PandoraPartyProject

SS詳細

つもり、募る

登場人物一覧

アレン・ローゼンバーグ(p3p010096)
茨の棘
アレン・ローゼンバーグの関係者
→ イラスト

 ふわふわと雪の降る日だった。雪の降り方は穏やかで、落ちてくるというよりは舞い降りてくるといった印象の方が近い。立ち止まって手を伸ばし、その一つを受け止めれば、じわりと溶けて消えてしまう。結晶が見られるかどうか試してみたかったのに、なんて考えが浮かぶも、虫眼鏡や顕微鏡を使わないと細かく見られなかったと思い出して、外していた手袋を着けなおした。
 この雪を表現するなら、そう、花びら。桜の木から花びらが静かに落ちてくるような、そんな様子が近い。でも満開の桜から降り注ぐそれは量が多いから、まだ咲いて間もない頃の方が近いか。見た風景は全てリリアに伝えるのだ。アレンが見たものをそのまま伝えるためには、表現は工夫しなければならない。ああ、だけど、彼女に桜が理解できるのだろうか。リリアは全く外に出たことがないわけではないが、外に出た回数も少なければ、最後に外に連れ出した時だって随分前になる。アレンが知っているものを、彼女が知っているとは限らない。桜は一緒に見たことがあるように思うけれど、彼女がそれをきちんと覚えているかは分からなかった。

 他の伝え方を考えておこう。そう思ってアレンは再び歩き出す。歩くたびに衣服で隠れていない部分に冷たい風が当たり、肩を縮めたくなる。だけど今日はリリアに誕生日に貰ったマフラーを身に着けている。それが似合うように、堂々と歩いていたかった。
 温かいところに行きたいと思うけれど、雪の降る日には太陽は見えない。途中で行く店で得られるのは暖炉やら機械やらで作る人工の温もりだ。それでも十分身体は温まるのだけれど、アレンが求めているものはそれではない。作り物の温もりでは心は満たされない。太陽の優しい陽射しか、そうでなければ人肌の温もりが良い。それ以外に満たされるものを、アレンは知らない。

 喫茶店に入りたい気持ちもあったが、それよりも早く買い物を済ませて帰りたかった。一人で食事をしても面白くはない。温かいものを食べると身体がぽかぽかするのよ、とリリアはこの頃よく言うが、今はそんな気分ではなかった。
 人でごった返した商店街を歩き、目当ての靴屋に入ると、店員が待ち構えていたように寄ってきた。自分の買い物であれば面倒だと思うが、今日は自分の買い物ではない。店員と話して悩みながら決めたという事実があった方が、体裁が良いような気もする。だから人形のようと評されている顔に笑みを浮かべて、「恋人へのプレゼントを探していて」と言った。


 シャイネンナハトはどう過ごそうか。当日まで数週間を切った時、リリアに問いかけた。リリアは真っ先にクリスマスツリーの飾り付けを思い出したようで、今年の飾り付けは何が良いか尋ねてきた。
 シャイネンナハトというイベントを楽しみにしているのは、アレンではなくリリアだ。アレンはリリアが楽しそうしているから楽しい日なのだと認識しているし、贈り物の口実に丁度良いとしか思っていなかった。だけどリリアの浮かれた様子に次第につられて、プレゼントを買いに行く頃にはそれなりにわくわくしているのだった。

『飾り付けは姉さんの好きにしてほしいな。欲しい飾り付けがあれば買ってくるよ』
『ほんとう? それじゃあ、決めたら言うわね』

 当日のお料理は何がいいかしら。ハンバーグ? ステーキ? パスタ? ねえ、アレン。何がいい?
 はしゃぐリリアに相槌を打ち、メニューの候補を絞ってから、プレゼントは何がいいのか尋ねる。いつも「アレンがくれるのなら何でも」と答えるから、今年もそのつもりでリリアの返事を待っていた。
 プレゼントを尋ねるのは、彼女の意思を尊重しているというポーズだ。本音を言うなら、自分が好む服装やアクセサリーばかりを彼女に与えたいし、毎日それで彼女を飾り立てたい。リリアの服装に対する頓着が少ないから何となくその欲は叶えられているが、押し付けにならないようにしないと、可愛い弟ではいられなくなる。だからプレゼントの中身を秘密にするようなタイミングでも、何が欲しいのかは尋ねるようにしているのだった。

