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銀の森に光落ちて
登場人物一覧
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これはとある日の話。
のどかな混沌での、とある夫婦の物語。
ルーキス、ルナール。“グリムゲルデ”という姓を同じくする二人の何てことないデートの風景である。
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鉄帝、銀の森。
此処はルーキスの領地として治められている場所だ。
穏やかに雪が降り続き、オーロラが時折顔を出すこの場所は、見ている分には美しい銀世界が広がっている。
「わー、改めて見ると凄いな」
本日、領主であるルーキスと其の夫ルナールは厚着をして外に出ていた。
普段は余り外に出る事はない夫妻。何故なら寒いからである。雪が降るとこの上なく美しい景色が広がるこの場所だが、処理をしなければならないという実際問題ものしかかってくる。
木の枝を揺らして雪を落とさなければ枝が折れてしまう。
屋根から雪を下ろさなければ家が過重に耐えられなくなる。
雪は一見美しいが、反面恐ろしいものでもある。
そしてお互い、イレギュラーズとしての責務もあり、すれ違って外出する事も少なくはなかった。のだが、今日は二人そろってお出掛け。
「イエーイ。デートだデート」
「いつも頑張ってるからな。たまには多忙の領主さまを甘やかさないと」
「お、良いね良いね、其の心掛け。其の調子でどんどん私を甘やかしてくれて良いんだよ、旦那様」
ふふ、とルーキスは笑ってルナールの腕に寄り添う。
するり、と細く白い腕が絡むのを見て、ルナールは本当にいとおしいものを見る瞳で笑った。
「実は行くところはもう決めてあるんだよな」
「え、そうなの? どこどこ?」
「まずは幻想だ。疲れた時には甘いもの、っていうだろ?」
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そうして馬車に乗り、二人は幻想の王都、メフ・メフィートへ。
冬厳しい鉄帝に住んでいると、同じ冬でも幻想は温かくも思えるのだから不思議だ。
ルナールはルーキスをエスコートして、目抜き通りのカフェへとやってきた。新しい佇まい、初めて見る店にルーキスはへえ、と声を上げる。
「ルナール先生、いつ情報を仕入れたんです?」
「この前の仕事の時にちょっとな。そろそろオープンするって噂を聞いてたんだが、開いてて良かった」
「……もし開いてなかったら?」
「其の時は馴染みの店に案内したかな」
お姫様か、或いは女主人を扱うかのように。
腰に手を添えてルーキスをエスコートするルナールは、何時だってルーキスの最高の夫だ。
だけどたまには慌ててくれても可愛いのになあ、なんてルーキスは思ったりする。例えば開いてるだろうと目算していた喫茶店が開いてなかった時とかね。
「いらっしゃいませ」
「予約していた者ですが」
「お待ちしておりました、奥のお席へどうぞ」
笑顔が愛らしい黒髪のウェイトレスが、二人をそっと案内する。
特に個室などはなく、フロアのテーブルの内の一つに『予約席』というプレートが立っていた。なるほどな、とルーキスは納得する。予約していたっていうんなら、開いているのが判っているのも当然か。残念、旦那様の慌てた顔はまた別の機会に見る事にしよう。
「食べるものは予約してある?」
「いいや。俺の奥さんが其の時食べたいものを食べてほしいからな」
「うん、上出来」
メニューを差し出しながらそう言ってくれるルナールに頷いて、ルーキスはメニューを開いて二人で見えるように置く。
夫婦生活の秘訣は、こういう僅かな気の使い合いにあるのです、……なんて。
