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ツルギとハムレスの話~バイバイネガティブ~
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- 九重ツルギの関係者
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濃いコーヒーを飲みすぎて、胃が荒れている。
本体のストレスがこっちにまで来たかと、ツルギは腹のあたりをさすった。ソファに転がったままエアコンの風を浴びていると、肌が乾燥してきたような気がしてなんとはなしに居心地が悪い。宙に浮かんだパネルを操作し、ひまつぶしのゲームをする。
「あ、死んだ」
画面に浮かぶゲームオーバーの文字。ツルギはそのままパネルごとゲームを消し去った。
隣の部屋からは、相変わらず家主と取引先の電話が続いている。なにか行き違いがあったらしい。不毛な責任のなすりつけあいになってきた頃、ぷつんと音が途絶えた。
「ん? 来てたのか、ツルギ」
ようやく姿を表した家主ことハムレスは、ソファに寝転がったままのツルギの隣へぼすんと腰を下ろした。成人男子二人が並んで座るには、さすがにソファは小さい。それでも動かないツルギへ目をやり、ハムレスは問うた。
「なにがあった?」
「何も」
「嘘つきは泥棒の始まりと言うぞー?」
ツルギは答えなかった。だるい。一言で言えばそうなる。
「あなたに話すほどのことでもありませんよ」
「そうか」
「ええ」
帰れ、と言われると思った。いつもの流れならそうなる。だがハムレスはふいと立ち上がると、ミルクパンで牛乳を温めだした。
「何をしてるんですか?」
「いいから黙っていろ病人」
カチンときて言い返そうとしたけれど、甘い香りをかいでいるうちにその気力もなくなった。
「はあ~……」
ツルギは毛布へ顔を埋めた。たしかに自分は病人なのかも知れない。このところ色々ありすぎた。あんまりありすぎて、すこし疲れた。心が風邪をひいている。
まるで緻密な実験でもしているかのように、ハムレスは黙々としゃもじを動かしている。ときおり聞こえるあれはきっと、砂糖を少し、加える音。ふわりと香りが広がった。ああ、これは、バニラエッセンスだ。ずいぶん丁寧に作っているじゃないか。自分で飲む時はパックから直のくせに。そもそもこいつは料理ができたのだな、などということに少しばかり驚く。
「飲め」
ハムレスが戻ってきた。白く分厚いマグカップを手に取ると、きちんと温められたものだと伝わってきた。
「おいしい」
「そうか」
ハムレスがむかいの椅子に腰を落ち着けた。ツルギはゆっくりとホットミルクを味わう。香り高い、甘い、栄養とカロリーと、心配されているというくすぐったいような不器用な気遣いの味だ。
「あなたもずいぶんと丸くなったものですね」
「そうだな。まあ、おまえと話すのも、たぶんこれが最後だろうから」
「えっ」
「遠くへ行くことにした」
「研究は?」
「ご破産だな」
「あなた、研究に命かけてるんじゃなかったんですか?」
「かけているさ。だからここではもう続けられない」
なら他所へ行くしかないだろう。あるいはこのまま廃業か。どちらでもかまわんさ、私は。コンビニで買ったらしきハムサンドを口の中へ放り込むハムレスは、明日の天気の話でもしているようだった。
「それで、おまえはどうなんだ」
「ん?」
「雨に濡れた子犬みたいなツラをして、似合わないったらありゃしない。おとなしく吐け」
急に話を振られたので、ツルギは言い淀んだ。かつての敵相手に、どこまで話せばいいのやら。けれどもしかし、かつての敵だからこそ、話せることもあるかも知れない。
「最近は……」
「うむ」
「なんだかこう、うまく、いかなくて」
「ふぅん」
