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グレイルの話~マイスターオブカフェ~
登場人物一覧
「…カフェで短期バイト…かぁ…」
依頼書をばさりとひるがえしてテーブルに置き、グレイルはすこし悩んだ。接客をしたり、コーヒーを入れたり、お客様をおもてなしする。危険度が低いわりに実入りがいい仕事だ。場所は練達、エリア777。人間よりも異形のほうが多い区画だ。ここなら、学校の帰りにちょっと乗り継げばすぐだ。社会勉強にもなる。依頼人はグレイルを気に入ったようだ。問題は。
「……僕…紅茶はともかく……コーヒー淹れたこと…ないので……」
「そういうことですか! 逆に喜ばしい。当店で一から学んでみませんか? いかがですか? コーヒーマイスターを目指せるかも知れませんよ?」
「…コーヒーマイスター…」
知ってる。おいしいコーヒーを淹れる人の資格だ。今後、話のネタにもなりそうだし、自分の視野を広げるためにもいいかもしれない。依頼人ことジャルバはにこやかに笑った。山猫の獣人で、折り目正しく黒のベストを着込んでいる。シャツはまっしろで、ノリがよく効いていた。
「乗り気でしょうか?」
「……多少は…」
「善は急げと申します。当店はぜひグレイルさんにお越しいただきたいと願っております」
面接終わり。そういうわけでグレイルは、カフェでバイトすることになったのだ。
連れて行かれた先は、表通りから少し離れた路地だった。小さな看板が出ている。「純喫茶プティオ」。ほどよく褪せた洋風の扉を開けると、グレイルはコーヒーの香りに包まれた。店内は見た目よりも広くて、ホールの中央には山猫の銅像が鎮座している。窓際の蓄音機からは、小粋なジャズが静かに流れていた。愛想よく笑うと、ジャルバはさっそくグレイルをカウンターの中へ招き入れる。
「当店ではサイフォン式コーヒーを提供しております。紅茶はゆっくり覚えていきましょう。ひとまずコーヒーを」
「サイフォン……」
あー…なんか…こぽこぽするやつだっけ。などと記憶をひっくり返す。使い方自体は、ちょっと理科の実験に似てるなぁ…なんて思った。さっそくカフェの制服に着替え、OPENと表示する。開業の合図だ。客は途切れもせず、さりとて多すぎもせず、グレイルは淡々と業務をこなした。客のあしらいは店長のジャルバがやってくれるし、グレイルは黙ってコーヒーや、紅茶の準備をするだけでいい。気軽だ。
なんて思っていたら、カウンターの正面に、一人の女が座った。うわ…人間の顔だ…と胸の底で考えたことはお首にも出さず、グレイルは注文を聞こうとメモを取り出した。女はおもしろそうにグレイルをじっと見つめて微笑んだ。
「新しい子ね」
「……あ……はい……」
「お名前は?」
「…グレイル…です…短い間ですが…よろしくお願いします……」
「今日のおすすめは?」
「…えっと…」
視線が泳いだ。店長は他のお客と談笑していて盛り上がっている様子だ。自分が対応するしかない。
「…聞いてきますのでしばらくお待ち下さい…」
グレイルはすなおに頭を下げた。女はころころと笑い、意地悪しちゃったわねとうそぶいている。
「……今日…は……ハウスブレンド……の…深煎りの…いいのが……」
「いつもの、ね。ええ、それをお願いしちゃおうかしら、どうしようかしら」
女はグレイルの渡したメニューをひととおり見て、結局いつものブレンドコーヒーにした。そして窓際の席へ歩いて行ってしまった。しくじったなぁ……というのが、グレイルの率直な思いだった。サイフォンでコーヒーを淹れる間、店長は客と談笑する。自分にはそのスキルが欠けていると、強く思った。もうちょっとコーヒーのことを…勉強しておくべきだったかな……などと思い返す。
失礼にならない程度に、グレイルは女を観察した。窓際の席に座り、けだるげにカーテンの隙間から外を眺めている。その疲れた横顔には、うっすらとしわが浮かんでいる。しばらくチラチラと見ているうちに、グレイルは彼女がハンカチを取り出し、目元を抑えたのを見た。ざわっと心が騒いで、落ち着かない気分になった。グレイルは店長の隣へにじり寄り、声をかけた。
「……紅茶は…ありますか…」
「ありますよ」
「……これこれこういうわけで……いいでしょうか……」
かまいませんともと、店長が破顔した。強くうなずいたグレイルは、さっそく行動へ移した。ミルクパンへ湯を注ぎ、どっさりと茶葉を投入、温めた牛乳を加え、沸騰寸前で火から下ろす。グラニュー糖をたっぷり、はちみつを、すこし。
ひとり、物思いにふけっていた女は、ふいに差し出されたティーカップに気づいた。
「……サービスです……」
ロイヤルミルクティーの芳醇な香りが漂う。
「…それから…これは…おまけです…」
シナモンクッキーを、二枚。小皿に添える。
「どうしたの、これ」
「……お客様が…なんだか…お疲れのようでしたので……そういうときは…甘いものがいいと…思って……」
しだいにしどろもどろになっていくグレイルを、女は驚いたように眺めていたが、やがて相好を崩した。
「うふふ、あははは、あっははははは!」
いやだわ、私ったら、こんな若い子に心配させちゃったのね。女はひとしきり笑うと、目元をまたハンカチで抑えた。今度は、笑いすぎた涙をぬぐうためだったから、グレイルはホッとした。
「ありがとう、グレイルさん。いただくわ」
一口すすった彼女がまた目を丸くする。
「……おいしい!」
「…恐縮です…」
「これはお金を払うべき味ね」
「……いえ……サービスなので……」
「なに言ってるの、正当な対価よ? ちゃんとお会計に乗せてね?」
なによりも、と女は恥ずかしげにうつむいた。
「私のことを気にかけてくれたのが、うれしいわ。変に詮索しないところも、ね。あなた、いいマスターになれるわよ?」
マスター…? 今度はグレイルがきょとんとする番だった。想像したこともない未来が頭の中で広がっていく。
その晩、グレイルは眠れなかった。弾む胸が音楽を鳴らして、頭の中がいっぱいだった。バイトが終わりに近づくにつれ、グレイルのなか、もやもやしていた思いが確信に変わっていく。
……コーヒー……まだちょっと苦手……覚えることがたくさん……
…紅茶…は…得意…胸を張れるかもしれない……
……料理は……まだまだだけど……焼き菓子は…それなり…クッキー…好評だったし…
…接客では…店長から花丸をもらったから……あ……モフモフさせるのは……さすがに断ったけども……
いつか。グレイルは思考する。陽の光がさすように、花が咲くように。
いつの日か、自分の店を持ちたい。常連さんも、一見さんも、穏やかな時間を過ごせる店。みんなが、仲間が、友人が、帰り道に寄るような。彼らに、おかえりと、言えるような。思いは強くなり、未来へはばたいていく。最終日、グレイルは店長へ意を決して話しかけた。
「弟子入りしたい?」
「…はい…なりたいです…コーヒーマイスター…」
「行く行くは独立を?」
「……はい…僕…誰かに寄り添える……そんな店を……僕は……」
「すばらしい」
店長は深く首肯し、今後ともよろしくと握手を求めてきた。強く握りかえし、いつもより念入りに掃除をして、グレイルは店を開けた。
「……あ……」
最初に入ってきたその人は、グレイルの旧知の仲だった。なんとなく席を決められずつったっている姿が生真面目な性分を表していて、グレイルはくすりと笑うと、とっておきの席へ案内した。