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After a storm comes a calm
登場人物一覧
- ファニーの関係者
→ イラスト
●同じ空の下、ふたり
星のカーテンの代わりに、薄暗い帳が落ちている。
冷え切った空は少し曇っている。
静かだ。
(……2等星は見えないか)
それでもファニー(p3p010255)は目を凝らし、望遠鏡の向こうに星を探している。
「ねぇ、何が見える?」
耳元で声がする。シリウスの声だ。少しくすぐったい。
「今日は天気が悪いからな? あんまりはよく――」
集中力が削がれるから、なるべくそちらを見ないようにしていたのに。くいっと胸元を引かれて引き寄せられる。
悪い気にはならなかった。そして、そのまま口づけた。
(ああ、こういうのなんて言うんだったっけな?)
元の木阿弥。割れ鍋に綴じ蓋。いや――。
無数の考えが浮かんだが、どれもしっくりこない。互いの持つ熱にだけ熱中する。
いつのまにか、二人の関係は昔と似たようなものに収束していた。あんなことがあってなお。
……シリウスは騙し、奪い、ファニーのすべてを踏みにじった。今はかつてのあの頃のような焦燥感は薄い。手に入らないと思いながらも見つめていた星は、隣にあった。
ただ、静かに。
「何しに来たんだか。お星さまが泣いてるぜ」
「ファニーだって期待してたくせに。だって今日はあんまり見えないし。寒いんだよ。ね、戻ろう」
じゃあ家で待ってればよかったろうに、と思いながらもファニーは肩をすくめた。シリウスは存外――ほんとうに、口実などではなく、星が好きであるらしい。
「ほら、天気も悪くなってきた」
口実のように雨まで降りだして――言い訳ができなくなった。世界はつくづく、1等星の味方だ。
一人用のベッドで、二人でぎゅうぎゅうになって眠る。
今、自分の核はどこにある? きっとすぐそばにある。
一度は決裂したはずの相手と、無防備に身を寄せ合っている。息の根を止めることも簡単だろう。けれどもそうする気にはならなかった。だからといって、どうすればいいかはよくわからない。
いろいろと考えるうちに心地よい疲労感に包まれ、眠りに落ちる。現実と夢の境界があいまいになる。もしかして、これはすべて夢なのではないだろうか。そうだとすると、どこからが夢なのだろうか。シリウスと再会したのは、幻だったのではないだろうか……。
「ファニー」
「うん?」
「ファニー、おはよう」
「ああ」
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
「今日はよく晴れそうだよ。どこか出かけるの?」
「どうするかな」
相変わらず「好き」だとか「愛してる」だとかは互いに口にすることはない。
これから、こんな日常が続いていくんだろうか。
●通り雨のような日
そんなこんなで、日々が続いていたある日のことだった。
唐突に、シリウスが言った。
「パンケーキが食べたい」
「は?」
開口一番、なんだって?
雑多に洗濯物を取り込んでいたファニーは思わず手を止める。
「パンケーキね。いいんじゃないか?」
はあーと、おおげさなため息をついたシリウスであった。いいんじゃないかと言ったのに、返ってきたのはため息である。
「今欲しいのはそういう言葉じゃない」というオーラがひしひしと感じられる。
「じゃあなんだ。オレもちょうどパンケーキを作りたいと思ってたんだ、とか?」
シリウスのことだ。ひとを誑かす手段なんて百も知っているだろうに。
機嫌のよいときは、それこそ「何か甘いものでも食べたくない、ファニー?」と甘く誘うことだってあるのに。
なんだか、シリウスの様子がいつもとは違う。とはいえ理由には思い至らず、ファニーは思い出をたどる。甘いもの、甘いものか。いつか連れだって出かけた日のことを思い出す。
そうだ。ショートケーキを食べさせてやったことがあった。
(懐かしいな……)
あんなことがあってからは苦い記憶だったはずだ。けれども、再会してから思い出すと不思議とあの頃に感じていた思いを懐かしくも思うのだ。
思い返せば淡い感情があった気がする。ちょっとした態度にも一喜一憂していて、衆目を集めるシリウスがまぶしかった。今も、シリウスの悪魔らしい人を惹きつける魅力はちっとも変わりはしない。ただ、それでもその底に何があるのか、深く潜り、深淵を知ってから、少しシリウスのことが分かったような気がする。
「……出かけるか?」
「当然。で、どこ行くの?」
シリウスはやっとわかったのか、と言わんばかりの態度だ。
王都メフ・メフィート。
ファニーがやってきたのは、あのバルツァーレクすらもわざわざケーキを取り寄せたことがあるという有名店だ。一時期は恐ろしいほどに混みあっていたものだが、今はそこそこ落ち着いている。
依頼の関係で運よくつてがあったのだ。
店長が店員に指示をする。ウェイトレスは、にこやかにファニーとシリウスを見晴らしの良い席に案内してくれた。
「よくこんなお店知ってたね」
「まあな、この前雑誌に載ってたっけな。こういうの好きだろ? テラス席があいててよかったな。めったにあかないぞ」
しかし、シリウスの反応は良くはない。それを聞いて、ますます険しい顔になった。
「詳しいんだ。前にも来たことあるの?」
「ああ、美味かったよ。保証する」
「……そう。ふーん……」
それきり、シリウスは黙り込んでしまった。
(具合が悪い、ってわけでもなさそうだ。……なんだ?)
