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ドン・ボロウという悪党。或いは、今を生きるコツ…。
登場人物一覧
●ドン・ボロウという悪党
幻想。
とある森の奥にある、粗末な小屋のその地下室。
否、正しくは地下牢獄と呼ぶべきか。地上にある小屋のみすぼらしさとは相反し、地下の牢獄は頑丈かつ広かった。
もっとも、マリカ・ハウ (p3p009233)の手にかかれば、脱出は容易だ。
手錠も、鉄格子も、金属としてみれば混ぜ物の多い安物だ。マリカの鎌や、“お友達”を駆使すれば大した時間もかけずに破壊できるだろう。
手錠や鉄格子だけじゃない。
「なぁ? 腹、減って無いのかい? 私が言うのもアレだが、食わなきゃ身がもたないよ?」
マリカの前に、シチューとパンを差し出しながらそう言った彼女……ドン・ボロウでさえ、片手間に血祭りにあげられる。
以前のマリカならそうしただろう。
ドン・ボロウの手首を斬り落とし、足首の腱を断ち切って、苦れないようにしてから甚振るように殺めただろう。
今のマリカには出来ないことだが。
かつての自分の所業を想うと、胸の奥から果てしなく濁った罪悪感が湧いて来る。じわじわと、身体の芯から蛆が這いあがるような嫌悪感。
後悔とはこういうものか。
後悔する資格は無い。自分勝手に振舞った過去の代償を、今の自分が支払っているだけに過ぎない。
そもそも、後悔してどうするというのか。
身勝手に殺めた大勢の人たちに、泣き喚いて詫びたとして……誰かが許してくれるはずもない。
「……だんまりかい。まぁ、私と会話したくないってのは当然だ」
ドン・ボロウはほんの一瞬だけ暗い顔をした。
マリカの身を案じているかのような表情。けれど、すぐに表情を固めると、パンとシチューの皿を引く。
「食いたくなったら声をかけな。温め直してやるからさ」
そう告げたドン・ボロウの腹が鳴る。
割れた眼鏡、みすぼらしい衣服、粗末な武器と、痩せた身体……なけなしの有り金を叩いて、マリカのためにパンとシチューを用意したのだろう。
その目的は、少々アレだが……。
パンも、シチューも、ドン・ボロウ自身が食べたくて仕方ないのだと思う。
彼女だって、腹を空かせているのだから。
「……お腹が空いているのなら、貴女が食べればいい。それか、部下の2人にでもあげて」
「……みっともないところを見せちまった」
自分の腹に手を当てて、ドン・ボロウは肩を竦めた。
それから、空腹を紛らわせるようにテーブルの上の温い水を一気飲みした。
「やっと喋ったと思ったら、そんなことかい。ま、心配はいらないさ。悪党なんだ、腹ぁ空かせて死ぬこともある」
そもそも、ドン・ボロウの人生は長く底辺を這いまわるようなものだった。
空腹でない時の方が少なかったのだ。今さら、何食か抜いたところで問題はない。
「それにあいつらにはもう食わせたよ。こりゃ、私の分だ」
「だったら、なおのこと……」
「私の分のパンとシチューを、私がどう扱おうと私の勝手だ。違うかい?」
ドン・ボロウやその部下たちに捕らわれて、2、3日ほどが経過していた。
相変わらずマリカは食事に手を付けないし、ドン・ボロウもそれは同じだ。心配する部下たちを気丈にも叱り飛ばす姿を見れば、とても数日、何も食べていないようには思えない。
「なぜ、悪党なんてやっているの?」
気紛れに、マリカはそう問うた。
地下の牢獄にいるのはドン・ボロウとマリカの2人だけ。部下たちは地上の見張りや、食料の買い出しに行っている。
数日、ドン・ボロウを見ていて気付いたことがある。
彼女はきっと、悪党に向いていないのだ。
