PandoraPartyProject

SS詳細

亡き君のための円舞曲

登場人物一覧

アレン・ローゼンバーグ(p3p010096)
茨の棘
アレン・ローゼンバーグの関係者
→ イラスト

 ヴァイオリンとピアノ、二つの音色が巧みに絡み合い、優雅な円舞曲を奏でている。
 とある夜、大広間では絢爛たる舞踏会が催されていた。ある者は手を取り合って舞踏に興じ、ある者はテーブルに並べられた晩餐と共に歓談を楽しむ。誰が、何のために、開いたのか。知り得る者は誰もいなかった。誰にとってもどうでもいいことだったから。
 それはアレンにとっても同様であった。大広間に響く旋律に耳を楽しませながら、葡萄酒で満ちたグラスを傾ける。
「アレン様!」
 ゆったり飲食を楽しむ時間のつもりだったが、突如としてドレスを纏った女性が駆け寄ってきた。アレンはすぐさま微笑を浮かべた。愛想良く、人好きのする笑顔を。
「やあ。何か用かい?」
 女はもじもじと手を擦る。そうして、至って当たり障りのない歓談を交わした後、女は意を決したように口を開いた。
「もしも、一緒に踊る方がいないのであれば、わたくしと踊ってはくれませんこと?」
 差し出された手を、アレンは静かに見下ろした。
「ごめんね。今は少し体調が悪いんだ」
「そうなのですか? お大事になさってくださいね」
「うん。……ありがとね」
 肩を落として去っていく女を、感情の窺えない瞳で見送ってから、アレンは再び葡萄酒に口を付けた。
 舞踏会の雰囲気は嫌いではないが、好きだとも言い難かった。少なくとも、自分の家で過ごす時間と比べたら億劫なことも多い。
 彼は安息を求めるように周囲に視線を遣る。そしてある一人に目を留めた。宝石を散りばめたドレスに、いかにも上質な布を使ったタキシード、贅を尽くした衣装に取り囲まれていても、その女性は一際輝いて見えた。
 アレンは静かに歩み寄る。赤薔薇の髪飾りを挿した、白銀の長髪。自分とよく似た黒のドレス。見間違えるはずもない後ろ姿。名前を呼ぶと、彼女はくるりと振り返ってみせた。
「おかえりなさい、アレン」
 リリアは滑らかにいつもの挨拶を紡いだ後、「あ」と口を手で覆った。頬を薄桃に染め、言い間違えに照れる彼女を見て、アレンはくすりと笑った。
「ただいま、姉さん。どう? 姉さんは舞踏会、楽しんでる?」
「ええ! 新鮮なものばかりで……うーん、でも」
「でも?」
「少し、眠いかも」
 ふわぁ、とリリアは小さく欠伸をした。
 彼女は毎日好きな時間に寝起きしてもいい立場ではあるが、かといって頻繁に夜更かしをするほど、自堕落な気質でもない。夜中の催しに疲労を感じるのも自然な話だ。
 アレンは懐中時計を取り出す。真夜中十二時を回りつつある舞踏会は、未だ音楽の鳴り止む気配を感じさせない。辛いようなら途中で抜け出してしまおうかと、口を開きかけたその時だった。
「リリア様」
 見たことのない男がリリアに声を掛ける。アレンが表情を強張らせるのに対し、リリアは無邪気に首を傾げた。
 舞踏会で二人連れの男女に割り込むなんて無粋なものだけれど、アレンにはそんな無礼な真似をされた理由が何となく察せられた。特徴的な、鏡写しのオッド・アイ。見るからに血縁関係であるから、姉と弟だから、ダンスパートナーだと思われなかったのだ。
「あら、ご用かしら?」
「共にワルツを踊りましょう」
 彼女は差し出された手を取るだろうという考えが、アレンの頭に即座に浮かんだ。自分とは違って、リリアは心優しくて、愛を分け与えられる人間なのだ。彼女が甘い微笑みと共に誘いを快諾する光景が、鮮明に視えた。
 瞬間、酷い頭痛が走る。決定的な違和感が彼を襲った。視界が、目の前の世界がひび割れる感覚に陥る。
 そして、ある答えがアレンの頭の中で叫びを上げた。

