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似た者同士の魔女達と
登場人物一覧
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夢を見ている。
紫陽花の咲き誇る庭園の中心で、黒炎がひとつ。
熱はなく、不定形のままに何をするでなくそこにある。
「なぁに、もう会いたくなっちゃったの?
ふふ、貴女って意外と寂しがり屋さんなのかしら」
くすくすと笑う声には覚えがある。
今はまだ鮮明に思い起こせる白髪の魔女の姿を思い浮かべた。
「――オルタンシアですか」
冠位傲慢の使徒、遂行者と呼ばれた者たちの1人だった女の名を呼んだ。
遂行者たちの血は奪えず、けれど彼女の炎を奪ったのは記憶に新しい。
「外は大変みたいねぇ、よく知らないけれど。
ほら、貴女が悪意を纏め上げる場所が今にも消えてしまいそう。
遠い未来まで私を連れていくのでしょう? ふふ、その前に消えてしまうかも」
まるで他人事のように――実際、他人事なのだが――マリエッタの奪った
それはオルタンシアの残滓――意識の欠片であるのか、あるいはマリエッタ・エーレインという個の夢想に過ぎないものなのか。
真実を問う術はなく、けれどその場では確かにマリエッタは
「彼女を、聖女を追えば自ずとこの問題も解決するでしょう」
「シャイネンナハトの魔女ねぇ……そう。貴女は彼女を追いたいのね。
まぁ、精々頑張ればいいわ。それとも、手を貸してほしいかしら?」
「……遠慮しておきます。
「あはっ♪ 残念、振られちゃったわ」
なんてこともなく、黒炎となったオルタンシアの残滓から笑う声がする。
「それなら何をしに来たのかしら。
ここは貴女の夢、貴女が私を呼んだのでしょう?」
「えぇ……形を失ったとはいえ、貴女は似た者同士の友人です。
貴女が私に望んでいることを知りたくて」
「ふぅん? それは私が貴女が行く道程を見つめ笑う立場であると分かった上での話よね」
こともなげに笑うオルタンシアの声は、どうしてか今までのいつよりも明るかった。
「当然です。それでも叶えることが出来る望みであれば考えてあげなくもありませんよ?」
「まぁ、好きにすればいいわと言いたいところだけど。
貴女が聞きたいのはそういう話ではないのでしょう……そうね。
それじゃあ旅をなさいな、マリエッタ・エーレイン。
終焉と戦うのでしょう? 世界を悪意で纏め上げるのでしょう?
そのためには世界を旅する必要があるわ。だからその先々、あらゆる景色を私に見せてちょうだい」
「……本当にそんなことでいいのですか? もっとあってもいいのですよ」
「あはっ♪ それなら行く先々でその土地の食べ物、伝承、景色、そういったものを私に見せてくれるかしら。
世界中を旅して回ったけど、くまなく行けたわけじゃないもの」
「意外と可愛らしい要望ですね」
それは最初に言われたことへの意趣返しだった。
「ふふん、そうでしょう。若い頃の感性を捨てちゃったら、あっという間に老けるんだから」
けらけらと笑われれば逆に揶揄われたのだと分かろうものだ。
どこまでもオルタンシアのような感性で黒炎の残火は言葉を結ぶ。
そして――意識が解けていく。
友人との対話は今日はここまでのようだった。
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それは何気ないある日のことだった。
グラオ・クローネのための練習ついでにと挑戦し始めたチョコレートマドレーヌ。
「次の工程は……これを型に入れ、10分ほどオーブンで焼く、と」
レシピ本を見て一息入れたマリエッタはオーブンの中へマドレーヌを入れて焼き始めた。
「…………」
暇つぶしに開かれてあるレシピ本の頁を送っていく。
まだ挑戦したことのない物もあれば、何度か作ったことのあるレシピまで。
元より知識欲求の強いこともあって自然と意識がそちらに向かって行く。
「…………」
「あーもう、見てらんない!」
口から出た声はマリエッタのそれではない。
「邪魔をしないでください、オルタンシア!」
いきなり意識を切り替えられ、マリエッタは当然の非難の声をあげた。
「そんな事いいから、さっさとオーブン止めないと焦げちゃうでしょ!」
丁々発止に問答を続けながら、オーブンを切って取り出せば焼きたての良い香りが鼻を擽る。
「ほら、早く型から取って冷やしておきなさいよ」
「分かってますから静かにしててください」
「静かにしてたら確実に焦がしてたでしょうに」
「残滓の割に随分と表に出てきますね」
半分ぐらいの図星に思わずムッとしつつマリエッタが言えば。
「あのねぇ、私が貴女の身体にいる以上、貴女が食べた物の味が私にも来るのよ?
半々の確率で微妙な物を食べる羽目になるのよ?」
「それは……ごめんなさい」
「そんな殊勝な態度取られても困るわねぇ……まぁいいわ。それに――ふふ」
「……なんですか」
次にくる言葉が何となくわかった気がして、マリエッタは言葉少なに呟いた。
「貴女って……意外と不器用なのね。あんな繊細な魔術使う割に」
「――そんなことありません。それをいうなら貴女だって、世話焼きでは?
あんなに力に極振りした雑な魔術を使っていた割に」
思っていた通りの挑発は気のせいかどこか柔らかい色があった気がして。
漏らした呟きの声は思ったよりも言い訳のようだった。
「あはっ♪ そうだとしたら、もしかしたらあの頃の私に近いのかもね」
それだけ言って、聖女の残滓は静かになっていく。
●
影の合間を走る。
近頃になって益々数の増えつつある終焉の獣が影に融けるままに牙を剥いた。
マリエッタはそれに静かに応じるままだった。
『あはっ♪ 意外と大きいわね』
オルタンシアの笑う声がする。
(わかってます――集中するので静かにしててください)
『…………』
対してもう1人――
ここ数日を経て、気付いたことがある。
それは魔女マリエッタの人格と聖女オルタンシアの人格の相性だ。
存外に2人の相性は悪くはないが良くもない。
永遠の若さと不死を求めた死血の魔女と、刹那的に事実上の2度に渡って死を迎えた聖女オルタンシアは共にマリエッタ・エーレインへと手を貸している。
その理由は根本からして正反対だ。
死血の魔女はマリエッタ・エーレインそのものでもある。
不老不死と永遠の若さを求めた魔女がマリエッタ・エーレインに力を貸すとしたら。
マリエッタ・エーレインを生かすことで自分が生き残るためだろう。
熾燎の聖女はマリエッタ・エーレインとは似た者同士であるだけの友人だ。
マリエッタの死に様を笑うために残滓となった聖女がマリエッタ・エーレインに力を貸すとしたら。
それはきっと、マリエッタ・エーレインが生きるためではないのだろう。
個人としては仲の良し悪しは知らないが、マリエッタ・エーレインという個に対するスタンスは正反対だろう。
「――とはいえ。貴女だって、こんなところで死ぬ私を見たくはないでしょう」
『まぁ、そうね。この程度に負けるような女に負けたってなるのも癪だもの』
鮮血の鎌が黒炎を纏う。
力を借りるつもりはなく、友の力を混ぜて振りぬいた。
血炎の刃が終焉の獣を両断する。
「……結局、手を貸してくれるんですね」
ぽつりと零した呟きにどちらからの返答も無かった。