でも飛んだことがあるのに、それなのに、ゆっくりと見下ろした空からの景色が離れない。
「……」
だからすっかり反抗する気なんて失せてしまって。
風を切るその翼をぼんやりと眺めながら、店へと進んだのであった。
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やってきたそこは人でにぎわっていた。
予約を取っていなければいけない理由もわかるような込み具合で、ほんとうに甘やか浚えたものだといっそあきれてしまう勢いだった。
「今日はディナーだって言ったけどさ、リゾートでディナーなんて……大変だったろ」
「いいや、別に。そこまで気にすることじゃないよ。喜ばせたかったしね」
「店の好みも何から何まであたし好みすぎて怖いくらいだよ。ま、色気より食い気だってのはすっかりわかってるだろうし」
「そうだね。良い雰囲気をその食欲で壊されないように、今のうちにたんと食べておいてね」
「もうすっかり隠す気はねえんだな」
恥じらいももう消えてあきらめになってしまった。なにより、照れているところを見せるほうがルシは喜びそうだとわかっているから。そんな隙はもう見せてやらないのだ。それに目の前に並ぶ豪華絢爛な料理を見ている方が今のエレンシアにとっては優先だ。ディナーとはいってもバイキング形式の、夜景の綺麗なレストランに連れてきてくれたルシ。遠くに見える海を眺めながら、楽し気な音楽とともに夜景を眺めてご飯を食べる。ヤシの木につるされたタペストリーとイルミネーションはシンプルながらも、置かれた家具はやはり良いものであるということがわかる。高級感もありながらアットホームな感じのある心地の良いレストランだった。
「すごい種類だな」
「そうだね。調べてはいたのだけれど、私も驚いてる」
「そんな顔には見えないけどな」
ジンジャエールを二人分。それからおいしそうな料理をさらに乗せて。
「あなたは何か取り損ねたものはある?」
「なんで?」
「それを私が取ればいろいろつまめるだろうと思って」
「そうかよ。じゃああれと、あれと、あとあっち」
「わかった。先に席に戻っておいて」
ルシがそう言ってくれるから、エレンシアはその言葉に甘えて先に食事をすることにした。
もぐもぐと食べ始め頬が膨らんだエレンシアを、戻ってきたルシはご満悦で眺めるのだ。
「何笑ってんだ」
「だって心底美味しそうに食べていたら、そりゃ笑顔にもなるだろう」
「美味いんだもん。アンタも食えって、ほら。この肉とか美味いぞ」
そういってフォークに刺し、ルシのほうに向けたエレンシア。
そんな様子をおかしそうに笑ったルシは、意地悪く告げるのだ。
「これでは間接キスになってしまうけど、もしかして私を甘やかしてくれているのかな?」
「ばっ、そ、そんなわけないだろ、教えてやってんだ、親切に、近い距離で!!」
思わず引っ込めて自分の口の中に突っ込んだ。
そんな様子をほほえましく眺めたルシは、満足げにディナーを進めたのだった。
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お腹が満ちると眠くなってしまうから、との提案で波打ち際を歩いた二人。満足げなルシの反対に、エレンシアは不服そうな表情が顔から消えることはなかった。
もやもやとした懸念だけが内側に広がる。果たして自分はこんなに心の狭い人間だっただろうか。
だけれどもこのもやもやした気持ちを抱えたマンでは大人しく家に帰ったところで寝られる気がしない。なにより、今後もう一緒に遊んだり何かをしようと思えないかもしれない。震える腕を抱えて、ぐっと押し殺していた言葉を、押し出した。
「あのさ。今日行ったところ、全部あたしが好きそうなところばっかりだった」
「好意を持つ者を楽しませたいのは皆胸に秘めているものじゃないのかい?」
「……そういわれると、なにも言い返しにくいだろ」
すきだとか。きらいだとか。まだはっきりと線をひいてしまうのは怖い。これで違ったらどうしようなんて考えてしまう臆病な自分がいて、だけど怖くって。どうしようもないくらい臆病な自分がいることに、気が付いてしまった。
だけど。そんなエレンシアの心を知ってか知らずか、ルシは何も求めようとはしなかった。
「私が興味を抱くのは君だけなんだ、だから自発的に行きたいところって言うのは難しくてね? 君が楽しいなら私も楽しいんだ、気にしなくていいんだよ?」
「……あー。なんつーか、まあ、うん。そう言ってくれるんだったら構わねぇけどな。しかしまあ、なんだってアタシみたいなガサツなのに興味持ったのやら……」
さざなみの音がする。どうしたって、心に抱いたざわめきが消えない。ずっとずっと嵐のようになって、それから。
きっと聞いてしまってはいけないのに、それなのに、星空の下で真剣な顔をするルシから目が離せないのだ。
「何度も言ってきたけれど……私は本気だよ。君が自分をいくら卑下しようと私は君から目が離せない」
「ああ」
淡白になってしまう。どうしても。まだ嘘であったほうが傷付くこともない。愛することでもっと強欲になってしまったらどうしよう。けれどその気持ちを払しょくするように、ルシは笑うだけだった。
「君と過ごす時間は結構好きなんだ。私が愛してる……なんて言ってもまだ信じて貰えなさそうだけれど?」
あいしてる。その言葉が、どれほどさらりと口にするのが難しいのだろう。
少なくとも今のエレンシアにとっては難しいことは違いない。けれど、ルシが告げてくれた。だからこそわかることがある。
きっとこの気持ちは、異なるものではないということ。今は口に出せないけれど、ルシが告げる愛が、嬉しくて、それからむずがゆくて。だけれど誰にも上げないでほしいと思うそれだった。
ならば。断る理由も、突っぱねる理由もないのだ。だって、同じ気持ちなのだから。
「……あー、それはその。信じるか信じないかって言うとまあ……信じてやらなくもないよ。アタシも、その、そうだし……」
もごもごと口ごもってしまうがそういうのはがらじゃない。でも小声になってしまう。だって恥ずかしいから。
だけど。通じ合った心があれば、きっと触れるのだって怖くはない。ぎゅっと目を瞑ったエレンシアを、ルシは翼で隠して。それから優しくキスをした。
二人で飲んだ甘いジンジャエールの味が舌。そういえば初めてのキスがレモン味だっていうのは、誰が言ったのだったっけ。
ぼんやりと熱暴走してしまったような、そんな気持ちで顔が熱くなる。覆い隠すようにルシの胸へと顔を埋めれば、落ち着くまでルシは背を撫でてくれたのだけれど。
「さて、この後は……どうしようか?」
夜もすっかり満ちていた。
きっと帰りが遅くなることは姉には見透かされているのだろう。
「な、何って……好きすればいいんじゃないのか」
「ふふ、わかったよ。それじゃ、今度は嫌がらずに乗ってくれるかな」
「……わかったよ」
腕を差し出したルシの手をおずおずと握ったエレンシア。
愛してる、だなんていつか言えるかな。もしもそのときになれば、ルシは驚いた顔をしてくれるだろうか。だけれどもきっと、これからもルシの様子が変わる気なんてしなかった。
ホテルへと向かった二人の背中を押したのは、満面に咲いた大輪の花火たちだった。
おまけSS
「で、何しようね」
「ホテルと言ったらさ」
「うん?」
「貸し切り映画だろ! 映画のDVD借りに行こうぜ」
「ふふ、そうだね。それがいいかな」
「あとはそうだな、夜食にポップコーンとかいろいろ」
「もしかして案外乗り気?」
(一生懸命気にしないようにするために決まってるだろ!!)