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どこにでも転がっている話。

登場人物一覧

ハリエット(p3p009025)
暖かな記憶

 微睡みからすぐに浮かび上がる意識。感じた気配を探れば。

 ———猫か。

 寝る前には降っていた雨が止んでいる。それで動き出したのだろう。時計なんてものはないが、天井代わりの腐った板の隙間から覗く空を見れば、月が大分高い位置にある。もう、日付も変わったころだろう。

 胸元へと手をやる。持ち物は少なく、どれもくたびれた物だが、その中でも特に年季を感じさせるソレは、曇った身体で月明りを鈍く反射させる。記された文字は。

『ハリエット 09.26』

「……15歳の誕生日、おめでとう、ハリエット。」

 祝ってくれる人なんて誰もいない誕生日を、ハリエットは独り、闇の中で迎えた。たった一つだけの、自分が自分である証を抱きしめて。



 なんてことはない。どこにでも転がっている話だ。人には格差があって。生まれた時から恵まれた者もいれば、路傍の石ころのように明日には冷たくなっている者もいる。彼女は後者だった。
 彼女は運がよかった。おせっかいな年長者がいたおかげで、死なずに済んだ。
 彼女は運がよかった。見目に恵まれた。
 彼女は運がなかった。孤児だった。そして、女だった。


 子どもにとって、世界はとても大きく。自分で選ぶことも、変えることもできないもの。とある領地のとある小さな町の路地。そこから見上げる小さな空が、ハリエットにとっては世界の全てだった。周りにいるのは、自分と同じような孤児たち。けれど、彼らはけして仲間ではない。時に協力することがあっても、それは互いの利害が一致したからで、お互いに相手を利用したに過ぎなくて。昨日協力してパンを盗んだ相手が、翌日には自分をパン屋に売ることだってある。気を許した途端、全てを奪われる。服も、食べ物も、命も、尊厳も。……そんなもの、最初からないようなものだけれど。

 彼女もそうやって他人に心を許さず利用してきた。生きるために奪い、時に失敗して痛い目を見ながらも、15年生きながらえたハリエットは、運がよかった方だろう。だが、この生活に出口なんてない。「逃げる」方法を教えてくれる大人なんて、ここにはいないから。いや、簡単な方法なら、毎日誰かが教えてくれる。『死ねばいい』だけだ。

 あぁ、女である彼女にはもう一つ、運が良ければ成功する方法がある。『誰かに飼われる』ことだ。彼女もこの数年感じていることだ。周りの男どもが自分を見る目が変わってきていると。
 年々”女”になっていく身体。初めて月のものが来た日、彼女は果たして、それを喜んだものだろうか。 
 男と女の身体と、貞操という概念を教えてくれた女は、ある朝、裸でドブ川に浮かんでいた。数年前、一時的に寝床を共にしていた同年代の女児は、雨の夜に空腹を我慢できず「雨なら人通りも少ないから見つからないよ」と、盗みに入るため寝床を後にし、翌朝、冷たくなって見つかった。ボロボロの身体は人にやられたか野犬にやられたのかもわからず。まみれた汚れと悪臭を、雨は洗い流してはくれていなかった。
 そうやって奪われ汚される同性の姿を幾度も見てきたハリエットだからこそ、簡単に自分で命を絶って、その後自分の尊厳を汚される選択肢は選ばなかったのかもしれない。あるいは、運命というものへの反発だったのかもしれないが。


 日々を生き延びる彼女にとって、夜は幸せな時間だった。だって、夢を見れるから。夢の中では、自分も表通りを行く家族のように、誰かと手を取って街を行き、ガラスの向こう、暖かな暖炉のある部屋で皆でテーブルに並ぶ豪華な食事を囲んでいた。そんな、『あり得ない幸せな世界』が見えるから。
 彼女はどこでも眠れる。そして、どこでも夢を見ることができる。
 けれど、彼女は気づいていない。それが、とても悲しいことだと。どこでも眠れるのは、寝なければ死んでしまうから。そして、場所を選ぶことなんて、彼女にはできなかったから。いつも夢を見るのは、常に眠りが浅いから。深い眠りに落ちてしまえばもう、目覚めないかもしれないと、無意識のうちに身に着けてしまったから。それでも、彼女は夜が好きだった。夢を見ることが好きだった。けれど、最近ではそれも徐々に変わっていった。”女”として成長した彼女にとって、夜は居心地の悪いものになっていった。誰も、彼女を守ってくれなどしないのだから。


 ……いや、一人、もしかしたらいたのかもしれない。彼女を守ってくれる大人が。

 出会いは最悪だった。男にいきなり声をかけられた。とっさにハリエットは逃げようとした。ただ、欲が出た。目の前の身なりのいい男から、財布を盗もうとした。だが、男には護衛がついていた。すぐに捕まった彼女だったが、そこからは嵐のような日々だった。
 殺されるか売られてしまうのだろうと思っていた彼女は、大きな館へと連れていかれ、風呂に入れられ、何やら綺麗な服を着せられた。見る人が見れば古いそれだが、ハリエットにとっては今まで袖を通したことのないような上等なものだった。事態が呑み込めず困惑する彼女を、男は何も言わず、どこか懐かしむような表情で見ていた。
 その男は領主だった。男は付き合ってくれた礼にと、その古着をくれた。それからひと月に1度、男はハリエットの前に姿を見せると、彼女を館へと連れて行き、服を着せ、食事を与え、そして短い時間ではあったが学を教えた。帰りには服はそのまま与えてくれた。
 ハリエットにとっては降ってわいたような幸運だった。けれど、長くは続かなかった。領主が死んだから。

 元々病に侵され、長くはなかったらしい。領主には亡き妻と娘がいた。もしかしたら、ハリエットに妻か娘の姿を重ねていたのかもしれない。だが、彼女は恩義を感じこそすれ、本心から彼を信頼してはいなかった。だって、彼はハリエットを家族として迎えはしなかった。できる力があるのに。選ばれた人間の、死ぬ前のただの気紛れで受けた施し。彼女にとって、この1年の出来事はそういうものだった。

 それでも、もらった恩は小さくはなく。せめてと、葬儀の当日は最後にもらった服を着て、葬列を遠巻きに眺めていた。

 ———この服が、貰える最後の服になったか。

 その程度のこと。思考は冷めていた。けれど、それでも。柄にもなく、自分以外の誰かのことなんて、考えてしまったからなのかもしれない。普段の彼女だったら、もう少し警戒できていたはずなのに。

「こいつが領主の落とし種か? あんまりパッとしねぇな」

「磨けばそこそこいけるんじゃないか?」

 気づいた時には遅かった。囲まれている。
 自分に向けられた男たちの目の色に、彼女は一瞬で悟った。

 ———売られる。

 誰かに体をどうにかされるなんて死んでも嫌だった。
 けれど、あの領主が死んだ今、自分にはもう、施しをくれるような人もいない。
 いっそ、尊厳など捨ててしまった方が。そうすれば、少なくとも食うには困らないのかもしれない。
 ”16年”生きてきた彼女はもう、疲れていた。
 そこに、諦めの文字が浮かんでも、仕方がなかったのかもしれない。


 けれど。
 下卑た男たちの腕が自分へと伸び。あぁ、もともと、自分には選ぶ権利などなかったなと、彼女が諦め、空を仰いだその時。

「……え?」

 その空は、知らない空だった。

 ハリエット、16歳の誕生日。
 何処にでも転がっているような彼女の運命は、特異なものだった。

  • どこにでも転がっている話。完了
  • NM名ユキ
  • 種別SS
  • 納品日2024年01月28日
  • ・ハリエット(p3p009025

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