ファニーは困惑しつつも、運ばれてきたメニューを開いてシリウスに見せてやる。
「味はいいんだけど、量もまた多いんだよな。どれがいい?」
シリウスは自分がパンケーキを食べたいと言い出した割には、終始つまらなさそうだった。自分でメニューの頁をめくることすらしない。怪訝に思いながらも、ぺらぺらめくってやって、これはどうだとかあれは美味しかったとかいうのだが、うんとかそうだねとか気のない返事をするだけだ。
「この辺が好きなんじゃないか?」
ファニーが開いたページは、不機嫌とはいえシリウスのお眼鏡にかなったらしい。シリウスはすこし目を見開いて、かすかにうなずいた。
……なんだかシリウスの思い通りのような、そうでもないような。
「で、どれにする?」
「ぜんぶ」
「は?」
「一番大きいの。大盛りのやつ。それで、トッピングもぜんぶ」
「……わかったよ」
面食らったものの、ファニーはシリウスの希望をかなえてやることにした。
はきはきしたウェイターが「ふわふわ厚焼きスフレパンケーキEX、イレギュラーサイズ、トッピング全て乗せですね」と注文を復唱する。
「……で、いいのか?」
「いいんじゃない?」
「じゃあ、それで……どうも」
自分の分も頼むには明らかに量が多すぎる。ファニーは、飲み物を頼むに留めておくことにした。
それからも、しばらく沈黙が続いた。
香ばしい匂いが漂ってきたかと思えば、山盛りのパンケーキが目の前に置かれる。黄金色に焼けていておいしそうだが、胸焼けしそうな量だった。大きな皿に一つ、取り分ける皿が二つ。
フォークとナイフを手に取ると、シリウスは無言でパンケーキを食べ始める。
「……」
しかし、どこまでも、無言だ。
「……シリウス、どうしたんだ? 今日、なんか変だぞ」
さすがにここまで露骨な態度をとられれば、ファニーにも察せられるものである。
シリウスは食事の手を止め、ファニーを真っ直ぐに見た。
美しい瞳に射抜かれて、ファニーは思わずたじろいだ。
怒っている? ようではあるのだが、美人に属する男ってのは、なんというかまあ、迫力があるものだ。怒っているとなおさら、氷のように研ぎ澄まされたものがある。
「あー……と、オレ、なんかしたか?」
シリウスはカップを手に取った。それから、ココアを一気に飲み干し、ファニーをぎろりと睨みつける。
「……ステラ」
「うん? ……ステラ?」
ステラのことは知っている。世界の裏側、プーレジールの住人だ。『大いなるもの』の観測端末――だった少女。力を合わせて守り抜いた、ファニーにとって大切な存在。しかし、ここでステラの名前が出てくる意味がファニーには全く分からなかった。それも、シリウスの口から?
「プリンセス、だっけ? 笑えるよね。あんな小さい子相手に王子様気取り? それともナイト気取りかな?」
「……うん?」
「きらきらとお星さまみたいな金の髪。ステラ、ってさ。いい名前だよね? 『星』が好きだもんね、君は。俺に興味持ったのもそれがきっかけだったもんね。そのうえアルファルドって呼ばせちゃってさ」
「それは……」
早口で捲し立てるシリウスに、ファニーは目をぱちくりとさせている。
何か、悪いのか?