興味がない、わけではない、という絶妙な温度で相槌をうたれるうちに、するすると言葉がまろびでてきた。
「サクという遂行者と縁ができてな」
「ふむ」
「芋づる式にロードやトカニエとも縁ができた」
「そうか」
「いま、そんな彼らと戦っている。ままならない」
「ふぅん、で?」
「で? とは?」
「他にもあるんだろう?」
乞われるまま、ツルギは話した。親友と信じていた道雪こそが、イーゼーラー教幹部ハーミットであったこと。そして、恋人の仇であったこと。しかして、手を下すどころか、友人でいてほしいと願ってしまったこと。いまの大切な人が、師兄と決着をつけたこと。血の滲む思いをしながら、それを見守ったこと。マサムネ・フィッツバルディの友として、精一杯立ち回ったこと。なにより。
「父の、久秀の泣き顔が忘れられない。対決からしばらく経つが、あの最後の泣き顔が眼窩にこびりついて離れない。今まで俺は、ローレットの仲間の身内が魔種として対峙する時、向き合えるようにと協力してきた。なのに……」
ツルギは目元を覆った。
「なのに! いざ俺の番になってみろ。決意を固めたはずが、動揺して何もできぬまま見逃してしまった……!」
マグカップを握りつぶさんばかりにつかみ、ツルギは喉の奥から何かを吐き出さんばかりに短い呼気を吐いた。そっとかさついた手がマグカップを握る手へ乗せられた。はっと顔をあげると、目と鼻の先にハムレスの指があった。
ばちん!
「っだあああ! なんだ、急に! デコピンなんてしやがって!」
「ふっふっふ、くくっ」
「笑うな!」
「笑うわ」
ハムレスは笑いをおさめると、ツルギを見やった。
「おまえのことはだいたいわかっているつもりだ。悩んでばっかり人生を。そのくせ朝日を浴びたら、急にどうでもよくなるもんさ。だから夜が明けるまではそばにいてやる」
「なんだその三文ホストみたいな台詞は」
「調子が戻ってきたようだな。いいことだ」
「猫背! クソダサTシャツ! 研究馬鹿!」
「そうそうその調子だ。いいぞいいぞ」
「なにがいいぞいいぞだ、ぶっとばすぞ!」
「そいつはごめんだかんべんだ」
おどけた様子で両手を上げたハムレスは、やがて手をおろして顎をつまんだ。
「居直ればいいじゃないか。俺は情に流されやすい性質ですと。これまでもそうだったし、これからもそうだと。いいじゃないか、それで。何もかもを欲しがる貪欲さで、そのまま突っ走ってみろ。きっといい景色が見えるさ。もしも失敗してしまったら、私が笑ってやる」
「そこはせめて励ますとか元気づけるとかだな」
「よ~しよしよしかわいいでちゅね~~~ツルギたんはがんばりまちたね~~~、とでも? え? え?」
「喧嘩売っとんのか!?」
そこまでいってようやく、ツルギは、自分の口調が『本来』になってしまっていることに気づいた。前髪をかきあげ、あわてて取り繕ってみる。どうしようもないほどカッコつけて理想の自分を演じてきたはずが、なんてこった、尻尾出しちまった。ハムレスは腹を抱えて笑っている。
「本当にいまさらすぎるし、本当にいままで何してきたんだ? 格好悪くてなんぼだろう? 本気出してなんぼだろう? おまえはいま岐路に立っているからしんどいのはわかる。けれど同じくらい今まで積み重ねてきたものもあるはずだろう?」
「ご指摘、誠にごもっともでございますが、非常に腹たちますね、あなたに言われると」
「はいはいはい、これでも飲め」
残ったホットミルクへ、ブランデーをどぱどぱ。
「せっかくの香りが台無しじゃないですか、まったくこんな大雑把な性格でよくも研究なんかやれてますね」
「酔えりゃいいんだ酔えりゃ。それともあれか? 今度はココアを所望か? バター追加してよく練ったやつか?」
「ああもう!」
まったくもって腹立たしい。腹立たしいが陰鬱な気分はどこかへいった。それが、何より悔しくて、ツルギはブランデーミルク割りをガブガブ飲んだ。