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Infinity Blue
登場人物一覧
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はじめに熱があった。
ぬくもりと言うには生温い。触れたものを焦がしてしまうような熱の中に、
夕景が揺らめいて――またひとつ、この世界に新しい
「――」
身体が熱い。
内側から燃えるような冷めない熱に、ぐらぐらと煮え立つ頭は回転させる余裕もなく。
ただ、かけられる優しい声だけが、じんわりと心に染みわたって。
「ーーね、……
あか……ね……?
それが、オレの――。
●
カチコチと時計の針が進む。
懐かしい夢に頭が揺り起こされ、茜はベッドの上で寝返りをうった。
「こーらっ、そろそろ起きなさいお寝坊さん!」
「うわっ!?」
眠りの縁に再び手をかけた時、現実に引き戻したのは小柄な少女だった。
爽やかなスカイブルーの瞳に、雲のように真っ白な髪。
カーテンの隙間からさし込む光が、彼女の横顔を照らし出す。
「お姉ちゃん……うぅん」
「まだ眠そうね。でも、今日はワタシと遠出する約束だったでしょ?」
眩しい笑顔のそのヒトは、あおいという。
茜が銀の森で生まれた日、「同じ陽炎の因子を持つから」と拾ってくれた恩人だ。
6歳の茜に近い姿をしていながら、彼女はしっかり者だった。
生活に必要な家事をテキパキとこなし、日常の中で茜にいろんな事を教えてくれる。
「どうしたの、茜?」
「この子、木の根元で横たわってたんだ」
「まぁ! 鳥の雛だわ。足を怪我してるのね」
大地が熱せられてゆらりと生まれた陽炎の彼女は、"親"の恵み深さを引き継いだような人だ。
誰にでも優しく、母のような愛情でふんわりと包み込む。
「……」
「その子を放っておけないのね?」
「なんで分かったんだ?」
「だって茜、顔に出るんですもの!
いいわよ、ちゃんと自分で面倒を見るって約束出来るならウチで面倒見ましょう」
「サンキュ、お姉ちゃん。名前はもう決まってるんだ」
姉は夕暮れの空が綺麗な日に生まれたから、と『茜』と名付けた。
自分は晴れ渡る空が綺麗な日に生まれたから『あおい』なのだとも教えてくれた。
「今日からお前の名前は『
爽やかなあおい快晴と、茜さす夕暮れと。ふたつを繋ぐ大切な空。
意味を知ってか知らずか、空と呼ばれた小鳥は小さく鳴いた。
幸せな姉弟。幸せな時間。
それが当たり前の事だと茜は思い込んでいた。
広がりゆく
●
「お姉ちゃん、窓辺に花が落ちてたよ」
「ふふっ。空の恩返しね」
四季は巡り、緩やかに時は流れゆく。
やがて雛は鳥となり、姉弟の元から巣立っていった。
歳月を重ね11歳ほどの齢になった茜もまた、年相応の姿へと成長を遂げる。
たったひとり、出会った頃のままの姿のあおいを置いて。
(――どうして)
一緒に同じ時を過ごして、泣いたり笑ったり、色んな月日を重ね続けてきた筈なのに。
まるでそれが無かった事のように、彼女の
「お姉ちゃん。空、来なくなったね」
「きっと、独り立ちしたのよ」
その時、あおいが違う事を考えていると茜は悟った。
空も純粋な鳥としては、もういい歳だ。
『失われる物は自然の摂理だから仕方がない』
そんな諦めが混じったような笑顔を、幼い頃はただの"笑顔"だと、何の疑問も抱かずに受け入れ続けていたけれど――多感な年ごろに育った今は、その笑顔の真の意味に気付けてしまう。否、嫌でも気づいてしまうのだ。
(なんでオレは……)
カチコチと時計の針が進む。
緩やかでも、残酷に。
茜の心が追い付くのを待たぬまま。
(こんなにもお姉ちゃんと違う? 同じ陽炎の精霊種なのに)
時の流れに浚うように、伸びた髪をばっさりと切る。
あおいの白い髪とは真逆の、烏の濡れ羽のように深い深い黒の髪。
そうだ。違うのは見た目の成長だけじゃない。
同じ"陽炎の因子"を持っていると言ったって、"生みの親"がまるで違う。
大地の上で揺らめいて、透き通るような美しさをもって生まれたあおい。
対して自分は、うち捨てられた鉄屑の上で、焦げつきそうな熱をもって生まれた存在だ。
ずっと子供のままでいいのに。
足元の見えないうちは、未来に向かって真っすぐになれる。どんな夢でも見る事ができる。
なのに
劣等感も違和感も。そしてそれを、無視できないから妥協する。
そのまま折れて叩かれて、丸い大人が出来上がる。
今の自分とは程遠い、現実にまみれた別人が。
(オレが変わってしまっても、お姉ちゃんは受け入れてくれるだろうか?