シリウスだって、誰よりも輝いて、「シリウス」と呼ばれているじゃないか。
「…………俺が付けた名前なのに」
シリウスが不機嫌な理由が腑に落ちたのは、絞りだされるように言われてからだ。
独占欲。
シリウスと初めて会った時のように。星が手元に落ちてきたように、そのつぶやきがすとんと心に収まる。
ステラと仲良くしているファニーを見て、シリウスは怒っていたわけだ。怒っていたわけだが、なんというかまあ、子供じみたことを考えるものだ。
「……シリウス?」
つまり、ファニーは理不尽な八つ当たりをされているわけである。しかし胸の内から湧き上がってきた感情は、あたたかいものでしかなかった。
ファニーには、どういうわけかその様子が可愛らしく思えてしまったのだ。
自分に向けられる感情については、なかなか理解が及ばない。とくに、『怒り』の感情については。すべてをあきらめ、受け入れていれば怒りなんて存在しない。期待がなければまた抱かないものだ。けれど、今、輪郭を理解できるような気がする。
「……なに」
「…………やきもち?」
シリウスは、今度こそ殺意が籠ったような瞳でファニーを睨みつける。理由がわかっているからか、怖くはない。どころか自分だけを見据えている様子に、「うれしい」とすら思える。
(シリウスもそんな表情出来るんだな……)
慣れない感情だった。自分が当事者であるのが不思議だ。半ば他人事のように思いながら、ファニーはココアを口に運ぶ。
「……自惚れないでくれる?」
低い声。けれどもそこに押し込められた気持ちを見て取るくらいはできる。悔しそうにかすかに震える唇。
シリウスはいつからこんなに取り繕うのが下手になったのだろう?
「たかが悪魔一匹飼い慣らせたと思ってるかも知れないけど、その気になればいつだって逃げられるんだよ?」
「まあ、そうだな。がんじがらめにみえて、鎖がおまえを縛っていたことなんて一度もない、そうだろ?」
「そうだよ。俺達の間には約束も協定も契約もない。関係性に名前だってない。それなのに、よくそんなこと言えたもんだねぇ?」
「おまえは逃げないよ」
まっすぐに不意を突かれて、シリウスの瞳が揺れる。ファニーには確信があった。
「そうできたとしても逃げないよ。逃げるもんか。おまえだけが、オレを待っていてくれた。おまえだけが、オレを見限らずにいてくれた」
ああ、そうだ。
期待してくれたのは。大きな怒りを抱いたのは。殺したいと思ったのは。きっと、それが理由だった。星を落とすほどの絶望や、世界がひっくり返るような憎しみ。憎しみと愛情は表裏一体だとはよく言ったものだ。昔のように、隙間を埋めるための関係ではなかった。
互いに名前を呼びあった。特別な名前を。ほかの星ではいけなかった。
「最悪の形で踏みにじった相手に、そんなこと言えるんだ?」
「……好きの反対は無関心、って言うだろ?」
にやり、と笑えるくらいの余裕はできた。
「そしておまえは、オレの色んな表情や反応を見たかったわけだ。――つまり、オレのことが好きでたまらないってことだろう? なんだよ、可愛いところあるもんだ」
だん、という音がした。シリウスが机をたたいた音だ。食器がからからと揺れる。
ふいに、周りからの視線を集める。
からかっているのはファニーで、押し黙っているのはシリウスだ。
シリウスは我に返り、恥じたようにパンケーキを口に運んだ。
「機嫌を直せよ。ほら、ココアも一口どうだ? あーんしてやろうか?」
「……」
シリウスの頬は赤かった。
怒りをにじませながらも、フォークを差し出せばシリウスは素直に口にする。
「もう一口くれるよね?」
二人の関係に名前が付くのは、きっとそう遠くないことだろう。
おまけSS
アルファルドは元気か、と。
小さな少女にその名を呼ばれて、殺意めいた感情が沸いたけれど、それが何かはわからなかった。シリウスにだってステラという少女に悪気がないことくらいわかるし、そう。苛烈な感情は、少女に対してではない。なら何に対してだろう?
困った様子のステラに「ん? なんでもないよ」と笑うくらいはシリウスは大人だった。けれども胸に抱いた感情を完璧に抑え込めるほど大人ではなかった。
裏切りだ。二人だけの秘密の場所に別の誰かがいたなんて、酷い話だ。本当にひどい。なら何に対しての裏切りなのか、その答えは導くことはできず。
「へぇ、そうなんだ。ファニーって誰にでもそうなんだね」
と、そういう気持ちになったわけである。
「おまえだって誰にでもにこにこするだろ?」
と、ファニー。
「誰にでもはしないけど?」
「しないか? いや、オレにはしないのか……?」
ふん、と鼻を鳴らすと、シリウスは角砂糖をいつもよりも多く突っ込んだ。