 特に決めていないのなら、ジュエリーはどうかな。そう言おうとした時、リリアが静かに口を開いた。

『靴が欲しいの』

 ずっと前から決めていたような、真っすぐな答えだった。悩んでもいなかった。驚いているアレンに気が付いた彼女は小首を傾げて、だめかしら、と問う。

『だ、だめじゃないよ』
『靴って、もしかして私が思っているより高いの?』
『ううん。ものによるけれど、ジュエリーほどはしないよ』

 姉さんの足の大きさはいくつだっけ。覚えていることをわざわざ聞いてしまうのは、当てつけだろうか。どうして靴なのかと聞いてしまうのは、意地悪だろうか。

『踵がすり減ってしまったの。そろそろ壊れてしまうかも』
『姉さん、もしかして歩き方が悪い?』
『そんなことないわよ』

 ぷうぷう頬を膨らませて拗ねているリリアが可愛らしくて、つい、承諾してしまった。だけどなぜ彼女が敢えてプレゼントに靴を欲しがったのか、その意味を考えて、眠れなくなった。


「お客様、眠そうですね」

 店員の一言に、ゆるりと笑みを作る。聞いていなかったわけではないが、少しだけぼんやりしていた。

「ああ、ごめんね。ちょっと寝不足で」

 店員はアレンの目の下の隈に気が付いたらしく、「目の周りを温めると良いですよ」と微笑んだ。それで治る隈ならとっくに消えているのだが、それを口に出すのは憚られる。適当な返事をして本題に入った。

「僕は女性の靴はよく分からなくて。どんなものが良いんだろう」

 用途や合わせたい服装、普段どんな靴を履いているか等、一通り話し終えてから、店員はアレンが話す「恋人」に合いそうな靴を探したり、一番人気の靴や流行りを教えてくれたりした。

 素知らぬ相手が、リリアのことを恋人だと思ってくれるのは気分が良かった。「恋人」が姉であると伝えさえしなければ、相手は架空の恋人に想いを馳せて、アレンのために一生懸命になってくれる。それはリリアが本当に恋人になったような気分になれるから、リリアの嫌う嘘だと知っていてもやめられなかった。

 店に置いてある靴を何週も見て回って、やがて黒色の皮に銀色で薔薇が描かれているパンプスに決めた。今リリアが持っている靴に似てはいるが、彼女の服装に合わせることを考えると、デザインを大きく変えない方がいいのではないかと思ったのだ。

「包装もお願いできるかな?」

 会計も商品の受け取りも済んだ後、「喜んでもらえると良いですね」と言って店員はアレンを送り出してくれた。ラッピングは青色の袋に赤色の薔薇が飾られているもので、希望通りの出来だった。

 ジュエリーショップに寄って数か月前に注文していたオーダーメイドジュエリーを受け取り、それからケーキ屋でシュトーレンを買って家に帰る。肩についた雪をそのままにしておけば、きっとリリアが払ってくれるだろうから、雪が降り注いでも肩に手を伸ばすことはしなかった。

「ただいま、姉さん」
「おかえりなさい。まあ、シャイネンナハトのプレゼントね」
「だーめ。当日のお楽しみ、だよ」

 アレンについた雪を払いながら、リリアは外の様子を尋ねてきた。「雪は綺麗だった?」と首を傾げる彼女に見たものを、歩きながら考えた例えを使って、一つずつ説明していく。
 結局、リリアに桜の例えは伝わらなかった。


 当日は昼間に友人と遊んで、夕方に帰路についた。
 友人と遊ぶのは、いつの間にか楽しくなっていた。かつては友人と呼べる人もいなくて、いても離れられてしまうのに、気が付けば自分の周りにはイレギュラーズがいた。彼らとの繋がりを親密な間柄と言って良いのかは、交友関係に乏しいアレンには分からない。だけど、切っても切れぬ縁なのだろうとは、何となく想像がつく。実際、海に遊びに行った時もキャンプに行ったときも時間はあっという間だったし、戦闘のときに背中を預け合うこともできている。友人と言って差し支えない関係であるのは間違えないだろう。