メニューには様々な甘味の名前が並んでいる。ルーキスは見慣れた“写真”もたまについている。この店は練達にもツテがあるようだ。
「パンケーキの気分かな」
ルナールが呟く。緩く編まれた銀髪がさらり、と彼の肩から落ちるのをルーキスは見て、私もだな、と呟いた。
其の銀色には青が混じっている。もう彼に『青色が足りない』なんて言う事はない。ほんの少し時の流れというものに思いを馳せながら、ルーキスはベリーソースのパンケーキに決めた。ルナールははちみつのパンケーキに決めたらしいので、ぺらりとメニューをめくってドリンクへと移る。
「コーヒーかな」
「俺は、……りんごジュースかな」
「今日はコーヒーの気分じゃない? コーヒー党のルナールくん」
「店には失礼かもしれないが……家でも飲めるからな。其れに、幻想の果物の味が恋しくなった」
ルナールはコーヒーも甘いものもいけるクチだ。なのでちょっと揶揄ってみると、ルナールらしい答えが返って来る。
確かに、コーヒーなら鉄帝……もとい領地で生産しているものな。
そう改めてルーキスはメニューを見た。果物のジュースがずらりと並んでいる。
「……んー、じゃあ私はオレンジジュースで」
「コーヒーは良いのか?」
「うん。私も幻想の果物の味が恋しくなった」
「はは」
タイミングを見計らっていたのだろう。ご注文はお決まりですか、とウェイトレスが聞きに来て、二人は注文を恙なく済ませる。そうして運ばれてきた、ほかほかのパンケーキ。グラスに注がれたジュースは色鮮やかで、二人はふふ、と笑い合う。
「家族で出かけるのも楽しいけど――こうして二人で出掛けるのはやっぱり楽しいね」
「そうだな。ほら、ルーキス。あーん」
ルナールがソースをたっぷりかけたパンケーキを切り分けて、ルーキスに差し出して来る。
うーんこの男、平気な顔してこういうことするんだからなあ。
なんて思うけれど、決して悪口ではない。ルーキスはルナールのこういう所も好きだ。自分だって負けないぞ、と思っている、つまり、お互いに相手を甘やかしてやりたいと思っているのだ。
「ん、」
甘やかして、甘やかされて。
とはいえ、今日は確か自分の慰労デートの筈だったから、存分に甘やかされてあげようと、ルーキスは小鳥のように口を開いてパンケーキを口に含んだ。ふあふあのパンケーキに、こってりとしたはちみつの甘味がいっそ心地良い。疲れた脳に甘味が行き渡って、穏やかな気持ちになるのを感じていた。
「美味しいね」
「だな。練達で人気の店らしいんだが期待以上だった」
「あ、やっぱり練達由来なんだ?」
「ああ。だから……ルーキスが行った事ないかどうか、ちょっと心配だったんだが」
ルナールは心配は無用だったようだと、少し眉を下げた。
あ、今の顔いいな。ちょっと困ってるみたいでよかった。
――なんて思ってしまう。別にルナールを困らせたい訳ではないのだが、愛している者が浮かべる表情ならなんでも好きなだけなのだ。そういうものじゃないか? 愛って。
甘味を得た所為か少し意地悪い事を考えながら、ルーキスはオレンジジュースに口をつける。酸味が舌に残った甘味を程よく消していく。うん、とっても美味しい。
「幻想はいつだって食べ物に溢れてて良いね」
「そうだな。雪もこっちに比べれば少ないし、王都が王都たる所以が今なら判る」
「じゃああとで果物でも買って帰ろうか」
そう提案すると、……ルナールは少し黙した。
おや? 何か変な事を言ってしまっただろうか?
ルーキスが首を傾げると、何でもないんだと夫は手を振る。だがしかし、と続けて。
「じゃあ領地には送ってもらう事にしないか? ……折角のデートだし」
「……そうだね。雪の中大変かもしれないけど、たまにはラクしようか」
これは何かを考えている顔だな?