いや、それ以前に……もしもオレが、お姉ちゃんを受け入れられなくなってしまったら)
嫌われるのは嫌だけど、自分が姉を嫌うのはもっと嫌だ!
それならいっそ、心の距離が離れきる前に――。
●
深夜から始めたはずの荷造りは、気づけば早朝に及んでいた。
自分の部屋に置かれたものは、どれを取ってもあおいとの思い出が蘇る物ばかりで。
「行かなきゃ。朝日が顔を出す前に」
過ぎ去る追憶はどれも温かく、深く思い返してみるほど、あおいの優しさが散りばめられた日々だった。
懐かしさに胸が締め付けられて、涙が零れそうになる。
ふと、滲んだ視界に人影がゆらめいた。顔を上げるとそこには、戸口に立つ少女の姿。
「どうして」
「お姉ちゃんに黙って行こうなんて思ってもね。姉さんはわかっちゃうのよ、茜」
彼女はそう笑って、額にキスをしてくれた。
それは愛に溢れたおまじない。
大切な人を守るための、旅路へ贈る魔除けの魔術。
――嗚呼、そうだ。オレが生まれたあの時だって。
『カワイイ! 私の始めての弟よ!』
優しい声は、鉄屑から生まれた自分を、何の不平も言わずに受け入れてくれたじゃないか。
『名前は、そうね……素敵な夕景の元で生まれたから、キミの名前は今日から
そして今も、勝手に出て行こうとした事を叱らずに、小さな背中を押してくれる。
「お姉ちゃん。オレ……世界を見てくるよ。銀の森を出て、もっともっとその先を」
開けてしまった目を覆う手段がないのなら、より多くの事を知ればいい。
いろんな場所に行って、いろんな人に出会って。
時には汚い事を知ってしまう事もあるかもしれないけれど、
それ以上に綺麗な事、素敵な事を沢山知る事ができたなら――その時はきっと、
胸を張って「貴方の弟です」と言えるくらい、自分にも自信を持てるだろうから。
ここで暮らす事を選ぶのは、その後でも遅くはないだろうから。
だから今は、一時のお別れだ。
「行ってきます」
口にした瞬間、我慢していた涙が零れた。
堰を切るように溢れ出した雫と共に、心の奥のわだかまりを洗い流して――
そうして少年はまた、一歩大人に近づいた。
●
一筋の紫煙が天に向かってたちのぼり、溶けるように消えてゆく。
屋上で煙草をくわえながら、『かげらう』惑(p3p007702)はぼんやりと、今日の予定を考えていた。
齢28を迎えた彼は、今や酸いも甘いも知った大人だ。
シガレットに指を絡めて唇から離し、彼がふぅと煙を吐いた時。
ひらり、何かが目の前に舞い落ちた。
「なんや?」
拾い上げてみると、それは一枚の鳥の羽根だった。
重ねた年月と共に埃を被っていた記憶が、惑の中で呼び覚まされる。
「……空」
どこかで鳥の鳴き声がする。
見上げた空は、底抜けにあおい――。