 家に帰ればリリアは「楽しかった?」と笑いかけてくれるだろう。そう思いながら友人たちに手を振り、橙色の空の下を歩く。家のドアを開けると、待ち構えていたようにリリアが顔を覗かせた。

「あと少しでお料理が出来るから、手を洗って待ってて」

 リリアは時折、お姉さんらしく振る舞おうとして背伸びをする。歳も変わらなければ、アレンの方がたくさんの物事を知っているのに、リリアはお姉さんの自分が弟の面倒を見てあげなければいけないと思っているようだった。
 もう家から出なくなって何年も経つのに、リリアはアレンの庇護下に置かれている自覚を持たない。いつまでもいつまでも、アレンを守っているのは自分だと思っている。鳥籠に飼われた小鳥が、籠の外にいる主人を前にして己の自由さを語らっているようなものだ。その無邪気さは可愛らしいものではあるけれど、時折、胸の奥に黒い靄がかかる。

「ん。それなら飲み物入れて待ってるね。ワインと炭酸どっちがいい?」
「炭酸がいいかな。ピーチ味の、確かあったわよね」
「あるある」

 とっておきのグラスを取り出して、桃味の炭酸ジュースとワインを入れる。リリアと同じ飲み物にしたい気持ちがあったのに自分の分をワインにしたのは、酔えば苛立ちや悲しみ、それから虚しさの混ざったようなこの靄を忘れられるような気がしたからだ。

 キッチンの片づけを手伝おうと思ったが、料理の最中にしては随分と片付いていた。リリアが真剣にパスタソースを作っているのを眺めて、それから大人しくソファに座った。
 机に並んでいたのは煮込みハンバーグにポトフ、色とりどりの野菜が入ったサラダ。どれもアレンとリリアが子どもの頃好きだったメニューだ。今好きな料理はアレンもリリアも違うのに、クリスマスや誕生日などのお祝い事の時には、子どもの心に戻ったようなメニューを選んでしまう。レパートリーだってハンバーグがチキンソテーやグラタンに変わるかどうかで、大人の自分たちが好きなメニューにはならない。尤も、出来上がった習慣を変える気もないのだが。

「お待たせ」

 ボロネーゼが机に運ばれてきて、料理が揃った。シャイネンナハトのためのお決まりの言葉を呟いて、グラスを軽くぶつけ合った。

「美味しい」
「そうでしょう。心を籠めて作ったもの」
「うん。姉さんの料理はいつも美味しいけど、今日は特別だね」

 リリアは鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌にハンバーグを切った。中からチーズが溢れる。今年は随分凝ったものを作ったようだ。
 もっと褒めて欲しいとばかりにリリアが目を輝かせているから、アレンは料理を一品、一口食べるごとに何がどう美味しいかを伝えていった。料理のためにかかった手間と労力を労うことも忘れない。しばらくしてリリアは満足したらしく、友人とどこに遊びにいったのか尋ねてきた。

 どこに行った、と言ってもリリアには伝わらない。その場所が何なのかは一から説明しないと分かってもらえないことがほとんどだし、リリアの中で鮮明になるはずのないイメージには大した憧れも持てないらしい。楽しそうで良かったわ、と彼女は言うけれど、自分も行ってみたいとはほとんど言ったことがない。アレンの話を楽しそうに聴くくせに、リリアはアレンを羨ましがることはほとんどないから、それが不思議でならなかった。リリアだってかつては外に出ていたのだ。その時の自由や鮮やかな風景の全てを忘れたわけではないだろうに。

「アレンが楽しそうだと、お姉ちゃんは嬉しいわ。お友達がたくさんできて良かったわね」

 リリアの言葉に妬みはなかった。言葉通りに喜んでいるのだろう。しかし彼女の関心は外での出来事でなく料理なのだろうと、何となく思った。

 どうして妬んでくれないんだろう。ふとそんな想いが湧き上がってきた。だって、おかしいよね。家から出られない姉さんにとっては、僕が羨ましいはずでしょ。
 自覚のなかった気持ちだった。今まではリリアが外の世界を羨んでいると思っていたから、リリアの反応の一つひとつに満足していたのだろう。だから、気が付かなかった。理解してしまえば背筋が冷えていくようで、腑に落ちるようで、動揺を誤魔化すようにパスタを口に運ぶ。味が、分からない。

