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恋衣恋語
登場人物一覧
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人々のささめきは水輪にも似て。
歓談に供される茶は甘やかさと爽やかさを。
甘い香りに清らかさの混ざる、蝋梅の香り。
会話の邪魔にならぬ程度に風流な音楽を奏でる二胡の音。
その、人の心を落ち着かすどれもが揃う此処は、練達のホテルに儲けられた中華風空中庭園であった。
「相変わらずいい
「でしょー」
こういうのも良いでしょ? と劉・雨泽(p3n000218)が揺らす袖は和服のそれとは違い、ええと顎を引いたジルーシャ・グレイ(p3p002246)は袖を持ち上げ口元を隠して微笑んでみせる。
「豊穣とはまた違った趣きよね」
練達で言うところの『漢服』。その衣装はこの中華庭園での飲茶とともにゲストを頼ましませるためにホテルで貸し出されており、勿論それも込みで雨泽はこのホテルを選んでいる。趣味が近いジルーシャは、きっと彼も気にいるだろう、と。
「こういうのっていいわよね。お茶とお菓子だけじゃなく、景色も――ああ、蝋梅の香りもいいわ」
「趣きがあるし、非日常感がいいよね」
地上から高く離れた空中庭園だから日常に溢れる喧騒とも切り離されており、庭園の造形も素晴らしい。ちゃんと視界に入る範囲は全て何処かの邸宅の庭に見えるようになっていて、「コンセプトって大事」と雨泽が笑った。
「アンタとお茶をするのも久しぶり、かしら?」
「そうだね。……昨年はお世話になりました」
「アラ、いいのよ。こんな素敵な場所を紹介してもらったし」
玻璃の茶器の中で花開く工芸茶を見つめ、ジルーシャがころりと笑った。
昨年の秋、ふたりは飲茶を楽しんだ。また行きましょうねなんて約束をしたけれど、その後はドタバタと色々あったのだ。何とか年内に慌ただしさを納め、新年を迎えた今、やっとこうしてのんびりとお茶をするに至っている。昨年のあれこれや、最近のこと。工芸茶や甘味を楽しみながら話をゆっくりと話を楽しめば、今日という日もあっという間に過ぎていくのだろう。
「あのさ」
ほんの僅かに開いた会話の隙間に、まるで本題を切り出すタイミングを測りかねていたかのように雨泽が声を発した。
「なぁに?」
声を掛けてきたというのに、その先が続かなくて。ジルーシャは二呼吸ほど置いてから視線を向ける。
雨泽は手の中の茶碗へ視線を落とし、中の茶をちゃぷちゃぷと揺らしているだけで口を開かない。まるで金魚鉢を覗き込む猫のようだ。
(そういえば雨泽って、あまり相談とかをしてこないタイプよね)
ローレットの情報屋だから、ローレットの方針や依頼人からの意向と言った『確定した話』をしたり、冒険者側から問われたことに対する解を持っていたり、小さな相談等を受けている姿は見かける。だが、彼自身が誰かに相談事をしている姿は見たことがない。
(……同僚にはしているのかしら)
なんて考えれば、ベルディグリの彩が脳裏を掠め、ほんの僅かに靄が掛かった。これは『羨ましい』であると自覚しながら、ジルーシャは意識して笑みを含ませ「なぁに」と再度促してやった。
「……ジルーシャってさぁ」
「ええ」
「最近、どうなの?」
「どう、って?」
依頼のこと? 健康のこと? それとも、今後の予定?
茶碗を置いて首を傾げてみれば、雨泽の視線が少し游ぐ。
「いや……うん。はっきし言おう。プルーと、どうなの?」
「ぷ――」
危なかった。茶碗を置いておいてよかった。
焦った。けれど同時にピピーンと
(雨泽ったらもしかして――恋バナを求めている!?)
しかもいつもみたいな興味本位な感じではないように思え、ジルーシャは心が沸き立つのを感じた。
「プルーとジルーシャって恋仲……なん、だよね?」
「ヤダっ、雨泽ってば!」
口元に手を添え、残る片手が宙を切る。向かい合わせでなく隣に並んでいたら、雨泽の背中は思いっきり叩かれていたことだろう。何故だか突然頬が痛くなった気がして、雨泽は居住まいを正した。
「えっ、ヤダ! 雨泽ってば、アタシとプルーちゃんの話が聞きたいの? そうなの? そうなのね!?」
「え。まあ、そうなんだけど……聞いてもいいの?」
「勿論よ♪ ……ここって夜まで大丈夫だったかしら? まあ時間が足りなければ場所を移しましょう?」
「……えっ、そんなに話す内容があるの?」
藪を突いたら蛇が出てきた。まさしくそんな表情をしている雨泽へ、ジルーシャはにっこりと微笑った。
「当たり前じゃない。一晩あったって話しきれるか解らないわ」
雨泽から尋ねてくれたのだもの、たっぷり聞いてくれるわよね?
