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海洋乙女は余暇を楽しむ
登場人物一覧
鉄帝国と海洋王国によるグレイス・ヌレ海域での戦線はイレギュラーズの協力により海洋王国側の実質的勝利となった。代償としてイレギュラーズを捕虜とした鉄帝国側は自国の兵たちの返却と共に多少の『ちょっかい』をかけてきた事は否定は出来ない。
ある程度の部分で折り合うためにと海洋王国の頭脳として講和に望んだソルベ・ジェラート・コンテュール。女王の名代として堂々と鉄皇帝を渡り合う彼にも拾いの色が滲んで来た所であろう。
此度の大号令もあり、自由に出入りを許されるリッツ・パークの王宮ホールではイレギュラーズと対話を楽しむ海洋貴族の姿がちらほらと見られている。兄が講話に向っている最中に、『大丈夫だと思っていても兄が心配だ』とカヌレ・ジェラート・コンテュールはホールへと足を運んでいた。ホールの端に備え付けられたソファーに腰掛けて、使用人が用意した紅茶を飲みながら兄の帰りを待ち続ける。それは決して楽しい状況ではなかったのだろう。その勝気な青い瞳には不安を浮かべ、視線をうろつかせているのが誰の目から見ても明らかであった。
「浮かねぇ顔だな?」
溜息を吐いた壁の花にねぎらうように声をかけたエイヴァン=フルブス=グラキオールは「よう」とカヌレへとひらりと手を振った。
「貴方はイレギュラーズの……」
ちら、と視線を向けたカヌレは「ごきげんよう。本日は余暇ですの?」とぎこちない笑みを浮かべた。
ねぎらい――冷やかしも兼ねているがそれはさておいてーーの声をかけたエイヴァンは首を傾いだカヌレに「あー」と小さく声を漏らす。
「まあ。『兄上』が仕事をしてるってんなら下っ端のイレギュラーズにはやる事も無いからな」
「そう、そうですわね。私だって何もやることはございませんもの……。
貴方は我が国の軍部にも所属なさっているのでしたわね。ふふ、私の手足とでも言うところなのかしら?」
くすくすと悪戯めいて笑ったカヌレにエイヴァンは頬を掻いた。海洋王国でも名門貴族であり、貴族派の筆頭であるコンテュール家の令嬢であるカヌレは海洋王国軍人らへの指示権限を所有しているとでも言うところだろうか。
貴族からすれば軍人とは自身の手足であり、自身の駒でもあるのだろう。私兵ではないがそれだけの権限と力を持つのがコンテュール家とでも言ったところだろうか。
「カヌレ様と呼んだ方が?」
「いいえ、カヌレでよろしくてよ。私だって『お嬢様』で居たい訳ではありませんもの。
……尤も、兄と比べましても私は世間知らずのお嬢様である事は明らかなのですけれど」
溜息を混じらせる。彼女は兄の役に立ちたいと考えているのだろう。そして、会談を行い様々な指示や統制を強いられるソルベの負担を考えては溜息を吐かずには居られないという所か。
「これから知っていけばいいだろう?」
「ええ。ええ。じゃあ、世間知らずのお嬢様からひとつ質問してもよろしくて?」
どうぞ、と視線をやったエイヴァンに悪戯めいたご令嬢はにんまりと笑う。その海色の瞳は楽しげに細められ――成程、どうにも『面白いことを見つけた子供』のような顔をするのだ。
「私、聞いたのですけれどイレギュラーズの皆さんは鉄帝国国内で起こっております動乱の沈静化に動かれているという噂ですわ?