 リリアに家に籠るように頼み込んだのはアレンだ。リリアを守るため、なんていうのはただの言い訳で、本当はリリアがアレン以外の人と仲良くなって、その人のことを好きになってしまうのが怖かったのだ。その自覚は、わずかにとはいえあった。だけど自分で思っている以上にリリアを閉じ込めていることに満足していることには、今気が付いた。彼女を狭い籠に入れているという事実を確かめられるような出来事に触れることが、自分を満たすための数少ない手段になっていたなんて、知りたくもなかった。リリアのためでないことは分かっていたはずだけれど、そこに棲みついた自分の欲の際限の無さに、ぞっとする。

「どうしたの? お肉焼けてなかったかしら」
「ううん、そうじゃないよ。焼き加減は完璧」

 気にしないで。そう笑えばリリアは怪訝そうな表情を浮かべこそしたが、大人しく頷いてくれた。
 どうにか他愛のない話を続けて、料理を食べきる。味や食感をうっすらとしか感じられないままケーキを食べ始めることになり、アレンは隠していたプレゼントを取り出すために立ち上がった。

 大丈夫だと、自分に言い聞かせる。プレゼントは落ち着いて渡せるはずだと、何度も口の中で呟いた。

 リリアが用意したチョコレートケーキと、ハーバリウムが入れられているであろうプレゼント。アレンが用意した靴。それらが机に並べられて、アレンはそっと息を吐く。楽しそうできらきらした表情を意識しているが、心の内にそんなものは一つもなかった。対して心から楽しそうで、少しだけ彼女が恨めしくなった。

「私からのプレゼントは――」

 リリアが絵本に出てくる奇術師の真似をしている。いつもなら子供らしくて可愛らしいと思うのに、今は、素直にそう思えなかった。

「ハーバリウムでした」

 知ってる、だって材料は僕が買ってきたから。喉までせり上がった言葉を飲み込んで、ありがとうと微笑む。せっかくのシャイネンナハトで、せっかくのプレゼントなのだ。内に秘めたものがひどく醜くても、まだ、可愛い弟でいたかった。

「僕からのプレゼントは、姉さんのご要望通りさ。お気に召してくれるかな?」

 リリアが袋を開けるのを、じっと見つめてしまう。
 一度に靴もジュエリーもあげてしまうとさすがに多すぎるから、今は靴だけだ。ジュエリーは明日にでも渡すつもりだった。だけど、やっぱりジュエリーを今日あげたかったなと今更思った。

「まあ、素敵」

 リリアの目がきらきらと輝いて、心に沈んでいた黒いものが、少しだけ払われたような気がした。リリアが喜ぶことをしてあげるのが自分の望みなのだと、そう思いたかった。

「素敵な靴だわ。アレンってばセンスも良いのね」
「姉さんのために選んだからね」

 履かせてあげようか。なんて冗談を口にすると、リリアはそれを真に受けたらしかった。じゃあお願いなんて言って、片足を宙に浮かせる。本当に良いのか、とか、本気にしなくて良かったのに、とか、言いたいことがたくさん浮かんできたけれど、この行為がリリアから与えられる信頼のような気がして、アレンは頷いていた。

 リリアの履いている靴の紐をほどいて、そっと床に置く。新しい靴を履かせて、紐を結んで。時折触れた足に何だか妙に心が昂って、それに気が付かないふりをして、もう片方も履き替えさせた。

「似合っているかしら」
「似合っているよ、勿論」

 新しい靴は古い靴にはない艶があって、リリアはそれを照明に当てて楽しんでいるようだった。アレンの選んだ靴はリリアの可憐さを引き立てていて、ほっとする。

 片付けるために持ち上げた古い靴は、リリアが言うほどすり減っていなかった。まだ十分使えるのではないだろうか。
 どうしてリリアは靴を欲しがったのだろう。外にそこまでの興味もないのなら、家の中を歩ける靴があれば十分だろうに。よりによって、なぜ靴なのだ。外に出る為に必要な道具を、なぜ選んだのだ。考えれば考えるほど分からなくて、でも靴を前にきゃあきゃあ騒いでいる彼女を前に態度に出すこともできなくて、アレンはただ微笑んでいた。

 自分の微笑みはきっと、ひどく歪んでいるのだろうと思った。


PAGETOPPAGEBOTTOM