「もうね、その瞬間がすっごく可愛くて。光の煌めきが瞳に入った時の色もとても綺麗でね、それから――」
愛しい人がどんなに素敵かを語るジルーシャの話を、雨泽は嫌な顔ひとつせずにうんうんと聞いていた。語る度に喉を潤す茶を時折彼の分も注いでやり、茶葉や摘める甘味を注文し、それとなくおすすめを彼の前へ差し出してやることも忘れない。
「んー、このお茶も美味しいわね」
「でも、そろそろ酒がほしいかな」
「もうそんな時間?」
好いた相手の話に夢中になっていたジルーシャが辺りを見渡せば、いつの間にか陽も沈みきり、庭園内は灯籠の穏やかな灯りに包まれていた。
河岸を変えずに桂花陳酒を注文し、グラスを鳴らす。恋バナタイムはまだまだこれからだ。
「アンタはそういうの、何かないの?」
「……告白をされたんだけど」
その相手はだぁれ。なんてことは聞かなくとも、思い当たる節があるのかもしれない。
「僕、恋っていうのが解らなくて」
「アラ、意外」
「いや、恋物語とか、他人の惚れた腫れたとかは耳年増だとは思うんだけどね?」
「自分には当て嵌まらないってことかしら?」
「しないように気をつけていた、からかな。その気持ちを知りたいとも思っていなかったんだ」
「気をつける、なんてこと出来るの?」
「出来ているから今の僕が居るんだよ、ジルーシャ」
恋というものを己には関わりのないものだと排除してきたから、この年になって悩むことになった。
緩く笑った雨泽は「ぶっちゃけていい?」とジルーシャへ問い、彼はどうぞと視線だけを返す。
「ローレットの人たちのことを友人だと思うようになったのも、この一年くらいなんだよね、僕。……大切なものを作りたくなくてさ。大切にならなければ、好きになんてならなければ、恋だってしないでしょ?」
「恋は落ちるものだって言葉もあるのに?」
「気付く前に離れれば、無かったことになる」
そういうものかしらとグラスへと口をつけたジルーシャへ雨泽は「今まではそれで良かったんだけど、初めて恋ってどんな感じなのかを知りたいなって思ったんだよね」と零し、ため息を吐いた。
「知りたいと思えるくらい、その子が大切だったのね?」
「友人として、ね」
告白なんてされたら面倒になって離れるのが常なのに、今回は関係を断ちたいと思わなかった。
「僕から見たジルーシャってさ、すごくキラキラしてるんだ」
「そう? んふふ、ありがと」
「彼女を目で追ってる時の表情とか、すごいよ? ああ好きなんだなって見れば解るくらい輝いて見える」
それほんと? ジルーシャがぺたりと自身の頬に触れ、ふたり揃って吹き出した。
「鏡でも置いておいたら?」
「鏡を見るよりプルーちゃんを見ていたいわ」
「それもそうか」
話がそれちゃったけど、それでねと雨泽が続けた。
「僕はそのキラキラを覚えたことがない。だから、君自身はどういう思いでいるのかなって気になった」
「アタシがプルーちゃんに対して思っていること?」
「良かったら教えて」
そうねぇと顎に指を滑らせ、心に慕う相手を思い浮かべる。
「笑っていてほしいし、幸せにしたい。傷つかないよう、守りたい」
ジルーシャの声に「うん」と雨泽が相槌を打った。
「でも――」
「でも?」
「……怒った顔も、泣いた顔も、独り占めしたい」
紫の瞳はじいっとグラスを見つめていた。しゅわしゅわの気泡の上に揺れるオレンジ色の花弁に、誰を想っているかなど知れている。
「アタシ、恋をしているの」
「うん」
「でも恋って、綺麗なことだけじゃないのよ」
「……そう、みたいだね」
「もっと『本当』のことを言ってもいい? 誰にも言えない、アタシの
「うん。聞かせて」
「引かないって約束できる?」
「大抵の話には引かない自信があるよ」
昨年
肩を竦めて見せる雨泽に、それもそうねとジルーシャが小さく笑った。
「アタシね。いつかアタシが死んだら……アタシの色だけ、永遠にプルーちゃんの世界から欠けてほしい。……そんな気持ちも、確かにあるの。『そこ』を彩るのは、アタシだけがいい。そんな気持ちが……」
ジルーシャの色。色彩の魔女が称するのはウィスタリア。ジルーシャが居なくなった後にその色を目にしても、ウィスタリアだと感じなくなればいい。だってウィスタリアはジルーシャの色だ。傲慢にも強欲にも、そう思う。
「その色を見た時に自分を思い出してほしい、じゃないんだ?」
「そうなの。アタシ、欲張りだから。……彼女からアタシの色を奪ってしまいたい」
雨泽はふぅんと小さく鼻を鳴らし、ジルーシャが見つめている金木犀の花を見た。雨泽が金木犀を見て思い浮かべた相手はもう、その色を宿していない。その彼も
「……プルーちゃんには、内緒にしてね」
「勿論。男同士の約束、ね」
どちらが先か、それとも同時か。
ふ、と笑みが溢れればくすくすと笑みが続き、カツンとグラスを合わせたのだった。
おまけSS『残った謎』
結局部屋を取って朝まで話し明かし、完徹ハイ状態でまたねと別れたその後で。
「……あれ」
雨泽はふと気がついた。
「結局、恋仲なのかどうか聞けてないや」
片想いなのか両想いなのか、それも知りたかったのに。