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幸福への祈り
登場人物一覧
- ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
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はらはらと雪が降っていた。純白のそれは色の褪せた木々の隙間から降り注ぎ、ジョシュアの髪や肩にとまる。手のひらを広げてその一つを受け止めると、手袋の上でゆっくりと溶けていく。
綺麗だと思う。ここの雪が澄んでいるから、というのは勿論ある。でもそれより、リコリスがこの雪を優しい目で見ていると分かるから、ジョシュアにとっても美しいものに感じられるのだと思う。
雪道を慎重に歩くことしばらく。道が開けて、見慣れた家が現れる。また雪かきをしてあげたいと思いながら庭を進んでいると、玄関のドアが薄く開いて、その隙間からカネルが飛び出してきた。カネルは雪の上を走ってきて、ジョシュアの腕に飛び込んできた。ジョシュアが抱きかかえると、にゃあと鳴いて、尻尾を嬉しそうに振る。温かかった。
「ジョシュ君、いらっしゃい」
再びドアが開いて、今度はリコリスが顔を出した。寒かったでしょう、早く入って、と彼女が手招きしてくれている。冷えていたはずの頬に熱が通っていくのを感じて、マフラーを口元まで引き上げたくなった。
部屋に入ると、暖炉に火がつけられているのが目に入った。力強くも優しい温かさを作るそれに、ほっと胸をなでおろす。
「ホワイトクリスマスね」
リコリスが窓の外を指さす。家の中から見る雪は、外で眺めるのとはまた違った。四角い窓から見るそれらは、額に飾られた絵のようで、シャイネンナハトにぴったりだと思った。
「ええ。素敵な日にしましょうね」
ジョシュアが微笑むと、リコリスもふわりと表情を崩した。
料理はあとは温めるだけか焼くだけになるように、ほとんどを家で作ってきた。これから作るのは、手紙で約束していたショートケーキだ。お願いすれば去年のように美味しいケーキを用意してくれるのだろうけれど、一緒にお菓子を作るのも楽しいのではないかと思ったから、手紙で誘ってみたのだった。
薄力粉を振るっている間、リコリスはハンドミキサーの準備をしていた。どうやら魔法の道具らしく、持ち手の部分に内包された紫色の液体が揺らいでいる。
「仲間の魔女が作ったものなのよ。魔法薬をあげたお礼にくれたの」
使ってみる? リコリスが微笑んだ。
「僕でも使えるのですか」
「ええ。この紫色の液体が動力だから、誰でも使えるわ」
ボウルに卵が割り入れられ、グラニュー糖が入れられる。ジョシュアが恐る恐るミキサーを持つと、その上にリコリスの手が添えられた。ジョシュアの後ろに立った彼女が、ボウルを持つジョシュアのもう片方の手も支える。ボタンらしきものを押すと、紫色の液体がくるくると回り、泡だて器が高速で回転しはじめた。
身体中の血がしゅわしゅわと溶けだしていくみたいだった。魔法の道具が動いている様子も、ボウルの中身があっという間に混ざって泡立っていく様子も、目が離せなかった。ジョシュアの胸が大きく音を立てているのにリコリスは気が付いたようで、「楽しいでしょう」と笑いかけてくる。彼女の声の近さに驚いて、ただこくこくと頷くことしかできなかった。
材料がある程度泡立ったところで、ミキサーが止められる。いくつものどきどきが混ざって、手が震えていた。その様子にリコリスは優しく笑って、ジョシュアの手を優しく撫でてくれた。手荒れも良くなったわね、と呟くリコリスの声が柔らかくて、思わず自分の手の甲に視線を落とす。リコリス様のおかげなのです、という言葉は、照れくさくて言えなかった。
薄力粉をボウルに振るい入れ、切るようにしてさっくり混ぜる。どんなに辛い目に遭っても優しい心を失わず、人々を慈しみ続ける彼女にたくさんの幸せが訪れてほしい。そう祈る気持ちを、今年出会った幸福を混ぜ込んでいく。
混ぜていく度にリコリスと過ごした出来事が一つひとつ頭に浮かんで、それらを忘れないように、お菓子にとじ込めるようにして混ぜる。混沌で嫌なことがあっても、この家にはたくさんの幸せがあったのだ。だから、大切にしたかった。
混ぜている途中でバターと牛乳、バニラエッセンスと一緒にイリゼの雫が垂らされて、リコリスも祈りを籠めているのだと気が付いた。その願いを彼女は口に出さなかったけれど、材料を加える手から、ジョシュアへの愛しみや優しさが伝わってくる。彼女もきっと、今年一年の出来事に想いを馳せて、来年の幸福も祈っているのだろうと思った。
混ぜ終わったら型に流し、オーブンで焼いていく。
