SS詳細
シンデレラ×シンデレラ
登場人物一覧
頬がまだ赤い気がする。
彼女の平手が打った頬。
まぁそんなわけはないのだけれど――だってそれは、だいぶ前の出来事であったから――、だったら今ある熱は何なのだろう?
熱。頬の、熱。
冬だからかもしれない。寒さが、体の熱をいっそう感じさせているのかもしれない。
これも言い訳かもしれない。何か、分からないものに対しての。
わからないといえば、その通りに、彼女に『ビンタ』されたからで――それが未だに、強烈な印象になっていて、頬の熱につながっているのかもしれない。
こう考えると、ビンタされたから気になった、と略できてしまうのだけど、それだとなんだか強烈に笑い話になってしまいそうで、思わず、胸中で「いや、それは」と声を上げた。
「どうかした?」
と、不思議気に小首をかしげる彼女――ココロへ、『彼』――トールはあいまいに笑った。
「いいえ。列、長いなぁ、なんて」
「そうね」
ふむん、とココロは唸って見せた。70分待ち、と書かれたボードを過ぎてから、多分20分ほどたっている気がする。そうなれば、多分残り50分ほどでお目当ての『アトラクション』に入れるのだろう。
練達の広大なテーマ・パークは、再現性東京よろしく異世界のそれをまねて作ったもののようで、どこぞで見た様な大きなシンボル・キャッスルを中心に、様々なアトラクションの設置された広大なものだった。冬の休日ともなれば、多くの来園者が楽しみとロマンティックなものを求めてやってくるわけであり、そうなればまず直面するのは、ロマンもへったくれもない『待ち時間』であろうか。
「でも、こうして待ってるのも面白いと思うの」
そう言ってココロは笑ってみせる。
「それに、女の子と一緒にいるときに、退屈みたいに聞こえるのだめよ」
「それは」
む、とトールが声をあげて、
「それは――確かに。そうですね」
ごめんなさい、と頭を下げた。「よろしい」とココロは笑ってみせる。
「でも、あまり気にしないで。ちょっとしたいじわる。
他の事、考えていたみたいだし」
いや、と否定したい気持ちだった。考えていたのは、他の事ではなくて、ココロの事だったからだ。
でも、じゃあそうだと説明して取り繕うというのも、なんだか違うなぁ、と思った。それに、『ココロに対して何を考えていたのか』というものを、簡潔に説明できる自信はなかったのだ。
「……家の鍵を閉めたっけ、って急に不安になりまして」
誤魔化すように言うトールに、ココロは少し目を丸くした。
「それは心配ね……」
「ごめんなさい。今更なので、忘れます」
トールはそう言ってまっすぐ前を見た。また少しだけ列が進んだみたいで、その流れに乗って、二人は歩く。そこは古びた洋館のような外見のアトラクションで、有体に行ってしまえばお化け屋敷、という所にある。とはいえ、本格的にホラーなものというよりは、些かコメディ色のあるそれだ。
洋館というシチュエーションからか、担当従業員はヴィクトリアンメイド風の衣装を着ている。僅かに視線を送ると、ココロがくすくすと笑った。
「可愛いよね。着たい? それとも、誰かに着せたい?」
「いや、いや?」
慌てたように、トールが声をあげる。
「着たいって言うのは……僕が?」
「似合うんじゃない?」
「……まだ怒ってます?」
女装、に関してのことだ。トールはとある事情から性別を偽って女装していたわけだが――ちなみに、厳密には今もウィッグをつけて女装はしている――、ココロにはそれが発覚していて、そのけじめとでもいうべきことが、先ほども考えていた『ビンタ』である。
「そうじゃないです。でも、ふふ、似合ってるかも、って思ってしまって」
「そうかな……?」
想像してみる。
「……」
「似合うかも、って思ったでしょ」
「思ってないですが?」
ふい、と視線を逸らした。ココロがくすくすと笑う。
「……ココロさんも、似合うかな、と思いまして」
「ふえ」
不意を突いたようなその言葉に、ココロが思わず声をあげる。
「わ、わたしは。別に、似合わないと思う。あの、コウモリみたいなカチューシャとか……」
「お土産屋にありましたよ。買って帰りましょうか」
ふふ、と笑ってみせるトールに、今度はココロが目を逸らす番だった。
「う、う。
あ、列、進んだみたい。行きましょ」
そう言って、誤魔化すように手を握って、ココロがトールを引っ張った。トールは穏やかに笑うと、少し速足で並んで、すぐにエスコートする位置に立つ。無意識の事であったが、それはトールにとっては行って当たり前の事であったのだろう。
アトラクションに入ってみれば、自らの足でゴーストマンションの中を歩いていくもののようだ。中には人間が扮した幽霊が……というわけではなく、3D立体ビジョンなどで作成されたゴーストたちが、愛嬌たっぷりに、可愛らしさと少々の怖さを振りまいて飛び回っている。