それでいて、その生き方や言動は悪党そのものである。少なくとも、正義の信奉者には今さら転向できそうにないし、一般的な市民らしい生き方も難しいだろう。
ドン・ボロウは少し考えて、こう言った。
「誰も助けてくれなかったから」
その目は酷く冷めていた。
「助け合いだとか、正義の味方だとかいう奴いるだろ? 人を殺しちゃいけません、人の物を盗んじゃいけません、暴力を振るっちゃいけません、ってお決まりのフレーズを何度も耳にしたことは無いかい?」
椅子に座る。
粗末な椅子だ。ドン・ボロウの痩せた身体さえ支えきれず、ギシと軋んだ音を鳴らした。
「アレね、私らみたいな襤褸を着てる連中には適用されないんだよ」
その目は天井を向いている。
黴の生えた石の天井だ。眺めていても、楽しいことなんて何も無い。
「誰も助けちゃくれないし、正義の味方には追い回されるし、人死にが出れば疑われて、より強い奴にパンの欠片さえ奪われて、殴られて、蹴られて……そんで、善良な一般市民の皆さんとやらには利用される。荷物を運んでやったのに、約束の報酬は払われず、それどころか荷を盗んだと無実の罪で糾弾される」
コツン、と苛立たし気にテーブルを叩いた。
その瞳には、いつの間にか強い怒りや憤りの感情が滲んでいる。
「少なくとも私はそうだった。手下たちもそうだった。人より襤褸を着ているから、人より身体が小さいから、頭の回転が鈍いから……アンタに言っても仕方ないことかもしれないが、人ってのは“差別”して生きる生き物だ」
差別される側が、私たちだ。
そう言ってドン・ボロウは自分の胸を拳で叩いた。
「まぁ、悪いこっちゃない。もう少し金を持ってたら、私はきっと向こう側に立ってたはずさ。ただ、限りのある席の奪い合いに負けたんだよ」
だからここに落ちて来た。
ドン・ボロウはそう言って笑う。
心からの晴れやかな笑みだ。
「つまり、好き勝手に生きて、好き勝手に死ぬんだ。色々と間の過程は違うけど、私たちも連中も、ただ1つだけ、その権利だけは変わらないし平等だろう?」
正義の味方として生きる者がいるように。
悪党として生きる者もいるのだと。
ドン・ボロウはそう語る。
「だから私は悪党になった。悪党になって、そんで“悪党にも差し伸べられる手がある”のだと、そう騙ることにした」
だって、その方が楽しいから。
少なくとも、地面ばかりを見下ろして、肩を小さくして生きる必要がなくなるから。
「自分で選んだ生き方だ。私たちは悪党だ。それがどうした? 胸を張れよ」
悪党らしく、悪辣に笑って生きて行けよ。
そう言って、牢の前へと近づいて来る。
「悪党には、裁きが下るわ」
「悪いことしたんだから、当然だろう?」
「それでも、反省しないのね」
「反省するぐらいなら、最初からやらなきゃよかったんだ。でも、やっちまった。私も、あいつらも、悪いこといっぱいしちまった」
肩を竦める。
「やっちまったもんはしょうがねぇ。私たちが恨まれるのもしょうがねぇ」
そんな風には思えない。
やってしまった以上、無かったことには出来ない。
死んだ者は生き返らない。
「そんで、恨まれて憎まれて、ズタボロになって惨めに死んでしまうというなら……まぁ、それもしょうがねぇのよ」
くるる、とドン・ボロウの腹で蟲が鳴いた。
少しだけ照れたような顔で笑って、ドン・ボロウは自分の腹に手を当てる。
「あぁ、でも……腹が減るのだけは、しょうがねぇって思えないわ」
そう言って、幾つかのパンを皿に載せ、マリカの前へと差し出した。
「飢えるのは辛いよ? 私が言うんだから、間違いない」
「…………」
「腹、減ったら遠慮なく食べなよ」
そうすりゃお互いハッピーだろう?
なんて、言って。
ドン・ボロウは笑った。
彼女はきっと、死ぬ瞬間も笑っているのだろうと思った。