ねえ、グラキオール様はどうして此方にいらっしゃるのかしら。……ひょっとして、お仕事を見なかったフリ、とか?」
彼女の言葉にエイヴァンはばつが悪いと手をひらひらとさせた。海洋王国での動乱には手を貸したのは海洋軍人としての誉れと責務だ。しかし、他国のこととなれば彼自身は興味が無い。興味が無い以上に、面倒ごとを任せる相手もいないというのが実情だ。
「まあ、海洋王国を護らなくてはだろ?」
「あら、ご心配なさらないで。幼馴染殿もいらっしゃるでしょう?」
知っているかとエイヴァンは舌を巻いた。それこそ、そこで終わるわけには行かないのがエイヴァンだ。
「いつ、あの遥かな新天地(ネオ・フロンティア)に行くことになるかも分からないんだ。
国内に借りれる手は大いにこしたことが無いだろう。ましてや向う先はグレイス・ヌレなんかじゃない。絶望の青だ」
「う……まあ、そうですわね……」
絶望の青。そこに潜む魔は勇者たちを飲み喰らい、死地であることには違いない。英雄と呼ばれた者たちが挑んでは飲み込まれ、前人未到――伝説的海賊ドレイクの『御伽噺』でさえも暗く血腥いのだから。
カヌレは「貴方も行くの?」と不安げに聴いた。イレギュラーズに対して好感を持つ彼女は出来る事ならば安全地帯で生きていてほしいというのが望みなのだろう。その先に何があるかはわからない以上、海洋王国からすれば『勇者たちを死地へと送り込む』事と変わりないと意見が貴族たちの間から上っていることは否定できない。
「行くだろう」
「……けれど、何があるかはわかりませんのよ? 死んでしまうかもしれない。
絶望の青(あのうみ)は私だって御伽噺や海洋貴族の嗜みとして聞いておりますの。お兄様だって、皆さんを送り出すことに不安が無いわけでもない……」
カヌレが唇を震わせればエイヴァンはからりと笑った。不安がるのは貴族の仕事で、未だ見ぬ海に期待を持つのは船乗りの仕事なのだ。
「なら、カヌレも行くか?」
「えっ?」
「冗談だ。あの海は誰もが詳細を知らない以上、面白いだろう? 何があるかも分からないんだ。
それを期待して見に行って戦果を持ち帰りたいと願うのは船乗りの――軍人の感情としては当たり前だろう」
「怖く、ありませんの?」
カヌレの言葉にエイヴァンはさあ、と肩を竦めた。父――あの死ぬことは無いといわれた家族だ――もあの大海で消息を絶っている。そう思えばこそ、だ。あの海に向けて踏み出さんと願うのは間違いではないだろう。
「怖がってちゃ何もでねぇだろ。ましてや、何処に居たって戦うことを強いられるイレギュラーズだぞ」
「ええ、ええ、そうですわね。イレギュラーズの皆さんはとっても強くって……とっても、面白そうですもの」
カヌレは夢見るようにそう言った。面白くて、面白くて、とても憧れる。
兄と楽しげに話しているイレギュラーズを陰から見ては自分も並び立って、共に楽しみたいと願ったものだ。
ソファーに腰掛けてくすくすとからかう彼女にエイヴァンは「なら、カヌレが冒険者として活躍してみれば?」とジョークを交えた。
「私が?」
「そうだ。例えば、不凍港ベネクトに視察に行くのもいい。バラミタ鉱山の視察だっていいだろうな。
何せ、ソルベが敵国(ていこく)に求めた場所だ。そういう場所を実際に見て知ってみるのもいいだろう」
「まあ! まあまあ! そうですわね。それってきっと素敵ですわ!」
立ち上がったカヌレが手を合わせ瞳をきらりと輝かせた。エイヴァンに対して、近寄り、そっとその手をぎゅっと握り締めたカヌレはうれしそうに微笑んだ。
「早速お兄様にお願いしてみましょう!? 貴方もご一緒する?」
「勢いがいいが、どういう場所かは調べているのか?」
「えっ……あっ、私、ベネクトやバラミタがどんなところか知らない――いいえ、今から調べれば何とかなりますわ!
なんといっても、私のお兄様は有能ですもの。きっと、分かりやすい資料がどこかに存在しておりますのよ」
ほらほら、と手を引いたカヌレにエイヴァンはどうしたものだろうかと彼女をまじまじと見た。
その暗かった表情が明るくなった事に気づいてエイヴァンは可笑しいと小さく笑みを浮かべる。どうにも彼女は子供のように明るくなったのだ。
「やっぱり『兄』頼りか?」
「え? ――いいえ! お兄様の資料に不備がないかを調べるだけですわ!」
頬を赤く染めてエイヴァンにそう言ったカヌレは首を振る。兄大好きだと揶揄されることのあるカヌレだ。
兄の資料へと絶対的な信頼があるのだろうが、それを臆面も無く口にすることには抵抗があるようだ。
「本当か?」
「ええ、ええ、私が居ないとお兄様は駄目なんですもの。しっかりとお兄様の資料をチェックしなくてはなりませんもの」
ふふん、と鼻を鳴らして笑ったカヌレはエイヴァンの手をぎゅっと握り締めて早速、資料を集めましょうと好奇心を胸にカヌレはエイヴァンへと笑みを浮かべた。それに彼女に明るさが戻ったことに満足したエイヴァンは「気が向いたらな」と返す。
――が、それを見ていたのはソルベであった。妹がイレギュラーズの手を握り締めて表情をころころと変えている。
「――!!!!?」
それを見て、彼が凍ったのはある種の勘違いである。兄として、大切で仕方が無い妹が誰かの手を取っている場面を見たときの混乱たるや。
「カ、カヌレ!?」
「あら、お兄様?」
エイヴァンとカヌレが顔を上げたところに疲労を滲ませて――それもどこかに吹っ飛ぶ勢いで――ソルベ卿は走り寄ったのだった。