少々の怖さ、とはいえ、雰囲気作りは充分だろう。ココロの手が、ぎゅ、とトールの手を握っているところからも、それは十分に伝わる。
「暗いですから。転んだりしないように」
トールが言うので、ココロが少し体を近づけた。密着する体は、服という布を通していたけれど、どこからお互いの体温を伝えていた。また、頬が暖かくなるような気がした。叩かれた、頬。
(これじゃなんだか、本当に)
叩かれたのを喜んでいるみたいだ、とトールは思う。でも、多分それは違うのだろう。それはきっかけにすぎず、自分が『本当に心地よいと思っているもの』の出発点を意識してしまうだけだ。
となると、自分の今の気持ちの出発点というのは、やっぱりあの時で、そしてこのような気持ちを抱くのは、その出発点にいたココロだけ、ということになるのだろう。ココロという少女を、トールが『想っている』という事は、自分でも自覚していた。だが、こと『恋愛』という枠組みに当てはめようとすると、なんともぴんと来ない。
「わからないんですよね……」
誰にも聞こえないようにつぶやいた。が、耳ざといものは聞いたらしい。
『何がわからないのかね』
と、トールの目の前で言ったのは、白くてマシュマロみたいな変なゴーストだ。
「しゃべるんだ」
ココロが目を丸くした。
『もちろんだとも。今私は品定めをしている。我々の一万体目の仲間となる客人の。
君たちはなんだか健康そうだから、候補からは外しているが。
しかし何がわからないのかね?』
「いや、その」
ちらり、とココロの視線を送ってから、
「あ、男の子の悩み! 耳をふさいでおくね!」
ぎゅー、と耳を押さえて目を閉じてしまった。
『彼女の気遣いを無駄にするな。え? 君男なの?』
そういった瞬間、ゴーストの体がわずかにぶれた。
『一瞬なぜか浄化されそうになった――さておき、お悩みは?』
「その、では」
こほん、と咳払い。
「人を好きになる、というのが分らなくて」
『それはその、俺には感情が分らないみたいな』
「じゃなくて。経験が、ないので。そう言うのを感じた」
『ふむ』
ゴーストがくるっと回る。
『私はここで200年ゴーストをやっているが、そりゃ浮いた話もあったりなかったり。
そのうえで言わせてもらうが』
愛敬よく、ゴーストが顔を近づけた。
『感じたとおりに動き給え。君はこの子と、きっと一緒にいたいのだろう』
「それは」
トールが、僅かに息を吸って、
「はい」
『きっと、笑いかけてほしいとか。好きになってほしいとか。そう思っているのだろう』
「はい」
『ならばそれが、『恋』だ。人を好きになる最初のステップだ』
「これが、恋……?」
『夢見る乙女のような言葉を言うな。難しいことはないのだ。身勝手で我儘なのだとしても、それが――え? 一組のお客に構いすぎ? いいじゃん、こんな初々しいカップルそうそう――』
わずかにゴーストの体がぶれると、すぐにコホン、と声が響いた。たぶん、さっきとは違う声だと、トールにはわかった。
『悩みが解決したら、足元に気をつけて進みたまえ』
しゅん、とゴーストが消える。トールがあっけにとられていると、ココロがふさいでいた耳をこっそりといて、つんつんとトールをつついていた。
「終わった……?」
そう言うので、トールは笑った。
「ええ」
始まりました、と。こころで呟いた。
なんだか奇妙な体験をしたような気もするが、アトラクションを出て、しばらく園内で遊びまわった。気づけばすっかりあたりは夜になっていて、イルミネーションの中で、シンボル・キャッスルの姿がひときわ輝いている。
お話があります。と、トールがココロに告げて連れてきたのが、このシンボル・キャッスルの前だった。ココロは快く承諾して、一緒にイルミネーションを眺めている。
「それで、その。お話って」
ココロがそう言うのへ、トールは頷いた。
「今日、ゴーストの人に相談に乗ってもらって。少し、腑に落ちたことがあったんです」
「うん」
「実は、自分の心の中で、考えても、納得できないものがあった。
僕はきっと、まだ未熟で。ようやく、一歩目を踏み出す……どこから、靴を履いたばかりだったんです」
トールが、ゆっくりと、ウィッグを取り払った。その瞬間、ばちん、と音がして、あたりのイルミネーションが一斉に消え去った。この時、なぜか局的な停電が、一体で発生していた。
「僕は、騎士としての誓いを立てます。
貴女の傍で、貴女を守る。
僕の、恋心のもとに」
そういって、跪いた。
ココロが、びっくりしたような顔をして、それから。
「わかりました。わたしの、騎士として」
告白ではない。
ただ、そう言う想いがあると。
――誓いも、返事も、それだけでいい。
ココロがトールの手を取った瞬間、ようやく停電が復旧して、あたりのイルミネーションが一斉に花開いた。
輝くシンボル・キャッスルは、騎士とプリンセスを、この時真っ白に照らしていた。