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優しい贈り物
登場人物一覧
●人形と青信号
3月は紅茶の季節だ。ダージリンの
店主の神郷 蒼矢は、来客のピークを過ぎた直後、カウンター奥で猫の様にのびきっていた。
「うぅっ……人手が足らなすぎる」
店内はそこまで広くないものの、怠惰気味の男にとっては間違いなく重労働だ。それでも入り口のベルが来客を知らせると、慌ててシャキッと姿勢を正した。
「いらっしゃいませぇ! おひとり様ですか?」
お客様は答えない。代わりに死んだような目がオッドアイの蒼矢の目とかち合った。
見つめていると吸い込まれそうな黒い眼に気圧されて、思わずゴクリと喉を鳴らす。
「えーと……?」
歩く度にサラリと揺れる烏の濡れ羽のような艶髪に、線の細い身体。
透明感のある美しさに惹かれ、すれ違う客が振り返る。
(うわぁ~、よく見たら綺麗な子だなぁ……なんか妙な恰好してるけど)
妙、と評したのはその服装だ。纏っているのは白衣のように見えるが、あれは室内用ではなかっただろうか?
考えを巡らせているうちに、足音はコツコツと蒼矢の方へ一直線に近づいてきた。
カウンターを隔てて向き合った来客の少女は、視線をそらさぬまま彼に問う。
「此処はカフェで、貴方がMr.アオヤで間違いありませんか?」
「どっちも正解だよ?」
「では」
流れるように差し出される両手。目を見開く蒼矢。
「いただきます。3倍返し」
それが2人の出会いだった。
●甘い季節にお返しを
今よりほんの少し前の事。
「リンドウ、ちょっといいかしら?」
小粒のチョコレートを頬張る手を止め、辰巳・紫苑は思い出したかのように、傍らで植物の世話をしていた少女を手招く。
「イエス、マスター――人形に命令を」
リンドウと呼ばれた少女は従順だった。じょうろを手にしたまま、すいと紫苑の元へ赴く。
「とあるカフェのケーキを持って来て欲しいのだけれど」
「ケーキ……ですか?」
「そうよ。ホワイトデーの3倍返しを受け取ってくるの」
今まさに甘味を食べているというのに、どうやら
彼女の大食漢ぶりは今に始まった事ではないが、それが主命ならば務めを果たすのが人形だ。
返す言葉は、とうの昔に決まっていた。
「――という訳です」
事情を話し終えると、リンドウはダージリンティーソーダをひと口飲んだ。
朝摘みの爽やかな口当たりに、お茶請けに出された濃いめのガトーショコラがマッチしている。
(この味、帰って似たような物を作ればマスターは喜ぶでしょうか)
材料に何を使っているのか聴いておこう。そんな軽い気持ちでリンドウが顔を上げると、そこには頭を抱えたまま目をぐるぐるさせている蒼矢の姿があった。
「分からない事があれば、ご質問をどうぞ」
「はいっ! 開幕からもう、よく分かりません!」
威勢のいい声とは裏腹に、なんともまぁ頼りない返事である。
ちるるるー、とリンドウがストローでティーソーダを啜る間も店主は混乱しきりだった。
「えぇと、つまり君はマスターさんのお使いで、僕からホワイトデーのお返しを貰いに来た……って事なんだよね?」
「ぴんぽんです」
「もの凄く失礼なんだけど、僕……君のマスターさんと会った記憶が無いんだよな」
こて、とリンドウが小首を傾げる。
「人違いでしょうか。実際にマスターは勘違いしていたそうです」
「勘違い
誰と、と聞く前に蒼矢の脳裏に一人の人物が頭をよぎった。この身体の同居人。
Cafe&Bar『Intersection』の夜の店主にして、最も蒼矢と人違いしやすい男No.1。
「それって、君のマスターさんと会ったのもチョコ貰ったのも、全部赤斗じゃーーん!!」
「ぴんぽんぴんぽんです」
ようやく蒼矢が状況を把握しきると、リンドウは再び両手を彼の元へと差し出した。
「いただきます。3倍返し」
「お返し貰いに来る相手が違うんじゃない!?」
「マスターは甘い物が好きなので、
「くうぅ、合理的だなぁ」
やはり無理があっただろうか。
氷だけ残ったコップをカウンターに置いてリンドウが立ち去ろうとすると、制止するように手が伸びてきた。
「待って、今から準備するから」
「いいのですか?」
「折角来てもらったのに、手ぶらで帰す訳にはいかないよ。ケーキを楽しみにしてくれているのは素直に嬉しいし」
空になったコップが、淹れたてのカモミールティーへとさし変わる。
ほこほこと湯気の立つそれを手に取り、リンドウがほっと一息ついている間に、店のショーケースから色とりどりのホールケーキが顔を出した。組み合わせの見栄えはどうの、味はこうのと難しそうな顔をしながら蒼矢がケーキを切り分ける。
「真剣ですね」
「グラオ・クローネのプレゼントだからね」
「ぐらお・くろーね。それはどんなイベントなのですか?」
紫苑とリンドウが元居た世界では、この時期あるのはバレンタインとホワイトデー。
「知らないのかい?」
問われた蒼矢は自信ありげだ。持っていたケーキサーバーを揺らしながら胸を張る。
「美味しいものを贈りあう日さ!!」
「……」
「……」
「…………そうですか」
「あれっ、何か違ったかな?」
花より団子。この場合は深緑の御伽噺よりもスイーツか。口を3の字にして「マスターさんのチョコ、俺も食べてみたかったなー」等とのたまうこの男に、リンドウは不思議な既視感を覚えて黒い瞳を瞬いた。
「お待たせ。僕からのお返しだよ」
「こんなに沢山、いいんですか?」
ミントグリーンのリボンが結ばれた紙袋には大きめの紙箱が収まっていた。持ち上げればずしりと重いそれを少女が見つめていると、店主は緩い笑みで頷く。
「マスターさんへの3倍返しと、リンドウの分も入ってるからね。持ち運ぶの大変かな?」
「いえ。……私は何も、Mr.アオヤに差し上げていないのですが」
「もらったよ、楽しい時間を」
(――嗚呼、そうだ)
「貴方は……マスターに似ているのですね」
今度は蒼矢が目を瞬く番だった。リンドウのつぶやきに、思わず「僕が?」と問い返す。
「はい。食欲が強い部分もそうですが。きっと、Mr.アオヤはマスターと同じくらい優しい」
彼女は殺戮が好きな人ですが。
決して、冷徹な方でありませんから。
偶然見つけた心なき私を拾い、従者として側に置くぐらいに。
――この世界に一緒に来てくれたほどに。
「それはきっと、僕を拾ってくれた人が、僕に"優しさ"を贈ってくれたからだよ」
「Mr.アオヤにもマスターがいるのですか?」
「
だから贈り物をするんだ。その絆を形にして、"ありがとう"を伝えるために」
それこそが灰色の王冠――グラオ・クローネ。
「いつか、私も届けに来ていいでしょうか。Mr.アオヤに、贈り物を」
「勿論。お返しは3倍でね!」
贈られた箱を開けば、そこはケーキの花畑。
エディブルフラワーを閉じ込めたババロアに、スミレを飾ったブルーベリーケーキ。
イチゴを練り込んだチーズケーキには、春先の桜を添えて。
ふわりと甘い、蒼矢からの