ケーキが焼けるまでは、リコリスと話しながらカネルと遊んだ。ジョシュアが前に持ってきたぬいぐるみをカネルは気に入って使っているようで、魚のぬいぐるみには噛んだ痕がついていた。ぬいぐるみで遊んでいるうちにケーキが焼けて、カネルが遊び疲れた頃に粗熱が取れた。
「飾り付けをしましょう」
生クリームをハンドミキサーで泡立てていく。今度はひとりでもミキサーを使えたけれど、温かな手が近くにないのは、ほんの少し寂しい。
クリームをとろりとするまで泡立て、苺を集めにスライスし、スポンジの膨らんだ部分を切り取る。スポンジを半分にスライスし、一段目にクリームをひとすくい落とした。
「こうやって、薄く広げていくの」
パレットナイフを使い、リコリスがクリームを表面に広げていく。彼女の手の動きに合わせてするすると形を変えていくそれを、思わずじっと見つめてしまう。
「苺を乗せたら、ジョシュ君もやってみましょう」
こくりと頷いて、ジョシュアは苺を手にとった。リコリスが丁寧に塗ったクリームの上に敷き詰めて、その上にクリームを重ねる。苺が薄っすら見えるくらいの厚さで、ムラができないように塗るのは難しい。時折苺がずれそうになって、その度に慎重にパレットナイフを動かした。
「どう?」
「難しいです。でも、楽しいです」
「それなら良かった」
スポンジを重ねて、またクリームを塗ってすべてを隠して。クリームを固くなるように泡立ててから、絞り袋に入れる。
「飾り付けはどんな風にしましょう」
「そうねえ。苺を中心に寄せて、クリームで囲うのはどうかしら」
「それが良いです」
苺は食べる前に飾ることにして、まずはクリームを絞る。リコリスの見本の真似をして慎重に進めていく。なかなか綺麗にはできなかったけれど、彼女が丁寧に教えてくれたから、段々と形が整っていった。
「綺麗に出来たわね」
リコリスが微笑む。その言葉はふわふわとしていて、温かくて、心にじんわりと染みこんでいく。今度は彼女のおかげなのだとするりと伝えられて、照れたように笑う彼女に、ジョシュアもまた頬が熱くなるのを感じた。
ケーキは食事の後にとっておくことにして、まずは食事を摂ることにした。ピラフとコーンスープを温めて、チキンを焼く。サラダにドレッシングをかけて、食事を始める。
「輝かんばかりのこの夜に」
お祝いの言葉は去年と同じ。声が自然に揃うのが嬉しくて、二人で微笑み合った。
ジョシュアが持ってきた料理はどれも好評で、食べ終わってしまうのが勿体ないとリコリスは言ってくれた。ジョシュアの混沌での出来事を話していたらあっという間に食べ終わっていて、ケーキの時間になった。
苺をケーキの上に敷き詰めて、リコリスがその上に粉砂糖を振る。瑞々しい赤色の上に白い雪がかけられて、ジョシュアはほうと息を吐く。
「すごい」
「ジョシュ君、頑張ったわね」
「はい」
二人で一緒に作ったものをこれから食べるのがなんだか不思議で、心が浮いてしまいそうで、どこかに飛んでいかないように胸を押さえた。前髪の一部が紫色になっているのが見える。
切ってしまうのが勿体なくて、ナイフを差し込む前にケーキをじっと見つめてしまう。ずっと見ていたい気持ちはあったけれど、早く食べたい気持ちが勝った。
「さ、食べましょうか」
そっとフォークを刺し、口に運ぶ。柔らかなスポンジを包むクリームと、甘酸っぱい苺の香りが口の中に広がって、ジョシュアは「美味しい」と呟いていた。
リコリスが作ってくれたケーキとはまた違う美味しさだ。これはきっと、二人で一緒に作ったからこその味なのだと思う。リコリスも同じことを考えていたようで、「美味しいわね」と頬を押さえている。
食べ終わってしまうのが寂しくて、出来るだけゆっくり食べる。この時間を引き伸ばしたくて、ミキサーを使ってどうだったかという話をしたり、魔法道具は他にどんなものがあるのかと聞いてみたりした。
魔法道具にはたくさんのものがあるらしかった。動く羽ペンや挿絵の動く本、ひとりでに動く掃除道具など、胸が躍るものばかりだった。
「魔法の道具はどれも素敵です」
「そうでしょう。それに、生活に便利なものもあるから助かっているのよ」
「もっと便利なものが出来るといいですね」
「そうね。でも、あまり便利なものができると、人に怪しまれてしまうわ」
リコリスが目を伏せる。魔法の道具を作り続けていた魔女が、人間に酷い扱いを受けたのだと彼女は言った。
「その子、命からがら逃げだしてきたの」
元々、妙に豊かで時間にゆとりのある生活をしていると、人々に怪しまれていたらしい。ある日人々の疑う気持ちが高まり、彼女の工房に武器を持った人々が押し入ったという。
「前に魔女の知り合いに会った時にその話を聞いてね。人々と分かりあうのがどれだけ難しいのかを突きつけられて」