ルーキスはうっすらと察した。だが、何を考えているのかまでは判らない。デートと言うくらいだ、隠しプランの一つや二つ、なければ寧ろつまらない。
此処はルナール先生の腕を拝見といこう。素直にルーキスが頷くと、ほっとしたような顔でルナールは再びパンケーキにナイフを差し込んだ。結構顔に出るタイプだからなあ、こっちが心配になっちゃうぞ。
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パンケーキとドリンクを堪能した後は、ルーキスの大好きなショッピングタイム。まずは店で話した通り、果物や生鮮食品を買い込み、配達を頼む。ルナールが事前に言うまでもなく、欲しいと思っただけ買ったら配達しなければならないくらいの量になってしまったので、運び屋に頼む事にした。雪の中お疲れ様です、と先に心中で呟いておく。
そうして次は服と装飾品。今はもう冬服ではなく、王都では春服を売っているようだ。
「着る事あるかなあ?」
なんて言いながらも、ルーキスは色が綺麗だと思った桃色のワンピースや若草色のスプリングニットを買い込む。
そうして『考えてみれば練達の学園で着る事があるかもしれない』と気付いてからのルーキスは凄かった。兎に角何か足りないものを補うかのように買うわ買うわ。そして合間に装飾品を見て、ルナールに似合うものも買うわ買うわ。ルナールは大人しく、荷物持ちとして付き従いつつ自分の好みを述べる程度に留めていた。こういう時の奥方の行動力は兎角凄まじいのだ。どうせなら帰って色々着てみてもらって欲しいな、などと考えながら、大人しく購入候補の服たちを持つ。
そうしてこれらも当然ながら、運び屋に頼る事となった。寧ろ生鮮品より多いのではなかろうかとルナールは冷静に分析する。
そうして数刻。
支払いを済ませ、運び屋と段取りを付けて、すっきりした、とルーキスの表情が告げる頃には、すっかりと夕暮れ時になっていた。
「ルナール先生、次のプランは?」
なんて揶揄うように彼女が言うから。
だから、ルナールはとっておきのカードを切る事にした。
「最後に行きたいところがあるんだ」
「へえ、何処?」
「銀の森」
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二人は、馬車で見慣れた領地に戻ってきた。
ルナールは黙してルーキスの手を引く。さくさくと二人の脚が雪を割る音だけが響いていた。
星が天蓋を割るように輝いて、二人を照らしている。そうしてまんまるな月が其の天蓋を支えるかのように二人を、大地を照らしていた。
――そうして着いたのは、湖だった。
氷の破片が幾つも浮いた其の湖は、かつて二人が愛を誓った場所でもある。
誰もいない、二人だけの結婚式を挙げた。
永遠に二人は一緒だと、月にだけ誓った。
「……此処」
「ああ」
ルナールはそっとルーキスの手を一度離す。
そうしてくるりと振り返り、再び其の白い手を取った。其の右手薬指に輝く指輪をいとおしげに撫でて、そうして其れ以上にいとおしいものを見る瞳で妻のかんばせを見る。
「折角のデートだからな。夜景の美しい所は鉄板だろ?」
「美しいかなあ?」
「美しいさ。最も、ルーキスには及ばないが」
君が何より綺麗だ。
穏やかに囁かれて、久方ぶりにルーキスは心が浮き立つような思いを覚えた。
普段は飄々としている彼女だって、一人の女性であるし、ルナールの妻だ。愛する夫に美しいと囁かれれば、心を擽られたような心地にもなる。
何と答えてよいか判らず目を伏せたルーキスの頬を、ひらり、と光の衣が撫でた。二人が顔を上げると、星が割り月が支える天蓋を流れる――広大なオーロラが広がっていた。美しい若葉色に輝く其れを二人で見上げて、ルーキスはルナールを見る。
「これも計算の内?」
「――いや。これは流石に予想してなかったな」
「リサーチが甘いですよ、ルナール先生」
「返す言葉もない。……でも、いい思い出になりそうだな」
少し遠出して。
美味しいものを食べて。
素敵なものを買って。
そうして美しいものを見た。
うん、お手本のようなデートだ。
ルーキスは心中で満足そうに頷く。実際満足している。これからこの領地に届くだろう数々の物資も楽しみだし、何より二人で思い出を振り返った今日という日を忘れないだろう。
「ルナール」
「何だ?」
「愛してるよ」
「……ああ。俺も愛してる」
何度だって月に誓おう。
そうしてオーロラのヴェールで隠してしまおう。
美しくくるんで、いとおしんで、輝く様を見ていよう。
私たちの愛はそういうもので良い。きらびやかな宝石でなく、優しく輝く月光のような其れで。