 ――こんな世界、間違っている。

 がたん。
 扉が閉まる音に似ていた。
 シャンデリアの灯火が消える。音楽が止む。あれだけ居たはずの人々も、美しい調度品の数々も、瞬きの一瞬に消え去った。
 二人を除く何もかもが消え去って、大広間は伽藍堂になった。ただ、窓から差し込む清廉な月の光だけが、彼と彼女の間に舞い落ちている。
 リリアは絵画の中で時を描き止められた少女のように、変わらぬ微笑を浮かべ、佇んでいる。アレンは漸く平穏を得られた気がした。彼女を取り巻く世界の正しい形を手に入れられたのだ。
 もう誰にも邪魔されない。リリアの双瞳は一人だけを見つめている――。
 アレンは静かに、恭しく、手を伸ばした。
「姉さん。一緒に踊ってくれるかい」
 返す声は無かったが、アレンには答えが分かっていた。お互いに一歩歩み寄り、指先と指先を絡め合った。
 蒼白い月明かりの下、どちらからともなく舞踏を始める。伴奏は要らない。舞踏会にふさわしい、優雅なワルツを。
 時には雄大に、時には繊細に、二人はステップを踏む。踊り慣れていないリリアの足取りは少々ぎこちなかった。けれど、その度にアレンがフォローを入れたから、外面的には二人のステップは完璧に息が合っていた。
 勢い付いてリリアはくるくると回り、アレンはその終わりに抱き留めるように腰を支えた。
「アレン」
 ふと、リリアが囁く。くすくすと、嫋やかに笑って、漏れる吐息が彼の首筋に掛かった。
「楽しいね。ダンスがこんなに楽しいだなんて、私、知らなかった」
「うん。僕も、姉さんと同じ気持ちだよ」
 リリアはそっと彼の顔を見上げた。お互いの唇が触れ合いそうな距離。
「この時間が永遠に続けばいいのに」
 姉さんがそう願うのならば、いつまでも。
 そう、いつまでも。彼女のための願いに嘘はない。嘘になんて、させない。
 舞踏は続く。時間を重ねて、徐々に上手くなっていくリリアにアレンは嬉しくなった。
 何度もステップを踏み、何度も笑みを交わし合って、気が遠くなるほどの時間が過ぎていった。
 やがて、ひと時の魔法が解けていくかのように、リリアの躰は崩れ落ちていく。
 腐った肉は、しかし地に落ちる前に、美しき花弁へと姿を変えた。無数の赤薔薇の花びらは、二人を祝福するかのように薄明かりの宙を舞い、磨き上げられたホールの床にはらりと落ちる。赤き花弁の雨の内に、蒼薔薇が混じっているのを捉えて、アレンは無意識に笑みを浮かべた。
 くるりと廻る度に血肉が削がれ、花が散り、白い骨が晒されてゆく。最期の花びらが床に落ちたときには、無垢を残した可憐な顔立ちも、幾度と彼に向けた晴れやかな笑顔も、まるで変わり果ててしまった。元が誰とも分からぬ骨が、ただ彼女のドレスを身に纏っているだけのようにも見えた。だけれど、アレンの内の熱が曇ることはない。仮初の肉体なんて、最初から本質ではない。芽生えた恋情の前には些細なことだった。
 ――綺麗だよ、姉さん。この世界の、何よりも。誰よりも。
 そっと微笑んだアレンの眦は、この上ない愛情に満ちていた。骸骨の表情は揺るがない。
 硬い骨の手を強く握る。自分が手を取ってリードしなければ、まともに動けないことすら愛おしくて。このまま抱き締めたい衝動にさえ駆られた。彼女の躰を抱き締めて、そのまま口付けを交わせたら、どんなに幸せなのだろうか?
 だけれど、彼女が踊りを続けたいと望むならと、彼は自分を抑える。
 それでも不思議と胸に充足が満ちていたのは、きっともう――世界が二人だけのものだったからだ。紛れもない『君』と踊る、それだけの世界。

 暁を告げる鶏の声は、永遠に響かず。
 花に取り囲まれた舞台の真ん中で、たった二人の舞踏会は続く。
 ずっと、ずっと――。


おまけSS『目醒め』

 アレンはゆっくりと瞼を開いた。カーテンから、白き朝の光が薄らと透けている。

 夢を、見ていた。

 永い永い夢だった気もするし、刹那の幸せを抱擁するような、儚い幻想を見ていた気もする。何も思い出せないけれど、清々しい気分での目覚めだった。
 夢の残滓を追いかける最中、終わりを告げるような冬の寒気が、彼を僅かに身震いさせた。思い出せない夢について考え込んでいても仕方がない。僅かに残った幸福感を大切に心の奥に仕舞い込んで、アレンは身を起こした。
 さあ、姉さんと朝ごはんを食べよう。またいつも通りの日常が始まるはずだ。何も変わらない、変えられないはずの日常が、今日も――。

PAGETOPPAGEBOTTOM