そうしたら、昔の事を思い出してしまったの。リコリスが誤魔化すように笑った。手紙で話したいと言っていた昔の話はこれのことなのだろうと、ジョシュアは机の下に隠した手を握る。
リコリスの話はまとまっていなくて、何度も話が行き来した。それでも作った魔法薬を投げ捨てられたり、優しかったはずの人があっという間に離れていったりしたことがあったのだと分かったから、彼女に何て伝えようか迷った。
自分もその辛さは分かる。分かるからこそ、軽々しく口にできなかった。共感は確かに救いではあるけれど、少し間違えれば憐憫に変わるそれを真っすぐに伝えるのは、難しい。
もうこれ以上、彼女に苦しい思いをしてほしくない。悲しい目に遭わせたくない。確かにそう思って伸ばした手は強張っていて、リコリスに触れる前に、躊躇った。自分の身体の奥底から湧き上がってきた怒りや悲しみを、彼女に知られたくなかった。
リコリスは泣き出したいのを堪えているような表情をしている。このままジョシュアが何も言わなければ、「クリスマスなのにごめんね」と彼女が作り笑いを浮かべる気がして、必死に言葉を探した。
「リコリス様。お守りを、差し上げます」
彼女がはっと顔を上げる。その瞳には、決心を固めたような表情のジョシュアが映っている。
「クリスマスプレゼント、です」
貰って良いの、とリコリスが尋ねてくる。その表情に赤みが戻ったことにほっとして、ジョシュアは頷いた。
リコリスが箱にかけられたリボンを解いて、そこに収められていたネックレスに触れる。綺麗、とその唇から静かに言葉が零れた。
「魔力結晶にヤドリギの実を閉じこめたものです」
ヤドリギは古くから身を守るものとして知られていて、かつ解毒作用もある。毒を味方とするリコリスを決して傷つけないという想いを籠めたものだ。
ありがとう。泣き出しそうな顔で、リコリスが言う。その涙は先ほどのものとは違って、それがジョシュアの胸に灯りをともす。
ネックレスをつけてもいいかと尋ねると、彼女は笑って頷いてくれた。彼女の後ろに立つと、黒い髪が肩から浮かされて、白い首筋が覗く。その細さに驚いて、彼女に知られないように息を吐いた。
守ってあげなくてはならないのだと思った。
守りたいと思うのは、彼女のことが大切だから。好きだから。そう思えば胸が締め付けられるようで、熱くなるようで、このまま抱きしめてあげられたらどれだけ良いだろうと思った。
揺れる気持ちを静めるようにもう一つ息を吐いて、彼女の首にネックレスをつける。「似合っているかしら」とこちらを振り返る彼女に深く頷いて、微笑んでみせる。
今は離れている時の方が多いけれど、自分の世界の滅びを止められたら、もっとこの世界に来ることができるはずなのだ。その時には、想いを聞いてほしい。
「リコリス様に、幸福が訪れますように」
- 幸福への祈り完了
- NM名花籠しずく
- 種別SS
- 納品日2024年01月10日
- ・ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
・ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
※ おまけSS『それは好きということ』付き
おまけSS『それは好きということ』
リコリスからのクリスマスプレゼントは懐中時計だった。魔法が籠められたもののようで、蓋を開けると柔らかな光が舞う。その光は赤色だったり青色だったり、開ける度に色を変えるから、何度見ても飽きなかった。
「ありがとうございます」
大切にします。そう微笑むと、彼女は嬉しそうに頷いた。
「それなら夜でも時間が分かると思ったから」
照れ臭そうに手悪戯をする彼女の胸元には、ネックレスが輝いている。
魔力結晶はシエルに作り方を教わって、自分で作った。解毒の力を籠めたもので、身体に害が出ることはない。薬作りのおかげで解毒作用のあるものまで作れるようになったのだ。彼女へのお礼の気持ちも、そこには籠められている。
宝石の精霊の彼に作ってもらう方が出来は良かったのかもしれないが、いくら友人とはいえ、他の男が作ったものを身に着けさせるのはなんだか落ち着かない。それにお守りは、自分で作って渡すからこそ意味を持つのだろう。だから、これで良いのだと思う。この世界でどれだけの効果を持つのかは分からないが、籠めた祈りの形は、確かに彼女に届いている。
リコリスは話している間、何度もネックレスに触れていた。その様子を見る度に胸がとくりとくりと音を立てて、彼女に聞こえていませんようにと願ってしまう。
どうしたの、と首を傾げているリコリスは微笑んでいる。その表情にジョシュアの頬は熱くなって、咄嗟に「ケーキ作りが楽しかったので」と呟いていた。
そうね、楽しかったわね。そう返してくれるの彼女の声が優しくて、今日がずっと続いていてほしいと思った。