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君よ、悲しむことなかれ
登場人物一覧
足が重い。まるで鉛のようだ。
どれだけ走り続けただろう。
レガシーゼロは食事を必要としない。睡眠を必要としない。
けれど疲労しないわけではないのだ。
呼吸が荒くなって上手く酸素が取り込めない。
「――アリカさん! 追い付かれますよ!」
アリカより先を進むカボチャの飛行物体は、つい最近知り合ったププという名のイレギュラーズの後輩だ。
目と鼻と口をくり抜かれただけのカボチャだというのに飛行能力を有し、しかも移動速度はアリカより速い。
それなのに全速力で逃げないのは仲間を見捨てられない彼の性格ゆえだろうか。
――簡単な依頼のはずだった。
ちょっとしたお使い程度の、山に薬草を取りに行くというだけの、簡単な依頼のはずだった。
それがまさか、食料を求めて何処からかやって来た大型のモンスターに出くわすだなんて。
巨体の割に俊敏なモンスターは熊に似ていて、その丈夫な四足でどこまでも追い掛けて来る。
ある程度逃げれば向こうも諦めるだろうだなんて考えが浅はかだった。
冬の山に食糧は少ない。草の根や木の実を探すより、生き物を仕留めたほうが効率が良いに決まっている。
「あたしは機械体だから食べても美味しくないと思うのです!」
そんなアリカの悲痛な叫びが通じるはずもなく。
むしろププのほうがよっぽど食料に見えるはずなのだが、ププもププで「ペポカボチャは食用ではありません!」と言い張る。
走って走って走り続けて。疲弊した足は動きが鈍り、段々とモンスターとの距離が縮まってきた。
どこまで逃げたらいいだろう。
我武者羅に走って来たものだから、きっと帰りのルートからは大きく外れている。
よしんば村へ戻れたとしても、そこにいるのは戦う力のない村人たちだ。巻き込むわけにはいかない。
――――ならば、取るべき行動は。
アリカは意を決すると、足が縺れて転ばぬよう慣性のまま砂利の混じる道を靴底で滑らせ、くるりと向きを変えた。
離れた場所からププの声が聞こえる。そうだ、それでいい。
自分はイレギュラーズとしては駆け出しで、まだまだ未熟者で、分からないことも多いけれど。
(後輩の前で、かっこわるいところばかり見せるわけにはいかないのです!)
荒い呼吸を無理矢理に鎮め、両手を突き出し、精神を研ぎ澄ませる。
全身を巡る魔力を一点に集中させて、ゆっくりと狙いを定める。
大丈夫。いつものことだ。いつもやってきたことだ。
距離を詰めて飛び掛かって来たモンスターと視線がかち合う。
どんなに怖くても、視線は絶対に逸らさない。
ププが遠くで自分の名を呼ぶ。
すぅ、と大きく息を吸った。
大丈夫。いつものことだ。
そうしてアリカは、お決まりの掛け声を吐き出した。
「えいやーーーー!!」
小さな両手から放たれた魔力の砲撃はモンスターの顔面に命中し、喉を、胸を、腹を、一直線に貫通して更にその向こうの木々に傷跡を付けていく。
たまらず悲鳴を上げたモンスターがその場に倒れ込み、前足で顔を覆いながら地面をごろごろと転げ回った。
強烈な魔力の光を直に浴びて、一時的に視力を失っているらしい。
この好機を逃してはいけない、と、アリカは右腕を振り上げ、地を蹴った。
どこで学んだか鉄帝式魔術。己の筋力をどういう理屈か魔力に変換。力こそパワー。
「……ってーーい!!」
無防備に晒されたモンスターの腹を目掛けて、鋼鉄のように硬くなった拳を渾身の力で振り下ろす。
その拳はモンスターの骨を砕き、内臓を潰し、それでもなお足らずに地盤を割って小さなクレーターを生み出した。
凄まじい地響きの音。そして訪れる静寂。およそ一分にも満たない間に、モンスターは絶命していた。
アリカはぴくりとも動かなくなったモンスターをしばらく見つめていたが、緊張の糸が切れたのかへなへなとその場に尻もちをつく。
「……ご、ご無事でございますか!」
大慌てで戻って来たププがアリカの目線まで降下して心配そうに声を掛けた。
呼び掛けは耳に入っていたが、アリカは目の前の光景から未だに目を逸らすことが出来ず、ただ呆然としている。
いつの間に自分はこんなに強くなっていたのだろうという驚き。
ここまでするつもりではなかったという想定外の結果への後悔。
それらが同時に胸中を支配して、なんと言葉にしていいのか分からなかった。
ププはアリカが口を開くのを静かに待った。
彼女との付き合いはけして長くはないが、彼女の人柄や性格を考え、思案し、今の彼女に必要であろう言葉を必死に探す。
「……お墓、作りましょうか」
その言葉にアリカはようやくププの方を見て、静かに首を縦に振った。
――――
――
穴を掘って死体を埋め、詰んだ花を置いただけの簡素な墓だった。
ププは文字通り手も足もないので、作業は全てアリカが行った。
アリカは文句のひとつも口にせず、終始無言のままだった。
「……怖かったでしょう」
ププの問いに、アリカは小さく頷く。
「村の脅威がひとつ消えたと思えば、貴女のしたことは間違いではありませんよ」
本当にそうだろうか。
命のやりとりをしたのはこれが初めてではない。
彼女もイレギュラーズの使命は理解している。
悪さをするモンスターを退治したこともある。
生物と呼称してよいのか分からない生命体を倒したこともある。
魔に堕ちた存在を撃退したことだって――――。
けれどそれらは大義名分があってのことだ。
正当防衛だといえば聞こえは良いが、はたして自分の行いは、本当に間違いではなかったと胸を張って言えるだろうか。
「……ププさん、あたし、強くならなきゃってずっと思ってたんです」
やっと口を開いたアリカの声は、少し震えていた。
「先輩たちに追い付かなきゃって、必死で、強くならなきゃって。でも……」
目の前の墓を見つめながら、彼女はこの日、
「あたし、強くなって何がしたかったんでしょうか……」
手伝いたい、守りたい、助けたい、救いたい、そんな気持ちの先に――避けられぬ命のやりとりがある。
死ぬのは怖い。自分が死ぬのも、誰かが死ぬのも。
けれどそのために他の誰かを殺さなければならないなら……。
世界は、なんて残酷なんだろう。
「……戦わずに、……いえ、戦っても、相手を助ける方法って、ないのでしょうか……」
少女の抱える問い掛けの答えをププは持たない。
本人の意思とは無関係に選ばれて戦うことを余儀なくされる。それはとんでもない世界の機構だとププは思っていた。
神託の少女はただ空中庭園でイレギュラーズを出迎えるだけだ。
ならばその上にいるのは、神か、世界の意思か、抑止力か、なんにせよ身勝手なシステムだとププは思う。
こんな純真な少女にさえ、殺すか殺されるかの選択肢を迫らねばならないのだから。
「…………アリカさん」
「はい?」
「先程の勇敢な姿は、とても素敵でございましたよ」
「は、はわわ……」
「これからもよろしくお願い致しますね、先輩」
「はわぁ……て、照れてしまうのです……」
ここで彼女を諭すことも、ププにはきっと出来ただろう。
けれど答えはきっと、彼女自身が自分で見出さなければならない。
激化していく戦いの果てに、どうか彼女が純真のままで在りますように。
理由もなく、ププはそう願ってしまうのだった。